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【リボーン・イン・フレイム】 #2

 煌々と燃える炎は夜の闇を払い、しかし複雑な陰影を瓦礫の街に投げかける。迷宮じみた光と影。それを蹴散らし、馬を走らす者ぞあり。蹄が石畳を蹴る音は荒く、そこにもはや自らを隠そうという意思は見られない。深紅のコートを纏った彼女は槍を携えた手で手綱を握り、逆手にはドレスをしっかと抱えている。


 葦毛の馬は首を振り、死力の走りが既に限界に近いことをクラリッサに教えていた。クラリッサは馬上で苦し気に振り返り、追いすがる者どもを見る。暗黒電脳教会の紋章が刺繍された、赤ローブが二人と白ローブが一人。彼らはその足で、馬を追い遣っていた。


「化物め……なんで馬に着いて来られンだよッ」

「心外ですね。追従しか出来ない、などとは」


 声は、真横からであった。


「えっ」


 赤ローブの一人が並走していた。息の一つも乱さず、血色の口布とフードの間に生まれた闇から、ただ酷薄な視線をクラリッサに向けている。


「……そんな」

「ほあッ!」


 赤ローブが跳躍し、大きく振られる馬の頭に飛び乗った。馬は首の動きを変えない。重さすら感じていないようだ。赤ローブは屈み、クラリッサを覗き込んだ。


「それ」


 赤ローブは、クラリッサの首を示した。まるでテーブルの上にあるスナックを取るような、無造作な動きであった。


「首の、その印。いつ付きました?」

「くそッ」


 クラリッサは槍を突き出すが、それは赤ローブの鼻先で止まった。赤ローブの手が、槍を掴んでいた。


「ほあッ!」

「うわッ!?」


 赤ローブは槍を揮い、あるじである筈のクラリッサを投げ捨てた。クラリッサは受け身も取れずに瓦礫に叩きつけられ、肺から空気が絞られる。


「NEIIIIIIIIGH!」


 残された馬が嘶く。それと同時に赤ローブが、次いで馬の首が高く跳んだ。噴水めいて血を撒き散らしながら、馬は斃れ絶命した。だくだくと血に倦み始めた赤を踏み躙りながら、血でできたような赤ローブが降り立った。


 赤ローブは槍をくるくると回すと、それをクラリッサに渡すかのように投げた。クラリッサは反射的にそれを手にし……その時、既に目の前に赤ローブがいた。


「ほあッ!」

「ぎゃがッ!?」


 赤ローブは槍を右手で押さえながら、炎を纏う左の裏拳をクラリッサの顔面に叩き込んだ。その手がクラリッサの頭を掴み、それと同時に足が払われ、宙に浮いた。クラリッサは咄嗟に槍を地に突き立てようとしたが、赤ローブが早い。火山めいた蹴り上げが、クラリッサの背を打ち、高く打ち上げた。


 宙を舞うクラリッサの目が裏返った。浮揚感に意識が漂い、しかしそれはすぐに固定された。痛みによって。


「あがうッ……」


 右肩を楔が貫いていた。下から飛来したそれに目を向けると、鎖が連なっており、それは襲い来た赤ローブの手元から伸びていた。


 次の瞬間、一気に下に引き戻された。背中から地に……否、赤ローブへと叩きつけられるかの如く。直後襲い来る衝撃に備えることは、この態勢ではできない。クラリッサの心臓を、黒い手が掴んだ。そして……!


 SMAAAASH! 猛牛に突撃されたかのような衝撃を横腹に見舞われ、クラリッサはワイヤーアクションめいて吹き飛ばされた。窓の中に叩き込まれ、クラリッサは無事だった調度を破壊しながら転がる。壁にぶつかり止まると、呼吸もままならぬままに体を起こし、周囲を見る。並ぶのは異世界製のコンピュータ筐体。教会の運営するインターネットカフェらしい。肩の楔は、外れていた。


 壊れた窓と調度を煩わし気に踏みしだきながら、赤ローブが入り込んでくる。共に追い来ていたもう一人の赤ローブと、全く雰囲気の違う白ローブを伴って。


「ステュクス兄弟、確認しました。この女、コントンと繋がりがあるものと」

「わかった。ありがとう、センダー兄弟」


 センダーと呼ばれた赤ローブが白ローブ……ステュクスに言うと、彼はゆっくりと頷いた。歩み出るステュクス。彼は歩みの中で、小さな長方形の紙片を取り出して胸の前に翳していた。訝るように目を細めるクラリッサ。暫らくすると、ステュクスは呆れたように溜息をついて紙片をしまった。


「戦士と言えど、田舎異世界ではこんなものですか。誇り高き戦士の流儀、名刺交換すら知らぬとは」


 ステュクスは名刺と呼んだ紙片をしまった手を、懐から抜いた。その手には、別のものがあった。小さな板状機械物体。モバイルWi-Fiルーターであった。


『ステュクス』


 起動音が鳴った。ステュクスの足元がさざめき、海が凍てるが如く氷が茨となって立ち上がった。それを砕くかのように、黒くヒビ割れた、巨大な半透明の腕が地より出ずる。腕から鎖が伸び、クラリッサの首に繋がった。


