ほぼ凪ぎといっていい海上の地平線に、遠視スクリーンゴーグルは、巨大な鉄甲戦艦を映し出していた。
数は二隻と補給艦が六隻。向かう先、ファンネルから黒煙を噴き出して浮かんでいる。
「ああ、あいつら本気だわ。手間がかかるなぁ、これは。やってられねぇ」
大型水上バイクの背もたれにもたれながら水平線を眺めていたフールーエラーは一人愚痴を吐く。
十八歳で成長を止める老化阻止処置を施している少年の姿があった。
袖と裾の長い強化繊維でできた上衣を着て、ハーフパンツ。小さな鋼鉄製の輪を束ねたスカート骨組みのようなものをぶら下げ、足元はごつい軍靴だ。
「釣れないなぁ」
彼の周りを、ルアーを流しながら周回する水上バイクがあった。
シートに胡坐をかいて、頬杖をついているのは少女で、フールーエラーより年下に見える。
実際、十六歳だった。
ショートボブで、片方を房上に縛った、細身で華奢だが、バランスの良いスレンダーな身体付きをしている。
フード付きのインバネスコートを羽織り、ストレートの太いズボンを履いて、ビーチサンダルだ。
腰の左右に刀の鞘を履いている。
「あのなぁ、ミリシィリアさん。さっきからそのクルージングは何のつもりだい?」
フールーエラーは、三十分近く放っておいてから、声をかけた。
「んー、なにー? あたしはお魚を釣りたいだけだよー?」
「レーダーにはっきり移っているんだがね。せっかくのステルス・フィールドも意味がないんだけど」
悟ったような諦めたような、フールーエラーだった。
「どうして、あたしが釣りしてるか、教えてあげようかね」
「いや、カバーだろう? 下にソナー入れてるんだろう?」
「暇つぶし」
「・・・・・・カバーだよな? ソナーは?」
「暇つぶし」
二度も迷いなく即答する。
歪んだ顔で、フールーエラーは舌打ちする。
「にぃやん、なにその顔!? 笑って! ショック受けるから、笑って! それやめて!」
「ま、まぁ、釣り人にみえるからいいけどな」
彼は何とか、落ち着きを取り戻す。
百万発の飛んでくる砲弾の中にいても、微動だにしない精神を持つが彼だが、どうも自分のことをにぃやんと呼んでくるこの少女には、感情的になる癖がある。
「とにかく、ギフス艦隊がここらに出現する報の裏は取れた。ホープツに帰るぞ」
フールーエラーは水上バイクのエンジンを入れて、半回転させる。
「ああ、ちょっと待ってよ!」
ミリシィリアは慌てて釣り竿をしまって、ハンドルを握ると後を追う。
二台の水上バイクは、エメラルドを砕いたように光を乱反射させる海を割るように波立たせながら、ギフス艦を後ろに急速で遠のいていった。
フールーエラーは人間の植民達の駐屯軍から私掠船の嘱託を受けつつ、海上都市ホープツで探偵を営んでいる。
探偵といっても普通の調査業ではなく、主に衛星制御システムと住人の間での処理上でのトラブルだ。
都市の交通は水路にになっており、フールーエラーとミリシィリアはそのまま、水上バスや個人クルーザーなどが行き交うメイン通りに入る。両側面には、水面から伸びた巨大なビルが立ち並んでいた。
途中で折れて細い水路に入るとさらに奥に進み、空の風景が低くなってきた当たりにある、薄汚れた三階建てのビルの前で止まった。
軽快にミリシィリアが階段を上がり中に姿を消してゆく。
一階は係留所となっていて、ゆっくりとフールーエラー二階の事務所にあとを追う。
そこには、先客がいた。
ミリシィリアは幸せそうに、ソファに倒れ込んでいた。客に対する遠慮も相手をする様子もまったく無い。
「ああ、ロルライカ。来てたか」
フールーエラーは、勝手に執務机についている青年を見つけると、不快そうな様子も見せずにソファに座った。
