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ケイオス・ウェイ・バブルソング
ケイオス・ウェイ・バブルソング
谷樹 理
SFSFコレクション
2024年10月02日
公開日
5.8万字
完結済
釘打ち事件と呼ばれる一連の犯行
そして、人のHPS能力を拡大して、燈霞というシステムはサイバー・スペースに変わるフラクタル・スペースというものを造り上げた。
そこから逃げてきた少女と、組織を追われた男の運命。

第1話

 薄暗い裏路地に、凄惨な女性の姿があった。

 フランネルのシャツにスカートはそのままに、腹部を裂かれて内臓が路上に

垂れさがっているのだ。

 両腕は広げた形で手の平に直接太い釘を打ち込まれ、立ったような恰好にな

っている。

 小雨の粒が、彼女の身体は柔らかく弾いていた。

 狭い頭上の空からは、それでも一条の光が差している。

 彼女は誰にも発見されることなく、すでに息絶えていた。

 釘打ち事件と呼ばれる一連の犯行だった。




 悠真(ゆいま)は本部から細い身体を路上にふらりと出した。

 黒いスーツに黒いシャツ、引き締まった痩身の二十九歳。表情はどこかとぼ

けたようなぼんやりとしたものだ。

 日差しが強い空には、巨大な人工衛星が浮かんでいる。

 彼は少々眉をひそめつつ、路肩に停めたシボレーに乗り込んだ。

 シートにおさまると、車のクーラーを入れる。

 スーツの内側に手をいれて、先程、本部の幹部からもらった封筒の中身を確

認した。

 ぱらぱらとめくると十五万円。

 悠真は軽く嘆息した。

 思ったより少なかったのだ。

 今月は何もしていないで小遣いをせびったので、こんなものかもしれない。

 悠真が身を寄せている伊瑠(いる)コミュニティとは、東京の端で勢力を持

つコミュニティだった。

 主な収入源は、ネットワーク人工衛星燈霞(とうか)との違法リンク・チッ

プの製造・販売である。

 伊瑠コミュニティのリンク・チップは高性能で市場を独占しているといって

よかった。

 もう二通の封筒はA4サイズ。

 秘書から二十万握らせてくすねさせたものだ。

 一通の中身に入れているのは、悠真の行動を記録文書。

 もう一通は、湖守(こがみ)という悠真の直接の上司という立場の人間に関

するここ一か月の行動記録である。

 伊瑠コミュニティは珍しく内部統制に厳しく、表面で活動している構成員は

一々動きを把握されている。

 表面上のアリバイ作りのためともいえた。ローカルな紙媒体の方が、信用が

置けるのだ。

 悠真は湖守から立場上、彼の記録は消されていると言われていたが、しっか

りと残っている。

 おかげで、こうして記録を消すハメになっていた。

 大体、悠真は湖守を信じていない。

 彼はコミュニティの表の代表だ。友情と義務感は申し分ない位なのだが、異

様なほどに猜疑心が強い。

 悠真はそれは彼の心の弱さ故かと考えていた。

 彼の記録をチェックしようとした途端、携帯通信機の着信が鳴った。

「悠真、ちょっと本部に顔を出してくれ」

 湖守本人だった。

 封筒をシートの下に隠して、シボレーから出る。

 見上げれば、幾ら都市中心部の外れにあるとはいえ、まるで違法建築の鏡の

ような塔と呼べるコミュニティ本部だ。

 ガラクタが積みあがっているかのような無秩序さがあり、汚れ放題。

 むしろそのおかげで逆に威厳と異様さが滲み出ている。

 悠真は三階の湖守の執務室に入った。

 灰色のスーツに、灰色の髪をなでつけた長身中肉の男が、机のソファにもた

れている。

 四十六歳で悠真より年上だ。

 電子タバコをふかし、眉間に皺を寄せてはいたが、悠真を見ると途端に人懐

っこそうな表情を浮かべる。

「帰るところだったのにすまんな。急用だ」

 出た言葉は簡潔だった。

「やっと仕事か? ようやく俺もまともな飯が食べれるみたいだけどな。いい

加減、給料制にしてくれないか?」

 湖守は軽く笑った。

 悠真をお抱えにするなど、双方にとって不利益しかないことをお互い理解し

ているのだ。

 書類を差し出す。

「住所はそこに書いてある通り。名前は生駒祥無(いこましょうぶ)。東久瑠

(とうくる)コミュニティの者じゃないが、先日接触があった。どこからもっ

てきたのか、燈霞の情報を東久瑠に売るらしい。ウチより金をはずんでくれる

からだそうだ」

「なるほどね。でもよ、これ殺して良い訳?」

 何の感情も無く、悠真は聞く。

 彼は伊瑠コミュニティの消し屋だった。いわゆる暗殺者である。

「捕まえて連れてこい。それだけだ」

 書類には、今、湖守が言った内容と同じことと、加えて数か所の住所、まだ

少年と言っていい容貌の写真、十七歳という年齢が書かれていた。

 悠真はベランダを開けると、ジッポライターで紙の束を燃やした。

 全てはすでに記憶した。

 ただ、こうして燃やしても、裏では伊瑠に記録が残っているだろうことは察

している。今までもそうだったのだ。

 だから一々、湖守の秘書に金を渡さなければならないのだ。

 灰を風に飛ばすと、悠真は振り返った。

「……湖守さんよ。今日の昼は何食べた?」

「あ? 牛丼だよ? どうかしたか?」

「いや。大したもの食べてないなって思ってね」

 記録通りだが、本当かどうか。

「余計なお世話だよ」

 湖守は無邪気な笑みを見せてたが、もう感心がないと言わんばかりに悠真は

背をむける。

「おい、ちょっと待て。飯代だよ」

 サイフを出し、中から十万円の束を五つ抜いて差し出す。

 悠真は黙って受け取ると、さっさと本部から姿を消した。

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