目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
【リボーン・イン・フレイム】 #4

「ほい、ほい、ほいっと」


 マクシームは腰を抜かしたままの赤毛の少年を抱え、激突を始めた炎と氷から離れた。


「少年、怪我とかないよね?」

「あ……うん……」


 瓦礫に座らされた少年は、恐る恐るといったようにマクシームに頷く。マクシームは静かに頷き返すと、すぐに視線を決殺の戦斗領域へと戻した。橙と白は色付きの風となり、熱と凍ての反作用が、かつて人の営みがあった場所を空間ごと削ってゆく。


 マクシームは、顎を擦りながら戦の趨勢を分析する。サイバネ・アイに表示される双方のNEWOネオ、その電波強度は互角。さらに能力相性と格闘能力は、不死鳥に分があるように見える。だが、ステュクスは歴戦の戦士。僅かな隙から、容易く逆転の扉をこじ開けるだろう。


「不死鳥はクラリッサさんを乗っ取っている。そのテの人間性は、素体の能力に影響される。つまり戦闘経験で劣る……これがどう出るかだな」


 マクシームは口の中で呟く。その横で、震える息が漏れた。目だけを向ければ、少年が戦慄きながら戦を見つめていた。


「アレが……クラリッサ姉ちゃんなの……?」


 少年は言った。


「親しかったの?」

「うん……昔から、よく遊んでくれたんだ……」

「そっ……かぁ」


 マクシームは大きく伸びて脱力した。その間も、少年は不死鳥と教会の戦を見ていた。マクシームは尋ねた。


「君、名前は?」

「……ショーン」

「ショーン、よく見ておきなさい。彼女が歩み出した運命、その縮図を。そして忘れちゃいけないよ。その最初の一歩は……恐らく、君たちを守りたいという想いもあっただろうことをね」


 ショーンはぼんやりと頷いた。極限の戦は、花火のように煌めいている。






落ちた不死鳥の首

【リボーン・イン・フレイム】 #4






 ステュクスはブリッジで空を焼き斬るトラース・キックを躱すと、爪先からの蹴り降ろしを横に転がり躱した。不死鳥は地を砕いた蹴りの反作用で跳躍、高みよりステュクスを襲う。ガキッ。不死鳥の首に繋がった鎖が、それを阻んだ。苛立たし気に鎖を、それを掴む巨大な腕を、不死鳥は睨む。


「せいッ!」ステュクスは回転しながら跳ね上がり、不死鳥に逆襲した。自らのNEWOネオが繋いだ鎖を自分自身の体で巻き取り、不死鳥を強制急速的に引き寄せる。不死鳥はその勢いでステュクスに鉤爪を振り下ろすが、爪は鎖を掻き、鋭い火花を散らすのみ。ステュクスはいない。


 彼は不死鳥の頭上にいた。ごきごきと音を立てて体中の関節を嵌めながら回転。不死鳥の両腕を根元から断たんとすべく、両の脚を振り下ろした!「AAAARGH……」脚は肩を中ほどまで抉り、止まった。不死鳥の炎の肉は既に再生し、ステュクスの脚を取り込もうとしていた。


「ぐ……」炎熱に苛まれ、呻くステュクス。当然それだけに留まらず、不死鳥は彼の脚に爪を食い込ませ、握り潰さんとしていた。「せいッ!」ステュクスは大きく仰け反った。逃れる為? 否。彼らの天地は逆転し、不死鳥は頭から石畳に叩き付けられた! 暗黒武術の奥義、フランケンシュタイナーである!


 炎を脳漿の如く撒き散らし、不死鳥は爆散する。ステュクスは数度の前宙からツカハラ跳躍を打ち、着地と同時に残心した。仮にも死なずを名乗るもの、これしきで死ぬ訳はなし。炎は揺らぎ、蠢き、形を成し……「せいッ!」ステュクスはバックキックを放った!