「なんだ……コイツはッ!?」

「やはり田舎異世界か。戦士の身でありながらNEWOネオを、最強の人間性を知らんとは」

「……何故、あたしを戦士だと?」

「所作を見ればわかる。貴公は、わからんかね?」


 ステュクスはせせら笑い、さらに歩み寄る。処刑人めいた厳粛な歩みであった。


「センダー兄弟。オナン兄弟。二人は下がっているように」

「独り占めですか? 感心できませんね、支部長ともあろう人が」


 センダーが不満げに漏らす。ステュクスは足を止め剣呑な視線をセンダーに向けたが、すぐにセンダーの肩を、オナンと呼ばれたもう一人が掴んだ。


「……承知致しましたとも。帰投して特別接待の用意をしておきます。その代わり、彼女の拷問には私をアサインしてくださいよ。行きましょう、オナン兄弟」


 センダーは肩を竦めると、オナンと共に背を向け、歩き去って行った。後にはステュクスとクラリッサだけが残る。二人の殺気がようやく自分のわからぬところに行った時、クラリッサは初めて、痛いほどにドレスをきつく掻き抱いていることに気付いた。


 ステュクスはクラリッサに視線を戻し、笑いながら言う。


「フフ……愉快な人たちだろう? オナン兄弟は口を利けぬし、センダー兄弟は、その……少々アレだが。二人とも信仰に篤く敬虔な、教会の誇るべき教徒たちだ」

「ジャッ!」


 クラリッサは懐から短刀を抜き、首に繋がる鎖に叩きつけた。ステュクスの足元より現れた〝それ〟と同じく半透明の鎖は、刃を全く通さなかった。クラリッサは驚愕に目を見開く。ステュクスが残忍に笑う。その直後、巨大な腕が鎖を引いた。


「うわッ!?」


 クラリッサの体が宙に浮いた。先のセンダーとは比較にならぬ力であり、予想し耐えようという備えを全く無に帰すものであった。


((だったらッ!))


 クラリッサは短刀を構え、その勢いでステュクスの首断ちを狙う。が、その瞬間に気付く。肘から先が凍り付き、動かない。そして狼狽した瞬間。


「ごぇぁ……」


 ステュクスの前蹴りが、腹に突き刺さった。速度が生み出した力が体内を掻き乱し、惑乱する。クラリッサは再び吹き飛ばされ、血と吐瀉物を撒き散らしながら転がる。ドレスが腕から離れ、彼女自身の汚れに塗れた。


「やはり、NEWOを見るのは初めてらしい」


 ステュクスはクラリッサに近づき、もはや立ち上がる力もない彼女の頭を踏んだ。


「異能の力、人間性。その中でも最強のものがNEWOだ。全能へと至る階梯。やがて世界をも象る力。Wi-Fiがもたらす奇跡!」


 再び鎖が振り回された! クラリッサは滅殺ハンマーとなり、壁、天井に叩きつけられ、引き回され、傷を抉り刻む! 呻くことすら許されぬ。藻掻くことすら許されぬ。抵抗不能、獄殺必至の大紅蓮! 


「どうだ、不信心者! これがWi-Fiだ! 神の力だ!」


 破壊の軌跡には血の赤が残り、それを煌めく冷気が追う。冷気は血を、大気を凍らせて壁となり、クラリッサは何度となくそれに叩きつけられる。やがて破砕は渦を巻き、それがステュクスの足元に繋がった。クラリッサは戒めより解き放たれ、腕も鎖も氷も消えた。クラリッサはもはや、意識すら千切れかけている。


「骨身に染みたか? 神の力の前に、人は無力だ」

「ざ、けんな……何が、神だ。お前が、やってただろ、ゲホッ」

「私の力は神のものだ。故に全て、神にお返しする。君の命もだ」


 ステュクスは、米俵めいてクラリッサを担ぎ上げた。彼女が落としたドレスに気付き、それも、また。


「美しいドレスだ。近々結婚の予定があったのかな?」

「やめろ……そいつに、触んな……!」

「サイズは少々大きいな。成程、ご友人のものか。大丈夫、また会えるさ。我々の拷問を受けて死ねれば、電波の海でね」

「やめろ! 殺すぞ、あたしの親友に手を出したら殺すッ! 絶対に殺すッ!」

「その前に、君には聞きたいことがある。ドレスは本来着る人に責任を持ってお返ししておくから、安心してほしい」


 ステュクスはクラリッサの頸動脈を、指で押さえた。クラリッサは首を振って逃れることもできず、ただ呻きながら、ゆっくりと意識を闇に手放していった。




────────────────




 グチュ……チャグ、チャグ……クチャ……


 頭の中で響く水音。絞られ滴る意識が鼻先を内側から叩き、クラリッサは目を覚ました。頭の中で何かが蠢いている。自分に何が起きている? 視界に映るのは、ただ真正面にある鉄格子のみ。自分はその中にいるか。周囲を見るべく首を回そうとするが、体が動かない。首から下はアトランダムに痙攣し、口からは喃語めいた音が漏れる。


