二度と会うことはないと思っていた推しにそっくりな女の子と、一週間ぶりに予想外の再会をした。
俺は内心で困惑しつつも、引っ越しの挨拶に来たという彼女を出迎えるために玄関へ向かう。
扉を開けた先に立っていたのは間違いなく、先日ナンパ男から助けた後、道案内をした女の子だった。
「この部屋に住んでる村上翔太です。久しぶり、と言うにしては早く再会したね」
「あ、やっぱり!」
「やっぱり?」
「……じゃなくて、驚きましたー! 先日は助けてくださってありがとうございました。まさか隣人さんだったなんてー」
なんだろう。
驚き方がどこかぎこちなく聞こえるのは気のせいだろうか。
「俺も驚いたよ。隣が最近空室だったのは知っていたけど、まさか君が引っ越してくるなんて」
「君ではなく花咲フィリスです。フィリス、と呼んでください?」
フィリスは優しげな表情で改めて自己紹介してきた。
外見だけでなく名前まで『サンクチュアリ・レジェンズ』のフィリスと同じって、やはり俺の推しキャラと無関係じゃないように思えてくる。
もちろん「あなたはゲームのキャラと同一人物ですか?」なんて確認することはできない。
隣人になって早々、頭がおかしい奴だと思われたくないからな。
「……分かったよ、フィリス」
「はい! よろしくお願いします、翔太さん」
言われた通り名前で呼んだら、フィリスも同じように下の名前で呼んできた。
以前一度会ったことはあるけど、いきなり下の名前ってやけに親しげだな。
フィリスは少なくとも日本人ではなさそうだし、海外だと隣人と接する時はこんな感じなんだろうか。
「この前の『サンクチュアリ・レジェンズ』展はどうだった?」
「おかげさまで中に入ることはできたのですが、私が求めていたものを得ることはできませんでした」
軽く感想を聞いてみたつもりだったが、フィリスは思ったより真面目な顔をしていた。
意外と『サンクチュアリ・レジェンズ』のガチなオタクだったりするんだろうか?
「想像していたほど楽しめなかった?」
「えっと。楽しめなかったという意味ではありませんし、行った価値もあったと思うのですが、残念ながら目的を達成することはできなかったと言いますか……」
何かを明言することを避けているかのような、歯切れの悪い言い回し。
俺に入場料を払ってもらった手前、つまらなかったとは言えないのかもな。
「何にせよ、行けて良かったな。どんな感想を抱いたとしても、実際に行ってみたからこその経験だし」
「はい! その節は本当にありがとうございました。これ、引っ越しの挨拶と先日のお礼です」
フィリスはそう言って、のしの付いたタオルと、封筒を渡してきた。
「わざわざどうも」
「本来ならもっとちゃんとしたお礼をしたいけど、今の私の力ではこれが限界」
「タオルは定番だし日用品だからありがたいけど……こっちは?」
「そちらは先日、入場料と電車賃としていただいた分です」
「そう言えば、貸すだけって言ってたな。返してくれてありがとう」
「いえ、お礼を言うべきなのはこちらの方ですから」
ご丁寧に封筒に入れたお金を用意しておくなんて、フィリスは律儀な性格らしい。
「でも、ある意味納得したよ。あの時お金がなかったのは、引っ越し費用が嵩んでいたからってことか」
「え?」
「あれ、違ったか」
「あ、はい。実はそうなんです」
フィリスは笑顔でうなずいた。
「でも、この時期に引っ越しなんて珍しいな」
「はい。聞いたところ、六月は引っ越しのオフシーズンとのことです。おかげでここの隣の部屋が空いていて幸運でした」
「確かに、ここのマンションは立地と間取りがそこそこ好条件だからね」
「そうなのですね。どんな物件が好条件かは、正直把握していませんでした……」
「あれ? そうなんだ」
俺が暮らしている賃貸マンションは、そこそこコスパがいい。
築年数は十数年ほどだが内装は綺麗で駅近。
風呂トイレ別で独立洗面所ありにしては家賃が割安だ。
てっきりフィリスもそうした条件面に惹かれて物件を選んだと思ったのだが、違うらしい。
「色々と事情があって、物件にこだわっている余裕はありませんでしたから」
「その割には「ここの隣の部屋が空いていて幸運でした」なんて、何かこだわりがありそうな言い方だったけど」
「私がこだわったのは……強いて言うなら、人ですね」
「人?」
どう言う意味だろう。
隣人トラブルは避けたいみたいな話か?
「知らない場所でひとりぼっちよりは、信頼できる人が近くにいると安心できるでしょう?」
「なるほど?」
言っている意味が、余計に分からない。
「私が信頼できるのは、この世界で翔太さんしかいませんから」
「え」
「そういうことなので、隣人として今後ともよろしくお願いしますね?」
フィリスは笑顔でそう言うと、自分の部屋に戻っていった。
置き去りにされる形になっていた俺は、しばらく呆然としていたが、少しして我に返る。
俺の勘違いでなければ。
フィリスは俺がこの部屋に住んでいるから、隣に引っ越してきたような物言いだった。
それってなんだか……重い発言のような。
「まさか、俺のストーカーか何かか?」
玄関扉を閉めた俺は独り言を呟いてから、あることに気づく。
先ほど渡された、この封筒。
もしかして、一応貸したことになっていた金をわざわざ封筒に入れて用意していたのは、俺がここに住んでいると知っていたからじゃないか?
だとしたら少し怖いけど……まあそんな心配をする必要はないか。
残念ながら、俺はストーカーをされるほどモテる男じゃないからな。
「まあ、推しにそっくりな美少女がストーカーならそれも悪くないかもな」
そんなことを考えてしまう俺は、自分で思っている以上に筋金入りのオタクなのかもしれない。