一人の少女とともに駆けつけた深羽は、その瞬間を目の当たりにしていた。
「……悠真?」
立ち止まり、ぽつりと力なく呟く。
「深羽……」
隣にいたのは、オレンジの髪をした宵だった。
無表情だが、深羽の横顔にやる瞳は心配気だ。。
御堂の足の下の血だまりに、電子タバコた一本落ちていた。
まだ煙が立ち上っている。
少女は、茫然としていたが、やがて激しい怒りを噴き出して、御堂を見上げ
た。
「てめぇ……!!! てめぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
両目が充血したかのように真っ赤になっている。
無邪気で天真爛漫な深羽の凄まじいまでの勢いに、宵は思わず後ずさった。
異様なまでの動態情報の量。
辺りの空気から建物から何から何まで少女から弾きとばされそうなほどだ。
宵ですら、知覚を遮断した。普通の状態で深羽を受け取るには余りに強烈な
負荷がかかり、自己の存在自体が危うい。
「ああああああぁああ?」
だというのに御堂は裂けたような口で嗤ったらしい。
深羽の周りから、明らかに禍々しい空気をまとった存在が、何体も生えだし
てかたちづくってゆく。
天狗になった崇徳上皇。
鎧と大太刀をもった平将門。
憤怒の相をもった聖徳太子。
暗い影を背負った菅原道真。
その他有象無象の怨霊たちが跋扈はじめる。
空は雨とカミナリで荒れ狂い、薄暗い街中は、御堂をはじめとしての異常事
態に逃亡を図る人々が溢れていた。
「空間同列化……?」
宵は意識を燈霞にやるが、反応はない。
冷たいまでに認識していない。
燈霞は、純粋に人間の能力を向上させるために機能している。
眼前の現象は専門外なのだろう。
一方、情報化されている御堂は、強引に、深羽が呼び出した怪異達と同じ存
在に引き下げられている。
自覚があるのか無いのかわからないが。
御堂は、目の前の異形たちに一瞬動きを止めた。
認識したか。
見上げていた宵は、小さく笑んだ。
五メートルほど離れたところで、仁王立ちしながら憤怒の表情で御堂を睨み
つけていた深羽は、吠えた。
「粉みじんにして冥府のクソ虫に変換させろ!!!」
背後に控えていた怨霊らが動く。
御堂の巨体は、崇徳上皇に縛られ、聖徳太子に内部から侵食されつつ、将門
の刀が身体を切り刻み、そこに菅原道真が幾条もの雷に見舞われる。
慄く空と大地の元、御堂の姿は文字道りに灰塵と化した。
残ったのは怨嗟のような呻きだが、それも時間とともに消える。
「……とんでもないことが起こった……」
加賀美神社の小さな社のうらから現れ、池の前で眉間に皺をよせて、深い息
を吐いている少年がいた。
おかっぱ頭にロングTシャツとハーフパンツで、見たところ十四五歳の細く
肌の白い姿をしている。
そのまましばらくしゃがんでいると、青白い空に、三匹のクジラがゆっくり
と姿をあらわした。
どこかもの悲し気な声で空気を震わせながら。
「……ちょっと、あんまり強引なことしないでくれるか、裏璃」
アンシメトリーのボブを軽く掻きながら、タンクトップの紗宮耶が、面倒く
さそうに近寄ってきた。
「原因作っといて、何言ってんのさ?」
さらりと非難ぶった口調で言われて、舌打ちする。
「何も言わないで眺めてた駄目のくせに、よく言うよ」
「そりゃ、僕にはあんたらみたいな力ないから、しょうがないじゃないか」
池の脇に座って見上げつつ、不満そうに口を尖らす。
「嘘つけ、ポンコツにはポンコツなりに力もってんだろうが。せっかくカリブ
でバカンスしようとしてたのに」
「相変らずの勝手ぶりだなぁ」
ラ・モールのクジラたちを多賀見神社まで引き戻したのは、裏璃によるもの
だった。
燈霞の意思によって造られた、純真なイマジロイドの第一号機である。
当然、燈霞にリンクはできるが、存在自体が公認された存在ではない。
燈霞自身が人間に介入するかのようなものを造る訳にはいかないのである。
恐らく、その頃から燈霞は自己欺瞞の葛藤の中にいたのかもしれない。
「で、どうして欲しい?」
「受けた仕事はちゃんとしてから、カリブなり地中海なり行ってよ」
「何の仕事さ?」
裏璃はこれだからと、斜め上に目をやって呆れる。
「……知らないとでも思ってるの? 東久瑠に雇われてんでしょ、あんたら
さ?」
「正確ではないけども、似たようなもんよ。で、何させる気なんだよ?」
「伊瑠コミュニティのヴァリスその他、各コミュニティの神が動作不良を起こ
していてね。完全に燈霞が混乱してるみたい。鎮めてあげてほしい」
紗宮耶はしばらく離璃の目を鋭く見つめた。
やがて、息を吐く。
「……温情のつもりかい? ホント呆れるわ」
裏璃は知らぬ顔をした。
「いいじゃないの。神にラ・モールが取って代われるんだよ?」
「イカレた機械の面倒全部ウチが背負いこむことになるだけだろう?」
「今、一番それができるのは、あんたらしかいない」
「で、押し付けるだけ押し付けた坊やは、山奥で呑気にお昼寝かい?」
「そういう訳にはいかないんだなあ。正直、僕は死にたくないから」
「まだ何かあってのかい」
「御堂のザマぐらい把握してるでしょ?」
舌打ちしただけで、紗宮耶は何も言わなかった。
だからこそ、彼女は逃げたかったのだ。
「自分の命が惜しくなってからのこのこ出てくるとか、ホントに根性腐ってる
ね、離璃」
「あんたが面白半分に御堂を改造しなければ、僕は小屋で呑気にお昼寝してた
よ」
紗宮耶は鼻を鳴らした。
「ハイハイ。じゃあ、拘束を解いてもらいましょうかね。ホント、燈霞の連中
にはまともなのがいない」
「お互い様でしょ。僕はただ、ゆっくりと静かに過ごしていたいだけなんだ」
「極悪人みたいなこと考えて置いて、何をとぼけたことを」
「自分をもっと褒めてやったらどうさ?」
「史上、人様の上に立って成人君主やった偉人とかいう奴は大抵殺されてる
の、知らないとは言わせないよ?」
裏璃は、立ち上がって欠伸をしながら伸びをした。
紗宮耶も無駄な会話を始めている自分に気づき、唾を吐くと、さっさと池の
そばから離れて行った。