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第31話

日勤で仕事を終えた鈴が帰ろうとしたら、桜葉がなぜか迎えにきていた。


「鈴さん、お疲れ様です」


時間的にご飯でもと言われそう。絶対に嫌だ。ここはさっさと出ていくい限ると「お疲れまです。そしてさようなら」と鈴は足速に通り過ぎようとした。


「鈴さん夕食はまだですよね? 一緒に行きましょう」


何で疑問系じゃなくて、決定事項なのよ。強引すぎるこの人。少しイラっとした鈴だったが、これは良い機会かもしれないと思い直した。


「いいよ。でも私が食べたい物を食べに行くから、それについて来るなら」

「もちろんです」


相変わらずな表情だけど、何故か嬉しそう。犬っぽいなと鈴は警視庁を桜葉と出ることになった。

鈴の車は駐車場に置いたままにして、移動は桜葉の車ですることにした。


「それで、何処に行けば良いですか?」

「ナビに電話番号を入れるんで、そこに行って」

「分かりました」


車を走らせて一〇分ほどで目的の店に着いた。店構えは古くてお世辞にも綺麗とは言えない。場所も少し路地を入った場所だから、分かりにくいいし道も狭い。


「ここは?」

「カツ丼の店」

「カツ丼ですか?」

「美味しいんだよね~~ここのカツ丼」


鈴が暖簾を潜ると、桜葉はいつもみたいな堂々とした感じではなくて犬が初めて訪れた場所を警戒するように入ってきた。

店内も年季が入っているし、カウンター席と奥に二人がけのテーブルが二つあるだけ。通路も狭い。


「こんばんは。ヒレカツ丼の並盛り一つと、桜葉さんは?」

「え? あ、メニューは?」


クイっと鈴が顎でカウンター上を指した。


「あ、えっと、メニューはこれだけなんですか?」

「うちはヒレかロースのカツ丼しかやってないんでね。肉の種類と大きさは?」


大将が二人の前に水が入ったグラスを置いて、桜葉の注文を待っている。


「ロースの大で」

「あいよ」


大将が作っている間、厨房の中をソワソワと覗き込むように、桜葉は背筋を異様に伸ばしていた。メニューがこれしかないと知った時の桜葉さんの顔、めっちゃ驚いてたけど、やっぱりこういうところに来たことがないんだ。ここに来るまでの道のりも、凄く不安そうに歩いていた。


肩の紗季さんなんだよなあ。ずっとハンドさんって心の中で呼んでいたから、今さら紗季さん呼びするのに凄く違和感がある。紗季さんの手だから、やっぱりハンドさん呼びのままにしておこう。


鈴は桜葉とハンドさんの動きを確認しつつ、厨房の中をぼんやりと眺めていた。


「はいよ。並盛と大盛りね」


テーブルにドンと置かれた丼に、桜葉は固まっていた。


「り、鈴さん……これは」


桜葉の前に置かれた丼からはトンカツがはみ出していて、上蓋も肉が分厚過ぎて浮いている。まあ初めての人は驚くよねえ。ここの並盛りは他の中盛以上だし、大盛りは特盛よりも少し多い。でも無理矢理退院させられた日の夕食を考えると多分余裕で食べられるはずだ。


鈴はセットの味噌汁で口を湿らせてかつ丼に箸をつけ始めた。初めこそ圧倒されていたが黙々と手と口を動かし始める。


「ご馳走様でした」


鈴がふうと、お腹を擦っている横で桜葉はまだ食べていた。


「大丈夫?」

「――大丈夫ですよ」


丼の中はもうほとんどない。

桜葉も食べ終えてお会計をする時だった。


「今日は私が払うよ」

「いえ。女性に払わせる訳にはいきません。僕が払います」とカードを取り出した。

「うちは現金のみなんですよ」

「え? 現金は持ち合わせていなくて」

「大将、いくら?」

「合計で二六五〇円だね」

「三千円で」


鈴が会計をして店を出た。通り雨でもあったのか、アスファルトが濡れた独特な匂いと路地の看板などが濡れていた。


「カードが使えに店は初めてです」

「下町では普通にあるよ。大概の年寄りは機械に疎いのと、手数料とかが高いから導入しないとかね」


しかしお金持ちが現金を持たないって都市伝説かと思ってたけど、本当なんだと鈴は内心驚いていた。


「桜葉さんって、痩せの大食いだよね。めちゃくちゃ食べられるよね」

「そうですね。毎日かなりエネルギーを使いますから」


あの量を食べられるエネルギー消費って凄いけど、社長業って大変なんだ。パーキングに向かう途中、鈴は思っていた事を伝える事にした。


「桜葉さん。やっぱり桜葉さんと付き合うのは無理。価値観が違う。私はさっき行ったみたいな店とかファミレスとか焼き鳥屋、居酒屋によく行くけど、桜葉さんはそんな場所に行った事はないよね? 現金も持ち歩かないし。話しも経済の事ばかりで私は興味がないのよ。なのでお付き合いはできないし、ましてや結婚なんて無理。そもそも結婚願望はないから。と言う事で私は、ここから一人で帰ります」


言いたい事だけ告げた鈴は、長居は無用とばかりに速足でその場を去った。大道路に出たところで鈴はガッツポーズをした。


「よし! ミッション終了!」

「鈴、もったいないっぺ! 考えなおすんじゃ」


内ポケットからピーポー君が顔を出して鈴を説得しようとしている。


「いや無理だって。私は生涯独身宣言するわ」

「女子の幸せは結婚じゃぞ」

「古い古い! 神社に来ていた人たちの中でも、独身宣言みたいことを言っていた女の人はいたんじゃないの? 今の時代、絶対に結婚しないと駄目ってことはないから」

「じゃがなあ。寂しいっぺ」


タクシーを拾おうと手を上げた。


「鈴さん!」


振り向くと、桜葉が立っていた。マジか。追いかけてきたの? 何故? 鈴は軽く頭を下げて桜葉を無視することにした。


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