季節は六月から九月頃のはず。まずはこの期間での事件の履歴を調べて鬼塚未央の身元を確かめないと。ただ警察に届を出していない場合もあるから、そうなると病院に紹介をかけないといけない。
「鈴、大丈夫か?」
「疲れた。マジで疲れた」
相当体にダメージを受けたのか、怠さが抜けず鈴は再度ベッドに倒れ込んだ。
扉からノックする音が聞こえてきたが、鈴は声を出す気力もなかった。ゆっくりと扉が開いて入ってきたのは桜葉だった。持っているトレーからいい匂いがしてくる。
「起きていましたか」
「お世話になったみたいで」
「はい。血を吐いて倒れたので心臓が止まるかと」
鼻血も出ていたし血も吐いたが、手などは汚れない。一番血が付いていてもおかしくない手は血まみれではなかったが、服は汚れている。
「体は拭かせてもらいました。服はやはり女性なので」
「ありがとう」
「朝食です。お粥にしました」
「何から何までどうも」
渡されたトレーをベッドの上で受け取って、「いただきます」とありがたくお粥を胃に収めた。
「ごちそうさまでした」
「はい」
ベッド脇にすわっていた桜葉はトレーを受け取ったが動こうとはしない。入ってきた時からずっと鈴の事を見ている。鈴には予想がついていた。
「で? 聞きたことがあるんでしょ?」
「――はい」
「いいよ。答えるから」
「では」
結構、戸惑いもなく聞いてくるんだと、聞けといったのに鈴は身構えた。
「鈴さんは見えない物が見えていますよね?」
「見えてる。どうしてそう思った?」
「よく鈴さんの視線が僕じゃなくて肩を見ていることがよくあったので」
ハンドさんのせいで、既に疑われていたんだ。そう言えばハンドさんは今日も大人しいと、鈴がまた桜葉の肩に視線を移した。
「今みたいな感じです。何が見えているんですか?」
「手」
「え?」
「だから手。女性の手」
鈴の言葉に桜葉は俯いてしまった。きっと何かを察したのかもしれない。このままもう聞いてこないほうがいいと、鈴は心で念じた。
「――昨夜、鈴さんは『紗季さん、あの人は誰ですか?』と聞いていましたよね? でもあの場には僕と鈴さんしかいませんでした。あの時に言った紗季さんって――僕の母の事ですか?」
そうですと、いつも自分なら返事をしたと思う。でも見えない物が見えると答えたから、ここで「そうだ」と答えると、ある程度の事情を察するだろう。しかし桜葉は頭がいいから、もう既に何かを感じているはず。
いくら紗季が死んでいるとは言え、現状証拠は何もない。自分の母親は死んでいると聞かされていい気はしないと思う。
沈黙する鈴に「正直に教えて下さい」と言ってきた。ハンドさんを見ると、何故か指で輪っかを作っている。この重い雰囲気の中、ハンドさんだけが何気に能天気に見えた。
「桜葉の言う通り。紗季さんはあなたの母親の事。あと肩に乗っている手も紗季さん。初めて会った時からハンドさん、紗季さんの手は桜葉さんの肩に乗ってた。紗季さんの本体を桜葉さんの近くで見たのは昨日が初めて」
顔を手で覆って俯いてしまった。沈黙が辛い。時計を見たらもう出勤時間はとうに過ぎている。私のスマホはどこだろう。足元で様子を見ていた将門に鈴はジェスチャーをしてスマホの場所を確かめた。
将門の首がベッド反対側にあるテーブルで止まる。置いてあるスマホを取って画面を見ると、加地からの着信が二件あった。
「鈴さん」
「はい!」
沈んでいるままかと思っていたからビックリした。鈴は思わずスマホを硬く握り締めていた。
「ここに何か、いるんですか?」
「え?」
「いますよね?」
「え? 何で?」
「足元に向けてジェスチャーをしていたのを見ていました」
まだ少しぼうっとしていて、鈴は注意を怠ってしまった。
「桜葉さん、その見えないものが見えるっていう私の話を信じるんですか?」
「はい」
「え?」
質問したのは自分なのに、相手の肯定の返事に鈴は戸惑った。
「鈴さん、幽霊が見えるんですよね?」
「まあ、はい」
「僕には見えませんが、信じますよ。鈴さんの事は」
「チョロ過ぎない?」
「そうでしょうか? 昨晩、あんなものを見せられたら信じないとは言えません。全てが異様でしたから」
「幽霊ってどういうものか分かってますか?」
「亡くなった人の事ですよね」
「それで合ってる。私は紗季さんを見たと言った意味を理解しているって事?」
幽霊を信じると桜葉が言うなら、そこにいない紗季を見たという言葉も受け入れる事になる。桜葉は、紗季が死んでいることを受け入れる事を意味している。
鈴は桜葉の言葉を待った。かなり長い沈黙が続いた。それだけ桜葉の中で思う事があるのだろ。
「鈴さんが幽霊を見えるというのは信じます。でも――母が死んでいるといのは信じられない、と思います。生霊ってありますよね? それかもしれないですし」
行方不明で既に亡くなっていても、その遺体を確認するまで大事な人の死を受け入れる事はない。
状況的にもしかして死んでいるかもしれないと思いつつ、心のどこかで生きているかもしれないと思っている人が多いのを職業柄、鈴はよく知っている。だから鈴は桜葉の言葉に沈黙することにした。
加地に連絡を入れようとした鈴に「加地さんには、鈴さんが夜に大量に血を吐いたので、今日は休みますと伝えてあります」と言われて鈴は思わず叫びそうになった。
確かに血を吐いたが、正直に言わなくてもいいのに。加地の反応を恐る恐る聞いたら「凄く驚かれていました」って困った顔で言われたが、大量に血を吐いたって聞いたら死ぬんじゃないのか? と誰でも驚くだろう。
それにしても、家族でも何でもないんだから簡単に休暇の受理とかどうなってんのよ機捜はと、鈴は桜葉が止めるのも聞かずに警視庁に登庁した。