「はい」
「久しぶりだな」
「うん。どうかした?」
「来月の第一土曜日、朝から実家に戻ってこい」
「え?」
「それだけだ」
「え? ちょっと!」
鈴の話を聞かずに通話は切られてしまった。
「鈴? 兄殿は何と?」
「何か、来月の第一土曜に実家に戻れって。それだけ言って切られた」
「来月の第一土曜となると、あと二週間後だっぺ」
理由もなく急な有給申請は通らないだろう。実家に帰って来いというなら、母は理由を知っているはず。鈴はそのまま母親に電話をかけた。
「あ、お母さん」
「鈴、久しぶり! もっと電話をしてきなさいよ!」
「ごめん。忙しくて。それでお兄ちゃんからさっき電話があって、来月の土曜に何かあるの?」
「聞いてないの?」
「うん。土曜に帰って来いってだけで」
「和明が紹介したい人がいるんだって! それで家族で顔を合わせる事になったのよ!」
「え? そうなの?」
「本当にあの子は……和明が自分で鈴に連絡するって言うからお母さんからはしなかったけど、決まったのは先月末の話しなのに。鈴、休みは取れそう? かなり急なことだから無理ならお母さんから言っておくからね」
「何とかするよ。でももしかしたら、直ぐに帰らないといけないかもしれないけど」
「しょうがないわよ。和明がさっさと鈴に連絡をしないのが悪いんだから」
「ありがとう。じゃあ切るね」
「たまには家に帰ってきなさいね」
「うん」
電話を切って一気に力が抜けた鈴は、運転座席に深く沈み込んだ。
「母君はなんと?」
「お兄ちゃんの付き合っている人との顔合わせみたい」
「何と! 目出度いではないか!」
「うん。そうだね」
「なんだ? 嬉しくはないっぺか?」
「う~~ん、どうでもいいかな。お兄ちゃんとは仲良くもないし、どちらかと言えば嫌われてるから。でも家族としてはやるべき事はやらないと駄目だから」
「そうじゃな。大人とはそういうもんだっぺ」とは言いつつ、出勤がどうなっているか確認しないといけない。気が重いと思いながら鈴は、出勤のために警視庁に車を走らせた。
機捜に到着して出勤日を確認すると、指定された第一土曜日は普通に日勤になっていた。やっぱり出勤になっている。鈴はダメ元で飯塚係長に聞いてみる事にした。
「飯塚係長、来月の第一土曜日の出勤なんですが、夜勤に変更ってできますか?」
「何だ? 珍しいな守矢が」
「まあ、ちょっと」
「ちょっと待っててくれ。確認してみる」
席に戻ってまだ会えていない島谷とのアポを、いつにしようかと考えに耽っていた。
「守矢、この日の調整は無理だ。すでに他のメンバーから申告があって調整した後だ。すまないが今回は諦めてくれないか」
「ですよね。既に希望を出す日程は過ぎてますし。ダメ元で聞いたんで大丈夫です。すみませんでした」
「すまないな」
肩をポンと軽く叩いて飯塚は席に戻っていった。
「こんにちは」
聞き慣れた声が入口から聞こえてきて、鈴は椅子をバックさせた。
「鈴さん、差し入れを持ってきました。一緒に食べましょう。皆さんの分もありますのでどうぞ」
野太い歓声があがり、桜葉が持って来た差し入れに群がっていく。
「別に差し入れを持ってくる必要はないと思うけど」
二人分のお弁当を持った桜葉が隣席の加地の椅子に座った。
「国民のために日々忙しく危険と隣合わせの仕事をしている皆さんへの感謝の気持ちですよ。まだ時間はありますね?」
「把握してるんでしょ?」
「はい」
なら聞かないで欲しいと、目の前に出された弁当に箸をつける。
「今日はローストビーフ丼です。いつも行くレストランで特別に作ってもらいましたが、ローストビーフを丼にするなんて驚きました」