「あ、やべ。起きちゃった?」


 自分の後ろで、何者かがばつが悪そうに言った。


「あと10分……いや9分57秒だけ大人しくしてて! でないと死んじゃうよ、ホントに!」


 慌てたような声と同時に、水音と蠢きが激しさを増した。その時クラリッサは自分が誰かにもたれており、その彼が何かをしていることに気付いた。何を? 水音。頭の中で蠢くもの。動けない自分。後ろにいる者。……脳を、直接に弄られている。


「あっ……あっ、あっ」

「えい」


 背後の者がクラリッサの頸動脈を押さえた。意識は瞬く間に闇に落ち、揺れる水の中に浮かぶ。だが微睡みは瞬く間に消え、覚醒の世界へと引き上げられた。


「はッ!」

「や。お目覚めだね」


 手錠をかけられたチェスターコートの男が、低い場所で手を振っていた。薄汚れた乳白色の髪。その下から覗くアンバーの瞳が、クラリッサを真っ直ぐに見据えていた。どこまでも透き通ったそれに、クラリッサは反射的に身を退き、吠えた。


「ここはどこだ。あたしに何をしやがった!」

「あーあー、叫ばないで。頭、触ってみて?」

「あぁ……?」


 促されるままに頭を触ると、そこにあった感覚はない。自慢だった栗色の髪もなく、指先にささくれた布の感覚と……プリンめいた、柔らかな振動が伝わってくるだけだった。風の音が、いやに鮮明に聞こえた。


「あれ、これ、あたしの頭……」


 自然と声が漏れる。記憶が蘇る。頭。暗黒電脳教会に囚われた後、頭骨を剥がされ、脳を直接針で弄られたのだ。生きたまま、意識を残したままに自らを操られる恐怖。自分が自分でなくなっていくかのような感覚。


 教会の目的は情報の入手だったようだが、彼らの望む情報は引き出せなかったらしい。その後、なんの処置もせぬままに重点拷問対象として引き渡されたのだ。クラリッサは自らの体を抱え、縮こまって震え始めた。


「う、ああ……」

「うーん。ま、そんな目に遭えば普通そうなるか」

「……ん?」


 クラリッサは震えながらも何かを聞き咎め、マクシームに目を向けた。


「お前……あたしが何されたか、知ってるのか?」

「見れば大体予想つくッてだけだよ。昔、そういうことやってたからね。その時の経験があったから、君の身体機能も回復できたんだよ」

「何者だ、あんた」

「俺はマクシーム・ルキーチ・ソコロフ。休暇で異世界旅行をしてたら、この有様さ。君は?」

「……ナヴィエ・クラリッサ。元、フランメ村の自警団だ」

「自警団! いいねえ、助けた甲斐があった」


 マクシームと名乗った男は快活に笑う。クラリッサは彼の言葉を訝り顔を上げた。マクシームは既に笑いを引っ込め、身を乗り出していた。


「単刀直入に言おう。ここから逃げる為に手を組まないかい?」

「……」


 クラリッサは黙した。予想通りの答えだったこともあるが、それ以上に考えていたのは暗黒電脳教会の戦士たちだ。自警団で培った格闘と自信を全く寄せ付けぬ猛威。生命体としての格の違い。例えここから逃げたとして、いつか、教会は現れるだろう。その教義がある限り。


「……無理だ。あたしには……」


 どう足掻いても越えられぬ現実。それから再び目を背けようとした、その時だった。


「アロルルルル……」


 牢屋の前に半裸の男がいた。マズルガードを股間と口部に取り付け目を布で覆っただけの彼は、四つん這いで廊下を周遊していたようであり、しきりに床に顔を擦り付け、鼻を鳴らしていた。


「アフン! アフッ、ハスッ! ハスッ」

「あっち行けよ。彼女も君らが放り込んだんだろうが」

「ヘッヘッヘッ」


 奇妙な男はマズルガードの中で舌をだらしなく垂らしながら、ゆっくりと四足歩行で立ち去って行った。クラリッサは目を見開き、沈黙しながらそれを見送るしかなかった。


「今のは犬人間。拷問中にうっかり自我を破壊しちゃったヤツを、猟犬として飼ってるんだって」

「趣味悪いな……待てよ、犬? 嗅覚は?」

「もちろんいい。さっき君に唸ったのも、嗅ぎ慣れん臭いだったからだろうさ」


 クラリッサは抱えていた膝を解き、その上に肘を突いた。ステュクスは、ドレスを持ち主に返却すると言っていた。そして犬の嗅覚については、改めて考え直すまでもない。もし犬が自分の臭いを覚えれば、ナジミたちまで容易く辿り着くだろう。だがあの犬は、自分の臭いを覚えていないようだった。つまり教会はまだナジミらに辿り着いていない可能性があり、彼女らを逃がせるのは、自分しかいない。