「GRRRR!」不死鳥は唸り、クロス腕で蹴りを防ぐ。ステュクスが見ていた炎の群れが、火の粉に還った。「やはり、その程度のことか」ステュクスはそれを見届けると身を沈め、石畳の隙間を這い来たり、不死鳥となった炎を石ごと散らしながら、爪を振り上げた! 不死鳥はバク転で距離を取る!


 ステュクスは瓦礫と不死鳥自身のバク転を目くらましにしながら、その背後へと回り込んだ。「せいッ!」KRASH! 振り下ろされた拳が不死鳥を打ち、地に打ち付ける。不死鳥はバウンドし、その勢いをサマーソルトキックに転化! ステュクスはサイドステップで辛うじて躱す。その瞬間、視線が交わる。


 視線、そして拳。交錯し、ぶつかり合い、喰らい合う殺意。不死鳥の殺意を支えるものを、ステュクスは測りかねていた。不死鳥の素体となった者は、既に燃え尽きているのか。怒り? 否。悲しみ? 否。虚無感? 否。不死鳥が抱えるものは、どれもが違うように見える。


 ステュクスは、打ち合いの中で不死鳥を睨んだ。当然だ。不死鳥、貴様は生も死も蔑ろにしているのだ、その全てが濁るのも当然だ。ステュクスを満たすのは、張り裂けんばかりの怒りだった。


 ステュクスが生まれ育ったニッポンという世界は、企業による支配体制が敷かれている。その中に、カネで買えないものは何もない。カネさえあれば、死者の命すら買い戻せる。当然ながら庶民が手を出せるような額ではないが、ステュクスは富裕層……ある大企業重役の、一人息子だった。


 そのような者が抱える問題は、多くの場合は似るものだ。即ち、徹底した管理と重圧。セレブ故の地獄。忍ぶ為に被ったペルソナはいつしか癒着し、ステュクスに自らの顔を忘れさせる。彼はそれに適応できなかった。そうして彼は死を選び、その度に命を買い戻される。逃げることすら許されぬまま混濁し、腐食する自我。


『命は限りあるが故に美しい』と言うが、生という地獄から逃げる道を未練がましく残すという無恥を耳当たりの好い言葉で誤魔化すだけの陳腐な言説と、彼自身は気付いていた。だが彼にとって『生きる』ということは、腐れて擦り切れた吊り橋に縋りたくもなる程の地獄でもあった。


 彼が暗黒電脳教会に救いを見出したのは、そんな理由だった。逃げてもよい。ただそれだけで、何と安らかでいられるのだろう。故にステュクスは不死を憎んでいた。生まれ、生き、美しく腐り逝くのが生命のあるべき姿。それは暗い部屋で眠るような安らぎであり、救いであり、地獄からの逃げ道なのだ。


((それを、人の安らぎを奪わせる訳にはゆかぬッ!))ステュクスが不死鳥を跳ね除けて至近距離での応酬を打ち切ると、次の瞬間、地面が凍て砕け、そこから巨大な腕が飛び出して不死鳥を掴んだ!「AAAARGH!?」腕は不死鳥を掴んだまま地に拳を打ち付け、衝撃で強く握り締める!


 しかし拳は震え、指の隙間から漏れる炎。絞められた指は徐々に開き、不死鳥はその姿を垣間見せた。「せいッ!」その瞬間、ステュクスが飛び蹴りを放った! 昇り流星じみた蹴りが不死鳥を弾き飛ばす。不死鳥はそれを防いでいたが、宙高く浮いた!


 ステュクスは慣性を殺すと、高みにある炎を睨んだ。煌々と燃えるそれは何を薪としたものか。否、それはもはやどうでも良いことだ。((残虐に、殺すッ!))ステュクスのNEWOが腕を揮うと鎖が本体を打ち、矢のように撃ち出した!


 不死鳥は覚束ぬ空で構え、熱波を放つ。ステュクスは氷を鎧う。熱と凍てがぶつかり合い、速度と殺意が混ざって弾け、反作用じみた爆発力を生む! その中で両者は激突し……「殺ったりッ!」ステュクスが、絡みついた!


