哉藻はいつも通りにクスリを打ち、ウィスキーでリラックスしていた。
目の前の水槽をぼんやりと眺めていると、後頭部に硬いものが押し付けられ
た。
「……わざわざ、ここまで来たのか?」
彼は呟くと、自然な動作でグラスを片手に取った。
「うっせぇよ。こっちはプロだ、舐めんな」
悠真の声も静かだった。
身体の各所には数発弾丸を喰らっている。感覚遮断を行い、悲鳴を上げてい
るであろう身体を何とか鎮めていた。
「で、おまえは深羽らがほしいのか? イマジロイド集団はそんなに寂しいの
かよ」
哉藻は薄く笑った。
グラスの中身をちびりと傾け、息を吐く。
「あんたんとこのボスはおまえを見捨てたよ」
「……だろうな。やりそうなこった」
「見栄張ってるが死にそうだろう、あんた。何の用だ?」
「手を貸せ」
悠真の言葉に、哉藻は声を上げて一つ笑った。
よほど面白かったようだ。
「何を差し出す? 深羽を持ってくる気か?」
皮肉気に尋ねる。
「……深羽はやんねぇよ。ただ、丸ごと死なれちゃおまえも楽しみがないだろ
う?」
「それはそう。よくわかってるね。けど、伊瑠と戦争はしたくない」
「あんな連中は放って置けばいい。どうせ何もしてこんよ」
哉藻はうなづいた。
「確かにな。わかった、できるだけのことはする」
「なら俺の位置をそちらに常時流す」
「随分と、切羽詰まってるな?」
「元はといえば、おまえらのおかげだよ」
「首突っ込んできたのは、あんただ」
「うっせーな。成り行きだよ」
「その割に、必死だな」
嗤われたが、悠真は冷静だった。
「なら、話はまとまったってことで良いか?」
「家まで送ろうか?」
「いらねぇよ」
悠真はいつの間にか気配を消した。
哉藻は悠真の存在に内心、ぞくりとしていた。まさか、いきなり本部のこの
部屋まで自ら乗り込んでくるとは思わなかった。
おかげで良い刺激になった。
哉藻は愉快でたまらなかった。これだから生きてて楽しいのだ。
悠真はシボレーで高円寺の外れに住んでいる闇医者の元にいた。
陶器の皿に、鉛の塊がまた一つ、体内から取り出される。
「あんたは良い客だよ」
闇医者は喜々として術後に言った。
電子タバコの煙を吐きつつ、悠真は鼻で嗤った。
支払いは全て伊瑠コミュニティにさせているのだ。
痛みは麻酔と感覚遮断のおかげで一切ない。
まったくもって、どうしたものか。
とりあえず、身体は動く。
心配もされまい。
「ああ、その感覚遮断、やめたほうがいいよ。痛いってことは、身体が労われ
って言ってることだろう?」
「知らんよ」
むしろ小馬鹿にするような目で、悠真は煙を吐く。
闇医者は鼻を鳴らしただけだった。
「ちょっと、ひと眠りさせてもらうぜ」
「好きにしていい。別料金だけどな」
闇医者は手術用のくせに汚い部屋から出て行った。
睡眠導入剤で、悠真は意識を強制的に落とす。
一時でも安寧を得ようと。
翌朝、悠真は何食わぬ顔でアパートに戻った。
やけに静かだ。
音楽も聞こえない。
それもそのはず、深羽の姿が見えず、ぽつりと祥無が椅子に座っているだけ
だった。
「……どこ行った、あいつ?」
「ああ、おかえりなさい」
祥無は相変らずの微笑みだった。
ただ、どこか困惑気な様子が見て取れる気がした。
彼から直接、深羽の位置についてのデータが送られてくる。
以前、連れて行ったに気配があった。
やたらとイマジロイドや人間の存在が掴める。
悠真は舌打ちした。
「クソガキめ、どうやってあそこまで!? 大体何してやがる!?」
「ちょっと、頼めませんか?」
祥無に言われるまでもなく、悠真はすぐにドアから外に出ていた。
悠真は高速でシボレーを飛ばしていた。
焦る気持ちはあるが、一体これが何なんだろうという冷静な部分もある。
だが、残りの命も短い。
現に軽いめまいに襲われていた。
腹部の傷のせいかとおもい、身体スキャンを行うと、明らかに燈霞病であ
る。
燈霞は人を蝕む。身体臓器に負担をかけて、じわじわと侵食してくる。
悠真の場合は後先考えず仕事のたび、過剰に使っているので、すでにボロボ
ロである。
それでもまだ時間はある。
シボレーはいつの間にか山麓の村近くまで来ていた。
祭りの時とは違い、民家も少ないおかげで、静かな夜だった。
長い石階段をできるだけ急いで登る。
だんだん、異様な気配を多数感じる。
異様どころではない。かなりの邪悪で憎悪に満ちた意識だ。
「クソガキが……」
息を切らしながら、やっと山の中腹まで来ると、視界が開けて加賀美神社の
前に到着する。
辺りは燈霞のおかげで薄ぼんやりとした青白く照っていた。
再び、クジラを目にした。
短い柴の上には、小さな少女が、多数の倒れたイマジロイドの中に一人、立
っていた。
「深羽!?」
乱れた髪の少女は振り返った。
片目から血の涙を垂らし、驚いた顔をしている。
「……何で来た? まぁいいや。ちょっと待ってろ、悠真。今、てめぇの敵を
皆殺しにしてやっから」
凄まじい笑みを浮かべて、ラ・モールのクジラたちを見上げていた。
とんでもない爆弾を抱えている。
宵という燈霞の人物が言った言葉を思い出した。
とっさに悠真がスキャンした深羽の身体は、かなりの負荷がかかり限界に近
い。