「あー、ご苦労なこったなぁ、フールーエラーよ。開発機構のお仕事は楽しいかい?」
あからさまに人を見下した態度の男は、十九歳。灰色と赤の軍服を着ているので軍人とわかる。無精髭にやや長めでぼさぼさの金髪をした、皮肉な笑みの似合う細い目をしていた。
「俺の仕事は、俺のものだよ。結果が知りたくて仕方ないんだろう、ロルライカのスフィル・コミュニティのところも」
コミュニティといえば、サイロイドのものである。電子の脳を持つ人間の改造型だ。
ロルライカは、ニヤリとして、椅子にもたれた。
「ああ、欲しいさ。ギフスの艦隊が、不穏な動きを見せてるなんて、アウィンの人間なら、みんな欲しいだろうさ」
「タダじゃないからね!」
ソファに寝転がっていたミリシィリアが、ペットボトルほどのソナーを抱える。
ロルライカはスキットルを取り出して、中身を一口煽った。喉の奥からアルコール臭を吐き出し、少年の方を見る。
「だめなのか?」
「いやぁ、欲しければ持って言ってもいいよ、解析だけど」
「いいのかよ。それで、俺たちは開発機構に追われるのか」
ロルライカは鼻で嗤った。
「追われるも何も。開発機構はコミュニティとかいう軍閥をまともに信用してると思うのかい?」
フールーエラーは逆に嗤い返す。
「あのねぇ・・・・・・」
ミリシィリアは身体を起こして、ソナーを抱きかかえたまま、ソファの上に胡坐を書いた。
「君たち喧嘩はよしなさい。これの中身は、公平にあたしに、あ・た・し・にお金出した人に渡します」
「なんでおまえになんだよ」
思わず、フールーエラーは声を出す。
「だってにぃやんに渡したら、また無駄遣いするでしょ? そこらのコミュニティに大盤振る舞いでしょ?」
「振舞ってない。あれはウチの事務所にとって経費だよ。それに今は現金なんか配ってない」
「スフィルにいたとき、ウチの資金の半分以上を、大盤振る舞いしてたな、こいつ」
ロルライカも、ミリシィリアの言葉に納得する。
「違うからな。あれも経費だ」
フールーエラーは必死に主張する。
「あれが理由で、ウチのコミュニティを追放されたんだっけか。希代の用兵家だが、浪費癖があるとなぁ」
ロルライカはしみじみと言った。
「誰にでも欠点はあるんだよ。うちのにぃやんはすごく残念だけど。まぁ女につぎ込んでるよりマシと思ってあげて」
ミィリシアはどっちの味方なのかと、フールーエラーは思った。
「おまえら、すっとぼけるのも大概にしろよな。『二年の平和』を作ったのは誰だと思っているんだよ」
「それだよ、『二年の平和』が崩れかけている。ウチのコミュニティも、危機感を抱いている途中だ」
急にロルライカは真面目な口調になる。
『二年間の平和』とは、フールーエラーが各コミュニティに生活援助をする代わりに軍縮する協定だった。
よって以降、勢力は一応の均衡が保たれたうえに、スフィルの主導権と発言力が強化された。
ロルライカが言うのは、この時の生活援助に配った経費のことである。
だが、フールーエラーがスフィル・コミュニtィを去った理由ではない。
さらにはギフス・コミュニティが協定を破り、不穏な動きをし始めていた。
「うちの提督が、フールーエラー、フールーエラーとやかましくてな。まぁ、俺が来たわけだ」
「……何をいまさら……」
フールーエラーとしては、そういわれても、すでにコミュニティを離れた身である。
有名無実で権威しかない開発機構ならまだマシも、何処かのコミュニティに肩入れしようなどとは思わない。
大体、自分を使おうなど、傲慢な人間が考えることでしかないと信じている。
フールーエラーはサイロイドと人間のハーフなのだ。
あくまでハーフだ。だが、多くの人間からはサイロイドとして、サイロイドからは人間として見られ、彼は確たる評価すら得られないでいた。
