やがて花火の時間が近づき、神社の境内にいた人々が一斉に移動を始める。
この地区では盆踊りのあとに納涼花火大会をやるのが通例となっていて、神社の参道から脇道を通って会場である河川敷へ抜けることができる。
30分足らずの短い時間に数千発の花火が打ち上げられ、それはそれは華やかなのだ……と、
「ほら、部長も行きましょうよ」
集団に遅れまいと友人たちが動き出す中、俺は一人で灯籠前に佇む
「せっかくだし、皆で見てきたら?」
すると、部長は伏し目がちにそう言った。
「何言ってるんですか。一緒に見ましょうよ。あれだけ楽しみにしてたじゃないですか」
「……なんか、お邪魔になってる気がする」
「そんなことないですよ。急にどうしたんですか」
「……お盆だから、センチメンタルな気分になってるのかも」
「なんですかそれ。とにかく、俺は部長と花火が見たいんです。行きましょう」
人がほとんどいなくなった境内で、俺は部長に向けて自然と手を差し出す。彼女は一瞬驚いた顔をしたあと、遠慮がちにその手を握ってくれた。
「ありがとう。でも、今から河川敷に行ってもいい場所は取れないと思うよ。私、特等席を知ってるの」
「特等席ですか?」
「そうなの。こっち!」
言うが早いか、部長は皆と反対方向に向けて走り出す。
そんな彼女に引っ張られるがまま、俺は社殿の裏にある山道へと足を踏み入れたのだった。
◇
部長と一緒に暗闇の中を進んでいると、足元の感覚が変わっていることに気づく。
それまでの石畳から土の地面となり、気をつけなければ転んでしまいそうだ。
「部長、どこ行くんです? こっちは山ですよね?」
「神社の裏山に街を見下ろせる場所があるんだよ。そこからなら、河川敷の花火がよく見えるの!」
坂を登りながら彼女は声を弾ませるも、足元はますます悪路になっていく。
「そんなに走ったら危ないですよ。暗いですし」
「私には見えてるから大丈夫! 幽霊部長の特殊能力!」
なにがどう特殊能力なのかわからないけど、俺には何も見えない。
明かりをつけようにも、この状況だとスマホを取り出すこともできない。
俺は部長に手を引かれたまま、細心の注意を払いながら山道を進んでいくしかなかった。
「ついたよ。ここが特等席」
……たどり着いたのは、山の中腹あたりに設置されたベンチだった。
周囲には照明らしきものはなく、眼下にある街の明かりに、そのシルエットだけがわずかに浮かび上がっている。
「こっちこっち。気をつけて座ってね」
そのベンチと同じようにシルエットしか見えない部長に手招きをされ、慎重に腰を落ち着ける。
そして前を見ると、一気に光量が増えた。
その原因が人々の集まった河川敷であると気づくのに、さほど時間はかからなかった。
「なんか……妙な感じですね」
「優越感に浸れるよね。まさに上から目線」
彼女は軽い口調で言うも、それから無言になる。
街の喧騒も遠く、近くに聞こえるのは虫の声だけ。悪路ということもあって、さすがにこの時間に山に入ろうなんて人はいないようだ。
「ここなら、二人でゆっくり花火が見れるね」
「……部長、なんか、すみません」
どこか安心したような部長の声を聞いた時、俺は思わず謝っていた。
「なんで謝るの?」
「俺たちばっかり楽しんで、部長を置き去りにしていた気がして」
「別に気にしなくていいのに。一緒に出店を回っても食べられないし、射的も輪投げもできないんだから」
「それでも、すみません」
本当に気にしていない調子で彼女は言うも、俺はもう一度謝る。
「
するとそんな言葉に加え、ぱんぱんと頬を叩く音がした。
「でもね、護くんが雰囲気を楽しもうって言ってくれたおかげで、それなりに楽しめたよ?」
「本当ですか?」
「……正直、浴衣は着たかったけど」
わざとらしく肩を落としながら彼女は言う。