思わず駆け寄った瞬間に、深羽は彼に寄りかかるように脚をもつれさせて傾
いた。
その軽い身体を抱きとめてそっと地面に寝かせる。
ザトウクジラの形をとった空挺船から、人影が下りてきたのだ。
地上に立った男は、以前見た時とは様変わりしていた。
圧倒的な威圧感がなくなり、むしろ存在感が薄く感じられる。
頭からは長く細い触角が四本ほど流れるように生え、筋肉の塊のようだった
身体は細く引き締まっていた。
だというのに、巨大な斬馬刀を軽々と片手で無造作に握っている。
「よぉ、久しぶりじゃん。おまえ、悠真っていうんだな。どっかで殺し屋やっ
てるんだって?」
御堂はニヤニヤとしながら、挑発的な視線を向けてくる。
電子タバコの煙を吐いた悠真は、ため息交じりだ。
いつから、こういう厄介な奴に好かれるようになったのか。
内ポケットからロジ・ボールをそれぞれ十個ほど、両手の周りに散らばらせ
る。
「悪いがねぇ、あんたみたいの対手にしてる暇、無いんだわ。また今度にして
くれない?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。俺はおまえを殺したくてたまんねぇんだ
よ」
「駄々こねるなよ」
電子タバコを咥えたまま、これ見よがしに深羽を両手で抱きかかえようとす
る。
御堂が動いた。
悠真はロジ・ボールから大量の小型地雷を彼の進行方向にばらまく。
爆発が連続するが、御堂の足は止まらない。地雷が反応する以前にすでに前
に出ている程のスピードだった。
すぐに間を詰められ、振り上げた斬馬刀が、悠真を襲う。
深羽をできるだけ優しく放り、左腕に握った鐵鋼製のトンファーで斬撃を足
元に受け流す。
同時にロジ・ロールから拳銃を握り、相手の胸部に至近距離からありったけ
の弾丸を撃ち込むと顎に突き上げるようなハイキックを喰らわせた。
弾丸の衝撃に軽く揺れただけで、胸のなかまで届いたものはなかった。
ただ、ハイキックは御堂をのけぞらせた。
拳銃を捨てて小型の肉厚ナイフを手にすると、脇腹を狙って突き刺そうとす
る。
刃が派手な音をして折れる。
唖然とした。
その腕を斬馬刀の柄で上から払われて、そのまま腰をねじるようにして巨大
な刃の横薙ぎが振るわれる。
とっさにしゃがんで避けて、何度か芝生の上を回転して距離を取った。
9mmのHM弾が効かないとか地雷源をかけぬけるとか、冗談じゃない。
いつの間にか落としていたので、懐から新しい電子タバコを一吸いすると、
悠真は手榴弾を四つほど投げて、深羽の元に走り出した。
御堂は舐めてかかったのだろう。そのまま手榴弾が爆発するに任せた。
だが、中からでてきたのは、シアン化水素だった。
流石の御堂も顔をゆがめて腕を振り払う。
原始的なものとはいえ、猛毒をただの煙に対するよう、ひたすら空気を振り
払っているだけだった。
勝てるわけがない。
深羽から離れてしまったが、御堂は少女に興味がなさそうなのが救いだ。
しかも、御堂の一撃でも喰らえば確実に致命傷になるだろう事は、燈霞をつ
かった計算で重々理解していた。
絶望にかられるものの、それすら一笑に付す。
だいたい、本来真正面からの戦いを好かない悠真である。
とにかく逃げるしかない。
深羽のそばまで駆け寄ると、彼女の意識は戻っていた。
ゆっくりと立ち上がり、御堂を見据える。
「お待ちどう……」
座った目で呟いた深羽と悠真に向かって、御堂が余裕たっぷりに近づいてく
る。
途端に澄んでいた辺りの空気がどす黒さに歪む。
御堂も悠真も、何事かと辺りを見回す。
そこら中で蠢く染みのような影がうずまき、大小の悲鳴や呻き声が響く。雷
鳴のようなものも聞こえる。
燈霞はいつの間にか、真っ赤に染まって不気味に頭上に浮いていた。
「な……なん、だ?」
足を止めた御堂は、怪訝そうに眉をひそめる。
「深羽?」
悠真は、御堂を睨む少女に鬼気迫るものを感じ、思わず名を呼んだ。
ザトウクジラから慌てるように、十数名のイマジロイドが降りてきた。
同じくして、マッコウクジラも向きを変えて、彼らに向かってくる。
異変に、ラ・モールも緊急体制に入ったらしい。
部分部分で影が濃くなってゆき、ゆったりと巨大になってゆく。それは増幅
してゆくとともに、心を蝕むかのような恐怖が湧いてくる。
悠真の電子タバコの先は無意識で小刻みに震えている。
彼は感情を制御しつつ、必死に現象を解析していた。
その点、いやに燈霞の反応が薄い。
まるで活動が止まったかのようだ。
一体なにがおこっている?
必死に集中しないと悠真ですら、すぐにでも恐ろしさに襲われて身動きすら
取れなくなってしまいそうだ。
電子タバコが無意識で地面に落ちた。
心拍数が凄まじい。パニックになるのも限界かと思った時、影たちが急に巨
大化し、御堂に向かって集中した。
御堂の頭上から泥の塊が落ちてきたかのようになり、御堂の姿が埋もれてし
まった。
次には、いきなり、がらりと雰囲気が変わった。
元の澄んだ空気の池の奥にある加賀美神社の風景に戻っていた。
深羽は再び、悠真の身体に倒れかかった。
「……どういうことだ……?」
恐怖も何もかもがかき消えていた。
ただ、御堂の左手の下腕がぽつりと落ちていた。