スフィルを去った理由もそれである。
下手に上手くいってしまったので、妬まれて肩身が狭くなる前にさっさと身を引いたのだ。
「フールーエラーをお呼びですか、お客さん。指名料込みで、定額の依頼料と経費を支払っていただきますよ」
ミリシィリアはにこやかな営業スマイルをつくった。
「まぁ、金払うのは、俺じゃないからな。ウチのボスに会ってもらわなきゃ困るのは、確かだ」
「用があるなら自分から来いと言っておけよ。俺は興味ないからな」
不機嫌そうにフールーエラーは宣言する。
ロルライカは鼻を鳴らしてスキットルをまた傾けた。
「そんなところだと思ったよ。いいだろう、そっくりと伝えておく。どうなっても知らんがな」
「・・・・・・フールーエラーに変な事したら、殺すって言っておいてね」
ミリシィリアの微笑みは絶えてなかったが、目だけは真剣なものに変わっていた。
「ああ……その覚悟は俺もして来たんだよ。おまえがいるからだ、ミリシィリア」
うつむき加減に息を吐きながら、ロルライカは少女を見上げる。
「わかってたなら、よろしい」
彼女は、微笑みを不敵なものにした。
立ち上がったロルライカは、軽く手を挙げて事務所から出て行った。
彼がいなくなると、今度はミリシィリアが机に着く。
空中に映像を映す、浮遊ディスプレイを開き、ソナーのデータを映し出した。
そこまでで、あとは投げ出すように、客用のソファにダイブして寝転がる。
本来怠け者で、常時、力の抜けているはずのミリシィリアにしては今日は働いた方だ。十分、働いた。
「はい、おわりー。あたしのターン終了。もうしらーん」
「へーへー、ご苦労様でした」
フールーエラーは、やれやれとため息をつき、あとを引き継ぐ。
ギフスのデータを解析してリスト化作業を手早く終わらせる。チップを金庫に入れ、ソナー本体はレンガの壁紙を張った外壁の一部を剥がし、奥にしまいこむ。
「今夜は何食べようか、ミリシィリア?」
「あー、シチューがいい。コーンたっぷり入れて」
「へーい」
フールーエラーは、事務所の二階にある居住スペース階段で上ってゆく。
しばらくして、眠そうに上半身を垂れさせた恰好のミリシィリアがリビングに現れて、そこにもあるソファセットにうつぶせになる。
キッチンでは、フールーエラーが、野菜を細かく切って煮込んでいるところだった。
翌日の夕方、フール―エラーの事務所のインターフォンと、携帯通信機が同時になった。
着信はロルライカからだった。
「もしもし?」
電話を耳に当てながら、彼はのんびりと本を読んでいた二階から、事務所に降りる。
『着いた。開けろ。失礼ないようにな』
それだけ言うと、ロルライカは一方的に通信を切る。
来たか。
フールーエラーは、いつもの長衣に似た上着にジャージ姿だ。
気にした風もなく構わず事務所の執務机に着いて、鍵は開いていると、外に声を投げた。
ドアが開き、青年が二人と、黒いスーツの大柄な男が四人入ってきた。
「ほう。それらしいところだなぁ」
言ったのは、端正な容姿をした二十七歳の男だった。
フールーエラーはこの男を知っている。
というより、二年ぶりだった。
相手はスフィル軍閥でコミュニティの参謀次長で、マートィルクといった。
服装は軍服ではなく、着崩したスーツ姿だった。
至って気さくな物腰で、気負ったところのなさは、だれもコミュニティの指導者などとは、思わないだろう。
その一歩後ろに、不機嫌そうなロルライカが立っていた。
マートィルクの見た事務所は積みレンガ風の壁に、暖炉が置かれ、テーブルと向かい合ったソファ。そして執務机に天井には、シーリング・ファンが付けられている、シンプルな空間だった。