 クラリッサは、マクシームに向き合った。


「気が変わった。何をすればいい?」

「……何か事情があるんだね。ま、やることは簡単さ」


 マクシームは言葉と同時に、牢屋の外に目を向けた。丁度その時、青ローブ……中級修道戦士が歩き来ていた。戦士は牢の鍵を開け、マクシームの前に立った。


「出たまえ、マクシーム・ルキーチ・ソコロフ。君に行う拷」

「せいハーッ!」

「はうッ」


 マクシームは突如として襲い掛かり、蹴りの一撃で戦士を昏倒させた。そのまま自らに掛けられていた手錠を引き千切ると、クラリッサにも掛けられていたそれを足刀一撃で断った。


「後は、別々の方向に逃げる。OK?」

「あたしの協力いるか?」

「二人逃げれば敵戦力は半分」


 マクシームはクラリッサを立たせると、背中を押して牢の外に出させた。


「俺は右に行くから君は左な。頭、気を付けなよ。補強はしたけど頭骨ないんだからね」

「そんな雑なプランでいいのォ〜ッ?」


 困惑するクラリッサを尻目に、マクシームは赤黒い染みがそこかしこにある石造りの廊下をさっさと走り出し、曲がり角で壁を蹴り跳び姿を消してしまった。


 一人残されたクラリッサは大きく溜息をついた。ぼんやりしている暇はない。犬以外に、ナジミらに迫る手段がないとは限らない。いや、あるに決まっている。


 まず何より把握しなければならないのは時間! 幼馴染らには、昼が刻限と言っている。それより前に逃げているなら構わないが、きっと自分を待っているだろう。クラリッサは顔を上げると、マクシームとは逆の方向に走り出した。


 幸いにも時計はすぐに見つかった。押し入った牢獄当直詰所に、無造作に置かれていたのだ。詰めていた三人の一般修道戦士をたちまち薙ぎ倒すと、信頼と安心の異世界製デジタル表記時計(日付曜日温度計機能付き)を確認する。朝の8時。


「ここが中心の教会聖堂として、村の外れまで走れば30分ッ!」


 確かめるように呟くと、矢のように走り出した。


 さらに廊下を征く時に、ふと気付く。村に立つ教会の聖堂は、いくら大きいとは言え1分走って端まで着かぬ程のものではなかった。しかし既に2分も走り通しだ。加え、窓がひとつもない。ここは聖堂ではないのか? そして窓がないのなら……先刻から吹き続ける風の音は、何だ?


 胸中に浮かんだ問の答えを、クラリッサは唐突に理解した。


「うう……あ……」


 通りがかった部屋の扉が偶然にも開いており、そこから痛感を伴う呻き声が聞こえてきたのである。クラリッサは即時警戒。壁に背を這わせ、部屋の中を覗き込んだ。


 中にいたのは複数の一般修道戦士。そして彼らに苛まれるレジスタンスの一員、スーデニ・チメイ=ショウ! 教会との斗いで死ななかった……否、死ねなかった戦士はここに連行され、無慈悲なる拷問にかけられているのだ! その時、クラリッサは理解した。聞こゆる音は風でなく、くぐもった悲鳴のユニゾンなのだと!


「や……野郎……!」


 食い縛る歯の隙間から、獣じみた唸りが漏れる。しかし心に怒りの薪を焚べる冷めた自分を、クラリッサは自覚していた。自分は一度、彼らを見捨てて逃げようとした。彼らがこうなるのは必定であり、それを一度看過しておきながら、怒る権利はあるのか?


「うるっせえッ!」


 吼えると同時に、クラリッサは跳躍した。


「何奴!」


 修道戦士たちは一斉に反応するが、連続側転の中から繰り出された蹴りで瞬く間に薙ぎ倒された。


「「「グワーッ!」」」


 壁に激突し、気絶する戦士たち。それを捨て置き、クラリッサはショウに駆け寄った。


「ショウ! おい、ショウッ!」

「うう……その声、クラリッサさん……?」


 寝台に拘束された少年には眼球がなく、胸から下は肉が削ぎ落とされ、内臓と骨格が露出していた。傍らには繊維質のものが纏わりつき、赤く染まった爪切りがあった。クラリッサはそれを手で払い除けると、ショウの拘束を解きにかかる。