 両足で頭を挟み、再びフランケンシュタイナーの構えか! ステュクスは中空で仰け反ると、再び不死鳥を頭から……否! ステュクスは不死鳥の頭を足で挟んだまま、不死鳥の体を折り曲げるように炎の脚を抱え込んだではないか! これなるは暗黒武術の奥義、ウラカン・ラナ・インベルティダである!


 ステュクスのNEWOが鎖を揮い、上から不死鳥を、ステュクスごと地に向けて打ち下ろした! SMACK! 杭打機じみて発射される二人! 速度から来る風圧とNEWOの力により、不死鳥の炎は凍り付いていた……!「死ね! 不死鳥よ、死ねーッ!」ステュクスが叫んだ、その時だった!「ジャッ!」不死鳥が裂帛!


 次の瞬間、不死鳥の体は伸びていた。そして逆にステュクスを捉え、尻餅を突くように彼の脳天から地に叩き付ける構えだった! 暗黒武術の奥義、パイルドライバー!「何ッ……」ステュクスが目を剥いた。そして……! KRAAAAAASH!


 石畳が下の土ごと砕け、濛々と煙が上がる。熱気と冷気。それはすぐに焼け、溶け、散る。そして薄まる煙に立つ影は一つ。そこにいたのは……!


「ハァーッ……! ハァーッ……!」


 ボロボロの白いローブが、荒々しく肩を上下させていた。ステュクス! 僅かな熱ダメージの他は無傷。無傷であった!


「ほう……! やるな、彼……」


 離れた場所で、マクシームが嘆息する。読者よ、あなたがマクシームに匹敵する動体視力をお持ちであれば、ステュクスが如何にして不死鳥を捻じ伏せたか、目撃することが出来ただろう。


 ステュクスは、不死鳥に抱えられながら思い切り背筋を伸ばした。その力によってバランスが崩れ、不死鳥はステュクスの下敷きとなったのだ。たったそれだけ、とお思いやもしれぬが、思い出して頂きたい。彼らは600km/hを超える速度で落下しており、その最中の攻防である。何たる瞬間的殺害判断能力!


 そしてそれだけの速度と質量がもたらす衝撃は、筆舌に尽くし難い。見よ。炎はもはやぶすぶすと燻るばかりであり、その再生は遅い。不死の底が見えていた。


「ふ、ふふ……」


 ステュクスは不死鳥の頭を掴み、持ち上げた。彼の瞳と声には、僅かの震えがあった。


「危なかった……いや、本当に危なかった。『死』の恐怖を感じたのは久しぶりだ。思わず逃げ出したくなった……貴公はどうだ。ン? 恐怖はあるか。逃げ出したくはあるか?」


 せせら笑うステュクス。その口調に反し、彼には一寸ほどの油断もない。滅せんとする灯の爆発に身を焼かれた愚か者で墓場は常に満席と、彼は知っているのだ。


 ステュクスは、未だ再生不完全な炎を捻り上げる。


「貴公の不死の源は何だ? 人が作ったものである以上、ロジックがある筈だ。理由なきものに、人は耐えられぬからな。言えば、貴公に安息を与えると約束しよう。言わねば、わかるな」

「……」

「せいッ!」


 ステュクスは不死鳥を地に押し付け、疾走を始めた。炎と石がとろけ合い、速度に従って破砕の線を刻む。この戦を眺むる者。マクシームとショーンに向かって! そして速度の先で、ステュクスは不死鳥を投げた!


