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第45話 もう一度、力を合わせて 後編


 その翌日も、朝のホームルームが終わるとすぐに部室へ向かう。


「準備万端よ。それじゃ、始めましょうか」


 体操服姿の朝倉あさくら先輩は薄藍色の髪をアップにまとめ、絵筆やパレットを手に気合を入れていた。同じく着替えを済ませた俺も、彼女と並んで絵筆を持つ。


「本当に大丈夫か? ケータイの電源は入れとくから、俺の手が必要になったらすぐに呼べよ?」


 園芸部の手伝いを頼まれたという翔也しょうやは心底名残惜しそうに言い、部室をあとにしていく。


 昨日は彼に任せっきりだったし、今日は俺たちが頑張る番だ。


「翔也の代わりに、わたしが頑張るからね! それこそ、筆洗いでも何でもやるよ!」


 幼馴染の背を見送ったあと、汐見しおみさんはそう息巻く。


「ありがとう。汐見さん、頼りにしてるからね」


 彼女にお礼を言ってから、俺と先輩は背景の着色作業に取り掛かった。


「……さっちゃん側に光源があるから、まもるくん側はもう少し暗い色がいいと思う」


 それから時折部長からのアドバイスを受けつつ、慎重に着色作業を進めていく。


 とにもかくにも時間がないので、二人で一枚のポスターを同時に塗っていく形になる。


 色のバランスはあらかじめ取り決めているし、雨宮あまみや部長が常に全体を把握しながら細かく指示をくれるので、非常に助かっている。


「護くん、三原くんの下書きが細かいから写実的に描きたくなる気持ちはわかるけど、そこは細かすぎ。もっとざっくりと。さっちゃんのタッチに似せて」


 助かってはいるけど……その指示がけっこう多い上に、さらっと難しいことを言ってくる。他人のタッチに似せるなんて芸当、そう簡単にできるもんじゃない。


「さすが内川君、私の画風に合わせてくれているのね」


「え? ええ、まあ……そうですね……」


 それでも必死に手を動かしていると、朝倉先輩はどこか嬉しそうな顔を向けてくる。


 とっさに言葉を返したものの、なんとなく気恥ずかしい。


 なるべく隣を意識しないようにしつつ、俺は目の前の絵に集中したのだった。


「……二人とも、お疲れさま! 不肖ふしょう汐見ほのか、お昼ごはんを買ってきました!」


 やがて汐見さんのそんな声が頭上から降ってきて、俺と先輩は同時に顔を上げる。


 続いて時計に目をやると、正午をとうに過ぎていた。


「……しまった。もうこんな時間だったとは。幽霊になって腹時計が機能しなくなった弊害が、こんなところで出るなんて」


 部長がそう口にした直後、急に空腹感が襲ってくる。


「内川君も朝倉先輩もすごいね……いくら声かけても反応しないんだもん」


「ごめんなさい。完全に集中していて」


「俺もだよ。ごめんね、汐見さん」


 体重を支え続けて痛くなった膝をかばいながら立ち上がる。そんな俺たちを見ながら苦笑する汐見さんの手には、購買の袋が握られていた。


「内川君はともかく、朝倉先輩は料理部の時と明らかに集中力が違うし……さすが美術科」


「そんなことないわよ。これくらい普通よ、普通」


 顔や体操服が絵の具で汚れているのを気にすることもなく、朝倉先輩は胸の前でひらひらと手を振る。


「はあ……とにかく、少し休憩しましょう! 明日は美術部に絶対勝つという意味を込めて、カツサンドをチョイスしました!」


 眩しいほどの笑顔を向けてきながら、汐見さんは俺たちにカツサンドとカフェオレを手渡してくれた。


 定番のゲン担ぎだけど、昨日もカツサンドだったような気がする。ありがたいけどさ。



 そんなこんなで作業を続け、太陽が西の果てに沈みかけた頃、ようやく背景が完成した。


「おお……これすごい。二人で合作したとは思えない」


 ポスターを見下ろしながら、部長が感嘆の声を上げる。他の部員たちも、言葉は違えど似た感想を口にしていた。


「皆、ありがとう。ここまでくれば、あとは俺だけでもなんとかなりそうだよ」


「ええっ、まだ中央が真っ白だけど、大丈夫なの?」


 皆にそうお礼を言った直後、汐見さんがその大きな瞳で俺とポスターを交互に見る。


「宿泊許可はもらってるし、学校に泊まってでも描き上げるよ」


 俺は努めて笑顔で言い、床に広げられたポスターを見る。


 皆が協力してくれたおかげで、短時間でここまでの作品を作ることができた。あとは俺が頑張らないといけない。


「人物は俺にしか描けないしさ。時々休憩はするから、心配しないで」


「……わかった。無理しないでね」


「手伝えることは少ないかもしれないが、きつくなったら呼べよ」


 仲間たちは明らかな不満顔をしていたけど、一人、また一人と部室をあとにしていく。


 気持ちはありがたいけど、これ以上手伝ってもらうわけにはいかなかった。


「……さて、もうひと頑張りしますか」


「そうだね。あと一息だよ」


 皆を見送ってから、俺は隣に佇んでいた部長に声をかける。


 目の前のポスターは、中央のわずかなスペースを残して全て色で埋まっている。


 朝までに、この部分に手を繋いだ男女を描かなければならない。


「おー、お前、こんな時間までやってんのか?」


 ……その時、部室の入口から耳障りな声が飛んできた。


 渋々顔を向けると、そこには例の美術部の部長が数人の取り巻きを連れて立っていた。


京桜祭けいおうさいは明日だぞ? まだ作品ができてないなんて、イラスト同好会はスケジュール管理もろくにできないんだな」


「そうなんですよ。俺のミスなんで、やれるだけやります」


 白々しく言う彼に、俺は当たり障りのない返事をしておく。


 そんな俺の態度が気に入らなかったのか、彼は鼻を鳴らすと、すぐに去っていった。


「むむ……またドーナちゃんアタックを食らわせてやろうか」


「部長、ほっときましょう」


 怒りの形相でドーナッツ型の人形に手を伸ばす雨宮部長をなだめながら、俺は開け放たれたままの扉に目をやる。


 いっそのこと、内側から鍵をかけてしまおうか……なんて考えていると、雨宮部長はまっすぐに入口へと向かい、怒りに任せて扉を閉めた。


「……あいたっ!」


 その直後、扉の向こうから派手な衝突音とともに、悲鳴が聞こえた。


 今度の声にも、聞き覚えがあった。


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