「スーデニ・チメイ=ショウ、気をしっかり持てッ! 今、解いてやる……」

「いけません、クラリッサさん……僕は、既に致命傷だ……」

「ショウ、諦めんなってのッ!」

「クラリッサさん……」


 引き攣った顔で叫ぶクラリッサに、ショウは静かに言った。その声には、諫めるような響きがあった。


「こんなところで、僕にかかずらってる時間は、ない筈です……クラリッサさんは、僕たちの中で最強だ……斗って、このフランメ村を取り戻さねば、なりません」

「取り戻、さね……ば」


 ショウはゆっくりと頷いた。クラリッサはよろめく。眼前に赤いローブが浮かび上がり、消える。あれと……斗え、と? 頬を雫が伝う。


「さぁ……僕を介錯したら、行ってください。お願いします」


 次の瞬間、ショウの首が足元に転がった。寝台にはチョップが突き刺さっており、クラリッサは、自分がいつチョップを落としたかも覚えていなかった。首を断つ感触だけは、手に残っている。


「無理だ……あたしには……」


 口から漏れる泣き言。少し前までの自分なら、決して自分を許しはしなかっただろう。だが一度、本当の蹂躙を経験してしまえば。死は恐ろしい。


 思考を払うように首を振った。今、それを考える必要はない。まずするべきは、幼馴染たちを村から逃がすことだ。ショウの首を拾い上げ、胴体の近くに安置した。


「悪い。約束はできない」


 そっと呟くと、空洞となった眼窩に手を添えた。ショウの瞼は降りなかった。それもまた、切除されていたのだ。


「……」


 クラリッサは背を向け、走り出した。自分には、彼らにできることは何もない。今の苦しみを終わらせる以外には。せめて、ここを出るまでの間に見つけた者は、それを執行しよう。自己満足とはわかっている。それでも。すぐに別の部屋が見えた。クラリッサは扉を蹴り開け、中に飛び込んだ。


 部屋の中にいたのは赤ローブ……上級修道戦士。そして天井から垂れた鈎に吊るされているのは、幼馴染たちであった。


「おや」


 血のように赤いローブの下から、酷薄な声が響く。センダーだ。彼はゆっくりと振り返り、クラリッサに相対した。


「クラリッサさん、でしたっけ。あなたの順番はまだ先でしたが……待ちきれなかったんですか? いけない人だ」

「……てめえ」

「ふむ?」


 わざとらしく顎を擦るセンダー。ローブの影に浮かぶ瞳を弓なりにしならせ、残酷な光を灯している。クラリッサは知った。教会には、ただ残酷なだけの者もいるのだ。


「てめえ、そいつらは、あたしの幼馴染だ」

「存じておりますとも。だからここにお招きしたんじゃないですか」


 センダーの声は抑揚に乏しい。


「ああ。後から来た彼らを先に拷問してるのは、別にイジワルとかじゃないんですよ。ただその方が色々……合理的かなって」

「ふざけんじゃねえッ!」


 クラリッサは突撃した。間断なく放つ拳。蹴り。乱打を、センダーは何かを測るように唸りながら、いなす。


「……やはり軽いですね。あなたの拳は」


 センダーは容易く拳を掴んだ。クラリッサの目が剥かれる。押すも引くもできない。センダーは、呆れたように溜息をついた。


「ほあッ!」


 クラリッサの前蹴りより早く、センダーは彼女の顔面に肘を入れ、投げた。高く振り上げられ、さながら武器を地に叩き付けるかの如くに強く打ち据えられた彼女は、ボールじみて跳ね上がった。


 血反吐を撒き散らしながら、転がり落ちたクラリッサ。揺れる意識を努めて掴みながら体を起こす。センダーは、ローブの下の顔を手で隠すようにしながら笑っていた。


「うう……」


 その時、吊るされたままのシヌーンが、クラリッサの背後で呻いた。


「シヌーン……!」

「クラリッサ……お前、なのか……?」

「ああ、あたしだ! 待ってろ、今コイツをぶちのめして……」

「うるせえよ……」


 低く絞り出すようなシヌーンの声に、クラリッサは思わず彼を振り仰いだ。


 シヌーンは首から下の全ての皮膚を剥がされ、露出した筋繊維を解されていた。それらの間から見える骨格と内臓が、辛うじて人の形に見せている。引きずり出された血管は隣に吊るされたナジミに接続され、二人の血液を相互混合循環させていた。ナジミは痙攣し、ぜひ、ぜひ、と喉の奥から責め立てるような喘鳴を漏らしていた。


 当のシヌーン、彼の顔にあったのは怒りと拒絶であり、それはクラリッサに向けられていた。


「てめえ……よくもぬけぬけと、ここに来られたモンだな? あ?」

「シヌーン? 何言ってんだよッ」

「うるせえッ! てめえが、てめえのせいでナジミはッ!」

「だから何言ってるかわかんねえってッ!」

「お前が俺たちを教会に売ったんだろうがッ!」

「…………は?」


 絶句するクラリッサ。自分が、幼馴染たちを、教会に……売った? 何を言っている? ひょっとしてこれは、偽物なのか? 自分に彼らを疑わせる為の? それをするメリットは何だ? 縋るようにナジミに目を向ける。その時、クラリッサは初めて、ナジミが纏っているボロ切れが、彼女のウエディングドレスであることに気付いた。


