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第14話

 西部劇にでも出てくるような場末のビアホールをまねた、本物ものの場末の

ビアホールだった。

 タバコとすえたような臭いが充満したホールに幾つもある丸テーブルには、

様々な客たちが昼間から酒を飲んで、すでに潰れている者、携帯ゲームにうつ

つを抜かすもの、ギターを引いている者など、様々だ。

 突然、軍靴をならして堂々と入って着たコートを着て、アンシメトリーのシ

ョートボブ、タンクトップにショートパンツ姿の女性は、小柄ながら雰囲気が

客層とまるで違い、視線を集めてた。

 乾いた木の板でできた床を真っすぐカウンターまで来ると、店主は卑猥な笑

みで端の方から寄って来た。

「何飲むよ。奢りにするぜ?」

「ウォッカをロックでね」

 にっこりとして、片目をつむってみせた。

 沙宮耶は、カウンターを背にして、店内を見回す。

 もう、あえて彼女を正面から見ようとする客はいなかった。

 脇に、グラスが置かれて、そのまま店主がそのうなじを眺める。

 片手でグラスを持って一口つけると、ゆっくりもう片方の腕をあげて、客の

なかから一人を指さす。

「君、ちょっとこっちおいでよ?」

 少年だった。

 左側の髪を三つ編みにしている。

 整った容姿をしているくせに、どこか暗い雰囲気をまとっていた。

 目だけ向けて、薄汚れた中年や明らかに家出少女といった相手にポーカーを

していたが、反応はそれだけだ。

 沙宮耶は息をついて、仕方ないとばかりにグラスを持ったまま近づいて行く

と、無断でそばから椅子を持ってきて、横に座った。

「麻深君、話があるの」

「俺にはないね。さっさと帰りな」

「ハートの五とスベードの二を捨てて」

 丁度、ツーペアになる二枚のカードだった。

 麻深はちらりと彼女を見ると、黙って言うとおりにして、新しくデッキから

二枚引いた。

 見事にバラバラのぶたになった。

 沙宮耶は笑った。

 相手の二人も、診せられたカードを見て大笑いして、掛け金をもって別のテ

ーブルに移動していった。

「ひでぇことしやがるじゃねぇかよ?」

 怒ったわけでもなく、わざと憎々しい声をつくった。

「最近、変なことが多いと思わない?」

「このカードとかな、あんたとかな」

 即答だった。

「そう、色々あるよね。もっとあるけど」

 少年は、相手が酔っているわけではなく元々の性格だと入店時の時点で見透

かしていた。

 厄介な相手なので、できるだけ付き合いたくない。

「君、ちょっと代わってくれないかな? 奇喩(きゆ)のほうがいい」

 睨むようにした少年の目の前で、沙宮耶は指を鳴らした。

 とたん、麻深の表情が変わった。

 トロンとした目で、口元に薄ら笑いを浮かべている。

「……あんた何もん? 麻深の意思無視して俺を呼び出すとかさあ?」

 陽気でどこか捨てっぱちな響きのある口調で奇喩は勝手に沙宮耶のグラスを

とる。

 美味そうに、氷を鳴らしながら一口すすった。

「麻深は多重人格。それぐらいは、わかる仕事してるの」

 テーブルに一枚、カードを出す。

 そこには、ローマ字で。ラ・モールと読める文字だけが簡単に書かれている

だけだった。

 手にして頭上にかざした奇喩は、ほぅ、と口にだす。

 カードは紙でもプラスチックでも、ましてや樹でもない。

 触ったことのない感触で、燈霞を使ったスキャンをすると、ラ・モール藻の

文字だけが空中に浮かびあがる。

「……なるほどなるほど。本物らしい」

 まるで苦笑するかのようにして、奇喩はカードをエスニック系の上着のポケ

ットに入れた。

「ポーカーで負けさせちゃって、ごめんねぇ。その代わりと言っちゃなんだけ

ど、良いことしてあげる」

「なんだい?」

 少しも警戒も何もない返事だった。

「トライ・クロス・クスの魅也(みや))を、新しい世界の神にしてあげる」

 一瞬だまり、耐えきれないとばかりに噴き出した奇喩は大声で笑った。

「それ、幾らあんたでもイタいセリフだわー」

「本気だけどね」

「……へぇ」

 自然と、笑い声がしぼんでいった。

 グラスをもう一度傾ける。

「御也かぁ。あいつは難しいんじゃねぇの?」

「適任なんだよねぇ、まさしく」

「いやー、本人嫌がるだろう?」

「ならあなたが説得してよ。どっちにしろ、良い思いができるんだよ?」

 奇喩は皮肉に低く苦笑した。

「……逃げようがないのかぁ。まいったもんだ」

「じゃあ、トライ・クロス・クスを頼んだよ?」

 沙宮耶はグラスをそのままにしたまま、ドアに向かって歩いて行った。

 醒めた半眼で、奇喩はその後ろ姿を眺めていた。

 ふざけてくれたもんだと思いながら。




 ビジョンを眺めている祥無は珍しく無表情だった。

 臨時ニュースが映し出している様子は、都市圏に連なる怪奇な建物群の上を

張って歩くそれを映している。

 夕方の薄闇の中、巨大な目を一つ持つ、鱗状の長い胴体をもった異形の存在

が、細長い軟体生物を思わせる柔らかそうな何本もの脚でビルの上を這うよう

にゆっくりと進む様子だった。

 人々は禍々しさを覚えて遠巻きにするだけで誰も近寄れず、記者も今のとこ

ろどの企業に問いただしても自分のものではないとはっきり謎の存在だと報告

していた。