「うわッ!」


 ラグドールめいて跳ねながら転がり来た不死鳥に、ショーンは叫び声を上げた。すぐ横の瓦礫を砕き止まった不死鳥は、未だ炎のちらつく瞳をショーンに向ける。


「う……ああ」


 呻くショーン。不死鳥には彼のよく知る女性、ナヴィエ・クラリッサの面影が、確かにある。だがその目は、彼の知るものとは全く異なっていた。


「クラリッサ……姉ちゃん」


 ショーンは立ち上がり、よろめきながら不死鳥に近付こうとする。その腕を、マクシームが掴む。


「駄目だ、ショーン」

「え……」

「あれは、君の知るクラリッサさんか?」


 マクシームは問う。ショーンはマクシームを見、不死鳥を見る。不死鳥の瞳は、無感情な炎に揺れていた。


「……クラリッサ、姉ちゃんは」

「……」

「クラリッサ姉ちゃんは、何かね?」


 声はショーンの真後ろからであった。その瞬間にマクシームはショーンの腕を引く。断頭台めいたチョップがそこを通り地を砕いたのは、それとほぼ同時であった。ステュクスは大きく息を吐き、マクシームとショーンを睨んだ。


「少年。そのクラリッサ姉ちゃんの……不死鳥の目は見たかね?」

「……」

「ああ、見ただろうさ。まるで感情を感じられない、生物らしからぬ目だ。しかしご存知かな? 人も獣も、そういう目を向けるのは、興味がないものではないのだ」


 ステュクスは、ローブの下で目を弓なりに歪める。マクシームは、庇うようにショーンを胸に抱いた。ステュクスは、独り言めいて続ける。


「村がこんなになるまで、不死鳥がどこに潜んでいたか……出現地点から考え、恐らくは教会の死体置き場だろう。何故、現れたのがそこだったか? 重要なことは、少しずれている。出現したと考えられる時間の、あの炎だ。偶然にも外回りに出ていなければ、即死していただろうな。それほどの火勢だ、そうする『理由』があったと考えられる」

「ステュクス兄弟。分析と説教は後にしたら?」

「マクシーム兄弟。ならば何故、貴公は止めない? 先に教会の敬虔な信徒を屠った時に見せた無双の格闘を持てば、弱った私を惨殺するなど容易かろうに」


 ステュクスの目が、より強くたわむ。彼はマクシームを見透かしたように嘲笑っていた。


「その理由は、一つだけだ」


 ステュクスは拳を鳴らし、弓めいて大きく引いた。その腕には、爆発しそうな程の力が漲る。誰の目にも明らかな、処刑の構えであった。ステュクスは、未だ再生ならぬ不死鳥へと視線を戻した。


「クラリッサ姉ちゃんッ!」

「馬ッ……」


 マクシームを振り払い、ショーンがその射線へと飛び出した。不死鳥を、クラリッサを庇って。


 ……次の瞬間、彼の胴体は容易く貫かれた。


「……え」


 ショーンの口から、血と共に困惑の音が漏れた。彼を貫いたのは、不死鳥の鉤爪であった。不死鳥の嘴めいて割れた口から、炎の舌が漏れる。不死鳥は逆手の爪を傷口にねじ込み、ショーンの胴体をねじ切った。


 その瞬間、不死鳥の炎が爆発的に火勢を増した。不死鳥を中心として熱の嵐がにわかに沸き立ち、マクシームとステュクスを苛む。それを切り裂くようにステュクスは拳を解き放った。