「あ、ぁあ……」

「ウフフフフ……」


 センダーの鬱屈とした嗜虐的な笑いが挟まった。彼はゆっくりとクラリッサに歩み寄り、彼女と肩を組んだ。彼の手が携帯端末をタップし、音声ファイルを再生した。


『待て……三人、知ってる。このドレスの持ち主だ……』


 センダーの携帯端末から聞こえてきたのは、クラリッサの声であった。弱弱しい声で何かを懇願していた。


「……えっ」

『お願いだ……あたしの命だけは助けてくれ……』

「え、いや……あたし、は……」


 よろめくクラリッサから、センダーが離れた。彼は俯き、目を押さえながら肩を震わせていた。


「あたし、は」


 頭を触る。教会が自分にしたこと。頭骨を剥がし、脳を弄って情報を探る。その時に口にした可能性は? シヌーンが睨む。


「反吐が出るぜ。何食わぬ顔で……俺たちの傍にいたヤツが、こんな……クソアマだったなんてよ……!」

「あたしが……あたしが、あんな……」

「死ね! 死ねよ、クズがッ! なんでお前が今まで生きて、ナジミが死んでるんだよッ! ナジミは新しい命も授かってたんだぞッ! お前と違ってッ!」

「うぁ、うぁあ……」


 その瞬間、何かを叫ぼうとしていたシヌーンの顔面に携帯端末が深く突き刺さり、即死した。それを投擲したセンダーは、喉奥を震わせながら言う。


「これだけ純粋な怒りに満ちていれば、もう拷問は要りませんね。Wi-Fiの中で、再び奥さんと出会えるでしょう」

「て……てめえ……」

「クックック……」

「何が……おかしいッ……!」

「フフフ、ハハハハハハ……」


 クラリッサはセンダーに振り返ると、その首を手刀で刎ねに往く。センダーはそれを軽く押さえ、返礼とばかりに裏拳とローキックを見舞ってクラリッサの左肩と左膝を完全に破壊した。


「あぐぁッ」


 頽れるクラリッサに、センダーは追撃を行わなかった。彼は手で顔を覆いながら、血走った目でクラリッサを見下ろすだけだった。暴虐の時を待つ拳は戦慄き、それを抑えるのは彼自身の意志に外ならぬようだった。


「いけない……人が苦しむのを見るのが楽しくて仕方がない。今なら私もWi-Fiに迎え入れられそうだ。思わず死んでしまいたくなる……」

「なら、死ねよ……! 死んじまえよ、クソ野郎どもがッ!」

「我らが死ねば、誰が迷える子羊を誘うと言うのです? その為にたったの二時間でディープフェイク音声まで作り上げられる者が、どこにいると!?」

「……ディープ、フェイク」


 唸るようにクラリッサは呟く。ディープフェイク。偽物。作られたもの。あの音声のことを言っているのか。何の為に? 純粋な怒り。それの中でシヌーンを殺す為に。自分たちの生を、命を踏み躙る為に。それだけの為に!


((クソが))


 胸の内で燃え盛る炎。にわかに勢いづくそれに、くべられる燃料は怒りであった。自分たちが守ってきたものは。自分たちの時間は。全て、暗黒電脳教会の為にあったのではないのだ!


「うおおおおおおッ!」


 そしてクラリッサは立ち上がった。筋肉の力だけで!「ジャッ!」同時に左のトラースキックを放ち、センダーの顎先粉砕殺を狙う! センダーは、この一撃を果たして予想していたものか。首を傾げるようにこれを躱し、蹴り脚を抱え取らんとす!


「ジャッ!」その瞬間クラリッサは体を捻り、爪先から蹴りを落とした!「チッ……」センダーは半身になって死神の鎌めいた円弧から逃れる。ブーツの爪先が石の床に突き刺さり、ヒビを走らせた。浮き上がった石片を払うかのように、クラリッサは水面蹴りを放った!


「ほあッ!」センダーは側転で足刈半径から逃れた。着地と同時にクラリッサに向き直り、しかしその時、クラリッサは既にセンダーに肉薄!「ジャッ!」抉るような拳を、センダーは内側から逸らした。が、クラリッサは即座にパンチ腕でそれを掴んだ!「何ッ!」「ジャッ!」


 クラリッサの肘がセンダーの顔面に突き刺さっていた。掴んでいた腕がセンダーを引いて彼の体勢を崩し、相対速度の衝撃を見舞ったのだ。「グ、ワ……」クラリッサの肘が伸び、センダーの頭を掴んだ。そして次の瞬間、鈍い音が響いた。


 クラリッサはセンダーの腕を掴んでいた手を放し、そちらの肘でセンダーの側頭を打った。頭を掴む手が衝撃の逃げるを許さず、全ての力をセンダーの頭で爆発させた。センダーの体が、ゆっくりと傾いだ。クラリッサは一歩退き、残心した。センダーが、圧倒的暴威が、地に沈む。


 倒れ伏す直前、センダーは地に腕を突き、自らの体を支えた!「ほあッ!」センダーは自らを『発射』させた!「何ッ!?」その速度はクラリッサの想定を遥かに上回っていた! 地を這いながらの水面蹴りに、彼女は対応できない!「うわッ!」「やはり軽いですね。あなたの拳は」


 上体を低く沈めての上段後ろ回し蹴り、メイア・ルーア・ジ・コンパッソが、浮いたクラリッサを捉えた!「グワーッ!」クラリッサは体をくの字に曲げながら吹き飛ぶ!「くッ、そ……」ただちに地に指を突き刺し制動するが、既にセンダーが眼前!「ほあッ!」「あがッ」蹴り上げがクラリッサを起こす!


