「不機嫌ですね」
祥無が、深羽に言う。
「わかりきってることを聞くなよ、ウザイな」
軽く睨まれた。
当の悠真は、ザトウクジラの中の片隅でしゃがんで電子タバコを吸ってい
た。
深羽に巻けるとも劣らず紗宮耶の機嫌が悪い。
「何でおれがこんな訳わかんねぇモンに乗ってんだよ」
悠真は呟くように苛立ちを声にする。
「紗宮耶、悠真に万が一あったら許さないからな」
深羽は彼女に低く言った。
「失礼な嬢ちゃんだな。私はとっくにそいつに興味なんてないね」
「……なんだと? こっちゃ忘れてねぇからな?」
「まぁ、のんびり行きましょうか?」
緊張しきった空気に、呑気な声を上げる祥無。
その割に、目には緊張感が抜けていない。
「ラ・モールがここではイレギュラーであることは自覚あるでしょう、先の暴
れぶりから言うと」
「だから南国に行きたかったんだ。本当に奇喩がここに引きづりこんだ張本人
なんだろうな?」
「彼を神としようとした人がいるぐらい確実ですよ」
紗宮耶は嫌な顔をする。
「おまえらビジネスライクって言葉知ってるか?」
「知らないよ、そんなの」
「知りませんねぇ。どこの言葉です?」
深羽と祥無が同時に答える。
「大体、己を自律的な存在だと疑っていない時点でおめでたい人ですから」
祥無が付け加える。
「は? どういうことだよ?」
紗宮耶は引っかかって聞く。
「あなたの存在理由は燈霞の万が一の時、力での軌道修正するための存在なん
ですよ」
「……燈霞はまだ諦めていないと言いたいのか?」
「自由意志は皆にあるとだけは言っておきますかねぇ」
「その一言が聞けてまだ良かったもんだ。そもそもが気に食わないけどね」
そういう紗宮耶を、暗く睨む深羽がいた。
「何だい、嬢ちゃん? まぁだ以前のことを気にしてるのかい?」
「以前? 軽く言うな。恨むのは当たり前だ」
低い声。
興味もなさそうに、悠真はしゃがんだまま黙って電子タバコを吸っていた。
それでもだという。
やれやれと言った思いだ。
たかだがガキとはいえ、燈霞が次世代の為に産んだ存在にそのような扱いを
受けるのはあまり嬉しくない。
原因が彼女にあるとは言えである。
自己の存在などに疑問を持ったことはなかった。
人間、生まれて死ぬ。それ以外何があるか。
全ては着火された一時の炎だ。
燃え尽きたら存在は終わる。
だが、ここにきて奇喩はそれに疑問を持ち出した。
発端は、釘打ちの欲求と燈霞のヴァリスの存在だった。
再び、殺人の衝動に駆られ出したのだ。
よりによってこんな時にである。
しかも対象が絞られていた。
あの、祥無という者に対する欲求だ。
どうして彼が出てきたのかもわからない。
だからこそ、彼は自己の存在について考えざるを得ない。
何故、自分はこれほどまでに殺人を欲するのか。
自分の中の人格たちが奇喩を呪いだしている。
鬱陶しい。
他人が。
これほどまでに関心がない期と、邪魔でしょうがない期があるというのは、
世界との歯車が真向から合わさっていないからではないか。
そうなると、自己は燈霞とどれぐらい関係があるのかという点まで考え出
す。
だがデータがなければ答えが出てくるわけがない。
狭いネット環境の個室を借りている奇喩は、一人の男に連絡を入れた。
『なんだ、生きていたのか、おまえ』
「なんだ、存在してたのか、あんた」
『それはこっちのセリフだ』
声の相手は湖守だった、
「それなんだ。いいか、俺の言うことを疑わずに聞いてほしい。俺の出生記録
や学校の記録と言ったものを調べて欲しい。俺の過去を総ざらいして欲しいん
だ」
突飛なことを言っている割に口調は淡々としていた。
『……ああ、いいだろう。ちょっと待ってろ』
湖守は意外とあっさり承知して、一旦連絡を切った。
奇喩の携帯通信機に連絡が入ったのは約一時間後だった。
『面白いことが分かった。奇喩よ、おまえの記録は一切ない。この世に存在し
てないんだよ。何者だ、おまえ?』
楽し気な声だった。
奇喩は一瞬視界が真っ黒になった。
「ヴァリスはなんて言っている?」