 不思議なのは、質感も重量感も十分だというのに、建物に崩れり破損してい

る様子が無いところだった。    

「なんだ、怪獣映画みたいだな」

 気楽そうに電子タバコを咥えて、椅子で楽な姿勢をしながら首だけ向けた悠

真が呟いた。

 深羽は、まずらしく一人でおとなしく本を読んでる。

「……ええ、そうですね」

 祥無は簡単に返事しただけだった。

「あとちょっとで飯だなぁ」

「ああ、準備しませんとね」

 祥無はやっと気づいたように、キッチンに向かった。

 ぼんやりと無言でその姿を眺めた悠真の胸元に、浮遊ディスプレイが広がっ

た。

 湖守からの文章だった。

『こちらから一名、逃げた者がいる。おまえのところに向かったらしいが始末

したので安心してくれ』

 これだけの文面だった。

 悠真は鼻を鳴らす。

 わざわざ知らせてくるには理由があるに決まっている。

 これは、湖守一流の宣戦布告だろう。

 ただ、何故この時期になのかわからない。

 祥無にそのままデータを放り投げる。

 彼は料理の手を休めることなく、何の反応もなかった。

 黙っているということは、考える必要が無いということかと、都合よく解釈

する。

 もはや、どうにでもなれという気分である。

「ああ、そのヴィジョンに映っている化け物ですが、ラ・モールと戦った時の

御堂という男が本体ですよ」

 言われた悠真は思わずヴィジョンと祥無に視線を行き来させた。

 あの男だと!?

 驚いている間もなく、再び悠真の目の前に浮遊ディスプレイが広がった。

 見覚えのあるオレンジの髪をした少女だった。

『お久しぶりです。宵です。いよいよ、ニカラが動き出します。ご注意くださ

い』

 それだけで、通信は切れた。

 ニカラ。

 燈霞が恐れる第三勢力。

 浮遊ディスプレイを使って来たというのなら、燈霞の方も覚悟を決めてこそ

こそする必要がなくなったのだろう。

「……どいつもこいつも。こっちゃ、若くもないただの社不な人間だぞ」

 まだ腹部その他の身体は痛いし。

 半ば自棄でわざと煙の輪を吐きだしす。

「いい匂いするな! 飯か?」

 キッチンの方を見て、深羽はいかにも空腹そうに叫んだ。

「ハイハイ、もう少しですよー」

 祥無はニコニコしつつ、答えた。

 何んなんだ、ここだけ異様なぐらいに日常しているのは。

 悠真はやってられなくなり、サイドボードにある安スコッチの瓶を取りに行

った。




 深夜、悠真はテーブルにウィスキー瓶とグラスを置きながら、リビングで鮭

のドキュメンタリーをヴィジョンをただ眺めていた。

 外では化け物たちが大量に出現して大騒ぎらしいが、この家の中はいたって

平和だ。

「……ねれない」

 不機嫌そうな、ぼそりとし声に首を回すと、シャツとショートパンツ姿で、

大きなウサギのぬいぐるみを抱えた深羽が、隅に立っていた。

「あー。ソファでゆっくりしてろよ」

「……うん」

 言われた通りに四人用のソファに寝転がり、やや丸まった姿でぬいぐるみを

抱いくとヴィジョンにうっすらとした目を向ける。

「音楽かけていい?」

「好きにしろよ」

 深羽は、お気に入りのSaluyの曲を流す。 

 あの多賀見神社での一件のせいかなのか、どうなのか、ここのところ爆発的

だった深羽がおとなしめになってきていた。

 祥無は相変らず、何も言わない。

「……なぁ、悠真。おまえって昔どんなだったの?」

 唐突に、深羽が聞いてくる。

「昔?」

 顔もやらずに聞き返す。

 古い記憶をたどろうとした瞬間、悠真は異常な困難に襲われ、つい、ウィス

キーの入ったグラスを一気に飲んだ。

 何だ? 記憶がおぼろげすぎる。        

今まで、正に今のことしか考えてこなかった。

 だが、自分の過去を改めて思い出してみようとするが、混濁にまみれてはっ

きりしない。

 電子タバコの煙を吐き、困惑を誤魔化す。

 徐々に心拍数が上がり、嫌な汗が全身から噴き出す。小刻みに震え出すの

を、必死に我慢して平静をよそおう。

 それは、爆発的な恐怖だった。

 ゆっくりと深羽に気取られないよう、グラスをテーブルに戻すと、不思議そ

うに様子を見ている深羽に、顔を向けないようにした。

「……どんなだっけな……忘れたよ」

 今にも叫びだしたいのを我慢して、掠れたような声をだす。

 何かが、圧倒的な何かが、目の前で自分を粉々にした。

 意識の底からそんなものが脳内を一杯にして、視界すら曇らせる。

 だが、それも一瞬のうちに消え失せた。

 突然に。

 どっと疲れが降りてきて、悠真は天を仰ぐように、首を後ろに反らせた。

 祥無か。

 鼻で笑う。

 あいつ、何か隠してやがるな?

 深く息を吐き、何とか咥えたままだった電子タバコの煙をくゆらせながら、

彼はのんびりとした調子でグラスにウィスキーを注いだ。

「そういう深羽こそ、燈霞じゃどんな生活してたんだ?」

 深羽は口をすぼめて少し拗ねたような表情になった。

「……考えたくない」

 悠真は、グラス越しに軽く笑ってみせた。

「なんだ、一緒だな。俺たち仲間みたいじゃないかよ?」

 深羽はニッコリと微笑んだ。

「仲間だよ。今更何言ってんだ?」

 そして大きくあくびをすると、目を閉じ、小さな寝息を上げ始めた。





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