「久しぶりだな、フールーエラー」
「どうも。立ってないで座りなよ」
マートィルクはソファに腰かけて、横にロルライカも並んだ。
二階から降りて来たミリシィリアが、それぞれに珈琲を振舞ってから、壁際に立った。
フールーエラーもソファに移動した。
「おまえらがいなくなってから、ウチのコミュはパッとしなくなったよ。なにしろ、ハユーリの艦隊に未だに強略されてるしな。なぁ、戻ってこないか?」
困惑しているかのようなマートィルクだ。
ハーユリーとは、旧帝国の生き残り艦隊の一つで、ここスフィル領海内で五年間も争っている存在だ。
「今更でしょう。俺が戻っても喜ぶ奴はいませんよ」
「あんなぁ、フールーエラー。おまえは一応スフィルの幹部だったんだぜ? それが抜けるというのは、どういう意味があるか、わかっているのかよ?」
ロルライカが脅すように睨みつける。
「安心してください。スフィルの軍事機密めいたものを他のコミュに晒す気はありませんから」
「おまえになくとも、強引に持っていく奴が出てくるかもしれないだろう」
「そん時は、開発機構の一部隊として、叩き潰すよ」
「それができるなら問題ないっていってんだよ、うすらボケが」
「ロルライカ?」
ポツリと、ミリシィリアがつぶやくと、ロルライカは舌打ちして口を閉じた。
「想像するほど不安になるものじゃないんだけどなぁ」
マートィルクは困ったようだった。
それでもフールーエラーは首を横にふる。
「それよりも、俺たちが苦労して持ってきたデータを披露しますよ。スフィルが今、一番に問題に思っているところでしょう?」
マートィルクが頷く。
フールーエラーは机の上で平面上に浮遊ディスプレイを広げる。
海図にソナーからの情報を重ねた図が浮かび上がる。
「苦労して調べて来たものだよ。まぁ、マートィルクの為に作ったようなものだから、あとで持って行っていいよ」
図をのぞいていたマートィルクは、顔を上げた。
「いいのか?」
「ああ、持っていきなよ」
「え、待って!? にぃやん、ただで上げちゃうの!?」
ミリシィリアが信じられないといった顔をする。
「ダメか?」
「あたしにアイスも買ってくれないのに!?」
「はいはい。買ってやるから、少し黙ってろ」
フールーエラーはマートィルクの顔を覗いて、軽く笑う。
「その前によぉ、説明ぐらいして欲しいものだぜ、おい」
ロルライカが自分では読めない海図を前に要求してくる。
図の中心部分には丸が一つ、そのそばに 短い線が二列になって六本描かれていた。 「やれやれ。見たままだよ。丸いのが展開した城塞鉄甲戦艦、棒が展開していない、鉄甲戦艦だよ」
わかったか低能がとでも言いたげな彼は簡素な言葉を吐く。
丸いところに指を置き、フールーエラーは続ける。
「ちなみに、スフィル本都からここまで、クルーザーなら四日で行けるよ。レーダーなら、半日かからない」
「あからさまな敵対行為じゃねぇか!?」
ロルライカは思わず声を上げた。
黙って海図を見つめていたマートゥイルクは、やがて顔を上げた。
「これは、どちらかが手を出した方が、悪いということになる。フールーエラー、どうすればいいと思う?」
「俺にはわからん。こういうのは、ロルライカのほうが専門だろう?」
全員の視線がロルライカに集まった。 「・・・・・・ウチの戦力をそのまま使うわけにはいかないが。貸すことはできる」
「どういうこと?」
ロルライカは、ニヤリと嗤った。
「とりあえずは、俺の舞台に上がってきてもらおうか、フールーエラー」
ギフスが海上要路に展開した城塞アスカフートに輸送が、黒煙をあとになびかせて続く。
ホーゥグローが任された任務だった。
