悠真の知覚は、アパートの安全圏周辺での騒乱を捕えていた。
伊瑠コミュニティのメンバーと東久瑠のメンバーが本格的な抗争を始めてい
たのだ。
だが、悠真にしてみれば知ったことではない。
グラスを持ったまま、祥無の寝室にノックもせずにドアを開ける。。
少年は、カーテンも閉めない窓からの月と燈霞の明かりを背に、ベッドに座
っていた。
「よう。知りたいことがある」
戸口にもたれた悠真はカラリと氷を鳴らす。
「どうぞ?」
表情は薄暗く見えずらいが、まったく普段通りの祥無だった。
「俺の過去は?」
「知っています」
「何故、俺が自分でわからない?」
「あなたが自らロックしているからですよ。誰のせいでもない」
「へぇ……」
悠真は電子タバコを指に挟んでグラスを傾ける。
珍しく、祥無が悪戯っぽく微笑んで見上げてきた。
「知りたいんですか?」
「……ああ。そうだな」
「でもあの様子だと、まだ本当の覚悟が無いようですけど?」
悠真はそっぽを向き、再び電子タバコを咥える。
「……まぁ、いい。で、今度の騒ぎは何事だ?」
「全ては、多賀見神社の裏璃という方が仕組んでいるようですね」
「あー、あのクソガキか……」
「でも、聞きたいのは、そういうことではないのでしょう?」
「まぁな」
悠真の様子は変わらない。ただ、静かに煙を吐き出しているだけだった。
「なら、一度質問をちゃんとまとめてみて欲しいところですね」
「随分と手厳しいな」
「深羽とあなたに妬いているんで。大事な妹がとられたようで」
祥無は軽く笑ってためらいなく答えた。
「あらまぁ。それはそれは。すまねぇなぁ。てか、おまえにそんな独占欲があ
ったとはね」 悠真は面白げに祥無の顔を覗き見る。
「それより、外が大変らしいです。最大限にどうにかしますが、ここはあな
たの領分のようです」
何の話かと思うと、玄関のドアが数度激しく叩かれて、以降沈黙した。
悠真がいつもの恰好でドアをゆっくりと開けると、血まみれの男が一人、玄
関前にうずくまっていた。
「ああ、悠真さん……。頼む……俺たちじゃどうにもできねぇ、伊瑠の連中が
……」
明らかに東久瑠コミュニティのメンバーであるイマジロイドはそこで息絶え
た。
道路の向こうを眺める。
時々、夜風に派手な怒号が発砲音が流れてきた。
「……あー、これはお義理を返すというよりも、お仕置きだなぁ」
悠真は両手の周りにロジ・ボールを数個浮かべて、煙を吐いた。
細かい路地の各所では、関東を二分する非合法コミュニティのメンバーが死
闘を繰り広げていた。
若い男が息を荒くしながら、曲がり角の塀に背にして、二人の仲間とともに
相手への銃撃の機会をうかがっている。
「……おまえらよぉ、ここをどこだとおもってる?」
街灯の照らす隙間に立つ黒い影があることに、彼らは突然気付いた。
「うっせぇ、それどころじゃねぇんだよ、おっさん!! どっかに引っ込んで
ろ、死にてぇか!?」
男は凄んで低く響かせた。
「湖守から何言われてる? ちょっと仲間全員、ここに集めろよ?」
伊瑠コミュニティ代表の名前を出されて、男はハッとした表情をした。
呑気に立つ男を走査すると、悠真そのものだったのだ。
「てめぇ……!?」
途端に、夜の空気をつんざくような銃声とともに、脇と向こうの角にいたメ
ンバーの二人がバランスを崩して倒れた。
二人とも片脚を吹き飛ばされて、呻きながらアスファルトの血だまりと肉片
の上であがいている。
「はやく呼べよ? ここに悠真がいるぞって言えば済むだけだろう?」
スミス&ウェッソンM500を片手に、電子タバコを咥えた黒いスーツ姿の
悠真は、ニヤニヤとしていた。
同時に、悠真は自身を地上の公的監視装置に五分だけ姿をさらした。
時間が来るとすぐにステルスモードに入る。
男は恐怖か何かで動かず、かといって攻撃してくるわけでもなく、ただ悠真
を睨んでいた。
辺り中の気配が騒ぎ出した。
もはや、伊瑠メンバー対東久瑠といった単純な構図ではない。
個々にもつあらゆる殺気を、悠真は掴んでいた。
それらは、確実にここに集まりつつある。
遠巻きに囲んだ状態で停まっている警察の幾台の車もあった。
両勢力に買収されている彼らには、手が出ないのだ。
「いいねぇ。悠真さん、一世一代の晴れ舞台みたいだなぁ」
低く嗤う。