「ほあッ!」続く突きを、クラリッサは内側から逸らすように防ぐ。「ケンジット・プターカパラとは」しかしパンチ腕が直ちにそれを掴み、クラリッサを引いた。「こう打つんですよ、クラリッサさん」センダーの目が、残虐な光を放った。


 ゴッ。鈍い音が、一度だけした。センダーはクラリッサを掴んでいた腕を放し、そちらの肘で彼女の側頭を打っていた。先まで自由だった手は、一度の肘鉄の後、彼女の頭を押さえていた。センダーが辿った軌跡はクラリッサと全く同一のものだったが、速度、威力共に別の次元にあった。


 脳が揺れた。反応兵器が頭中で爆発したかのような衝撃を受け、それでもクラリッサの脳は崩れなかった。振動衝撃があまりにも膨大かつ精緻だったが故、震えた後に元の形で固定されたのだ。クラリッサは倒れていた。指一本、動かすこともできなかった。


「もしもあなたの拳が怒りに釣り合う重さを持っていれば、あの一撃で私は死んでいたでしょうね」


 センダーは、サッカーの試合を外から分析するかのように淡々と言った。その時、クラリッサは知った。教会の者にとって、命の殺り取りは日常でしかない。その時点で、同じ土台になかったのだ。自分では勝てない理由。


「……なんですか、そのわかったような顔は。勝てないからと言って、それだけで諦めると?」


 苛立たし気に目を細めるセンダー。彼はクラリッサの腕を掴むと指を突き入れ、開く。花が咲くように、赤が溢れ出す。血の流れるままに、自分の中から炎が、くべられた燃料が消えていくようだった。


「ぁがう、ぎ……!」

「怒り。恐怖。諦念。コロコロと感情の入れ替わることだ。一意も専心も無縁、已矣哉、それは拳の軽きも詮無きことです。握り貫くエゴを持たぬのですから。何にせよ……」


 センダーの目は再び開かれるが、そこから嗜虐の色は失われていた。今、彼の目にあるのは、ただ、義務感。


「あ……ぅ……」

「あなたの怒りは濁ってしまった。向かってこなければ、純粋な怒りでWi-Fiに還れたものを。楽には死ねませんよ、あなた」

「ま、待って……やめて、お願い……」


























「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」



────────────────



 闇。眼前に広がるのは、それだけだった。全ての皮膚を剥がれ、筋肉を剥がされ、内臓を開かれ、目を抉られ、舌を裂かれ、首を落とされ、それでも尚、ナヴィエ・クラリッサは眼前の闇とそこに浮かぶ太陽を、ケイト・ザ・フェーニクスと名乗った首を知覚していた。


 暗黒電脳教会主教と自称した彼は、真っ直ぐにクラリッサを見つめている。そこにある感情を読み取ることは、クラリッサにはできなかった。


 何故、あたしを助けた。クラリッサは問うた。


「逆だ。暗黒電脳教会を滅ぼす為、俺に、お前の助けが必要なんだ。助けが要る理由は……見ればわかるだろう」


 あたしも、似たようなモンだろ。


「……この村のような場所が多くにあるのは知っていた。しかし俺は、それを無視し続けた。俺はまだ子供だ。実権は別の大人が握っていた。出来ることなどないと自分に言い聞かせ、あらゆる非道を黙殺し続けた。その結果、奴らの残酷が、俺へと向いた」


 ………………。


「俺にも友と呼べる者がいた。付き人として俺と共に育ったアイツは、俺が唯一何の気兼ねもなく接することができる相手だった。アイツの首が俺の前に晒された時、俺はようやく、もっと早くに残酷に立ち向かうべきだったんだと気付いた」


 …………。


「俺とお前は同じ痛みを背負っている。『後悔』という名の傷だ。だからこそお前に共鳴して繋ぎ留めることも出来たし、お前も……俺の話を聞いてくれている。そうだろう?」


 ……ああ。あたしの選択のせいで、幼馴染たちは惨たらしく死んだ。あたしは、自分を慰めに行くべきじゃ、なかったんだ。


「そうかもな。けどな」


 ……。


「世界が残酷である限り、後悔のない選択などない。後悔は過去を楔として記憶に打ち込み、そこから絶えず血を流させ続ける。その楔を打ち込むのは自分であるが故に、後悔とは自分への憎しみであり、その清算は自分への復讐なんだ。だからこそ、俺たちには自分を慰める機会が必要だ」