 不死鳥が拳を払うと、ステュクスの腕は粉々になって砕け散った。彼の腕は、不死鳥に届く前にガラス化していた。


「な……」


 ステュクスの目が、驚愕に見開かれる。そこに、不死鳥が拳を叩き込んだ。


「ジャッ!」

「アバッ」


 ステュクスの表皮と肉はガラス化していた。極限の熱が、そうさせたのだ。


「ジャァァァァッ!」


 不死鳥は連続で拳を叩き込む。ステュクスは、固まりかけた体で笑いながら、それを甘んじて受け入れた。


「ふは、ふはははは……! マクシーム兄弟ッ! 不死鳥は、人の魂を喰らうッ! その魂が純粋である程に力を増すのですッ!」

「……」

「それを確認したかったのでしょう? 我らが祖よ。今、貴公が何をするかは知らなんだ。しかし、道は拓きましたぞ」

「……何故だい?」

「異なことを。私は救われた。暗黒電脳教会によって。それを作ったのは神ではなく、貴公だ。私を救ったのは神ではなく」


 ステュクスの頭が砕けた。胴がヒビ割れ、音を振り絞った。


「教えだ」


 最後に残ったガラス片が砕け、煌めきながら散っていった。光と音は、熱の嵐に飲み込まれていった。


 焦熱の地獄、その中心に座すは不死鳥。彼の者は、より強く燃え上がり、いまだ生き残り相対したる者、マクシーム・ルキーチ・ソコロフを睨む。


「はぁ……」


 マクシームは気だるげに溜息を吐くと、懐から小モノリス状物体を取り出した。星空めいて深く輝く、モバイルWi-Fiルーター。


『カレイドスコープ』


 Wi-Fiルーターが、起動した。



────────────────



 空。眼前に広がる澄み渡った橙を見たクラリッサの脳裏を、そんな単語が過った。自分たちの空は、少し前から黒が混ざったものであった。透明な空は、久しぶりだ。


 身を起こせば、周囲にはガラスの荒野が広がっていた。投げ掛けられる斜陽を乱反射させ、風めいたプリズムの流れを生み出している。そこに、草木の息吹はない。


「起きたか」


 傍らより、声が投げられた。見れば、亜麻色の髪を湛えた少年の生首。暗黒電脳教会主教、ケイト・ザ・フェーニクスその人だった。彼は目を伏せ、捨てられた仔犬めいて消沈していた。


「……すまん。俺のNEWOネオだというのに、抑えることが出来なかった」

「何があった」

「……」

「NEWOの暴走さ」


 横合いから飛んだのは、凛と張り詰めた別の声だった。そちらに目を向けると、ガラスの塊を抱える乳白色の髪の青年が歩み来たっていた。


「あんた、確か牢屋の……マクシーム」


 マクシームは薄く笑うと指を二本立て、軽く振って挨拶とした。そしてゆっくりとガラスに腰を掛ける。


「NEWOの暴走って、何があったんだ。ここはどこだ」

「フランメ村さ」

「……え?」


 改めて、辺りを見回すクラリッサ。光を氾濫させるガラスが一面に広がるばかりで、生命の鼓動は感じられない。


「これが、フランメ村? 嘘言うなよ」

「本当だ」


 保証したのはケイトであった。


「言っただろう。俺たちは〝フェーニクス〟の意思に呑まれ、暴走していた。そして……村を焼き尽くしたのだろう」

「……嘘だろ。だって、全部ガラスになんだぞ。そんなこと……」


 マクシームが、持っていたものをクラリッサの傍らに置いた。炭とガラスが融合したかのように構成されたそれは驚愕と困惑、そして僅かな苦悶の表情を浮かべたような、半身だけの人形めいていた。頭部には、赤い髪の毛が僅かに残っていた。それらに、クラリッサは覚えがあった。


「これ、は……」


 その時、ある光景がフラッシュバックした。自らが手刀を突き入れ、少年の体幹を捩じ切る瞬間。


「……ショーン」

「ああ。助けようと思ったけど……間に合わなかったよ。それに関しては済まないね」

「……」


 違う。クラリッサは静かに首を振る。ショーンを殺したのは、自分なのだ。自分が無残に殺したのだ。自らを失っていたとて、感触は手に、魂に染み付いていた。


 何故、自分はショーンを殺した。不死鳥となったから。何故、自分は不死鳥となった。自分の後悔を精算する為に。選択によって生まれた新たな後悔。何故。何故、自分は斗うことを選んだ!


 ……決まっている。暗黒電脳教会に、その残酷に抗う為だ。奴らがその責を負わないのは、何故だ!