本来ならば、彼はアスカフートの提督に抜擢されているところだ。
だが敢えて任命を辞し、サポート役に徹していた。
どうしてこんな捨て石の上に腰かけてボスサルの真似をしなければならないのか、というのが内心の理由だ。
ボスサルの地位には、予想通り革命の主流過激派で元弁護士の弁士であるロンジュエルが付いたのが彼には笑える。
法と口先で戦争ができるものなら見せてもらおうという思いだ。
長めの髪を後ろで縛り、水色と赤の軍服をの上に、コートを肩だけに羽織った長身で細身。二十四歳の時、防老化処置を行っていた。
船尾楼の艦長席に座り、徹甲戦艦上で操船作業をせわしなく行っているサイロイドたちを威圧するように見下ろしている。
船首楼に中央甲板、中甲板に船尾楼と、簡素な格闘白兵戦用の徹甲戦艦は標準的なもので中型艦のうちに入る。
合わせて三隻。
機関室の石炭燃料で、煙突から黒煙を空に噴き上げている。
縦隊を作った先頭に艦隊提督がいるはずだ。
物資を積んだ輸送艦は十二隻。
ロンジュエルが要求するために軍議は着々と進んでいる。
こんな孤島と化している前線基地にでかでかと城を構えてどうするのかと、ホーゥグローはますますロンジュエルを小馬鹿にしてしまう。
相変わらず凪ぎの海で、いささか退屈なのだ。
同僚を貶めて楽しむぐらいはよいではないか。
ホーゥグローは、従僕の若い士官候補生が持つワイン瓶から、グラスに中身を注がせた。三度目だ。
香る液体に軽く口をつけ、満足そうに息を吐く。
艦隊提督ではなく艦長まで下がったのは、ホーゥグローのさらなる要請からだった。
元々ギフス・コミュニティは先の大戦を居残りだった。
それも敗者として滅亡した帝国の一艦隊である。
ギフスは出身を問わないコミュニティの中にあっても、帝国と契約した元傭兵という微妙な立場だった。
コミュニティ内では、敗軍の将として侮られる立場にあったが、侮るのが革命で権力を握った素人の市民達だったので、気にも留めていないが。
そんなに遠慮するなら艦長でいいだろうという、適当ともいえる人事の結果だ。
何しろ今度の出兵すら、適当と思われた。
『スフィル・コミュニティには、鬼がいる。人間が連れて来た、怨霊だ』
それゆえにギフス・コミュニティに被害が出る前に接触も攻撃的にすべきである。
しかも大洪水を起こしたのは、スフィル・コミュニティの古い怨霊だという。
ホーゥグローにはお笑い草だった。
ギフスも自分のように人間がいるではないかと。その住民の半数近くは人間だ。
怨霊、ゴーストとは人間がなる、最悪な存在といえる。
一番の特徴は不死だが、天候を操り病気を起こしす。
人間は、ゴーストとにならないように、多数が老衰阻止処置を施している。
急にレーダーの索敵範囲に反応が出たとの報告が入った。
「第二戦闘態勢に入れ」
ホーゥグローはすぐさま命令した。
鉄甲戦艦上で、サイロイドたちが忙しく走り回る。
「データ照合の確認が取れません。未知の船です!」
「ほう・・・・・・」
ホーゥグローは、愉し気に喉を鳴らすような声を出した。
艦隊提督がどんな指示を出すのか、興味津々なのだ。
『全戦艦に告ぐ。輸送船をアルカフートに高速移動させ、我々全艦はその間、敵を積極的に攻撃する!』
伝令とともに旗艦に突撃旗が上がる。
「気の早いことだ」
ホーゥグローは、癖である冷笑を浮かべる。
そして、副長から指揮権を移譲されて、彼は命令を下した。
「我が艦全力で旗艦に続け!」
朗々たる声は、船首楼まで響いた。
ギフス艦隊の三隻は、レーダー反応があった地点に向かって、一斉に回頭する。
レーダーに映った艦は、やがて地平線上に現れた。
ホーゥグローは解析望遠鏡を従僕から取り、海の向こうに向けた。
