雛は次の試合に向け気持ちを落ち着けるため、休憩所へ向かった。
大きなテントの下に机とベンチが並べられ、机の上には給水機が設置されている。
用意されているコップに水を汲み、それを一気に飲み干した。
そのとき雛の隣に一人の青年が現れた。
彼も給水機から水を汲み、勢いよく水を飲み干した。
雛が見つめていると青年の瞳もこちらを向き、目が合った。
「どうも……」
雛が挨拶すると、彼も柔らかい笑顔で挨拶を返してくれる。
「どうも……。あのもしかして、次の試合の方ですか?」
「はい、そうです。……あなたも?」
「はい。お互い頑張りましょうね」
その青年はとても穏やかで優しそうな、いかにも好青年という雰囲気を
まだ試合まで時間があるので、二人は近くのベンチに座り時間をつぶすことにした。
「あの、なんで参加したんですか?」
他の参加者があまりにもお金目的などが多かったため、雛は単純に興味が湧き聞いてみた。
「お恥ずかしいのですが、お金のためです。僕の母が病気で、その治療費を稼ぐために。
父はもう他界していて、弟たちはまだ小さいですし、僕が何とかするしかないんです」
お金のためでも、この理由に雛は何の嫌な感情も湧いてこなかった。
それどころか彼を応援したくなった。
「そうなんですね、あなたのような方が本当は
お互いベストを尽くして頑張りましょう」
雛が握手を求めると彼も
「ところで、あなたのお名前は?」
雛が笑顔で尋ねると、彼も笑顔で答える。
「
その名前を聞いた途端、雛は固まった。
雛が青ざめていくのを不思議そうに須田は見つめる。
「どうしたんですか? ……まさかっ」
須田もその考えに行きついたようで、顔が引きつっていく。
雛が須田を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「次の対戦相手……私です」
「えーーーーーっ!」
須田の叫び声が辺りに響き渡った。
試合会場へと向かう雛の足取りは重かった。
先ほど知り合った彼は自分の対戦相手だったのだ。
これから戦う相手と仲良く話し、さらに身の上話まで聞いて、須田のことを人間として好きになってしまった。
こんな気持ちで須田と本気で戦えるのだろうか、雛が重いため息をついた。
「どうした」
急に目の前に現れた神威が雛を見つめてくる。
「か、神威さん。いえ、何でも……」
雛が何かを隠しているのがすぐにわかった神威は淡々と聞いてくる。
「言ってみろ、聞いてやる」
神威には全て見透かされているように思え、観念した雛は正直に話してすっきりしたくなった。
先ほど出会った須田のことを神威に打ち明ける。
「彼を応援したい気持ちがどうしても消えなくて。
私が勝ってしまったら彼の家族はと思うと、本気で戦えるのか不安に感じてしまって」
目を伏せる雛を神威は真剣な眼差しで見つめる。
「君の目標はその程度か? ここに来たのには何か訳があるのだろう。
その目標を成し遂げるために君はここへ来たのではないのか」
雛ははっとして大きな目で神威を見た。
そうだ、父を裏切ってまで自分の目標を叶えたくてここへやってきた。
それはちょっとやそっとで折れるものではない。
どんなことがあろうとやり遂げる決心のもとここへ来たんだ。
神威の言葉で闘争心に火がついた雛の瞳に光が
「そうですよね。私は人々のために自分の力を使いたくてここへ来ました。
その夢だけは決してあきらめるわけにはいかないんです。
……それに、情けをかけるなんて須田さんにも失礼ですよね、本気の相手には本気でぶつからないと」
雛の瞳に輝きが戻ってきた。
それを見た神威が柔らかい笑みを見せる。
「神威さん、ありがとうございます!」
雛が笑顔を向けると、神威は真顔になり顔を背けた。
「別に。つまらないことを言ってるから、当たり前のことを言ったまでだ」
そう言うと、雛に背を向け歩き出す。が、途中で止まると振り返り、
「試合、頑張れよ」
とぶっきらぼうに言って、去っていく。
雛は神威の背に向かって、大きな声で叫ぶ。
「はい!」
そこから少し遠い場所に佇む宇随が拗ねた表情でその様子を眺めていた。
「神威の奴、いいとこ取りやがって」
宇随は不機嫌そうな自分の頬を両手で叩くと、無理やり笑顔を作り雛のもとへ駆けていった。