先輩の作業が一段落するのを待って、俺たちは家庭科室のテーブルに腰を落ち着ける。
「……まさか、朝倉先輩と内川君が知り合いだったとは」
「そこまでの関係じゃないわ。たまたま一回会っただけよ。ねえ?」
「え、ええ。そうですね」
俺と朝倉先輩の顔を交互に見ながら、
先輩の言う通り、それ以上でも以下でもないので、俺としても反応に困る。
「改めて、
そう名乗ってくれた先輩に対し、俺と
「ほのちゃんが最近別の部活に入ったことは知っていたけど、イラスト同好会だったのね」
「もしかしてセンパイ、知らなかったんすか?」
「ええ。同じ料理部でも、誰がどの部活を掛け持ちしているかまでは把握していないわ。文化部だと、同じような子は何人もいるから」
「そういや、写真部の中にも料理部や新聞部に所属してる奴がいるっすね」
「でしょう? 文化部あるあるなのよ」
笑顔の先輩が人差し指を立てながら言うと、翔也は納得顔をしていた。
俺も汐見さんが料理部だと知ったのは、彼女の自己申告からだった。きちんと部の活動に参加していれば、とやかく言われないのかもしれない。
そこで一旦話が途切れたのを見計らって、俺は本題に入る。
「それで朝倉先輩、汐見さんから話は聞いていると思うんですが、その……」
「イラスト同好会に入ってほしい……っていうアレね。いいわよ」
言い終わる前に、先輩はあっさりと了承してくれた。予想外の展開に、俺は拍子抜けしてしまう。
「え、いいんですか?」
「ええ。だって私、イラスト好きだもの。中学の頃はイラスト部だったし」
「中学にイラスト部があったんですか? 珍しいですね」
「そうでしょう? この街から少し離れた学校なのだけど、かなり積極的に活動していたの」
「ふむふむ。美術科にいるってことは、その時に何か賞を取ったのかな」
「じゃあ、その時に何か賞を?」
近くで話を聞いていた部長がそう呟き、俺はその言葉を反すうするように質問してみる。
「そうよ。三年生の時にコンクールに応募して、それが運良く入賞したの。この学校の美術科に入れたのも、その受賞歴のおかげね」
「知らなかった……」
口をぽかんと開けながら言うのは、汐見さんだった。
「お前、同じ料理部なのに知らなかったのかよ」
「だって教えてくれなかったし……美術科ってことも初耳」
「一度も聞かれなかったしね。隠しているつもりはなかったのだけど、ごめんなさい」
汐見さんと翔也のやり取りを見ながら、朝倉先輩は申し訳なさそうな口調で言う。
「でも、美術科に入れたんならそのまま美術部に入りそうなものだけど……どうして入らなかったのかな」
先程と同じように、話を聞いていた部長がそんな疑問を口にする。俺は少し悩んだあと、同様の質問を先輩に投げかける。
「もちろん、私も入学してすぐに美術部の入部テストを受けたのだけど、落ちてしまったの」
表情は変わらないものの、わずかに声のトーンを落としながら彼女は言った。
美術部には入部テストがある……そんな話を汐見さんがしていたけど、事実のようだ。
「それ以来、本格的な絵画は描く気力がなくなってしまったの。だけど、イラストだけは続けていたわ。だから、私の絵は基本趣味みたいなものなの」
そう言って俺を見る。自分の絵は趣味。以前書店で出会った時も、彼女は同じことを言っていた。
「でも、コンクールに入賞するほどの実力なんでしょう? よかったら、描いた作品を見せてもらえませんか?」
「そうねえ……うーん、こんな感じ」
遠慮がちに尋ねると、彼女は少し悩んでからスマホの画面を見せてくれる。そこには色鮮やかな作品の数々が並んでいた。
スケッチブックに描かれた小動物のかわいらしいイラストに加え、独特のタッチのポップ文字、中には大きなキャンバスいっぱいに描かれた大作もあった。
「……これ、全部先輩が描いたんですよね?」
「そうよ。これはカラーインクで描いたの。すぐに退色しちゃうから、写真でしか残ってないけど。こっちの画材はパステル」
「パステル……!」
思わず部長と声が重なってしまった。
パステルとは、描画した色を指や布で擦ってぼかすことができる画材で、優しいふんわりとした色合いを出すことができる。一方で色落ちしやすく、使いこなすのが難しいのだ。
「パステルの名手だ……
顔と顔がくっつきそうな距離でスマホを覗き込んでいた部長が、興奮気味に言う。
さすが美術科……と、感服せざるを得ない作品ばかりだ。彼女が興奮するのも納得だった。
「……俺が言うのもなんですが、十分すぎるほど上手いと思います」
「ありがとう。でも私、人を描くのが苦手なのよ。美術部の入部テストも、それが不合格の理由みたい」
言葉を選びながらそう口にすると、先輩はばつが悪そうに笑う。
美術部の話になると、どうしてもあの時の――目の前で絵を破られた時の記憶が蘇ってしまう。俺は反射的に頭を振って、あの嫌な記憶をかき消した。
「こんな私だけど、イラストは本当に好きなの。掛け持ちという形にはなるけれど、入部させてもらえないかしら」
朝倉先輩はそう言うと、胸の前で手を合わせながら俺を見てくる。
その視線に射抜かれながら、俺は先輩の背後に立つ部長を見る。彼女は鼻息荒く、コクコクと頷いていた。どうやら大賛成のようだ。
「……わかりました。朝倉先輩、こちらこそよろしくお願いします」
それを見た俺は立ち上がって握手を求める。先輩は快く応じてくれた。
……こうして、イラスト同好会に新たな仲間が加わったのだった。