見えた小さな影は、黒い煙を後ろに流しながら、ゆったりと進んでいる。
こちらに向かっている様子もない。
距離を計算すると、確実に大型戦艦レベルの艦である。
全速で三隻が近づいてゆくと、やがて何事もなく主砲の射程距離に入った。
なんだか、様子がおかしい。
近づいてから、艦隊提督は思ったのか、常識的に「ピストルの射程距離まで撃たない」という格言を守っているのか、砲撃を開始しなかった。
ホーゥグロウは望遠鏡でもう一度相手を確かめる。
黒塗り、鉄板装甲の蒸気船の、旗を見て彼は納得した。
マストの上に掲げ垂れた長い旗は、スフィル海軍のものではなかった。
ハユーリ艦隊の所属艦だ。
スフィル領に侵入すること五年。単独でスフィルと戦いを繰り広げている艦隊である。
ホーゥグロウが提督の判断を面白そうに待っていると、いつの間にか少年が横に立っていた。
跳ねるようなウエーブかがった頭髪で、強化繊維のパーカーに、ハーフパンツを履き、高軌動スニーカー。腰には、刀を二本履いている。一本は、妖刀「霞切り」という。
三白眼で十六歳で止めた身体は小柄だが、引き締まった痩身をしている。
抜刀突撃隊の遊撃隊員だ。
「出番はあるかわからんぞ、リンドル」
ホーゥグロウは、ワインに口をつけて少年に言った。
「・・・・・・それならそれでもいい。ただ、あの船、ちょっとおかしいぞ・・・・・・」
少年は関心があるのかないのか、ぼそりとつぶやいただけだった。
ハユーリ艦隊の一隻は、向かってくるギフス艦隊の鉄甲戦艦を無視するかのように、ゆっくりと遊弋していた。
「無警戒にもほどがあるな。ちょうどいい、拿捕してくれる」
ギフス艦隊提督が、突撃艇の発進を支持する。
ホーゥグロウにも命令が届いた。
「・・・・・・だ、そうだ。よかったな。ちょっと、行って来てくれるか、リンドル」
少年は返事もせずに、艦長が座る船尾楼の甲板から降りて行った。
彼は、第三甲板まで下りて、ずらりと並んだ、突撃艇の一つに乗り込む。
舷側の門が開き、次々と十人乗りの突撃艇が発進して、水上を駆けてゆく。
リンドルのものは単座式だ。すぐに、ほかの艇を追うように走り出し、ハユーリ艦に向かってゆく。
数艇が、射撃も受けずに戦艦の船腹に突き刺さり、サイロイドたちが隊ごとにそれぞれの武器をもって乗り込んでゆく。
リンドルの突撃艇は、すさまじい衝撃とともに衝角で船腹を貫き、突破口が開けると、艦内に飛び降りた。
ここからは、案内もない城塞と化している艦のなかだ。一個の城といってもいい。
彼が降り立ったのは、第二甲板にある三の丸といっていい空間だった。
すぐに、詰めていたハユーリ麾下のサイロイドたちが、刀をもって襲い掛かってくる。
リンドルは、腰から一本の刀を抜刀しざまに、一体のサイロイドを横薙ぎに切り倒した。
彼は様々な身体改造をしているが、感覚器を最大限まで上げているのもその一つだ。
二の丸内で白兵戦が行われている中、リンドルは、相手のサイロイドに異常なものを見つけていた。
焦りと恐怖。
それは、戦いに対してもの者ではなく、もっと何かに追われている感じだ。
彼は必死のサイロイドの斬撃を受け流し、しゃがんで足を払ってバランスを崩したところをしたから、えぐるように刀を突き貫く。
周りで、一進一退の争いの中、リンドルだけは鮮やかなまでに確実に一体一体を斬り倒していた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
気合か悲鳴かもわからない声を上げて彼に向かってきたのは、士官候補生の少年だった。
リンドルは、刀の峰でその肩口を思い切り叩きつけて、少年が倒れる前に素早く身を寄せて首を左腕に巻いた。
「何があった?」
