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第18話

 湖守は伊瑠コミュニティ本部から、最小限の人間をとどめただけで、後は各

地の要所要所で武装させて臨戦態勢を整えさせていた。

 今、ヴァリスは漆黒の小さな塊として、空間に浮かんでいる。

 部屋にいるのは、湖守だけである。

 壁にもたれて、スーツのポケットに手を入れたまま、眼はヴァリスと意識は

壁向こうの技術者たちに向けている。

 今、彼らはヴァリス制御に全力を挙げているところだった。

 湖守の指示は制圧ではない。

 他に力を流すように伝えている。

 変電させて、利用するのだ。

 目標は、買収した公安から情報を手に入れた、ラ・モールからの襲撃であ

る。

「もうしばらくの辛抱ですよ。あなたはその時、全てを手に入れる」

 口元だけで微笑んだ、湖守は黒い球体に声を投げかけた。

 わざわざ口にしなくても伝わるだろうが、言ったほうが形になる。

 初めに言葉ありきだ。

『……ニカラ』

 ヴァリスは、一言、彼に反応する。

「ああ、あの第三勢力という存在ですな。ご安心を。我らに不可能はない。違

いますか、ヴァリス?」

 黒い球体は震えているようだった。

 技術者たちが、送電圧の急激な高まりに警告を鳴らす。

「落ち着いてくださいよ……」

 湖守の意思に、一個の異物が現れた。

 それは、捉えどころのない、何かだ。

 訝しみ、警備部に浮遊ディスプレイをつかい自己の認識と外の現状を重ねて

確認させるが、異常はない。

「……怖ぇな、ここ」

 突然の人の声に、湖守はゆっくりと、意識を向ける。

 そこにいたのは、だぼだぼなエスニックの服を着た、小柄な少年が一人、立

っていた。

「……誰だね? どこから入って来た?」

 慌てることもなく、湖守は尋ねる。

「……トライ・クロス・クス」

「ほう。あの半グレか。歓迎するよ。一杯、どうだい?」

 ニコリとして、湖守は祭壇装置の脇にある棚からウィスキーの瓶を持ってく

る。

『……釘打ち』

 ヴァリスの言葉にも、ああ、といった反応で、彼にグラスを一つ渡し、ガラ

スの栓を指で抜くと、中身を手を濡らすほどになみなみと注いでやった。

「君が釘打ちか。思ったより若い。いや、ああいう事件に年齢は関係ないか」

「俺じゃねぇ。俺は奇喩」

「ほう。で、奇喩はここに何しに来たんだ?」

 自分は瓶から一口ラッパ飲みして、ちらりとヴァリスを伺うように見た。

「助けに貰いに来た。ってところかな」

「いいだろう。なんでも言いたまえ。君はただの人殺しに過ぎないのだしね」

 大仰な湖守は、瓶を片手に持って再び壁にもたれた。

「……違うと言ってんだろう」

 奇喩はグラスを一気に煽り、後ろに放り投げると、熱い息を吐き、黒い球体

に近づいて行った。

「ヴァリス、釘打ちを探している。俺は呪われてんだよ。黙っていればロクな

ことにいならない。いい加減にしてくれ」

『……バレバレの三文芝居かと思えば。あなたはここに来るまで何人殺してき

たのです?』

 黒い球体がゆっくりと人の姿を作り出す。

 それは、天蓋のベットの端に座る青年の姿だった。

 黒く乱れた髪、耳はピアスで埋まり、ネックレスをぶら下げたシャツとジー

ンズといった恰好だった。

「貴様……見たことあるぞ」

 湖守が唖然とすると同時に呆れるような顔になった。

 同時に湧いてくる嗤いに耐えかねるように声に出す。

「悠真のところの祥無とかいうガキだろう? ヴァリスをどこにやった? 勝

手に人の『部屋』に入って来てもらっては困る」

『湖守、誰に向かって言葉を吐いている? 貴様は私を裏切るのか? 悠真を

裏切ったように』

「……何がどうなっている……」

 湖守は祥無の姿をとっているヴァリスを睨みつけながら、ウィスキー瓶から

中身を今度は喉を鳴らして飲み込んだ。

「御也、あんたは全てを支配したいんだろう? なら俺に冤罪押し付けるのや

めてくれねぇかな? 三文芝居してんのは、てめぇだろうが」

 ヴァリスはしばらく無言で奇喩を見つめていた。

 奇喩はゆっくりと腕を上げて裾をまくって、隠れていた手の甲をみせた。

 真っ黒く焼けたような穴の跡がある。

