学校を出た俺と
ここは文房具店や書店が入った複合施設で、バス停が近いため利用する学生も多い。
一階は文房具が主で、目当ての画材売り場は二階にある。
近くの学校に美術科があるということも影響しているのか、その品揃えは充実していた。
キャンバスを立てかけるイーゼルだけでもいくつも種類があり、ポピュラーなものから野外用、卓上用なども売られている。
それ以外にも、各種絵の具にマーカー類、パステル、コンテなど、かゆいところに手が届くラインナップだった。
「おおー、久しぶりに来たよー。目移りしちゃうねぇー」
時間帯もあるのか、人の少ない店内を雨宮部長は目を輝かせながら練り歩く。
いつも以上にテンションが高い気がするし、彼女がどれだけ絵が好きなのかが伝わってきた。
「はしゃぎすぎて、転んだりしないでくださいよ」
「わかってるよー。まずは絵の具だね!」
言うが早いか、部長はパタパタと駆けていく。
どこに何が売られているか把握しているようで、その歩みにはまったく迷いがなかった。
「水彩絵の具とアクリル絵の具は必須でしょ。あとは色鉛筆と……スケッチブックも何冊か買っておこう!」
ずらりと並んだ道具を前に、彼女は声を弾ませながら指示を出す。
部長が触れることができない画材も多いので、俺は彼女に指示されるがまま、商品をカゴに入れていく。
「そうだ。練りゴムも古くてカチカチになってたし……ちょっと新しいの見てくるね」
俺が複数の絵の具をカゴに入れた時、部長はそう言って別の通路に行ってしまった。
嬉しいのはわかるけど、本当にせわしない人だな……。
そんなことを考えながらも、俺は部長に頼まれた画材を探す。
「えーっと、次は色鉛筆だっけ……」
ほどなくして目的の品を見つけるも、ラスト一箱のようだった。
「おお、危なかった」
一安心しながら色鉛筆に手を伸ばすと、ちょうどタイミングが被ったのか、横から伸びてきた別の手と触れ合ってしまう。
「あ、すみません」
その手の感じから相手は女性のようで、俺は反射的に手を引っ込める。
続いてその容姿を見ると、俺と同じ学校の制服を着ていた。リボンの色からして、二年生らしい。
「……あら、あなた、京桜の一年生?」
彼女も俺の校章を見たらしく、そう声をかけてくる。ふわっとした薄藍色のウェーブヘアと、糸目が特徴的だった。
「そ、そうです。これ、どうぞ」
俺はそう答えながら、目の前の色鉛筆を女生徒に譲る。
「あら、優しいのね。でも私が見た限り、あなたのほうが先に取っていたわよ?」
すると彼女はそう言って、色鉛筆を俺のカゴに入れてくれた。
その際に見えてしまった彼女のカゴには、専門的な画材がいくつも入っていた。
「……もしかして、美術部の方ですか?」
「ふふ、残念ながら違うわ。これは趣味よ。それじゃあね」
口元に笑みを浮かべながら、女性は去っていく。
その独特な雰囲気にすっかり飲まれてしまい、俺は何も言えないまま、その背を見送ったのだった。
「……内川くん、何をしているのかね?」
「おわっ……!」
その直後、背後から突然声をかけられて叫びそうになる。
慌てて振り向くと、雨宮部長が真後ろに立っていた。相変わらず、気配を感じさせない人……いや、幽霊だ。
「今の人、趣味にしてはやたら本格的な道具を買ってた。内川くん、後をつけたまえ。声をかけたまえ」
「え、いやいや無理ですよ。上級生ですし、どこの誰かもわからないのに」
「むー、内川くんの意気地なし。このこの」
思わず尻込みすると、彼女は俺の背中を小突いてくる。
この攻撃、地味に痛いから止めてほしいんだけど。
◇
その後、無事に買い物を終えて部室に帰還するも、そこに
もしやと思いメッセージアプリを立ち上げると、イラスト部(仮)のグループにメッセージが届いていた。
『(ほのか) ごめーん、まだまだかかりそう。なんなら先に帰っていいよ』
そんなメッセージとともに、号泣する猫のスタンプが添えられている。
「ありゃあ……ほのかっちも災難だねぇ」
俺に顔をくっつけるようにしてスマホ画面を覗き込んだ部長が、哀れみに満ちた表情で言う。
やっぱりこの人は、距離が近い。
「とりあえず、買ったものをしまっちゃおうか。ついでに棚の掃除もしよう」
「え、今からですか?」
「そうだよー。せっかく道具を新調したのに、置き場所が汚いままだと道具に失礼だから」
彼女はそう言うと、奥の掃除用具入れから二枚の雑巾を引っ張り出す。
時間はそろそろ17時半になろうとしているのだけど、彼女には関係ないようだった。
ちなみに完全下校時間は18時で、俺としてはあまり余裕がない。
「それに掃除してれば、そのうちほのかっちも戻ってくるかもしれないし」
そんな俺の気持ちなどつゆ知らず、部長は棚に無造作に詰め込まれたパレットや古い筆を引っ張り出していく。
「うわああ、スポンジ! カビてる! 内川くん、パス!」
「いやちょっと、いくら汚いからって俺に投げつけないでください」
どこか楽しそうだな……なんて考えていた矢先、見事な色になったスポンジが部長から投げ渡された。
俺は反射的にそれを避けてから、古い鉛筆を箸のように使ってスポンジをゴミ箱へ捨てた。
……結局、その後は汐見さんが帰ってくるのを待ちながら、部室の掃除に没頭したのだった。