そして5月3日。俺は約束通り、校門前にやってきた。
その門はしっかりと閉じられていて、まだ
校門に背を向けて彼女の到着を待つ。耳を澄ますと、大型連休中も練習をしているのか、野球部らしき声が聞こえてくる。
「……なんか、今更ながら緊張してきた。こんな服でよかったのかな」
なんとなくスマホをいじっていると急に不安になって、俺は自分の服装を確認する。
白いシャツの上にネイビーのジャケット、それに黒のチノパンというスタイル。
絵ばかり描いていて外に出ることが少なく、ファッションセンスなんてはまったく自信がない。
「内川くん、おまたせ!」
「うわっ」
アウターの端をつまみながら、これで大丈夫だろうか……なんて考えていた時、真横から部長の声がした。
反射的に顔を向けると、俺の目と鼻の先に彼女が立っていた。
「てっきり、正門のほうから来るとばかり」
「そっちだと、柵を乗り越えないといけないし。裏門から出てきたの」
「ああ……」
彼女の言葉から察するに、裏門は開いているらしかった。部活をやっているのだし、通用口として開放されていても不思議はない。
「なんか私服の内川くんって新鮮。こんな恰好でごめんね」
部長は俺の全身をしげしげと眺めたあと、そう言いながらスカートの裾をつまむ。彼女はいつもと変わらぬ制服姿だった。
幽霊なのだから、服装も変わらない。今考えれば至極当然だった。
……まあ、制服も似合っているし、かわいいからいいのだけど。
「俺は気にしませんよ。それで、今日はどこに行くんです?」
「駅前でやりたいことがあるの」
「それなら、もう少ししたら駅前行きのバスが来ますね」
「あと2分後かぁ。私の姿は内川君にしか見えないから、料金は一人分だね」
少し身をかがめて時刻表をチェックしていると、部長も同じように覗き込んできた。その拍子に彼女の髪が俺の頬に触れ、シャンプーのような良い匂いがした。
「……む? 内川くん、どうかしたのかい?」
「い、いえ」
当の本人は特に気にしている様子はないけど、俺は胸の鼓動が早くなっているような気がした。
部室で一緒にいる時は、こんなふうになることなんてないのに……なんて思っていると、まるで助け舟のようにバスがやってきた。
「来ましたね。乗りましょう」
「うん。内川くん、今日はよろしくね」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
眩しい笑顔を向けてくる彼女とともに、俺はバスに乗り込む。
こうして、俺以外には姿が見えない幽霊部長との、なんとも奇妙なデートが始まった。
◇
バスに揺られること、20分弱。俺たちは駅前に到着した。
「おお、けっこう人多いねぇ」
俺に続いて停留所に降り立った部長は、驚きの声を上げながら周囲を見渡す。
バスに乗っていた人間のほとんどがここで降りたようだし、まして今は大型連休の真っ最中。人が多いのも当然だった。
「うはっ、人の多さに圧倒される。これは酔う」
そう言いながら、部長はその場から動けずにいた。
俺も人混みは苦手だけど、このままここに居続けるわけにもいかない。
「それで、部長のやりたいことってなんですか?」
人が多いこともあり、部長と多少喋ったところで、その声は喧噪に紛れて周囲には聞こえない。ある意味、好都合だった。
「向こうにお店があるんだけど……あの人波、飛び込んだら確実に溺死する。幽霊部長は二度死ぬ」
よくわからないことを言った直後、彼女は俺の手を握ってきた。
「というわけで、手を繋いでいこう。絶対に離さないでね」
今にも泣きそうな顔でそう言ったあと、部長は俺を連れ立って歩き出す。
目的地がお店ということは、買い物でもするのだろうか。けれど、彼女は食事ができないし、スイーツ目当てでもないと思う。
それらしい答えが思い浮かばぬまま、俺は部長に付き従ったのだった。
「あっれー、この辺だったと思うんだけど」
人混みをかき分けるように進むことしばし、部長ははたと立ち止まり、何かを探すように視線を動かす。
「もしかして、お店の場所がわからないんですか?」
「以前はこの辺から看板が見えたんだけど……ひょっとして私が死んだあと、潰れちゃったのかな」
「そんなお店に連れてこないでくださいよ」
「あ、あったあった。別の看板ができて、見えづらくなってただけだったよー」
思わず苦笑した時、部長がそう言って再び歩き出した。
その看板とやらを目視する暇もなく、俺は目の前の建物に引っ張り込まれた。
俺たちが足を踏み入れた先は、ラウンドフォーだった。
ここは様々な娯楽設備が揃った総合アミューズメント施設で、ボーリングやカラオケ、ゲームセンターなどが入っている。少人数から団体まで対応しているので、学生の遊び場として常に候補に上がるほど人気のある場所だ。
「ラウンドフォーじゃないですか。ここで何をするんです?」
「カラオケ! ずっと行きたかったの!」
人混みから離れたことで手を離してくれた部長に尋ねると、跳ねるような声が返ってきた。
絶えず賑やかな音楽が流れているし、ここでも彼女と話していても変には思われないだろう。
かといって、俺もカラオケは初めてだ。歌は嫌いじゃないけど、家族とも行ったことはない。
「あの……俺、カラオケは初めてなんですけど」
「おお、それなら、私が手取り足取り教えてあげよう!」
正直に話すと、部長はより一層嬉しそうな顔をした。
「まずは受付しなきゃ。こっちこっち」
そして笑顔で手招きする彼女に誘われて、俺は受付カウンターへと向かう。
「いらっしゃいませ。こちらはカラオケの受付になります。お一人様ですか?」
「ふた……いえ、一人です」
思わず二人と言いそうになって、慌てて訂正する。
部長の姿は俺以外には見えないので、ここでも料金は一人分だ。
お得感はあるものの、これって第三者目線から見ると、ヒトカラってやつじゃないだろうか。
なんか……寂しい人間と思われてそうだ。受付のお姉さんの視線が痛い。
「かしこまりました。お部屋はどうされますか?」
「え、部屋?」
「機種によって部屋が違うんだよ。私のオススメはこっち」
頭上に疑問符が浮かんだ時、部長がそう教えてくれる。
「えっと、じゃあ、これで」
俺には機種なんてよくわからないので、雨宮部長のおすすめを選択しておいた。
「大型連休中ですので、お部屋の変更はできかねます。ドリンクと時間はどうされますか?」
「時間? 時間は……」
……その後も、ちょくちょく部長に助けてもらいながら、俺はなんとか手続きを済ませたのだった。