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第12話 神威の優しさ

 夜もけ、身を清めるため皆で銭湯へ向かうことになった。


「おーい、雛。銭湯行こうぜ」


 宇随が呼ぶと、雛は気まずそうに答えた。


「うーん、まだ酔いが冷めないから、もう少しあとで行きます」

「えー、じゃあ俺もあとで行く」


 それはまずい、雛が宇随の背中を押した。


「待ってなくていいです、早く行ってください」


 雛に強く言われた宇随は残念そうな顔を向け屋敷を出ていく。

 そのあとから隊長の伊藤が心配そうに雛に近付いてきた。


「斎藤、具合が悪いのか?」

「いえ、大丈夫です。少し酔っただけで……あとで行くので先にどうぞ」


 笑顔で答える雛の顔を覗き込み、少し安心した表情で伊藤は頷いた。


「そうか、ではな」


 伊藤は本当に面倒見が良く、一人一人をしっかりと見ている。

 隊のことを一番に考え、隊員たちのことも大切に思ってくれていた。


 伊藤の背中を見つめながら、あの人が隊長でよかったと心から思う雛であった。




 銭湯の営業時間ぎりぎりの時間を狙って、雛は銭湯へと向かう。

 向っている途中、二人の隊員とすれ違った。


 あと四人か……なんとか切り抜けなければ。


 銭湯の入口でもう一人の隊員と出会う。

 よし、あと三人。


 高鳴る胸を押さえ、脱衣所へと向かった。


 下手したら、戦闘の時よりも緊張している。

 気持ちを落ち着け、雛は足を進めた。


 本来なら雛は女湯へ行くべきだが、今は男装しているのでそうもいかない。


 脱衣所へ入ると、そこには伊藤がいた。

 ちょうど着替えを終え、出てこうとしているようだった。


 雛を発見すると伊藤は優しく微笑んだ。


「おう、やっときたか。あと30分で銭湯は閉まってしまうからな」

「は、はい。お気遣いありがとうございます」


 伊藤が去っていくのを見届けると、雛は辺りを見渡す。


 もうすぐ閉店時間ということもあり、人は少なかった。


 雛は隅っこへ行き、周りに気を配りつつひっそりと着替えはじめた。

 服を脱ぐと布で体を隠しつつ、急いで風呂場へと向かった。

 用心しながら風呂場の引き戸をそっと開ける。

 ラッキーなことに人っ子一人いなかった。


 雛は心の中でガッツポーズを決める。


 しかし、すぐ疑問に思った。


 宇随と神威には会わなかったが二人はどこへ消えたのだろう。

 まあ、すれ違っても気がつかなかったのかもしれない。


 そう解釈した雛は周りへの警戒を弱めず、洗い場で体を清めたあと、湯舟の端のほうでゆっくりとお湯に浸かった。


 一日の疲れが吹き飛ぶ瞬間、ほっと一息ついた雛の耳に突然宇随の声が飛び込んできた。


「お、やっぱり雛じゃん。俺待ってたんだぜ」


 風呂場の入口から入ってきた宇随がこちらに向かって歩いてくる。

 そして洗い場で体を洗いながら、雛に話しかけてきた。


「さっきおまえに振られてから、銭湯の側でこっそり待ってたんだよ。

 そしたらおまえが入っていくのが見えたから、追いかけてきたってわけ」


 なんてことを! 


 雛は宇随を恨んだ。


 わざわざ待っていなくていい!


 雛は肩まで湯に浸かり、体を縮め、必死に体を隠す。


 そこへ、体を洗い終わった宇随が湯舟に入ってきた。

 気持ちよさそうに湯に浸かると雛の方へ顔を向ける。


「そんな隅っこでどうしたんだよ、こっちこいよ」

「いい! 私は端が落ち着くから」

「……変なやつ」


 しばらく二人はそのまま仲良くお湯に浸かっていた。


 雛はだんだんのぼせてきた。

 しかし、宇随がいるので出ることはできない。


 雛がいつまでもこちらを向かないのを寂しく感じた宇随が雛の方へ近寄ってきた。


「なあ、どうしたんだよ。元気ないけど、体調悪いのか?」


 宇随の近づいてくる気配に雛はぎゅっと体を縮め小さくなる。


 誰か助けて!