 ケイトの前に、一つの炎が浮かんだ。それの核を成すものは、炎のような橙の板状小物体。端の方には小さな液晶表示があり、電池残量を表示していた。燦然と輝く、モバイルWi-Fiルーターだった。


「俺自身に復讐する為、俺はお前を選んだ。この選択にも、いつか後悔が訪れるだろう。このWi-Fiを取り斗うか、取らずに朽ちるか。どちらの後悔を引き受けるかは、お前が選べ」


 それきり、ケイトは口を噤んだ。鋭い視線がクラリッサを刺す。


 選択と後悔。後悔と復讐。クラリッサは、フランメ村最大のワイン農家の出だ。幼少より淑やかな振る舞いを求められ、そうしてきた。だが本当は泥に塗れて遊び、殴り合いの喧嘩でもする方が性に合っていた。そんな自分とどうやって決別して自警団に入ったか、もう切欠は覚えていない。


 だが、いつしかそこでもまた、求められる振る舞いに終始してしまっていた。常に周囲を助け、村を脅かすものに怒り、仲間の傷に悲しむ。それが自分であると、周囲に規定されていた。己を己たらしめるエゴを手放し、それでも強くいられることなどあろうか。自分はただ、自分の為に斗うべきだった。それをしなかったから、全てを失った。


 だが目の前に今、新たな道がある。かつて暗がりに押し込めていた自分を、仮面の下に顔を隠した自分を救い得る道が。復讐ではなく。その為に、自分に問いかけた。ナヴィエ・クラリッサ、お前はどうしたいのだ。


 ……斗いたい。あたしの生きる場所を奪った、暗黒電脳教会を討ち果たしたい!


『フェーニクス』


 心の叫びに呼応するように、モバイルWi-Fiルーターが強く輝き、起動した。


「それでもあたしは、もう後悔したくないよ」

「そうか」


 ケイトは静かに笑った。輝きは炎となり、闇を駆逐した。炎の中に死体の山は溶け、まろがれてゆく。クラリッサもまた、その中の一つとなった。


 炎の中には多くの心があった。いくつかの悲しみと多くの喜び、それらと共にある多くの名前。全ての想いと名前は、暗黒電脳教会の広める残酷の中で潰える。クラリッサはそれら全てが、自分の心に刻み付けられるのを感じた。


「みんな、ごめん。あたしはあたしの為に斗うよ」


 刻まれた痛みは、優しい熱となった。


 やがて、浮かび上がる心は見慣れぬものとなった。星の海に揺蕩う青年、ノリアキ・カトウ。繰り返される戦に疲弊し、絶望の果てに自死した彼は、暗黒電脳教会の主教として生まれ変わった。彼は同い年の少年と友諠を結び、しかし友も、彼自身すらも教会に奪われた。


 怒りと悲しみ。悲しみと憎しみ。憎しみと後悔。後悔と復讐。復讐と怒り。クラリッサは、その全てを心に刻み付けられた。刻まれた心が血を流し、炎の中に滴り落ちる。血が燃料となり、炎は激しさを増した。一つになった全てを残さず燃やし尽くすかのように、クラリッサを苛む。


 否、苛まれるのはクラリッサだけではない。ここに呑まれたその全てが、炎の燃料としてくべられていた。魂を焼き、削ぎ落されて露になった苦しみを燃やしていた。その根底にあるのは、悪意だった。炎は、生きていた! 全てを燃やし尽くさんとして!


「呵呵呵! 呵呵呵呵呵呵呵!」


 汚濁そのものの哄笑が轟く。炎が笑っている。


「〝フェーニクス〟! 貴様、何をする気……」


 ケイトの声が反響し、炎に消えた。


 炎は、ついにクラリッサの意識を貫いた。魂を焼く苦痛が襲い、しかし呻き声すら立てることはできなかった。炎はクラリッサに潜り込み、やがて彼女を焼き尽くした。


────────────────



「何ッ!?」


 突如として死体置き場が爆発し、驚愕と共に振り仰ぐセンダー。彼は、死体以外に何もない筈の場所から立ち上る火柱を見た。天井を突き破り、なお衰えぬ火勢。恐らくは教会の全てをぶち抜いているだろう!


 そして彼は見た。地獄の王が吐く息のような炎の中から、歩み出てくる者を。それは全く同じ炎で象られた肉体を持つ人型であり、猛禽のような鉤爪を備えていた。そしてそれは、ほんの一分前に死体置き場に捨てた女、ナヴィエ・クラリッサの面影を残していた。


「……ふふ、はははは……!」


 センダーは笑い、無慈悲な格闘を構えた。彼は震えていた。それは何の震えか、彼にはわからなかった。それでも彼は吠えた。


「見つけましたよ。まさか、そんなところにいるとは考えなんだぞ……不死鳥ォッ!」

「ジャッ!」


 不死鳥が、弾けるように跳躍した!




(つづく)

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