週が明けてまたいつも通り仕事に追われている間に、気づけば木曜日。
今日はオフィスで用事があったので出社している。
「流石に疲労が限界に近くなってきたな……」
デスクで作業を進めながら、俺はため息混じりに独り言を呟く。
こんな時こそ癒しが欲しいな……。
癒しと言えば、土曜日以降フィリスと会っていないな……って何を考えているんだ俺は。
無意識の内に、癒しとフィリスの存在が結びついている。
「やれやれ……」
リモートワーク主体になって以降、オフィスの執務スペースはフリーアドレスとなっており、人がまばらではある。
とは言え変なことを考えて、表情に出ているのを誰かに見られたりでもしたら変に思われるかもしれない。
「……一旦休憩するか」
今は十六時過ぎ。
ここからもう一度気合を入れ直すために一休みしようと思い、俺は執務スペースを出て休憩室に向かった。
閑散とした休憩室の壁際に置かれた自販機でコーヒーを買って、取り出すために手を伸ばしてかがむ。
「お、村上じゃん。久しぶりー」
突然、背後から話しかけられた。
聞き覚えのある女性の声に、俺は振り向く。
宇田一華。新卒時代からの同期入社だ。担当するプロジェクトは違うが俺と同じような立場で、入社当初から交流がある。
「おー、久しぶり」
俺は立ち上がってコーヒーの缶を開けながら、宇田に挨拶する。
「村上がオフィスにいるなんて珍しいね」
「今日はPCの交換があったから出社したんだ。受け取ったら帰っても良かったけど、セットアップした後そのまま作業してた」
「へー、ご苦労さん」
宇田は興味があるのかないのか分からない声だ。
「宇田の方は最近どうなんだ?」
「まあボチボチ? 忙しさのピークは乗り切ったから、今は束の間の楽な時期って感じ」
「それは羨ましいな。心に余裕がありそうだ」
俺はコーヒーを飲みながら相槌を打つ。
「そう。私は余裕があるし、久々に会ったことだし、今夜飲みに行かない?」
宇田がそんな誘いをしてきた。
俺は少し考える。
「……そうだな、行くか」
息抜きにはちょうど良さそうだ。
仕事終わりの夜。
俺は宇田と、オフィス近くの焼き鳥屋に来ている。
「かんぱーい!」
「乾杯」
テーブル席に向かい合って座り、まずは乾杯する。
女性とのサシ飲みか。
まあ、宇田を同期以上の存在として見たことはないけど、ともあれ久々だ。
あれ。
「最近なんでこういう場がなかったんだっけ……あ、そうか」
口にしてすぐ、俺は思い出した。
宇田に新しい彼氏ができたから、向こうから線引きしてのか。
「あー、いきなりその話しちゃうか」
「まあ、一応気にはするだろ。良いのか?」
俺の問いに対し、宇田はビールを一気に飲んでから、大きくため息をついた。
「はー! 今日はその件でお悩み相談もしたかったんだよね……」
「悩みってなんだ? まさか……」
「さすがに分かるか……そ、彼氏と別れた」
宇田は開き直ったような調子で言う。
「でもこの前、婚約したとか言ってなかったか?」
「そうなんだけどさー……聞いてよ! あいつ浮気してたの!」
宇田はジョッキに残ったビールを飲み干してから、ドンと机に置いた。
「あー、なるほどな」
俺は今日、飲みの場に呼ばれた意味を理解した。
「しかも、打ち合わせしてたウェディングプランナーの女が相手って……ふざけてると思わない!?」
「おお、それはなかなかだな」
「中々どころじゃない、最悪だよ……!」
宇田は声を荒げた。
そこから俺は、宇田の彼氏……いや元カレの愚痴を延々と聞かされた。
宇田は男と別れると、いつも愚痴りにくる。
俺は常に独り身だから、話していて安心するらしい。
なんだかどうなんだそれと思いつつも、別に大して嫌でもないので毎回付き合っている。
三十分後。
「あー、全部吐き出したらスッキリした」
宇田は晴々とした顔をしていた。
ひとしきり話して満足したのか、単に酔いが回っただけかは知らない。
「……それは何よりだ」
「あー、どこかで飲み直したい気分になってきた。二軒目……まで行っていたら終電逃しそうだし、コンビニで酒買ってあんたの部屋にでも行こうよ」
宇田がそんなことを言い出した。
俺の部屋で飲み直す。
普通だったら断るところだが、前にも似たようなことはあった。
その時は俺と宇田以外にも何人かいたけど……今回は二人きりか。
「……さすがに俺の部屋で飲み直すのはやめておこう」
そう言う俺に対して、宇田は意外そうに目を瞬かせた。
「ん? なんか怪しいな……さては彼女でもできた?」
「相変わらず独り身だけど」
「まあそうだよね」
宇田は当然だとばかりにうなずいた。
おい。
「あ、でも気になってる相手はいるとか?」
「いや、そんな相手は……」
そこまで言いかけて、ふとフィリスのことが頭をよぎった。
「……やっぱり何かありそうだ?」
「別に、何もないって」
そう。
フィリスとの関係は、宇田が勘繰っているようなものではない。
だけど何故か、他の女性を部屋に入れることが、どこか気になった。
「ふーん……充実してそうでいいな」
宇田はふてくされたように呟いた。
「まあ、そういうことだから」
「分かった。今日はお開きにして、またお互い頑張りましょう」
吹っ切れたような笑顔で、宇田はそう言う。
その夜は、お互い仕事の疲れを労いあってそのまま解散した。