耳元で聞きながら刀を脇腹に食い込ませるように押し付ける。
「・・・・・・ば、化け物が・・・・・・スフィルに化け物が・・・・・・」
異常なまでに震えていて、これ以上は無理だと判断したリンドルは、彼を狙ってくる相手を全て警戒に避けて、第一甲板に躍り出た。
潮の匂いに機関室からの塵が混ざり、黒煙が空を覆っていた。
まず、射線を読む。
途端に轟音がした。
船首楼と船尾楼とのからの銃撃だった。
リンドルは把握した方面から跳んで銃弾を避けた。
彼に続き、突撃隊が次々と上がってくる。
浸透戦術という、避けられる相手は避けて先に突入してゆくもので、ホーゥグロウの部下の得意戦術だった。
彼らが目指すのは、ひたすら艦長の首だった。
第一甲板にも敵サイロイドが大量に詰めている。
だが、リンドルがみると、武器を持たないものや女子供が多い。
その時、「降伏する! 降伏だ!」との叫びがいたるところに上がり、白い旗も上がった。
まだ二の丸を突破し、本番の第一甲板にでたところでである。
リンドルは警戒しながらも、武装解除を指示した。
遊撃隊隊員といっても、格は突撃隊の上であった。
一の丸のサイロイドたちは、あっさりと武器を捨てて行った。
「艦長を我が艦隊の旗艦へ」
続けて言うと、一隊が抵抗なく船尾楼に昇って行った。
リンドルはもう用がないとばかりに、あっさりと、自分の艦に戻った。
血糊を吸ったままの姿で、食堂へ行き、軽くオートミールを食べる。
そして満腹になると、船尾のホーゥグロウのところに行った。
「ああ、リンドル。良いところに来た」
ホーゥグロウはすっかり酔っていた。
テーブルの上には五本、空のワイン瓶が置かれている。
「話は何かよくわからんが、一時アスカフートに戻る。まぁ、戦闘がうまくいったのだから、当然だろうが」
口調はやや軽くなっているが、それ以外に酔いを見せているところはなかった。
リンドルは頷いただけで、自分の寝床に戻っていった。
海上都市スフィルは旧帝国の生き残りの一つだった。
だが、都市としてではない。
第十二艦隊が、旧帝国崩壊とともに孤立し、そのまま城塞展開して都市化したものだった。
艦隊提督は総督と名乗って、世襲制を保っていた。
現時点での総督は、先代の早い死を受けて、十四歳で成長をとめた、リューシリィという少女が就いている。
幼い外見だが、加齢をとめたために、現在の年齢がわからない以上、部下たちはその手腕だけを見ることにしていた。
なにかと理由があれば、とにかくやることなすこと全てに反対する連中がいるのだ。 だが、この少女は一枚上手だった。
事務は全て将校たちに任せて、自分は唯の艦長としてのみの権限を持つだけにしていた。
これでは、文句が部下にはいくが、直接リューシリィには届かない。
総督兼艦長室は、余計な調度品を廃し、ソファにテレビ、ゲームに炬燵という完全な私室にしてしまっている
リューシリィは、長めの髪をてっぺんで縛って棒状にし、小柄で細身の身体をぶかぶかのTシャツにハーフパンツを履いた素足の姿のまま、大の字で寝ころんでいた。
昼下がりだった。
うとうととしているとドアがノックされる。
「どーぞー」
放るような眠気に満ちた声の後で、室内に長身だが、不健康そうな男が入ってきた。
「あー、寝てるのか?」
礼儀などお構いなしのロルライカだった。
「寝てるようにみえるなら寝てるし、真面目に仕事しているようにみえるなら、仕事してるよ」
リューシリィは難し気な言葉を吐いた。
「寝てんじゃねぇかよ。もう少し素直になれや」
「あたしも、そんな歳じゃなくてねぇ」
腰を叩きながら、少女はソファから立ち上がって、どっこらしょとつぶやいて執務机に着いた。