 クラリッサは伏せた目を上げ、ケイトを睨んだ。


「……ケイト。あんなふざけた宗教を立ち上げたのは誰だ。主教なら知ってる筈だろ」

「ああ……」


 言い淀むケイト。マクシームが首を傾げる。


「ちょっと待って。この……生首が、主教?」

「そうだ……」


 訝るマクシームを、ケイト本人がぼんやりと肯定した。彼はしばし躊躇うように視線を逸らすが、やがてマクシームに目を向けた。


「そうだ。、俺が暗黒電脳教会主教だ。どれくらいぶりだったかな、暗黒電脳教会教祖、マクシーム・ルキーチ・ソコロフ」

「……は?」

「はぁ……」


 目を剥いたクラリッサを牽制するように、マクシームは溜息をついた。しかしすぐに何かを言おうとするクラリッサに向き合い、先んじて口を開く。


「そうだ。暗黒電脳教会は、俺が立ち上げたWi-Fi教会だ」

「マクシーム、てめえが……」

「勘違いしないでくれ」


 食って掛かろうとするクラリッサを、マクシームは押し留める。


「本来ウチのドグマなんて、清く正しく楽しく緩くみんなで仲良く過ごしましょう、程度の意味しかないんだぜ? だから教祖が居座るのはよくないと思って、運営が軌道に乗ったら早々に表舞台を退いたんだ」

「…………」

「みんな仲良くなんて綺麗事だッてのはわかってるよ。だからこそ、そっちのがいいじゃない」

「そうならなかったじゃねえかッ! そうならなかったからナジミは、シヌーンは……ショーンはッ村はッ!」

「だから、そのケジメを付ける為に旅をしている。それだけは……納得できなくても、理解はしてもらいたいね」

「どの口が……」

「教会の牢屋に捕らえられて、拷問もされそうになってただろ?」

「…………」

「悪いね。けど、俺にだってプライドくらいはあるんだ」

「……」


 クラリッサは、かつてショーンだったものを、自分に懐いていた少年だったものを見た。教会の行いがどうあれ、これは自分の選択の結果だ。プライドとは、自分で選んだことにこそ生まれるものである。しかし世界が残酷である限り、後悔のない選択などない。ならばこれこそが、自分の背負うべき後悔なのだろうか?


 そしてマクシームの旅こそ、彼が背負う後悔なのだろう。自分に邪魔立てする権利はあるのだろうか。……ありはしない。それだけは、間違いない。なればこそ、自分は何を支えに生きてゆくべきだろうか。この後悔を、自分への復讐を、どう清算すればよいのか。


 思案する中、マクシームが尋ねた。


「これからどうするんだい」

「さあ……考えてないな」


 マクシームはケイトを見る。


「俺はもう、クラリッサについて行くしかないからな……」

「えっ、そうなの?」

「俺は〝フェーニクス〟と強く結び付いている。そして〝フェーニクス〟はお前とも結び付いた。三段論法だ」

「うーん? うーん。そうか? まあ何にしても、あたしだけの命じゃないッてことか……」

「言い方を考えろ」


 呆れるケイトを尻目に、クラリッサは頷いた。


「なら、暗黒電脳教会を潰す。それだけは、続けてみることにするよ。ケイトの後悔をどうにかしないと、あたしもあたしの後悔をどう背負えばいいか、わからないから」

「そっか」


 マクシームは、クラリッサに頷き返した。


「俺はもう少し、ここで調査を続けるよ。教会の思想の変化は、流石に普通じゃないからね。少しでも手掛かりを探したいんだ」

「そうか」

「武運を祈る」


 マクシームは、クラリッサに右手を差し出した。クラリッサはしばし躊躇うが、やがてその手を取る。決して固くはないが、繋がれた縁を、二人は手にした。


 やがて二人は離れた。クラリッサはケイトの首を抱え、南へと脚を向けた。夕陽の朱はいよいよ強さを増し、ガラスの荒野は赤い光を反射して煌めく。真紅のコートを纏った女は、やがて光の中に消えた。











 マクシームはクラリッサらの姿が見えなくなったのを確認すると、懐から携帯端末を取り出した。数度タップするとコール音が響き、しばしの後に玲瓏たる女性の声が聞こえてきた。


