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第48話 光の中で


「よーし、いくぞ、まーくん」


「みゃーちゃん、今日はどこいくの?」


「神社でお絵かき。それじゃ、しゅっぱーつ!」


 髪の長い女の子に手を引かれながら家を飛び出していく。そんな俺たちを、両親が微笑ましそうに見ていた。


 これは……夢なのか?


 握られていないほうの手が目に入る。子どものような、本当に小さい手だった。


 それから言葉を発しようとするも、なぜか声が出ない。


 思えば体も勝手に動いているし、今の俺にできることは、こうやって考えることくらいのようだ。


「よそ見してたら、こけるよー。泣いても知らないよー」


「う、うん……」


 前を行く少女はその長い黒髪を風になびかせ、細い路地をどんどん進んでいく。


 やがて広い道に出ると、大きな商店街の看板が目に飛び込んできた。


 目線は随分と低いけど、この街並みは見覚えがある。今、俺が住んでいるこの街に間違いなかった。


 ひょっとするとこれは夢ではなく、過去の記憶のようなものなのかもしれない。


 そんなことを考えながらも、俺はその小さな体に見合わない大きなスケッチブックを手に商店街の中を駆けていく。


 ……というか、手を掴んだ女の子に半ば引きずられていた。


「とうちゃーく!」


 やがてたどり着いたのは、盆踊りが行われた汐見しおみ神社だった。


 神社の境内に足を踏み入れた時、強烈な蝉しぐれが聞こえて、今が夏なのだと気づいた。


 二人一緒に鳥居をくぐり、社殿脇の日陰に腰を下ろす。


「よーし、今日はあのコマイヌを描いてみよう!」


「えー。むずかしいよー!」


「描く前から諦めちゃダメ! 何事もチャレンジ!」


「うう、わかったよ……みゃーちゃんこわい……」


 腰に手を当てた少女に叱責され、俺は半べそになりながら腰のポーチから鉛筆を取り出す。


 続いてスケッチブックを開き、間に挟まっていた栞をつまみ上げる。どこかで見たことのある栞だった。



 それから二人並んで狛犬のスケッチを始めたものの、俺の絵は……とてつもなく下手だった。年相応の子どもの絵で、バランスも悪いし、見るに堪えない。


「わひゃー! しょーちゃーん、たすけてー!」


「しょーがないやつだなー。うわーー!?」


 ……その時、少し離れた場所から賑やかな声が聞こえた。


 直後に派手な水音がし、豪快な笑い声が周囲に響く。


「じーちゃん、カメラ構えてないで助けてくれよー!」


「はっはっは。それくらい、自分の力で上がってこい」


 建物の陰になっていて見えないけど、神社の池に誰かが落ちたようだ。


 会話を聞く限り大事には至ってなさそうだし、小さな俺や隣の少女も気にしている様子はなかった。


「……まーくん、へたくそ。基礎からやりなおしたほうがいいよ」


 その後も一心不乱に絵を描き続けていると、少女から容赦のない言葉が浴びせられた。


「うう……みゃーちゃんはできたの?」


「ふっふっふー。ごらんあれ」


 満面の笑みとともに差し出されたスケッチブックには、立派な狛犬が描かれていた。


 彼女は俺より年上に見えるけど、それでも小学校低学年だろう。


 年齢の割に大人びた絵を前に、俺は心底驚いていた。


「おやおや、キミたちはよくここで絵を描いているねえ」


 その矢先、先程の笑い声の主と思われる男性がカメラを手に俺たちのほうへやってきた。


 白髪交じりの頭の上にカンカン帽を被り、眼鏡をかけている。


「フィルムが残り一枚なんだが、写真を撮ってもいいかな?」


「うん、いいよ!」


 言うが早いか、少女が俺の手を取って立ち上がる。


 その拍子に、俺はようやく少女の顔をしっかりと見ることができた。


 ……マリンブルーの瞳。俺はこの子を知っている。


「ほら、まーくん、私を見てもだめだぞ。カメラは前」


「仲がいいね。写真ができたら、ここに持ってきてあげるから。はい、笑って」


 視線が前に戻ると同時にフラッシュが焚かれ、再び目の前が白く染まった。


 ◇


 ……気がつくと、俺は部長を抱きしめたまま、夜の屋上にいた。


「……今の、何?」


 どこかふわふわとした、夢と現実の狭間にいるような感覚でいると、部長が小さく声を漏らす。


 思わず視線を落とすと、腕の中の彼女はいつしか半透明ではなくなっていた。


 安堵感とともに、その存在を確認するようにもう一度抱きしめる。確かなぬくもりが伝わってきた。


「ちょっとまもるくん、痛いよ」


 わずかに表情を歪めながら、マリンブルーの瞳で俺を見上げてくる。


 その瞳を見た時、俺はすべてを理解した。


「……みゃーちゃん、ですよね?」


「……うん」


 確信を持ってその名前を口にすると、彼女はしっかりと頷いた。


 先程の言葉からして、彼女も俺と同じ光景を見ていたのかもしれない。


「俺、小学校に上がる前、半年間だけこの街に住んでいたことがあるんです。その時に女の子と出会って。その子が、俺に絵を描くきっかけをくれたんです」


 それこそ、当時の俺は幼稚園児で、女の子は小学校低学年。髪が長いのもあって、ずいぶんとお姉さんに見えたものだ。


「……私も思い出したよ。まーくんのこと」


 目尻に溜まった涙を細い指で拭いながら、部長が言う。


「幽霊になったことによる、記憶の欠落……ってやつですか?」


「そう。一番大事なことなのに、忘れちゃってたみたい。護くんのスケッチブックに挟んであった栞、私があげたやつだったね」


「そうですね。確かあれは……」


「――絵がうまくなる、お守り」


 声が重なり、俺たちは同時に微笑みあう。


 ……俺と雨宮さんは、ずっと前に出会っていたんだ。



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