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第42話 幽霊部長の不安


「……さっちゃんに完敗だ。私、皆のこと全然わかってなかった。部長さんなのに」


 その日の夜。部長は俺の部屋で黄昏たそがれれていた。


 皆の話を聞きながら、その場であのデザインを考え出した朝倉あさくら先輩は確かにすごいけど、部長だって皆のために色々な案を出してくれていたし、落ち込む必要はないと思う。


「はあ……幽霊エネルギーが尽きた。もう当面動けない」


「意味わからないこと言わないでくださいよ。それにそこ、俺のベッドですよ」


 ため息をついてから、もそもそと布団に潜り込んでいく部長にそう伝えるも、彼女は聞く耳をもたず。エネルギーの真偽はわからないけど、精神的に疲れているのは事実のようだ。


「……さっちゃんを見てるとね。結局、美術部の……ううん、美術科の人には敵わないのかなぁって思っちゃう」


「なに言ってるんですか。部長だって、自分の力でイラスト部を立ち上げたでしょう? 自信持ってくださいよ」


「あのイラスト部だってそう。自分で作ったつもりだったけど、あれも美術部の元部長っていう肩書があったからこそなんだって。井上いのうえ先生の話を聞いて、気づいちゃった」


 布団の中から、消え入りそうな声が聞こえた。


 同好会から部活動に昇格するためには実績が必要……先生からそう聞いた時の、部長の悲しそうな、それでいて悔しそうな顔が思い出される。


「じゃあ、今こそ俺たちの力で見返してやりましょうよ。コンクールで勝てば、文句ないでしょう?」


「それは、そうだけど……私、何も手伝えない。アドバイスくらいしかできないのが、辛い」


 その言葉の後半は、涙声になっていた。


 俺たちがコンクールに向けて一致団結していく中で、彼女は一人だけ疎外感を覚えていたのかもしれない。


 それが今、不安となって溢れ出している。


「……部長、手を出してください」


 そんな彼女を救うべく、俺は手を伸ばす。


「え? こう……?」


 おずおずと差し出された手を、俺は優しく握る。その手はわずかに震えていた。


「や、闇のオーラが出てたらごめんね」


「そんなの出てるんですか? じゃあ、部長が闇のオーラに包まれて悪霊になっちゃう前に、俺が吸い取りますよ」


 冗談なのか本気なのかわからないことを言う部長に、そんな言葉を返す。


 部長と初めて出会ったあの日、不安でたまらなかった俺の手を、彼女は握ってくれた。


 こうすることで、少しでも部長の不安が消えてくれたら……俺はただひたすらに、そう願った。


「……そ、そのやり方じゃ、悪いオーラは消えないかも。もっと近づいてほしい」


 その時、彼女がゆっくりと状態を起こして、弱々しい声でそう言った。


「え、でもこれ以上は……」


 困惑しながら顔を上げた瞬間、握った手を思いっきり引っ張られた。そのまま前のめりになったところで、部長が抱きついてくる。


「えっ、その、部長?」


「……今は何も言わないで、もう少し、このままでいさせて」


 突然の出来事に身動きできずにいると、すがるような彼女の声が耳元に響く。


 それはとても儚げで、もし振りほどこうものなら、彼女の存在そのものが霧散してしまうような気さえした。


 俺はそれ以上言葉を発することができず、彼女が安心するまで、ただただ抱きしめ続けたのだった。



 ……その翌日、部長は何事もなかったかのように元気を取り戻し、部室へと帰っていった。


 結果的にうちにお泊りする形になったけど、彼女の場合、咎めるような家族もいない。


 本人も「悪いオーラ消えた!」と言っていたし、ここは結果オーライと思うことにした。


 ◇


 それから数日後には、注文していたポスター台紙が届き、忙しい日々がやってきた。


「この校舎、なんか普段と違うような気がする」


「気がついたか。実は文化祭仕様にしてある。去年の写真を何枚か朝倉センパイに借りてな」


 鉛筆を動かす手を止めることなく翔也しょうやが言う。見たところ手元に写真はないし、彼の頭の中に全て入っているのだろう。


「よし、いっちょ上がり」


 ……そうこうしているうちに、下書きが終わったらしい。見事な手際だった。


「さすがだね。翔也、プラモと写真だけの男じゃなかったんだ」


「フッ、もっと褒めてくれていいぜ」


「色塗りできないんだから、それくらいしないとねー。翔也、このあとはわたしと一緒に雑用係だからね?」


 誇らしげな顔をする翔也の背後で、汐見しおみさんが腕をさすりながらそう言っていた。

 猫をあしらったサイン30種類……きっと腕を酷使したに違いない。


