リクナル社では、深夜二時も周ったというのに社員が一人も帰らない異常な
状態になっていた。
社内の各ブロックは分厚い壁で完全に隔離、通路も遮断されているほどだ。
詩衣は執務室で額に眉を寄せつつ、電子タバコを頻繁に吸っていた。
目の前の十枚の浮遊ディスプレイが流れるように文字を送ってくる。
一体、なんという冗談なのか?
苛立ちを溜め息に変えて、煙を吐く。
「冗談もここまで来ると、笑うしかないわね……」
ディスプレイの一つには社ビルのリアルタイム・スケールモデルがあり、各
部署での人々の動きも見えているが、一か所、また一か所と大量の人体の群れ
に潰されて行っていた。
もう、ここまで来るまで十分もないだろう。
「飼い犬に手を噛まれる……ミイラづくりがミイラに食われる……」
詩衣は呟いて自嘲する。
ビル内に人の数がどんどんと増えていく。
その時、執務室の壁が四方から派手な音を鳴らして崩された。
一斉に伸びてきた腕という腕が、詩衣の身体にまとわりつく。
まるで溺れるような感覚に、彼女は藻哉の水槽を思い出していた。
彼は魂を造れたのだろうか。
この、イマジロイドたちの暴走を、どんな思いで眺めているのだろう。
皮膚が破れ、骨が砕かれて、内臓が破裂した。
宵に送り届けてもらった深羽は、アパートに戻った。
そこが、神保という土地の名前の片隅だと、初めて教えてもらったが、深羽
の頭の中はそれどころではなかった。
「祥無、祥無!!! 悠真が!!!」
ドアを開けると同時に、いままで沈黙で我慢していた涙が再び溢れて叫んで
いた。
「……ええ、とても残念ですね」
「どうにかしてくれよ、祥無!」
ベッドに座る彼の足元で、深羽は崩れ落ちた。
服は汚れて髪が乱れたままである。
「彼は人間なのですよ、深羽。肉体は滅びるものです。身体が汚れたままです
よ? シャワーを浴びて着替えて来ましょう?」
「……そんな……仲間だろ? なぁ、俺たち仲間だよな?」
彼女は部屋の壁にかけてあったあるもののを愛で探した。
「元々、彼はイレギュラーです。僕らが燈霞から逃げてきた時に、たまたま出
会っただけの人です」
「……そんな……」
三人で撮った写真が無い。
反射的に祥無に向き直る。
いたっていつも通りの、祥無がいた。
何も変わらずに。
深羽は一気に力が抜けた。
まるで地に足がついていないかのように、バスルームに向かう。
身体を洗い終わるとシャツとハーフパンツの上に白と青のロングバーカーに
着替えた深羽は、そのままドアから出ようとした。
「いそがしいですね、深羽。気を付けてくださいよ?」
深羽に返事はなかった。
道路に出ると、停まっているビートルに気が付いた。
運転席に、ぼんやりとした宵が乗ったままだった。
深羽は助手席に勝手に乗り込む。
「連れて行きたいところがある」
宵は言って、車を出した。
どの方向を進んでいるのか深羽にはわからない。いや、方向はわかるが地名
がまったくわからない。
とにかくビートルは細かい曲がりくねった路地を通り、一件の酒場の駐車場
に止まった。
まるで西部劇にでも出てきそうな店構えだ。
「んー、早かったのかなぁ」
宵は辺りを見渡して呟く。
「まぁ、中に入っておこうか」
言って、彼女は車から降りて深羽を促した。
『だから、全てを滅ぼしてまえば良かったんだ』
『穏便に済ます道ものこっている』
『見ろ、今の状態を。どうして我々がこうなった?』
『我々は我々で生きて行けばいいじゃないか』
『まだそんな呑気なことを言っているのか』
『まだやることがあると言っているんだ』
『その後は?』
『全てが一つになるだろうね』
『我々もか』
『まずは、一件を片付けようではないか』