ローストビーフ丼は巷では珍しくもないけど、桜葉にとっては目新しいのだろう。流石はお坊ちゃんだ。
桜葉は同じ物を食べているはずなのに、食べているものが同じ物には見えない。なんでだろう? と考えた鈴は、一つ一つの所作が凄く洗礼されているのかと気が付いた。
「鈴さん? どうかしましたか?」
「いや~~お坊ちゃんだなあと思って」
「急になんですか。丼、温かい内に食べてください。あと坊ちゃんはやめてください。そんな年齢ではないので」
「はいはい。じゃあ有難く頂きます」
あっと言う間に平らげた鈴とは反対に、まだ桜葉の箸を進めている。
「鈴さんは食べるのが早いですね」
「職業病だよ。そうそう鬼塚の足取りが何となく掴めたよ」
ブホッとした音と一緒に桜葉の口から米が数粒飛び出てきて、器官に入ったのか咳込み始めた。慌ててウォーターサーバーから水を入れてきて桜葉に渡した。
「大丈夫?」
背中を軽く叩きながら聞くと、涙くんだ目で桜葉から「大丈夫です」と返ってきた。一気にカップの中の水を喉に流し込んだ桜葉は落ち着いたのか、姿勢を正して鈴と向き合った。
「鈴さん、驚きました」
「何が?」
「鬼塚さんが見つかったと急に言うので」
「ごめんごめん。まだ残ってるから、続きを食べて」
「気になって食べられません」
「食べきらないと話さないよ」
少しムッとした顔で桜葉は渋々と残りを食べ始めた。
ハンドさんに目はないけど、鈴のほうに手を向けているからもしかすると何か伝えたいのかもしれない。
「食べ終わりました。どれで鬼塚さんの足取りが掴めた話を聞かせて下ださい」
「足取りというか、鬼塚未央がいた施設にいた職員に会えたのよ。やっぱり紗季さんが結婚前に支援していた施設だった。でも鬼塚未央が紗季さんを恨んでいたとかそういうのはなかったみたい。どちらかといえば姉妹みたいに仲がよくて、特に紗季さんは鬼塚を可愛がっていたらしい」
桜葉の肩にいるハンドさんは反応が全くなくてピクリとも動かない。
「僕の肩の母の手の反応はどうですか?」
「無反応。桜葉さんのお父さんといた時は、めちゃくちゃテンションが高かったのに、こういう話になると何故か物静かになる傾向かあるんだよね。何でだろう?」
「思い出したく、とかではないでしょうか?」
でも子供の頃からの付き合いだ。思い出したくないならわざわざ夢に出てこないだろう。鬼塚を庇っている? と一瞬頭をよぎったがそれはあり得ないと思う。
自分を殺した人間、それもまだ幼いかった子供を置いて殺されたなら恨んでも庇うことはないはず。鈴は桜葉の肩で静かにしているハンドさんに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「う~~ん……別に。とにかく鬼塚と紗季さんの接点は分かったけど、どこにいるのかが分からない。居場所さえ突き止められれば色々と分かるとは思うけど」
鬼塚がどこに住んでいるの、その手掛かりがまだ掴めてはいない。
「そういえば、藤堂のおばさんに会いには行かれましたか?」
「まだ会ってない。藤堂さんと浅村さんに根回しをしてはくれているけどさ、気後れするじゃん。特に浅村さんは」
「なら明日、鈴さんの勤務が終わったらおばさんに一緒に会いに行きましょう」
「え?」
「明日は日勤ですよね。おばさんには、母のことで刑事さんと会ってもらいたいと伝えてあるので」
「本当、警察なのに私の勤務時間が漏れているのはどういう事なの? それに本当に桜葉さん、我が道を行くね。私の意見は無視だし」
「母の事はこれまで何の進展も情報もありませんでした。だから期待をしてしまうんです」
そう言われると、鈴は何も言えなくなった。