「そういえば、先輩たちって去年の文化祭、何やったんですか?」


 着々と下書きが進みつつあるポスターを見ながら、汐見さんが朝倉先輩に尋ねる。


「確か、メイド喫茶だったわね」


「……それ、美術科としてやったんすか?」


「残念ながら違うわ。料理部としてよ。衣装提供を含めて、服飾部との合同だったけれど」


 翔也が問うと、先輩は含み笑いを浮かべながら答える。


 料理部なら提供するお菓子も自分たちで作れるだろうし、メイド服も服飾部に任せておけばいいだろう。


「さっちゃんのメイド服姿、ちょっと見てみたい気もする。それこそ写真とか残ってないのかな。まもるくん、訊いてみてよ」


 隣で部長がなんか言っていたけど、さすがに俺が聞くわけにはいかない。妙な趣味があると思われてしまうし。


「メイド喫茶かぁ……うちは無難なクラス展示でよかったね。料理部もお菓子販売だしさ」


「無難なクラス展示になったのはお前ら女子が……いって!?」


 何か言いかけた翔也だったが、その途中で汐見さんから思いっきり足を踏まれていた。


 ちなみに俺たちのクラス展示は、教室全体を使った迷路だ。


 ロングホームルームで出し物の話し合いをした際には、それこそ男子たちからメイド喫茶という意見も出た。


 けれど、クラス委員長である汐見さんを筆頭に女子が猛反対し、午後の授業をボイコットするとまで言い出した結果、現在の迷路に落ち着いたのだ。


 まあ、迷路の設計図と材料のダンボールさえ用意してしまえば、あとは前日に組み立てるだけだし、ポスター作りに集中したい俺たちにとっては好都合だったけど。



 ……かくして、皆でわいわい楽しくやりつつ、ポスター制作は進む。


 翔也や汐見さんの担当部分の下書きが終わったあとは、俺と朝倉先輩が全体のバランスを見ながら線画を描き込んでいく。


 それが完了したら、水彩絵の具で着色作業を行う。ポスターカラーを使う案も出たけど、一部に使用するパステルや、翔也が提供してくれたエアブラシによるグラデーションと色合いを似せるため、水彩絵の具を使うことにした。


「あ、護くん、そこはもうちょっと陰影を強く。でもイラストだから忠実になりすぎないで。ぼかしていいよ」


 そんな中、画材に触れられない雨宮部長はもどかしそうにしつつも、的確なアドバイスを何度もしてくれる。


 俺はその都度彼女に感謝しつつ、作業を進めていったのだった。


 ◇


 ……そんなこんなで、気がつけば10月も下旬。ポスターもほとんど完成と言っていい状態となった。


 そんな中、最後まで残っていたのが人物の仕上げだ。

 今日も俺は部長と二人で部室に残り、完全下校時間ギリギリまで作業を続けていた。


「護くん、この人の陰影に違和感ある。こっちは手足のバランスが悪い」


 部長からアドバイスをもらいながら、一心不乱に筆を走らせる。


 描く人数が多くて大変だけど、朝倉先輩があまり顔を描く必要がない構図にしてくれたのが幸いだった。


 それでも、イラスト同好会のメンバーで人物を描けるのは俺だけだから頑張らないといけない。


「……今日はこんなもんですかね」


 時計を確認し、俺は大きく息を吐く。そろそろ時間だった。


「そうだね。護くん、おつかれさま」


 部長はそう言いながら、俺を背後から抱きしめてくれる。


「……その、いつもありがとうございます」


「ううん。なにもできないから、これくらいは。元気でろー」


 先の一件で部長に抱きしめられてからというもの、彼女はその……俺に対するスキンシップが、より大胆になった気がする。


 首元に彼女の吐息を感じながら、俺は目の前の絵に視線を送る。


 随所にパステルやエアブラシの技法を生かした淡い色を乗せながら、中央部分に描かれた人物はそれと対比するように濃く、はっきりとしていた。その背後に見える校舎はまるで写真のように細かく描写され、ポスターの端には、イラスト同好会を示す猫のサインが描かれている。


 皆の思いが詰まった、渾身の作品だ。


「このまま机の上で乾かしておきましょう。もう少しで完成ですね」


「そうだね。これならきっと、優勝を狙えるよ」


「それで……部長、今日はどうします? またうちに来ますか?」


「うーん、護くんも疲れてるだろうし、今日は部室で過ごそうかな」


 少し考えるに言ったあと、どこか名残惜しそうに俺から離れた。


 日中の作業で疲れた俺を気遣ってか、最近は部長も俺の家にあまりやって来ない。


 それはそれで寂しいのだけど、体が疲れているのも事実だ。部長には悪いと思いつつも、俺は彼女を残して帰宅したのだった。


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