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第8話

 金曜の夜。

 仕事を終えた俺は、まず入浴を済ませて、次に食事の支度をする。

 米はあらかじめ炊いていたので、おかずを作るだけだ。

 一昨日スーパーで買った豚肉を生姜焼きにして、付け合わせにキャベツの千切りとインスタントの味噌汁を用意して完成だ。

 リビングのテーブルに皿を運んだら、食べる前にやることがある。

 ペットのカメへの餌やりだ。 

 俺はリビングの窓際に置かれた水槽の方に向かう。

 アカミミガメとかミドリガメとか言われる品種のこいつの名前は、五右衛門だ。

 なんでそんな名前にしたかは忘れたけど、小学生の頃にホームセンターで親に買ってもらって以来、ずっと飼育している。


「一人暮らしを始める時に実家から連れてきたけど……ワンコインで買えたのに長生きだよなあ」


 水槽に近寄ると、五右衛門は水槽の壁に前脚をバタつかせながら餌を要求してくる。


「こういうのも懐いてるって言うのか……?」


 水槽に亀の餌をばら撒きながら、俺は独り言を呟く。

 本能のままに食糧を求めているだけな気がするけど、まあこれはこれで愛嬌があると思う。

 最近は法律が変わって販売されていなかったり、新たに飼育するのは禁止されているらしい。

 アカミミガメは外来種で長生きなので飼い続けるのに困って逃す人がいるせいで生態系に悪影響があるんだとか、そんな話だ。


 ペットの餌やりを終えた後、自分の食事も済ませた俺は、ゲーム用PCの前に向かった。

 ゲーム用のPCは寝室の方に置いてある。

 趣味部屋も兼ねているので、ここにはオタク系のグッズも多く飾られている。

 その中の一つ、『サンクチュアリ・レジェンズ』の推しキャラである女神フィリスのフィギュアが目に留まった。


「これ、フィリスに見られたらドン引きされるかもな……」


 まあ、寝室に招き入れるようなことはないだろうから、心配する必要もないか。

 俺はそんなことを考えながら、椅子に座ってゲーム用のPCの電源ボタンを押した。

 何をするかと言えばもちろん、最近ハマっているゲームである『サンクチュアリ・レジェンズ』だ。

 PCが起動すると真っ先に『サンクチュアリ・レジェンズ』とゲーマー向けの通話アプリを開いた。

 MMO系のゲームである『サンクチュアリ・レジェンズ』にはギルドがあり、ギルドメンバーとの交流や共闘も大きな要素だ。

 しかし今夜はログインしているギルドメンバーは少なかった。


「社会人中心のギルドだし、何もない日なら仕方ないか……」


 今は金曜日の夜だ。

 『サンクチュアリ・レジェンズ』で何かイベントがある時期でもなければ一緒に狩りに行く予定もなかったので、仕事やプライベートを優先してログインしていない人がほとんどだ。

 二十人いるギルドの中でログインしているのは数名で、その人たちもソロで日課をこなしているか放置している。

 そんなギルメンたちとチャットで軽く挨拶を交わしてから、俺は一人でデイリーミッションなどの日課をこなすことにした。

 が、しばらくプレイしている内に装備集めをしたくなってきたので、ダンジョンを少しだけ周回することにする。



「少しだけ、って思ってたんだけどな……」


 気づけば夢中になっていて、二時間経過していた。

 時刻は午前十二時付近。

 平日や予定のある前日ならそろそろ寝る時間だ。

 そして、明日はフィリスと出かける日。

 早めに起きたいところだけど、何故か眠る気分になれなかった。


「……」


 少しの間、俺は理由を考える。

 もしかして、職場のチームメンバーとの話のせいで、変に意識してしまっているのか?

 俺としてはそんなつもりはないんだけど。

 もしかしたら、他人から見たら下心があるように映っているのかもしれない。


「けどなあ……実際問題、推しにそっくりな女の子が困っている姿を目の当たりにして放っておける奴はいないだろ」


 そこで方っておく判断ができるなら、それはもう推しじゃないと思う。


「……何にせよくだらないな。初恋を知ったばかりの高校生じゃあるまいし」


 実際の俺は残念ながらアラサー独身だ。

 恋愛経験が皆無ってわけでもない。

 ……社会人になってからはずっと独り身だけど。


「あー……虚しくなってきた」


 やるせなさを感じた俺は、さっさと寝たい気分になってきたのでベッドに向かうことにした。




 翌日。

 午前十時を少し過ぎた頃。

 俺はフィリスとの待ち合わせ場所である、マンションのエントランスに立っている。

 予定だと十時集合だったので、俺はその五分前には来ていたが、フィリスの姿はまだ見えない。


 それから十分後。


「お待たせしました……!」


 フィリスがエレベーターの方から慌てた様子でやってきた。


「いや、大丈夫だよ。フィリスの方こそ何か問題があったりした?」

「問題はないんですけど、少し身支度に手間取ってしまって……」

「身支度?」


 フィリスはいつもと同じ、白いワンピース風の服を着ている。

 シンプルだけど安物の服にも見えない、むしろ清楚でお嬢様っぽい雰囲気を感じさせる。

 そんなフィリスだが、今日は髪型が少し違っている。

 普段は長い金髪をそのまま下ろしているが、今日は後ろで束ねていた。

 なるほど、この髪型にするのに手間取っていたのか。


「髪型、いつもと違う感じがしていいね」

「あ、そうですか……?」

「ああ。似合ってると思うよ」

「ありがとうございます……!」


 フィリスは見るからに嬉しそうな明るい表情を浮かべた。

 こういうのはお世辞に対して社交辞令でお礼を言う、なんてことも多いけど、フィリスは本気で喜んでいるように見える。

 昔付き合っていた人に「女性が髪型を変えたら褒めろ」と擦り込まれたからこそ出てきた言葉が、ここまで分かりやすい反応をされるとは思わなかった。

 まあ、お世辞じゃなくて本心からの言葉だから喜んでくれて良かった。

 それにしても、俺なんかに言われたくらいでオーバーリアクションに思えるけど。


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