『あー、アレとはもうこっち連絡不能なんだわ』
「そっちに行って良いか?」
『ああ、ヴァリスの居た跡しかないがそれでいいならね』
「問題ない」
奇喩はすぐに移動を開始した。
「はけーん。奇喩だ。間違いない。いま移動中だね」
紗宮耶は艦橋のような空間の真ん中に立ち、呟いた。
いきなり悠真の携帯端末に連絡が入る。
『仕事だ。釘打ちを始末しろ』
短文で書かれていた。送り主は、湖守である。
「気楽なもんだ」
悠真は笑いもせずに鼻を鳴らした。
ザトウクジラは、伊瑠コミュニティに向かって回頭した。
いつまでも自分は今の地位に胡坐をかいてられるとでもおもっているのだろ
うかと、悠真は思った。
「なんか、行ったり来たりだなぁ」
深羽がつまらなさそうに言う。
「これが終わったら南国行くか?」
悠真は、紗宮耶の聞いているところでワザと言った。
「あー、なんかお祭りまた行きたい」
「祭り? いいねぇ。全国の祭り巡りでもするか」
悠真はニヤリとする。
彼にとって湖守は特別な位置から下げられていた。
黒いアウディが国道を走っている。
ザトウクジラははるか上空からそれを捕えた。
伊瑠コミュニティまで、ざっと二十分ほどの距離だ。
アウディが城塞と言って良いままの建物の前で停まると、奇喩が中から出て
きた。
彼が中に入ると、ザトウクジラが迷うことなく建物の真ん中あたりに突入し
た。
廃材で造り上げたようなコミュニティの壁は崩れて、身体が半分ほど突き刺
さった形になった。
その前頭部が半壊し、紗宮耶と御堂コピー、イマジロイドに悠真らが飛び出
してくる。
銃声が彼等を狙っていたるところから鳴り響く。
イマジロイドたちがマシンガンで弾丸をばら撒きまくり、一気に黙らせる。
鉄の盾を並べて廊下に現れた者たちに、御堂コピーが斬馬刀を振るって突撃
する。
彼等が上階目指して突破口を拡大して造り上げて行くところを、奇喩はゆっ
くりと落ち着いて進んでいった。
半ば崩壊した建物の中を一歩一歩踏みしめる。
中に入ってから向かう先の光景は常にすでに形にすらなっていないものだっ
た。
そうだ、なにもないのだ。
だが、何かが。
歩み続ければ何かがあるはずだった。
わずかだが段々と体感温度に変化があった。
確かに、高くなって感じられてくるのだ。
確かにヴァリスの前でのあの時、奇喩の中の犠牲者たちは解放されたはずだ
った。
だが、人格は残ったままだった。
その人格が建物の中を昇ってゆくほどに崩れてゆく。
悲鳴もなく。
楽しさもなく。
吐息すらなく。
だから彼は昇って行った。
やがて、全て消えてなくなった。
「よぉ。やっと来たか。ここで誰かが待ってたらしいが、いるのは俺たちだ
ぜ?」
広い空間に出ると、悠真たちが迎えた。
全員が殺気を放ちながら。
奇喩は思わず微笑んでいた。
少なくとも、殺す相手として自分はアリらしい。
だが、彼がここに来た目的は違う。
「おまえら、後で相手してやるから、ちょっとだけここで待っててくれないか
ねぇ?」
「ああ?」
むしろ楽し気に聞き返す悠真。
煙を吐き、ニヤリとする。
「行って来な」
奇喩はうなづいた。
奥に続く扉を開くと暗い中に、むき出しの電子機器が山積みされた部屋が現
れた。
そこに、技官と湖守が椅子に座っていた。
「遅かったなあ。結構待ったぞ?」
湖守は苦笑いするかのような表情だった。
技官たちはピクリとも動く様子がない。
よく見ると、彼等はすでに死んでいるようだった。
椅子にもたれている湖守の息は多少荒い。
スーツ姿の腹部に滲みが出来ていた。
奇喩がそれに気づくと、湖守は小さく笑った。
「……俺を必要としなくなった奴から一発貰ってね。後はおまえだけだ、奇
喩」
「……ああ、そうだな。俺はおまえを殺す必要があったんだ」
太い釘を懐から取り出す。
奇喩は伊瑠コミュニティの指導者を手に掛けたとして、人々の記憶にも記録
にも残るだろう。
迷うことなく、釘の切っ先を湖守の左胸に突き刺した。
全力で根元まで。二度と引き抜けなくなるようにと想いながら。