金曜日。
在宅特有の通勤がないというメリットを活かして始業時間ギリギリに起床し、洗顔と着替えという最低限の身支度を整えたらそのまま業務開始。
まだ重い頭で午前の仕事を乗り切って昼休みを迎えたら軽く食事を済ませて、残り時間は仮眠。
コンディションを整えた状態で午後の仕事を進めていくと、気づけば十七時になっていた。
俺がリーダーを務めているチームでは進捗報告をする日次定例の時間だ。
「それじゃあ順番に報告お願いします」
ウェブ会議ツールを通して顔を合わせる中、俺はチームメンバーに報告を促す。
俺の触手はいわゆるシステムエンジニアだが、最近はプロジェクトマネージャーのような役割が主となっている。
今、俺がリーダーを務めるチームでは、スマホアプリの機能開発に関する中期的なタスクを進行している。
「私の方は問題ありません。既存の仕様で問題点を発見したため修正中ですが、概ね順調です」
最初に報告したのはチームで最年長の男性、佐原さんだ。
最年長と言っても確か三十五歳くらいで、俺とそこまで年齢は離れていない。
寡黙だが仕事を淡々とこなすシステムエンジニアだ。
「俺はまあボチボチです。スケジュール通りに進行中って感じですかね」
次に発言したのは大井くんだ。
二十六歳のデザイナーで、一応年上の上司である俺に対しても明け透けな態度で接してくる。
他人からはチャラいと思われることもあるようだが、なんだかんだで人脈が広いタイプだ。
「わたしの方は……ちょっと苦戦していますが、今週やる分はなんとか退勤までに終わらせます……!」
最後に報告したのはチーム唯一の女性である甘笠さんだ。
新卒二年目のシステムエンジニアで、慣れない仕事に苦戦しながらも頑張っている。
「皆さん報告ありがとうございます。大体問題なさそうかな……他に何か連絡事項や話がある人はいますか?」
一通り進捗を確認した後、俺は再度メンバーに話を振る。
「あ、それなら最近気になってるラーメン屋の話してもいいですか?」
大井くんが陽気な調子でそんなことを言い出した。
「他の人から何かなければ構わないけど……」
俺の言葉に対して佐原さんと甘笠さんから否定の言葉は返ってこなかった。
「それじゃあ、軽く雑談しようか」
業務中に関係ない話を、と思うかもしれないが、チームでの仕事を円滑に進めていく上では、業務連絡以外のコミュニケーションも必要だ。
大井くんはさっそく話し始めた。
「最寄駅の近くに新しく家系ラーメンの店ができたんですけど、そこの評判がかなりいいらしいんですよね」
「へえ。そういう店って、有名店で修業していた人が暖簾分けで出していたりするよね」
「あー、あの店も多分それっす! だからいつも並んでるんすよね。行ってみたいけど、あれに一人で並ぶ気はしなくて……あ、そうだ。村上さん一緒に行きません?」
「興味はあるけど、いつ行くか次第かな」
「明日とかどうです?」
明日は土曜日だ。
普段の俺なら予定がないことが多いが、今回は例外だった。
明日はフィリスと出かける予定がある。
「ごめん。明日は予定があるんだ」
「村上さんが予定……ああ、あの趣味のゲーム関係ですか?」
大井くんが少し考えてから聞いてくる。
「『サンクチュアリ・レジェンズ』のこと?」
「ああ、それっす!」
「村上さんは『サンクチュアリ・レジェンズ』をかなりやり込んでますよね」
主に二人で話していると、甘笠さんが加わってきた。
「まあ、昔からゲームが好きだからね」
「わたしもゲーマーだから『サンクチュアリ・レジェンズ』一緒にやろうって誘っているんですけど、村上さんは全然乗り気じゃないんですよ」
甘笠さんは残念そうな声を出した。
が、俺の方にも事情がある。
「正直な話、リアルの知り合いに垢バレしたくないからね」
「言いたいことは分からなくもないですけど……あれ。あのゲームのイベントなんて、明日ありましたっけ?」
「ここまで話しておいてなんだけど、明日は『サンクチュアリ・レジェンズ』関連の予定ではないんだ」
俺がそう言うと、大井くんが反応を見せた。
「お? なんか匂いますね。もしかして彼女とデートとか」
「え、そうなんですか!? 確か村上さんは彼女いなかったはずじゃ……」
甘笠さんが釣られて反応する。
「いや、別に彼女じゃないよ」
「あれ、女の子と出かけるのは否定しないんすね」
妙に勘が鋭いな。
「そう言えば最近の村上さん、いつもより退勤するのが早いような気がします……!」
甘笠さんも何かに気づいたような顔をする。
「この前、急に午前休取ってたのも無関係じゃなさそうっすよねえ」
急に午前休を取ったって……あの時か。
駅前でフィリスと初めて出会い、目的地まで案内をした。
そう言えば結局、フィリスはなんのために『サンクチュアリ・レジェンズ』展に行きたがっていたんだろう。
家電に対する知識のなさを見る限り、ゲームなんてやったことなさそうだけど。
そこまで考えていて、俺は気づいた。
大井くんや甘笠さんから、ウェブ会議ツールを通して興味深そうな視線が向けられている。 この感じは、素直に話した方が後が楽そうだ。
「実は最近、隣の部屋に引っ越してきた人がいるんだけど……その人が世間知らずというか何と言うか……」
「つまりその隣人といい感じになってるってことっすか?」
大井くんはやはりそっちの方向に話を持っていきたいらしい。
「大井くんが想像してるような関係じゃないよ。ただ、生活していく上で何かと困っているみたいだから、手伝っているだけだ」
「手伝うって例えば?」
「道案内とか、家具家電を代わりに注文したり、使い方を教えたりとか……かな。あとは世間一般の常識……みたいなことを教えたりもしていたら頼られるようになったんだ」
俺の説明を聞くと、甘笠さんは難しそうな顔をした。
「それって……結構面倒というか、大変じゃないですか?」
「言いたいことは分からなくもないけど、不思議とそうは思わないんだよな……」
「村上さんって案外お人好しなんですね……ってちょっと失礼でしたね」
甘笠さんは思ったことを口にしてから申し訳なさそうにした。
「別にいいよ」
「でも、特に負担に思うこともなく隣人の面倒を見るって……やっぱ、その隣人がかわいい女の子だからお近づきになりたいとかじゃないっすか?」
大井くんが名推理とばかりにニヤリと笑う。
「だから、そんな目的みたいなものはないって」
「仮に下心めいたものがあったとしても、何から何まで手伝うのは簡単にできることじゃないですよね」
甘笠さんが感想なのかフォローなのか微妙なことを言う。
「とにかく、明日はその女の子と出かけるってことっすか。羨ましいなあ」
「でも、聞いている限りだと、明日もまた何かお手伝いをするんじゃないですか?」
「ああ、そんなところかな」
俺は甘笠さんの推測を肯定した。
「そうなると楽しいだけじゃなさそうっすねえ。俺は普通にデートしたいけど相手が……あ、そうだ。甘笠さん、明日俺と例のラーメン屋行かない?」
「お断りします」
大井くんが雑に甘笠さんを誘っていたが、軽くあしらわれていた。
「……話がおかしな方向に進んでいるから、この辺で終わりにしようか」
俺はそう言って、会議を打ち切った。
ウェブ会議ツールを終了させながら、俺は先ほどの会話を思い返す。
明日フィリスと出かける件については別に、大井くんや甘笠さんが言うように面倒だとか、負担には思っていない。
どちらかと言えばむしろ……楽しみかもな。