目にも留まらぬ速さで駆け抜けていく人影。
雛、神威、宇随の三人は、黒川のもとへ急ぎ向かっていた。
すべての主犯格は黒川だ。
伊藤を殺すよう命じたのも、山本を隊に
そして自分の欲望のために、伊藤を
三人の想いは同じだった。
黒川を倒す、そして伊藤の
雛たちは
雛たちは一度だけ黒川の屋敷に連れて行かれたことがあった。
記憶を頼りに走り続ける。
屋敷に到着した三人の前に、黒川の手下たちが立ちはだかった。
しかし、今の殺気だった三人を誰が止められるというのか。鮮やかにすべての敵を蹴散らしていく。
そして、とうとう黒幕である黒川のもとへ辿り着いた。
「黒川!」
黒川の部屋だと思われる襖を力強く開け、雛が叫ぶ。
中にいた黒川は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにニヤッと笑った。
三人に睨みつけられても、まったく
余裕の笑みで雛たちを出迎える。
「君たち、素晴らしいよ。
あの山本を倒し、
今までの君たちの
黒川は雛たちを褒め称えながら、品定めするように見つめてくる。
「そこでだ! 君たち、私の配下にならないか?」
「なんだと!」
おかしなことを言う黒川に宇随が叫ぶ。
雛と神威は黒川をただ睨んだまま、微動だにしなかった。
「悪い話ではないだろう。君たちは自慢の腕を存分に振るい、好きなだけ戦えばいい。
それで富も名声も、すべて手に入るのだ」
黒川は嫌らしい笑みを浮かべ、雛たちに両手を広げた。
君たちのことを受け入れよう、さあ、おいで。とでも言うように。
雛は怒りで震える体を必死に押さえ、黒川を睨んだ。
こんな奴の命令をずっと聞いていたかと思うと、吐き気がする。
悔しくて、自分に腹が立つ。
こんな奴のせいで、たくさんの命が失われた。
……伊藤だって絶対に死ぬべき人ではなかった。これからたくさんの人を救い導いていける人だった。
こんな奴のせいで失われるべき存在では、ない。
雛は拳をきつく握りしめる。
「富や名声など……いらない! 私たちは好きで戦っているんじゃない!
私たちは新しい時代のために、命をかけて戦っているんだ!
皆が笑って暮らし、幸せだと思える。平和な時代を作りたいから必死で戦ってきた!
……伊藤さんだって、同じ信念を持ち戦っていた。おまえなんか比べ物にならない程、ずっとずっと立派な人だった。
おまえの配下なんて、死んでも御免だ!!」
雛は叫びながら、次々溢れてくる涙を
そして、力強い眼差しを黒川に向ける。
そんな雛の姿を、神威と宇随は静かに見守っていた。
二人とも雛と同じ想いだった。
「ふんっ、何を言うかと思えば。新時代?
おまえらが作れるわけないだろうが! つけあがるのもいい加減にしろ。
庶民のことなど知るか、勝手におまえたちで守っていればいいだろう。
……伊藤か、あいつはよかった。素直な奴で、とても騙しがいがあったぞ。
ああいうのを
黒川は豪快に高らかな笑い声を上げた。
「うるさいっ! それ以上伊藤さんを
雛が刀を抜き、黒川に向け構えた。
驚いた黒川は一歩後退したが、すぐに不敵な笑みを見せる。
「ほう、俺に逆らっていいのか? 斎藤雛。
……おまえの父が、どうなってもいいのだな?」
その言葉の意味がわからず、雛は眉を寄せ黒川を見つめる。
「……どういう、意味だ」
ニヤっと笑う黒川は、ゆっくりと雛に告げる。
「おまえの父は今、私の手の内にある。
おまえの答え次第で、父親と生きて会えるかどうかが決まるということだ!」
「黒川! 貴様っ」
雛が黒川に飛び掛かろうとするのを神威が止めた。
雛は苦しそうに歯を食いしばり、神威の腕の中で
その様子を見ていた宇随が怒りに任せ叫んだ。
「卑怯だぞ! おまえ、本当にクズだな!
雛の親父を殺したら、俺がおまえを殺すからな!」
「ふはははっ、私に手を出せば即刻、そいつの父は死ぬぞ! いいのか!」
心底嬉しそうに笑う黒川を、悔しそうに宇随は睨んだ。
神威は崩れ落ちそうな雛を支えながら、静かに黒川を睨みつける。
その瞳は深い闇のような、底冷えするような光を放っている。
「おまえが手下に命令する間もなく、今一瞬で殺されたとしたら?」
神威が地を這うような低い声でつぶやいた。
「は?」
次の瞬間、黒川の首が吹き飛んだ。
目にも留まらぬ速さで、神威は黒川の首を斬っていた。
生首がゆっくりと
辺りに血の雨が降り注ぎ、辺りを赤く染めていく。
血で染まった神威の顔が、ゆっくりと雛に向けられる。
雛と神威の視線が交わる。
狂気……そんな言葉が似あう。
一瞬、時が止まったような気がした。
「あの、すみません」
緊迫した空気を打ち破り、一人の少年が奥の襖の影から顔を覗かせた。
遠慮がちに現れた少年は、まだあどけさが残る少年だった。
少年の背後から、そろりと姿を見せるのは……雛の父、雄二。
「雛……」
雄二が雛を見て、嬉しそうに微笑む。
雛は大きく目を開いて叫んだ。
「父さんっ!」
雛は雄二の胸に飛び込んだ。
「父さん、よかった! 無事だったんだね」
「ああ、この子が助けてくれたんだ」
雄二が少年を見つめる。
雛は父の隣で微笑んでいる少年を見つめ、その手を取った。
「ありがとう、なんてお礼を言ったらいいか」
「いえ……。僕はそんな褒められるような人間ではないんです」
少年は
そして、雛を見つめると静かに告げた。
「僕、黒川の家来だったんです」
「え……」
その衝撃の発言に、皆の視線が少年に集中する。
「でも、黒川のやり方がどうしても納得できなくて、黒川に従うのが嫌で……いつかここから抜け出そうと考えていました。
そんな時あなたの父上が捕まり、僕は見張り役に任命されました。
雄二さんからお話を聞き、あなたのことを知り、黒川なんかより雛さんの方が僕の目指す理想だと感じました。
だから黒川を裏切ることを決断し、雄二さんを助けることにしたんです」
少年は黒川を
「黒川は、死んだんですね。
……僕は
よろしければ、僕もあなたたちの仲間に入れてくださいませんか?」
少年の瞳はきらきらと輝き、未来への希望で溢れている。
雛は戸惑いながら、答えを求めるように神威と宇随を見つめた。
雛の視線を受け止め、神威がぽつりと言葉を漏らした。
「とりあえず、今はいったん戻ろう……」
その声はどこか沈んで覇気がない。
それは当然だ。黒川を倒せたことはよかったのかもしれない。しかし失った代償は大きかった。
神威のその提案に皆、神妙に頷いていく。
皆疲れていた、今は何も考えられない。
雛も一刻も早くここから離れたかった。
きっと皆同じ気持ちだ。
ふと気づけば、外はほんのりと明るくなりかかってきていた。
草木に太陽の光が反射し、煌めいている。
今日もまた一日が始まる、何事もなかったかのように……。