 雛は心の中で叫んだ。


「宇随!」


 そのとき、突然風呂場に声が響いた。


 声の方へ視線を向けると、風呂場の入口に立ち、こちらを見つめる神威の姿があった。

 彼は服を着ているのでもう既に風呂からあがったあとだろうか。


「隊長がおまえを探していたぞ」


 神威がそう発言すると、驚いた宇随が勢いよく立ちあがった。


「え! マジか」


 男の裸体が真横にあるかと思うと、雛は気が気で無かった。

 視線を宇随とは反対の方へ向ける。


「なんだよ、俺何かしたっけ……。

 雛悪い、俺先行くな。おまえものぼせないうちにあがれよ」


 宇随は急いで風呂場をあとにする。


 やっと解放された雛は肩の力が抜け、ほっと息をついた。


 すると今度は神威が近づいてくる。

 湯舟のふちにそっと大きな布が置かれた。


「ほんとにのぼせるぞ。俺はもう行くから、早くあがってこい」


 雛が驚き見上げると、神威は雛から顔を背けていた。

 不思議そうにじっと神威を見つめる雛。


「……外で待ってる」


 そう言うと、顔を背けたまま彼は風呂場から出ていった。





 雛は神威の行動の意味をどう受け止めればいいのか悩んでいた。


 伊藤が宇随を呼び出したことも、もしかして神威が私を助けてくれるための嘘だったのかもしれない。


 そして布、持ってきてくれてすごく助かった。すごく嬉しかった。

 が、神威が持ってくる理由がわからない。

 まさか雛の正体が女だとバレているのか……?

 だとしたらなぜ彼はそのことを言ってこない?

 黙っていることで神威に何か得があるのだろうか。


 銭湯の出口から雛が姿を現すと、すぐ傍で待っていた神威が声をかけてきた。


「いくぞ」

「は、はい」


 さっさと歩いていってしまう神威のあとを雛は駆け足で追っていく。


 二人は少しの距離を取りながら、夜の町を並び歩く。


 先ほどのことを聞くべきか聞かない方がいいのか、雛は迷っていた。

 変なことを言って墓穴ぼけつを掘りたくはない。


 雛が黙っていると神威が口を開いた。


「……君はあれだな、皆と一緒に風呂に入るのは嫌なんだろ?」

「え、ええ。まあ……」


 神威の真意はわからない。

 雛は曖昧あいまいに返事をする。


「これからも皆とは別に、最初か最後に行くといい。

 俺が見張っておいてやる」

「それは、ありがたいですけど……どうしてそんなに親切にしてくれるんですか?

 それに、理由は聞かないんですか?」


 雛が神威の顔を覗き込んだ。

 彼はなぜ、こんなにも親切にしてくれるんだろう、謎は深まるばかりだ。


 神威の視線が雛に向けられた。

 二人の視線がぶつかり、なんだか恥ずかしくて雛は自然と視線を逸らしてしまった。


「人にはいろいろ事情がある、話したくないこともあるだろう。

 それに……君はどこか妹に似ていて、放っておけないんだ」

「神威さんの妹さん?」


 神威の表情が優しく緩み、微笑んだ。その顔を雛に向けた。


 雛の心臓がトクンと跳ねる。


 とても優しくて、素敵な笑顔。


「ああ、君と同じ年の十五だ。なつめと言ってね。

 小さい頃から体が弱く、家で療養ようじょうしている。

 だから友達もできなくて、幼い頃から俺になついてしまった。いつも俺のあとにくっついてきて、嬉しいような困ったような……。

 まあ、俺にとって大切な宝物だ」


 神威は今まで見たこともないような優しい表情になる。

 その妹のことをとても愛しく思っていることがわかった。


「へえ……いいなあ、神威さんみたいなお兄さんがいたら自慢だろうな」


 雛がそうつぶやくと、神威は意外そうな顔をした。


「そうか? ありがとう。君は兄弟はいないのか」

「はい、私は一人っ子です。母は小さい頃に亡くなってしまって、それ以来父と二人で暮らしています」

「御父上はさぞ君のことが可愛いだろうな」

「……そうですね」


 父のことを思い出すと胸が痛んだ。


 父は本当に雛のことを想い、愛してくれている。

 きっと今回のことで、ものすごく心配させてしまっていることだろう。


 雛が黙って下を向いてしまったので、神威は話題を変えることにした。


「さ、もうすぐ屋敷に着く。今日は疲れただろうからゆっくり眠るといい」


 神威はまっすぐ前を向き歩いていく。

 その歩調は雛に合わせてくれているようで、少しゆっくり目のペースだった。


 神威と一緒にいると、すごく穏やかでほっとしている自分がいることに、はじめて雛は気づいた。


 自然と雛の視線が神威へと向けられる。

 その視線はほんのり熱が帯びていたが、雛はそのことには気づいていなかった。

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