部長と相合い傘をしながら歩いていると、前方の喫茶店の
「あれ、
鞄を胸に抱きながら不安そうに空を見つめているのは、間違いなく朝倉先輩だった。
「ここ、バスルートからも離れてるよね?」
「そうですね……ちょっと声をかけてみます」
心配顔の部長と一緒に彼女のもとへ近づき、声をかけてみる。
「先輩、どうしてこんなところにいるんです?」
「あら、内川君……恥ずかしいところを見られちゃったわね」
そう言って苦笑する彼女は、その薄藍色の髪から雨水を滴らせていた。白を基調とした制服も、肌の色が透けるほどに濡れている。
「てっきり、汐見さんや翔也とバスで帰ったものかと」
「私の家、
「桜乃町って、高級住宅街がある場所だよ? まさか、さっちゃんはお嬢様!?」
部長が驚きの声を上げる中、先輩は浮かない顔をしていた。この話題には触れないほうがいいかもしれない。
「じゃあ、別のバス停に行く途中で雨に打たれてしまったんですね」
「そうなの。降り出す前に行けると思ったんだけどね」
先輩は息を吐いて、胸元の鞄を強く抱きしめた。
その鞄の意図に気づいた時、俺は慌てて視線をそらす。
「よーし、
どうしたものかと悩んでいると、部長は高らかに叫んで傘の外に出てしまう。
先輩が目の前にいるので、部長と直接会話するわけにもいかず、俺は目線だけを向ける。
「さっちゃんを無事に送り届けるんだぞ! 私は護くんの家の前で待ってる! それじゃ!」
続いてまくしたてるように言うと、彼女は雨の中を走り去っていった。
部長なりに気を使ってくれたようだけど、どのみち彼女は雨の影響を受けないのだし、一緒についてきてくれてよかったのに……なんて思うも、もはや後の祭りだった。
「……朝倉先輩、近くのバス停まで送りますよ。傘、入ってください」
だからと言って、せっかくの部長の好意を無下にはできない。そう思った俺は、先輩に傘を差し出した。
……その後、朝倉先輩と一緒にバス停までの道のりを歩く。
相変わらず雨は降り続いているけど、心なしか雨脚が弱くなってきた気がする。
「ごめんなさいね。送ってもらっちゃって」
「気にしないでください。あの状況じゃ放っておけませんから」
「ありがとう。部長代理さんは優しいのね」
急に“部長代理”と呼ばれて、なんとも言えない気恥ずかしさを感じてしまう。
「あ、あくまで代理ですから」
照れ隠しのようにそう口にすると、朝倉先輩は何か考えるような仕草をする。
「できたら本物の部長さんにも会って挨拶をしたいところだけど、それは無理なのよね?」
「あー、それは……色々と複雑な事情がありまして。すみません」
本物の部長は幽霊なので無理です……なんて言えるわけもなく、俺は平謝りをする。
「謝らなくていいわよ。その代わり、部長さんについて教えてもらえないかしら」
「え?」
「せっかく同じ同好会に所属したのだし、どんな人か知りたいの」
「そ、そうですね……俺にわかることなら」
少し悩んで、俺は彼女の願いを聞き入れることにした。
たぶん、部長なら嬉々として答えるだろう……そう思ったからだ。
とはいえ、どこまで話したものか。幽霊だということはもちろん話せないし。
「イラスト同好会の部長さんだから、その人も当然絵は描くんでしょう?」
「はい。さすがに上手ですよ。部室に彼女の描いたポスターがあるので、今度見せます」
「それは楽しみね。そうだ。私は料理部だから、お菓子の差し入れとかしたいのだけど、部長さんの好きなお菓子とか知ってる?」
「あー、彼女、ドーナッツが好きです」
「ああ……部室にあるドーナちゃん人形、あれも部長さんの好みなのかしら」
「そうです。あとは恋愛小説が好きで、俺の部屋に入り浸って読んでます」
「い、入り浸ってる……? 部長さん、女性よね?」
「あ」
つい正直に答えてしまったけど、よく考えればかなり危ない発言だった。
決して間違ったことは言ってないんだけど、部長の行動が破天荒すぎるのだ。
「べ、別に変なことしてるわけじゃないですよ。本当に、恋愛小説を読みに来ているだけです」
「じゃあ、内川君も恋愛小説が好きなの?」
「そういうわけではないですが……ああ、この話は止めましょう。別の質問をお願いします」
「そ、そうね。誰でもプライベートはあるもの」
なんだか話が変な方向に向かい始めてしまったので、無理やり話を打ち切る。
朝倉先輩も顔を赤くしているし、変な想像をしていないといいけど。
……その後、なんとか話を軌道修正し、再び先輩からの質問に答えていく。
中には説明に困るものもあったけど、部長のことを知ってもらういい機会だと思い、俺はできる限り回答していった。
「そうそう、一つだけ、大事なことを聞いていなかったわ」
「え、大事なことってなんですか?」
「部長さんの名前よ。名字だけでもいいから教えてもらえない?」
「名字ですか?
「雨宮……?」
何気なく答えるも、朝倉先輩は首を傾げていた。
「……その人、三年生なのよね?」
「ええ、まあ」
本人から学年の話は聞いたことないけど、交流があるのに学年すら知らないというのは妙だし、そういうことにしておいた。
「うーん、雨宮……どこかで聞いたことがあるような。どこだったかしら」
何か気になる部分があるのか、朝倉先輩は首をひねっていた。
それこそ、先輩のクラスに同じ名字の人がいるのかもしれない。
彼女はしばらく考えていたけど、答えは出ないようだった。
それから5分程歩くと、朝倉先輩が普段使っているというバス停に到着した。
話の種もなくなってきたので、ちょうどいいタイミングだった。
「ありがとう。楽しい相合い傘だったわ」
「なっ……」
その別れ際、含み笑いを浮かべる先輩からそんな言葉を投げられた。
今の今まで、気にしないように必死だったのに。まさか本人から言われてしまうとは思わなかった。
「部長さんを差し置いてこんなことをするなんて、私たち、噂になっちゃうかもね」
続いてクスクスと笑う。冗談だとわかっていても、俺は自分の顔がみるみる熱くなっていくのがわかった。
「バ、バス降りても雨は止んでないかもしれませんし、この傘、使ってください!」
俺は一刻も早くこの場を離れたい一心で、朝倉先輩に押し付けるように傘を渡す。
「え? でもそれだと、内川君が雨に濡れ……」
「大丈夫です! それじゃ!」
困惑する先輩の言葉を遮って、俺は雨の中を自宅に向けて駆け出した。
◇
「……うーわ、護くん、なんでずぶ濡れなの!?」
「い、色々ありまして。すぐにシャワー浴びますんで」
「私と違って風邪ひくんだから、気をつけてよ! 看病できないんだからね!」
そして家に帰り着くも、雨の中を傘も差さずに走り抜けた俺は全身ずぶ濡れ。アパートの前で待っていた雨宮部長にこっぴどく叱られたのだった。