「俺も正直言うと、部長の浴衣姿見たかったです。きっと似合うと思うんで」
「おお? なんか今日の護くん、優しいぞ」
「ちゃ、茶化さないでください」
指摘されたことで恥ずかしさが増し、また無言になるも、先程に比べると空気が和らいだ気がする。
その頃になると、俺もようやく目が慣れてきて、部長の横顔が見えるようになってきた。
下から聞こえてくる放送を聞く限り、花火が始まるまでもう少し時間がありそうだ。
「あの……部長、一つ質問いいですか?」
「なに?」
その整った横顔を見ながら、俺はずっと気になっていたことを尋ねる。
「なんで部長は、イラスト部を復活させたいんです? きちんとした理由、聞いていなかったので」
「そうだなあ……そろそろ話しておくべきか」
部長は口元に手を当て、思い詰めたような表情を見せる。俺は静かに言葉を待つ。
「私ね、元々は美術部だったんだ」
「……そうだったんですか?」
「そう。普通科だったんだけど、特例で入れてもらったの。最終的に部長まで上り詰めたんだけどね」
普通科から美術部に入部するだけでもすごいのに、部長まで務めたなんて。
予想していなかった返答に、俺は言葉を失っていた。
「だけど……なーんかこう、違う! って感じたの」
「違う?」
「絵ってさ、もっと和気あいあいと、楽しく描くものじゃないかな。切磋琢磨って言えば聞こえはいいけど、足の引っ張り合いだし」
「……もしかして、美術部ってそんな殺伐としてるんです?」
「そうなんだよー、まさに弱肉強食。勝てば官軍負ければ賊軍のすごい世界なの」
人差し指を立てながら部長は言う。明らかに語気が強くなっていた。
「そんなわけで、私は三年生の春に美術部をやめて、皆で楽しく絵が描けるイラスト部を作ったの」
「イラスト部の誕生には、そんな経緯があったんですね」
「うん。今の護くんみたいに部活勧誘のポスター作って、顧問の先生や部員も一から集めてね。きつかったけど、楽しかったなあ」
一転、懐かしむように部長は笑みを浮かべる。
きっと彼女の脳裏には、当時の思い出が蘇っているだろう。
「だけど私がいなくなったら、イラスト部もすぐに休部になっちゃってさ」
いなくなった……とは、彼女が幽霊になったあとのことを指しているのだろう。
美術部の元部長という精神的支柱を失った部員たちは次第に活動しなくなり、イラスト部は休部に追い込まれてしまった……というのも、容易に想像できる。
「せっかく作った部活だし、幽霊になってからも必死にサポートしようとしたんだけど……護くんも知っての通り、私、基本誰にも存在を認知してもらえないからさ」
そう言って、彼女は深いため息をつく。
自分の作った居場所が消えていくのをただ眺めるしかない状況は、本当に心苦しかったはずだ。
誰からも認知されないまま、絵も描けず、やがて皆から忘れ去られても、彼女は自分の居場所を――イラスト部復活の夢を諦めなかった。
だからこそ、あの場所で、三年もの間、待ち続けていた。
「だからね、護くんに出会えて、本当によかった。あと、ちょっとだ」
「……俺も、部長に出会えて、よかったです」
どこか儚げな笑顔を向けてくれる彼女に、そう言葉を返す。
美術部に入れず、目標を失っていた俺を救ってくれたのは、間違いなく雨宮部長だ。
彼女と出会わなければ、今のような楽しい日々は存在していなかったと思う。
「……なら、よしとしよう! 護くん、これからもよろしくね!」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って差し出された手を、俺は両手で優しく包み込むように握った。
直後に花火が打ち上がり、鮮やかな色光が俺たちを照らし出す。
そこに浮かび上がった彼女の笑顔は、夜空に咲く大輪の花火にも、決して負けていなかった。