翌々日。
俺はいつも通り自宅のリビングで仕事をしていた。
今日はウェブ会議が多めで忙しかったな。
おかげでもう十八時過ぎなのに、今日やる予定だったタスクに着手できていない。
「期限はまだ先だけど、少し残業してでも進めておいた方がいいだろうな……」
ノートパソコンを前に、俺が集中モードに入ろうとしたその時。
隣の部屋から物音が微かに聞こえてきた。
人が訪ねてくる気配と、大きな荷物を運び込むような重低音。
この前注文した家具や家電がフィリスの部屋に届いたらしい。
一応説明書はあるはずだけど、読むだけでフィリスが家電を使いこなせるようになるかは怪しいな。
「そう言えば、フィリスって常識に疎い割に日本語を読んだり会話をする分には、何も支障がなさそうだよな」
仕事を進めつつ、俺はふとそんな疑問を頭に浮かべる。
両親のどちらかが日本人、みたいな話をしていたし、家族と日本語でコミュニケーションを取っていたのかもしれない。
本当に、フィリスは不思議な存在だ。
しばらく作業をしていると、インターホンが鳴った。
「翔太さんが手配してくださった荷物が届いたのですが、やはり使い方が分からなくて……」
インターホンのモニターを確認した後、玄関に向かって扉を開ける。
訪ねてきたのはフィリスだった。
まあ、隣の部屋から漏れ聞こえてきたドタバタした感じの音から、なんとなく察していた。
「そういうことなら俺が使い方を教えるよ。元々そういう約束だったし」
推しにそっくりな美少女に頼られるのは、悪い気はしないし。
「いつもありがとうございます……!」
「ただ……」
「ただ?」
「まだ仕事が終わってないから、しばらく待ってもらってもいいかな?」
「構いませんが……そういうことでしたら、翔太さんのお部屋で待っていてもいいですか?」
「え、俺の部屋で?」
「はい。だめでしょうか……?」
美少女にそんな物寂しそうな顔をされて、断れるはずがない。
無意識なのか、あえてやっているのか……恐ろしいな。
俺は首を縦に振った。
「分かった。その代わり、大したおもてなしはできないけどね」
俺は扉を大きく広げて、フィリスを招き入れる。
「わあ……ここが翔太さんのお部屋ですか。お招きいただいて嬉しいです!」
アラサー一人暮らしの部屋なんて見て、何がいいんだか。
だけどそんな自虐を口にする気がなくなるくらい、フィリスは嬉しそうに見えた。
「とりあえず、そこのソファーにでも座って待っててくれ。退屈だったら、置いてある本とか読んでもいいから……あ、飲み物とかいる?」
「いえ、お構いなく! 座って待っていますので」
フィリスはそう言うと、案内された通りリビングのソファーに座った。
「じゃあ、俺は仕事に戻るよ」
「はい、頑張ってください!」
一人暮らしの部屋に、関係の深くない若い女性を招き入れる。
学生の頃ならまだしも、社会人になった今となっては、リスクの方が多いような気もする。
今は色々とうるさいご時世だからな。
まあ、だけど。
美少女から応援されるのは、悪い気はしないな。
俺はそんなことを考えながら、仕事用のデスクに戻る。
本音を言えば推しにそっくりな美少女の方を優先したい気持ちもあるけど、俺は所詮しがないサラリーマンなので、仕事を片付けないと給料がもらえない。
とは言え、人を待たせているしあまり長々とやるわけにはいかないな。
俺は目の前の作業に集中することにした。
目の前の作業に没頭したおかげで、今日終わらせる予定だったタスクの進捗はかなり捗った。
「大体終わったな。あとは細かい箇所をチェックして修正すれば……」
一息ついたところで、俺はリビング内に人の気配を感じた。
そう言えば、フィリスが来ているんだったな。
集中し過ぎて忘れかけてきた。
かなり待たせてしまった気がするけど、退屈していないだろうか。
俺は本人に気づかれないよう、こっそりとフィリスに視線を向けてみる。
フィリスは退屈しているどころか、むしろどこか楽しげな様子で、リビングを見回していた。
部屋に置かれたあらゆる物に対して、好奇心を寄せるような目を向けている。
普段から掃除しておいて良かった。
おかげでリビングはいつ人が来ても困らない程度には片付いている。
趣味のグッズやポスターなんかも置いてあるけど、露骨にオタクっぽい物は寝室の方にあるからセーフだ。
例えば、『サンクチュアリ・レジェンズ』に登場する俺の推しキャラクター、女神フィリスのフィギュアとか。
自分にそっくりなキャラクターのフィギュアが俺の寝室にあるのを見たら、フィリスはどんな顔をするだろう。
そんなことを考えていたら、フィリスと目が合った。
「翔太さん、もしかしてお仕事が終わりましたか?」
「まだだけど、もう少しかな」
「そうですか。それは少し……名残惜しいですね」
「名残惜しいって、どうして? 待ち時間が終わるんだから普通は嬉しいだろ?」
「翔太さんがお仕事をする姿は、いつもの優しい姿と一味違って凛々しく見えましたから。もっと見ていたかったんです」
フィリスは無垢な笑顔でそう言った。
「もしかして、仕事中ずっと俺のこと眺めてた?」
「え? あ! い、今のは聞かなかったことにしてください。私、変なことを言ってしまった気がします……」
フィリスは途端に顔を赤くしてかしこまってしまった。
態度だけなら、まるで気になる相手を前にした時みたいに見える。
まあ俺は、女の子のそんな姿を見たからと言って、期待するような年頃は過ぎてしまった。
「……とりあえず、残りの作業を片付けるよ」
「はい……」
気まずさとは少し違う、妙な感覚が互いの間に過ぎる中、俺は作業に戻った。
程なくして、仕事が終わった。
俺は勤怠管理のウェブツールを開いて、退勤ボタンをクリックすると、そのままノートパソコンを閉じた。
「よし、退勤っと」
「あ、今度こそ終わりましたか?」
「ああ。お待たせ」
「いえ。翔太さんこそ、お仕事お疲れ様です」
フィリスは眩い笑顔で俺を労ってくれた。
なんだこの、仕事で蓄積した疲労が一気に吹き飛ぶ感覚は。
「あー……ありがとう?」
「ふふ、どうして翔太さんが私にお礼を言うんですか?」
フィリスは不思議そうに首を傾げた。
「お疲れ様」と言われて、俺は気づいた。
フィリスが何者なのか、とか。
お互いのことをよく知らない女の子を家に上げるのは社会的に危ないのでは、とか。
色々疑問はあるけど。
難しいことは抜きにして、推しにそっくりな美少女から仕事の疲れを労われるのは、なんだかんだで癒される。