伊瑠の湖守が東久瑠襲撃を利用して、悠真を狙っているのだ。いや、逆だろ
う。悠真がそれほど大物扱いされているとは思えないが、この際、大物になっ
たのだ。
彼らは、狭い区域で銃撃を始めた。
いたるところに、車が乗り込んできては、銃火の嵐を巻き起こす。
「悠真はどこ行った!? かくまってんじゃねぇぞ、てめぇら!! 潰されて
ぇか!?」
伊瑠コミュニティの幹部の一人が、防弾のBMWにもたれながら、銃を撃っ
ている部下に背を向けながら東久瑠コミュニティメンバーの脳にに公的メッセ
ージを叩きこむ。
「ちんけな悪党丸出しで余裕ぶっこいてるなぁ」
突然に彼の脇から声がした。
反射的にみると、髪をなでつけた黒いスーツの男が、電子タバコを咥えなが
ら、リヴォルバーとロジ・ボールだらけの腕を垂らして立っていた。
「……ゆ、悠真?」
男は唖然としたようだった。
「死にたくなきゃ、おまえらはさっさと引いてもらおうか?」
悠真は銃を持った手を伸ばし、相手の顔面を狙った。
「……よくのこのこと出てきてな」
男は、浮遊ディスプレイを開きつつ、言った。
「ゆうまぁあぁ……」
その顔面が急に歪む。
表情ではない。形が。黒い影のようなものが顔面半分から膨張し、どんどん
大きくなる。
悠真は遠慮なく男の顔面を撃った。
頭部が爆発するようにBMWの車体に飛び散る。
だが、男の身体はだらりとしたまま、倒れなかった。
本体に比べて細いというだけで、十分太い脚のが影から生えて、地上を踏み
しめる。
見上げたそれは、巨大な目玉を持つ、胴の長い多脚の化け物だった。
眼球の下にいきなり避けるように乱杭歯の口が裂けて開き、唾液とともに、
両端が楽し気に吊り上がる。
「探したぞ、ゆうまぁあ……」
悠真は無言で眼球に一弾を放った。
まったく効果も手ごたえもない。
「……クソが……御堂とかいったか。しつこいな、おまえ」
舌打ちし、スミス&ウェッソンをその場に放り投げて二三歩、距離をとる。
といっても、脚の上、五メートルはある巨体からすれば、離れた意味もな
い。
辺りに、わらわらと伊瑠のメンバーが集まってくるのがわかる。
悠真は冷や汗が出ていたが、表面、平静を装って煙でごまかす。
「どいつもこいつも……」
一つだけの眼球が悠真を捕えている。
伊瑠のメンバーは彼がいることに気づいたが、御堂の姿に驚き恐れたため、
近寄れないでいた。
視界にとらえつつ、電脳走査されるのを遮断して、路地を横に走りだした。
できるだけ、アパートとは遠くの方に。
御堂の鳥類のような足が、次々とびなぶるようにそのすぐ背後の地面に着地
する。
伊瑠コミュニティのメンバーも東久瑠のメンバーも、悠真を忘れて御堂に発
砲する。
だが、弾丸はその体を通り抜けて、まったく効果がない。
御堂の方も、彼らにはまったく興味がないかのように、悠真だけを追ってい
た。
そうこうする間に、辺りの空気が怪しくなる。
御堂だけではない。
巨大なくちばしを持った、蝙蝠の羽根を生やした四本足の鳥に似た、これも
五メートルはありそうなモノや、羊の角をと短い白い毛を生やしたタコにしか
見えないモノなどが、ゆっくりと悠真の行く手の前に姿を現した。
「……なんだよコレ……訳が分からねぇよ」
眉間に皺をよせ、息を切らした悠真は歩をゆるめて、最後、立ち止まった。
電子タバコの煙を吐き、目だけは睨むように化け物たちを見上げる。
燈霞を使った検索でも、新たに出てきた怪物の項はない。
「邪魔だぁああああああ」
御堂はいきなり、タコの身体に身体を伸ばして、乱杭歯で?みついた。
肉を噛みちぎられたタコは、四本の触手で御堂に殴りかかる。
しかし、御堂はよろけてたが、その間、眼球は悠真に向けたままだった。
これは殺やられる。
思った瞬間、悠真は御堂に蹴られた。
骨が砕けたかと思うような衝撃とともに身体が高く浮き、容赦なくアスファ
ルトに叩きつけられる。
たったこれだけで、人間の肉体でしかない悠真は気絶寸前だった。
クソ……深羽……祥無……。
……すまない……。
悠真は必死に身体を這わせるように、その場から逃れるようにする。
だが、容赦なく、御堂は悠真を圧倒的な力と大きさの足で踏みつけた。
骨が砕け、肉は潰れ、悠真は破裂するように血だけをアスファルトに飛び散
らせた。