教室以外でお弁当を食べられるところと考えたら、私にはあそこしか思いつかなかった。
東校舎の屋上だ。
春の陽気でポカポカしている屋上には、ピクニック気分でお弁当を食べに来る生徒がたまにいる。沢田くんがいるかどうかは分からないけど、他に候補が思いつかないから行ってみた。
そこでは三組のカップルがそれぞれ距離を取りつつ昼休みを楽しんでいた。教室ではイチャイチャできないリア充たちの楽園か。
「あーん」
「ぱくっ【ゔっ】」
「美味しい?」
「うん、最高!【って言っておかないとキレるからなー】」
リアルで充実するのもなかなか努力がいるらしい。でも、思い合える相手がいるのはやはり幸せなことだ。真実を口に出さない優しさがここにはある。
桜はとっくに散ったけど、ピンクで甘い空の色。
こんなところに沢田くんはいないか。
そう思った時だった。
【うわああああ、かあちゃんのバカーーー!!!。゚(゚´Д`゚)゚。】
突然の悲劇的な絶叫が、給水タンクの裏から響いてきた。
この声はもしかして。
そっと近づいてみると、タンクを囲む金網の向こうに、爽やかに揺れる黒髪の後ろ頭があった。
【ひどいよ、ひどいよーっ! いくら忙しかったからってこれはないだろー!! 今は戦時中ですか? いいえ、令和です。令和にこの弁当はあり得ないだろ! 息子の栄養バランスなんだと思ってんだーーー!!】
このテンションは間違いない。沢田くんだ。
いったいどんなお弁当なのか。我慢できずに「沢田くん!」と声をかけると、沢田くんの背中が石のように固まった。
子犬のように濡れた瞳が振り返る。
その手元の弁当の中身は、白米の中心に梅干し一個──いわゆる日の丸弁当というものだった。
えっ、うそ。おかず梅干しだけ?
さすが沢田くんのお母さん、トンガってるな!!
「あ……【あわわわわ……まさか……佐藤さんに見られた⁉︎ いいや、これは夢だ! お前はまだ布団の中にいるんだよ、沢田空ーっ! 起きなくていいぞ、永遠に寝てろーっ!! 起きたら死ぬぞ、社会的に!!!】」
あ……。見てはいけないものを見てしまったのだろうか、私。
「ご、ごめんね。急に話しかけて。えーと……美味しそうなお弁当だね」
【佐藤さんに弁当見られた。俺、オワタ。_(┐「ε:)_チーン】
しまった。追い討ちかけた。
【佐藤さん、違うんだよ! いつもはこんなんじゃないんだよ、今日だけたまたまなんだよーっ! って言ったところでもう「m9(^Д^)プギャー」は免れない……。それならいっそ、「これが俺の通常運転ですが何か? (๑• ̀д•́ )✧ドヤッ 」くらいの見栄を張った方が男らしい。よし、それで行こう。言ったれ、俺!】
沢田くんはキリッとした顔で私を見つめる。
「こ……【これが俺の通常運転ですが何か? (๑• ̀д•́ )✧ドヤッ 】こ……【これが俺の通常運転ですが何かっ⁉︎ (๑• ̀д•́ )✧ドヤッ……。……は、はあ、はあ、だ、だめだ、ビビっちまって声が出ない……!!((((;゚Д゚))))))) 】」
……もう。ヒヨコなんだから。たかが同級生に日の丸弁当を見られたくらいで声も出なくなっている沢田くんがおかしくて、私はつい笑い出しそうになってしまう。
深呼吸して、笑顔を作って、私は言う。
「お弁当見ちゃってごめん。おわびに、私のも見せるね」
私は胸に抱えていたお弁当箱の蓋を開けた。沢田くんがやや驚いたように目を開く。
「うち、同居してるおばあちゃんがいつも気合い入れて煮物系ばっかりたくさん作るの。もし良かったら、沢田くん、少し食べてくれない? 甘じょっぱくて食べ飽きちゃってたんだけど、残したらおばあちゃんに悪いから……。あっ、筑前煮、好き?」
【好き───────っ!!!。゚(゚´ω`゚)゚。】
沢田くんは恥ずかしそうに目をそらし、小さくうなずいた。
ドキッと胸が弾む。
……馬鹿だな、もう。
沢田くんが好きなのは、筑前煮だよ。私じゃないよ。勘違いするんじゃないよ。
自分に言い聞かせながら、私は沢田くんの隣に座った。
【ああ〜〜美味しい! 佐藤さんちの筑前煮、最高に美味しい! ごはんが進む!! 梅干しの300倍、ごはんが進むーーっ!】
綺麗な箸の持ち方で、スマートに私のお弁当箱からタケノコを取り出して口に運び、無言でもぐもぐ食べる沢田くん。見ていると、なんだか胸がいっぱいになってきちゃう。
「好きなだけ食べてね、沢田くん」
「あ……うん【ありがとう、佐藤さん!! あと、金剛力士像じゃないのにいつもあ、うんでごめんね!!】」
幸せだなあ。
もしかしたら私、この屋上にいる誰よりも幸せじゃない?
それはきっと、沢田くんの心が誰よりも清らかなせいだ。
隣にいると、気持ちがいい。
沢田くんと一緒だと、どこまでも優しい人になれそうな気がする……。
言っちゃっていいかな。
私は美味しそうにご飯を食べる沢田くんを見ながら思う。
もし良かったら、これからも一緒にお弁当食べない?
……なーんて、やっぱり言えない。彼女でもないのに、おこがましいよね。
【優しい人だな、佐藤さん】
沢田くんの心の声が、風に乗って綿毛のようにふわふわと私に届く。
【消しゴムの時もそうだったけど、よく気がついてくれて、嫌味とか全然ないし……こんないい人、初めて】
やばい。耳が赤くなりそう。
【これからも……佐藤さんと一緒にお弁当食べられたらいいのに】
私は思わず沢田くんの横顔を見た。
彼の真っ直ぐな瞳は、空に向けられている。
ドッドッドッドッとやけにうるさい音が聞こえると思ったら、私の心臓の音だった。
どうしよう。勇気を出して……言っちゃう⁉︎
沢田くんとお弁当、ずっと一緒に食べたいよって。
本当に、言っちゃう⁉︎
スカートの上に置いた手を握りしめて、「あの……」と言いかけた時だ。
【あっ! 俺いま調子に乗った⁉︎ バカバカバカバカ、佐藤さんが俺みたいなネクラと一緒にごはんなんて食べたいと思うわけないだろーっ! この身の程知らずのバカチンがーっ!!!】
沢田くんは急に私の方にキリッとした顔を向けて、ペコッと小さく頭を下げた。
【ありがとう、佐藤さん……素敵な時間を過ごさせてもらいましたよ】
いえいえ、と私も頭を下げると、沢田くんはその間にそそくさと弁当箱に蓋をして、脱兎のごとく屋上を出ていってしまった。
しばらく呆然とそれを見送った後、私は青い空に向かってため息をついた。
「あーあ……勇気、もっと早く出せば良かった」
また明日、誘ってみようかな?
うーん……やっぱり私みたいな地味キャラが沢田くんを誘うとか。身の程知らずもいいところだよね。
いつの間にか沢田くんと同じことを考えていることに気づいて、私は頬を緩めた。
私と沢田くんって、実は似たもの同士なのかもしれない。