『アロー、マクシームさん。どうしたの? 悪いけど、今は表の商売の休憩中だから手短に頼むよ』

「もしもし、ひなたさん。早速だけど、不死鳥を見つけたよ」

『本当!? いいね、最高だ。けど電話してきたってことは、それだけじゃないでしょ?』


 陽と呼んだ女性は、鋭く尋ねる。マクシームは首筋のソケットと携帯端末をケーブルで繋ぎ、サイバネ・アイの機能で隠し撮りしていたケイトの写真が端末に移しながら答えた。


「その通り。早速だけど、不死鳥の持ち主の写真。確認してくれ」

『ふむ』


 マクシームは写真を陽に転送すると、陽が答えるのを待った。すぐに彼女はうげ、と漏らし、大きく溜息をついた。


『……マジ? この子のホッペにあるの〝町田〟の紋章じゃない。しかも色的に罪人だよ』

「うーん、やっぱりそうか」


 マクシームは大きく伸びをした。通話越しに、陽は無言で続きを促していた。


「俺が一番驚いたのは、そこじゃない。彼、暗黒電脳教会主教のケイトを名乗ったんだよ」

『……は?』


 マクシームは、携帯端末のカメラ・ロールを確認する。一ヶ月ほど前の記録には、神経質そうなスーツの青年がVサインをしながら老人の首を掲げる自撮りがあった。


『おかしくない? ケイト主教は先月、私たち〝トウヤ湖条約〟が責任を持って始末した。写真も送ったよね』

「バッチリ」

『じゃあ、さっきの不死鳥は誰?』

「俺に聞かれてもな……ケイト主教の首が若返ったのかな?」

『ケイト主教の髪は黒。若返っても、こんな髪色にはならない。しかも彼、町田とは関わりなかった筈だよ』

「町田……」


 顎を擦るマクシーム。数刻前の邂逅が脳裡を過る。


「そう言えば、町田のヤツと遭遇したよ。教会の戦士に変装していた。コントンと名乗っていたな」

『……それマジ? 写真は?』

「撮れなかったな。その暇がなかった。顔を黒い布でグルグル巻きにしてるヤツだったが。そしてヤツは、町田が不死鳥を手にしたと言っていた」


 端末の向こうから、息を呑む音が聞こえた。


『顔のグルグル巻き……コントンで間違いなさそうだ。こりゃ、本格的に町田とドンパチやらかす覚悟と準備が必要そうだね。OK、マクシームさんは〝トウヤ湖条約〟協力者として、手筈通りに進めておいて』

「暗黒電脳教会の排除と、異世界ニッポン化ジャパンフォーミングの準備・進行……だね」

『イエス。私はもうその世界に行ってる暇なさそうだから、君頼りになる。それと、町田で思い出した』

「コントンに何かアクションするかい?」

『いや、それはいい。それより、そろそろ町田で御前死合が始まる時期だ。テレビ点けるだけで派手な死を見られるお陰か、この時期は〝らせん階段〟の効きが悪い。教会の残虐業務人員補充は困難だから、そのつもりでお願いね』

「御前死合……噂には聞いたことあるケド、そんなにすごいモンなの?」

『町田を挙げた一大イベントだよ。それと近い時期に不死鳥だなんて……何を狙ってやがる、あのウシ面め』

「なら、不死鳥の確保もした方が良くないかい?」

『町田軍に対抗できる戦力が、キミ以外にいないんだよね。確保しても守れないし、それ以前に兵隊が全然足りないの。ヤツらと矛を交えるには、表の顔も総動員して備えなきゃならないんだ』

「アイ、コピー。それじゃ、先の指示に従事する。また何かあったら連絡するよ」


 軽い挨拶の後、通話を切った。携帯端末をしまうと腕を組み、ガラスの荒野を眺める。地平線に沈み行く太陽。プリズムの煌めきは弱まり、消え行こうとしている。


「しかし、キレイだなあ」


 マクシームは満足げに呟く。彼の目は生命なき光の地を写真に収めていた。


 やがて彼はその全てに背を向け、南に向かって歩き始めた。


 最後の残照が消え、夜が訪れた。今宵は新月。闇を照らす光は、ない。






落ちた不死鳥の首

チャプター1『アウェイクニング』

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?