「でぇ、どうしたのかな?」
「ハユーリの鉄甲戦艦一隻が」
「ギフスの艦隊に拿捕されたかぁ」
リューシリィはロルライカのセリフをのんびりした口調で奪った。
「ロルライカ君、情報が遅いねぇ」
やれやれと、いやらしい笑みを浮かべる。
ロルライカは苦笑した。
内心では、このクソガキと罵ったが。
「それで、どうしたのよ? あ、お茶は出ないけど、その辺のお菓子は食べていいから」
招くように手を振って、お構いなくという。
ロルライカは、どうもこの少女の前では、かき乱されて主導権を取れない。
正直、苦手な相手だった。
だが、彼の直接の上司でもあるので、できるだけ忠実でいようとは思う面は持っている。
「今度の事件で、我がスフィル十五都のうち、十ほどの都市が離反しかねない」
「どーしてだい?」
机の引き出しから煎餅を取り出して、頬肘をつきながら訊く。
「ハユーリ艦隊と、ギフスが組むかもしれない可能性がある」
ハユーリ艦隊は、旧帝国を滅ぼした連合王国軍の一勢力の軍隊で、スフィル領海に侵入して五年も経っている。
スフィル軍は、その圧倒的な戦闘力を恐れて決戦を避け、懐柔しつつもゲリラ戦を繰り広げるという状態だった。
当然のことに、ハユーリ艦隊に裏切った都市もあり、七都市が奪われて現在の重要な策源地となっている。
この場合都市とコミュニティは同義語だ。
「・・・・・・なにがハユーリを穴から出したのかねぇ」
「出さなくとも、ギフスがアスカフートを作った時点で、ハユーリにもギフスにもその思惑が一致するってことだよ」
「それは、困るなぁ」
バリっと、煎餅を噛んで砕き、リューシリィは思案気に、天井の角に目を躍らせる。
「・・・・・・で、なにか考えがあるんだろう、惜しみなくだせ」
何も思い浮かばなかったリューシリィは、食べかけの煎餅を差し出す。
ロルライカは、スキットルを取り出して、軽く見せびらかすように振ってから、一口中身を喉に通した。
「アスカフートへの対処はできた。あとの問題はな・・・・・・」
途中で言葉を切り、丁度ドキュメンタリーを流しているテレビに顔をやった。
「これだ、こいつ」
映っているのは背後の姿でメインは会場を埋め尽くしている聴衆だ。
そこに、黒い服を着て腕を時折激しく振る男がしゃべり続けている。
『・・・・・・つまりは、我々の団結した信念が神の御心に届くのです。そう、最も大事なのは、団結です。ここスフィルから離脱したコミュニティも、我々ともにあることが理想なのです!』
「あー、クファイルドかぁ」
面倒くさそうな目をテレビにに向けていたリューシリィは、顔をもどしてロルライカを促した。
「一番の問題は、このクファイルドが、どっちを向くかだ。スフィルなのか、ハユーリ艦隊なのか」
「あんたでも、わからんのかー?」
「それで来た。処置していいか?」
リューシリィはフーンと鼻を鳴らして、ロルライカを見た。
「どうにかできるならねー。てかな、こいつ噂あんだろう」
「何のだ」
「人間なのか、サイロイドなのかだよ。人間なら、これで老化阻止処置を施していないのは危険だよ」
「ああ、それな」
ロルライカは頷いた。
「正直なところ、そこも掴めていない」
リューシリィはヘラヘラとした笑みを浮かべる。
「どうしたんですかー、スフィルの影のフィクサーさん。ちょっと評価が先走ってるんじゃないっすかー?」
仕方がないなぁといった風にあえて、ロルライカを煽る。
「何とでも言えよ。一応工作はしてたんだ」
「ここまでデカくする工作でしょ?そっちの計画はどうなってるんさ?」
「だから、後始末の話だよ」
怖い怖いとつぶやいて、リューシリィはわざと自分の腕で身体を抱いて、震えて見せる。
「任せるから、好きにしてくれ」