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第17話 神威の婚約者

 雛は神威と共に町を散策し、買い物したり美味しいものを食べ、一日を満喫した。


 一日の終わりに夕日が見える川岸に座り、二人並んで景色を堪能たんのうしながらのんびりと過ごす。


「あー楽しかった! 一日があっという間でした」


 雛が笑顔を向けると神威は優しく微笑む。


 不思議だ。


 神威といると雛は自然体でいられた。

 本来の自分に戻れる気がする。


 暗殺部隊のリーダーではなく、平凡な一人の人間に。


 いつわりの男の雛ではなく、ごく普通の女の雛に……。


「よかった」


 神威が夕日を見つめながらつぶやいた。


「何がですか?」

「君の笑顔が見られたから」


 雛はその言葉に驚き、神威を見つめる。

 夕陽に輝く横顔がまぶしくて、思わず見とれてしまう。


 振り返った神威の瞳に吸い寄せられるように、雛は視線が離せなくなってしまった。


「あの一件以来、君は笑わなくなってしまった。

 俺は悔やんだよ、あのとき止めておけばよかたって。

 ……もしも、君の負担が大きいなら、隊を抜けた方がいい。

 君のやりたいことなら、別の形で成せばいいんだ。他にいくらでも方法はある」


 神威の心配する気持ちが痛いほど伝わってきて、雛の目頭は熱くなった。

 彼の想いが温かくて、嬉しくて、心が満たされていく。


「心配していただき、ありがとうございます。

 でも、私は大丈夫です。

 人々が困っているのに何もできないなんて、そんなのは絶対に嫌なんです。

 私にできることがあるならやりたい。

 それがたとえ茨の道だったとしても……いつか平和な世の中で皆が笑って暮らせる時代がくるなら、私はこの身を捧げます」


 雛は自分の今の気持ちを正直に打ち明け、神威に微笑んだ。


「……それに、今日神威さんとご一緒できて、なんだか元気になりました!

 やっぱり神威さんはすごい人です」


 とびきりの笑顔を向ける雛を、複雑そうな表情で神威は見つめた。


 そして何か言おうと神威が口を開いた、そのとき。


「神威さま?」


 背後から女性の声が聞こえた。


 二人が振り向いた先にいたのは、あでやかな着物に身を包んだ上品な女性。

 綺麗な漆黒の髪に、色彩豊かなかんざしが風に揺れる。

 陶器とうきのような白い肌、女の子らしく大きな目に小さな口、華奢で守ってあげたくなるようなその姿に、雛は見惚みとれた。


「舞さん……どうしてここに」


 神威が驚いた表情で舞を見つめる。


 舞はゆっくりと神威の側へ歩いてくると、可愛い笑顔を向けた。


「神威さまにお会いしたくて……。

 屋敷を訪ねたら不在でしたので、仕方なく町を散策していましたの。

 そしたらあなたをお見掛けして」

「言ってくだされば、私から会いに行きましたのに」

「いえ、あなたの邪魔になりたくないもの」


 会話の内容と二人の雰囲気、そして舞の神威を見つめる瞳。

 これだけそろえば雛にだってわかる。


 二人は恋人同士なのだと。


 雛はなんとなく居心地が悪くて、どうしたものかと下を向いていた。


 すると雛に気づいた舞が神威に尋ねた。


「あの……あの方は?」


 舞の視線の先には雛がいる。

 神威は雛を一瞥いちべつしてから舞に微笑んだ。


「ああ、彼は私と同じ隊の者です」

「男性……なの?」


 舞が雛を上から下まで舐めるように見た。


 女性には雛が女性だと見破られてしまうかもしれない。

 そう思い立った雛は、慌てて舞の方に駆け寄り挨拶する。


「は、はじめまして。斎藤雛と申します」

「雛? 女性みたいな名前ね」


 雛はしまった、と思ったがもう遅かった。

 すかさず神威が助け船を出す。


「舞さん、名前など関係ないですよ。

 彼の剣の腕前は隊一です。そんな女性がいると思いますか?」

「まあ、あなたより強いの?」


 舞がすごく驚いた表情で雛を見つめている。

 神威が慈しむような眼差しを雛に向け、静かに答えた。


「そうですね……たぶん」

「まあ、それはすごい! 斎藤さん、お強いのね」


 舞が雛に微笑みかける。

 雛は神威の機転に感謝しつつ、複雑な心境で舞の笑顔に応えた。




 神威と舞が二人きりで話している姿を、雛は遠くから一人見つめていた。


 先に帰っていいと言われたが、どうしても二人の様子が気になり、雛はこっそり二人の様子を見守ることにした。


 先ほど舞が自己紹介してくれたときに判明したのだが、恋人同士かと思った二人の関係は婚約者だった。


 婚約者……その言葉を聞いた時、雛の胸はうずいた。

 心臓に針が刺さったかと思うほど痛かった。


 この痛みはなんなんだろう。

 なんだかすごく気分が悪い、気持ちがすぐれない。


 せっかく神威と一緒にいられて気分が晴れたばかりだったのに。


 二人の姿を見ているとだんだん気分が落ち込んでくるので、雛は一人屋敷へ戻ることにした。


 もしかして、神威が買っていたあのかんざしは舞にあげるものだったのだろうか。


 ……きっとそうだ。


 神威の簪を見つめるあの愛しそうな表情、あれは舞を思い浮かべていたのだ。


 そう思った途端、雛の目には涙が滲む。


「あれ? ……なんでっ」


 雛は溢れる涙の意味がわからず、困惑する。


 早くあの二人から遠ざかりたくて雛は涙をぬぐい、町の中を駆け抜けていった。


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