「あんたに殺されてんだよ、俺はよ。責任の一つもとってもらいてぇなぁ」

 跡は、今やぱっくりと空洞になり血が滴る。

 合間から奇喩の鋭い片目がのぞいていた。

「……今までの死体が消えていると思ったら。あなたが被害者全員でしたか。

通りで、繋がらなかったわけだ。僕とあの人は」

「何を呑気に語ってんだよ」

 奇喩は腕を戻すと、ヴァリスに向かって近づいて行った。

 ヴァリスが動かないままでいると、左手でその頭を鷲づかみにする。

「全部貰っていくぜ?」

 空間に裂けるような深いな響きが鳴った。

「待て」

 奇喩の後頭部に硬いものが突きつけられる。

 グロックG19を片手で構えた湖守だった。

「人様の庭で、人様の物を勝手されたんじゃ、かなわないんだよ」

 ヴァリスはがくがくと痙攣するように震え始めた。

 技術者が、燈霞の光がかげりはじめたという、一見、関係なさそうな報告を

入れてくる。

 引き金が引かれた。

 奇喩の頭部が爆発し、同時にヴァリスは力のない人形そのままに床に顔面か

ら倒れ込む。

 湖守は素早く辺りの床を見渡した。

 彼は血の海の上に立っていた。

 死体が七体、彼を囲むように転がっていた。

 どれも無残に内臓をぶちまけ口を開いて目を剥いて微動だにしないが、何故

かどこか生命を感じさせる。

 湖守は耐え切れず、嘔吐した。

 吐瀉物は血だまりを跳ねさせながら混ざりこんでいった。

「……まったく、難儀な商売だよ」

 口元を手で拭き、彼は技術者たちがいる部屋に移動した。




 夜の街はいつもと変わらなかった。

「ここが銀座。まぁ、東久瑠の本拠があるところだよ」

「ほぇー」

 深羽が助手席から見たのは、明かりの洪水ともいえる高級歓楽街が作る光り

の山脈だった。

 ビートルを躊躇なく一棟のビルの前に停めた宵は、深羽を連れて中に入る。

 イマジロイドたちは、まったく彼女らに関心を向けず、自由勝手に行き来し

ていた。

 追いてこいとばかりに、宵は無言で廊下を進むので、深羽は黙って歩を同じ

くする。

 彼女は自身の身体が軽いのか重いのかすら、すでにわからなくなっていた。

 奇妙に浮遊する感覚はあるが、体重は数倍に跳ね上がったかのようだ。

 頭のなかはぼうっとして、何も考えられない。

 宵がちらりと視線をやると、深羽の表情は完全に虚ろだった。

 やはり、といった思いだ。

 生ける屍と化した少女を連れ、ビルのエレベーターを降りる。

 そこにあった巨大な扉の前には誰もいなかった。そして、目の前で勝手に開

いた。

 視界が強化ガラス越しの青い液体に覆われる。

 飲み込まれそうになる。

 ぼんやりとした明かりを前に、椅子に座る男の影があった。

 宵たちに感心もなさそうに、グラスを手にしている。

「太陽の光りもないのに、この水は何故、青いのです?」

 彼女は、藻哉の背に声をかけた。

 ゆっくりと横顔が向けられる。

「ああ。ただの可視光線だ。水中の内側をライトにしているだけだよ」

「意外とアナログですね」

「そんなもんだ」

 藻哉は視線を水槽に戻す。

 宵は深羽を連れて彼の隣に来た。

「実験はどうなりました?」

「あと少しだな」

「いつまで?」

「今の今まで。よく来たよ」

 藻哉は微笑んだ。 

 宵も彼も水槽を見つめたままだ。

 グラスを持った手の指先が壁の一部をさした。

「あそこから行ける」

「ありがとうございます」

「礼には及ばん。その代わり最高のモノを観せてくれ」

「それはどうでしょう?」

 首を傾げた宵は、壁までゆくのに深羽の腕を引いてやらねばならなかった。

 少女はそれほどに水槽に魅了されていたようだが、軽く言うがままにされ

る。

 待った甲斐があったというものだ。

 意識が遠のきかけている藻哉は、脇のテーブルから浸透圧注射器を取り、首

筋に打つ。

 脳が一気に冷えるように冴えわたった。

 代わりに鳥肌が立ち、彼は小さく震えた。

 それでも眠気は晴れない。

 視界が靄がかっている。

 隅に蜘蛛が一匹、壁に張り付いているのを発見した。

 待ちすぎたか。

 苦笑するしかなかった。


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