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第19話

 天井から光りが照らされた、黒塗りの壁に囲まれたプールそのものだった。

 宵は端まで深羽を連れてくると、ためらうことなく少女を突き落とした。

 飛沫が上がり、深羽はそのまま沈んでゆく。

 様々な成分が混ざった液体の主なものは酸性で、深羽の身体が服から肉も焼

けるように溶けていく。

 深羽は形が侵食されていくなか、我に返ってもがいたが、指が無くなり、や

がて腕も足も溶け、開いた口から歯が抜けてゆく。

「……悠真」

 少女はただ想い、その姿は完全に水と混ざってしまった。

 宵は見届けると、天井を一度見上げ息を吐いた。

 これでいいだろう。

 少女は完全に燈霞から解放されたのだ。

 ニカラの脅威もなくなった。

 全て、終わったのだ。










 裏璃は繋がらない世界に眉間に皺を寄せていた。

 燈霞がどこかに行ってしまう。

 それでは彼は困るのだ。

 紗宮耶を呼んだ。

 鯨群は再び多賀見神社に引き寄せられる。

 縁側に座る裏璃の元に、苛立ちを隠さないでいる紗宮耶が現れた。

「あんたねぇ、いい加減にしなよ?」

「解ってないね、今の危機的状況が」

「だからあんたの事情なんて知らないっての」

「僕も池の鯉の明日に何て興味ないよ。ただ鯉は鯉らしくしてて欲しいんだ

よ」

「言ってくれるねぇ」

「伊瑠コミュニティにブラフだけ送って逃げようとしたいい歳した大人がいた

ものだから」

「誰が逃げるだって?」

「もう一度言おうか?」

「楽しい反応じゃないか。ならあんたも来な」

「へ?」

 裏璃は間抜けな声を出した。

 すぐに片腕で首を後ろから絞めにされて、そのまま鯨の中に吸い込まれた。

「……マジか」

 裏璃は考えてもいなかったことに、鬱陶しそうに息を吐いた。




 ザトウクジラたちの姿を見た、湖守はやはり来たかと本部に緊急体制を敷か

せた。

 技術室から、全体の指揮を執ろうと椅子に鎮座している。

 信じられない光景がリンクした頭の中で広がっていた。

 後頭部を撃ち抜いたはずの奇喩ら七人が立ち上がっている。

 傷はそのままに。

 舌打ちする。

「お望みなら表出してやるよ」

 湖守は記録係に釘打ち事件の情報をまとめるように命じた。

 ことの発端は二年前。

 東京の八王子で死体があがった。

 両手に釘を打たれて絞殺された女性のものだ。

 それ以外、性的な被害はない。

 以降、一か月半から三か月の間をあけて釘で打たれた死体が発見されてい

た。

 惰性機関となった警察よりも、コミュニティのほうが情報が早く迅速な処理

に動いていた。

 ことは彼等の市場の重大事だ。

 東京のコミュニティらは普段の対立を捨て、この件に関しては積極的に情報

を交換していた。

 犯行の共通点は釘で被害者の手の平を打ちぬいていること。被害者の共通項

は四人目の事件に寄り浮き上がってきた。

 皆、多賀見神社詣での趣味を持っていたという点だ。

 多賀見神社は設立が四十年前。

 丁度、燈霞始動の年と同じくする。

 意識のトンネルが出来た時期である。

 トライ・クロス・クルが結成された時だ。

 ヘッドの奇喩はいち早く燈霞への接触を試みていた。

 彼らの動きはコミュニティが把握している。

 とはいえ、たかが路上のギャングでしかない。

 メンバーは早期にコミュニティによって拉致されて自白を強要され、頑なに

拒否する者は見せしめに釘打ちと同じ方法で殺されていった。

 それが六人。

 最後に残ったのが、奇喩という少年だ。

 彼ははっきりと言った。

 自分が犯人であると。

 コミュニティは見せしめに両手に同じ穴をあけて放逐した。

「ラ・モールよ、奇喩の私怨に付き合う気か?」

 大々的に発表してから、湖守は呟いた。

「湖守も老いたな」

 紗宮耶は笑いを堪えているようだった。

「離璃」

 呼ばれた少年は諦め半分で顔を上げて応じる。

「何が老いただよ。あんたがいつまでもチャラいだけでしょ」

「うるせー」

 起こった様子もなく、むしろ今度は本当に笑う。

「おまえも行ってこい」

「なんでだよ?」

「巻き込んだ罰に決まってんだろ」

 言って彼を蹴り飛ばすと、人間の御堂と同じ姿をした者たちの中に放り込ん

だ。、 

 湖守のリークに何の反応もしなかったザトウクジラたちからは、巨大なハル

バードをもった御堂のコピーたちが十数名降りてくる。

 伊瑠コミュニティの建物は多重建築と一言でいうものの、実際は城塞の形を

取っている。

 構成員たちはそれぞれの場所で配置につき、襲撃に備えていた。 

「ヴァリスよ、加護を」

 湖守が言うと、技官たちが操作を始める。

 ヴァリスとリンクした構成員たちの体内に変化が訪れた。

 無限に力が湧き上がってくる。

 異様なまでの怒り。

 そして、自制心。

 三つが身体と意識を覚醒させて、獰猛に御堂コピーを待ち構えた。

 いきなり離璃はまっただ中に放り込まれていた。

「おや、お久しぶりですね」

 隣に、パンクロック風の恰好をした長身の男がいた。

 祥蕪だった。

「……あんたなんでここに」

「いやぁ、一度ヴァリス乗っ取ったと思ったのですが弾かれまして」

 弾かれた?

 全てを内包する燈霞のヴァリスが?

「あんた、何たらネットワークって言ってたよね?」

「僕じゃないですけどね、正確には」

「どっちでも良いよ。ヴァリスはあれどうしてるの?」

「僕を弾いたくらいですからねぇ」

 離璃は不吉な思いに駆られた。

 彼は死にたくない。

 はっきりと、死にたくない。

 死にたくない以上、この世界も存在してもらわなくてはならない。

 伊瑠コミュニティの威容をみて、彼は乾いた笑いを上げざるを得なかった。

「お互い様じゃないか」

「何がです?」

「なんでもないよ。祥蕪、もう一度ヴァリスに侵入できる?」

「無理ですね。僕の全データは最警戒度下にあります。地雷原に突っ込むよう

なことになりますよ」

「良いねぇ。そう来なくちゃ」

 祥無は不思議そうに少年を見詰めてきた。

 自然に這い寄るリンクを無造作にウチ払う。

「痛いなぁ」

 彼がぼやくように言う。

「手癖悪いことするからだよ。悠真引き込んだ時と同じことしようとしたでし

ょ」

「バレましたか」

 悪びれた様子もない。

「深羽もいないのに、どうするつもりなのさ?」

「代わりが欲しいなと」

「御免被る」

 祥無の人間ごっこの為の依存相手になど、離璃はなりたくなかった。

 それよりも、こうなればヴァリスに頑張ってもらわないとならない。

 上手く誘導してやらないと、下手に自爆されてかなわない。

 やはり必要なのは、奇喩か。

「祥蕪、奇喩探して」

「はい」

 疑問も返さずに素直に言う通りにする祥無。

「……まだ中にいますね」

「じゃあ行こうか。御堂たちと一緒に」

「自力じゃないんですね」

「一人じゃ敵わないじゃないか、アレ」

 城塞と化している建物を指して、恥じる気もなく離璃は言った。

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