結局、沢田くんが私とちゃんと会話をしたのは、「_(┐「ε:)_ズコー」から一週間も経った頃──つまり、今日のことだった。
【あっ】
一時間目の数学が始まる直前、筆箱を出した沢田君の方から大きめの独り言が聞こえたので、私は思わず彼を見た。
【ヤバい。どうしよう。消しゴムがない……!】
彼が焦るのも無理はない。
これから始まる数学では、学力を見るための小テストを行うと予告されていたのだ。
複雑な計算をするかもしれないテストで消しゴムがなかったら、それはもうかなりヤバい。答案用紙が訂正の二重線だらけで真っ黒になってしまうかもしれない。
【なんで? あっ! あの時か⁉︎ 昨日チャッピーと遊んでた時、テーブルから落ちたのかーっ!】
何者なんだろう、チャッピーが気になる。
おそらく犬。小型の室内犬と予想する。
沢田くんに似て可愛い、チワワとかミニチュアダックスフンドとかミニチュアシュナウザーあたりかな。
勉強中の沢田くんに遊んで、遊んで〜と体当たりしてくる小型犬チャッピーを、「よしよし、しょうがないな」って抱っこしてなでなでしている沢田くんを想像してみる。
可愛いの暴力がすごい。もうチャッピーと沢田くん、ダブルで可愛い。
【今から購買行っても間に合わない。詰んだな。俺はもう間違いを直そうとしても余計にこじらせるダメな男になってしまったんだ……二重線でごまかそうとしても決して消えることのない過ちを残したまま、ぶざまに生き恥をさらして行くしかないんだな……】
いやいや、そこまで落ち込まんでも。消しゴム忘れただけじゃないっすか。
見るに見かねて、私は自分の消しゴムを取り出した。
新学年用に買った、まだ角の残っている新しい消しゴムだけど、思い切って紙の部分を取り、カッターで消しゴムの胴体を半分に切る。
「さ、沢田くん」
声をかけると、沢田くんの肩が一瞬持ち上がった。
一見無表情で面倒くさそうにこっちを振り向く沢田くんに、私はおずおずと半分こにした消しゴムを差し出す。
「あの……もしよかったら、これ使う? ちっちゃくて悪いけど」
沢田くんはちょっと眉を持ち上げた。驚きの表情も薄い。
でも、彼の心の中はこうだ。
【えっ……えええええ〜〜〜〜っ!!!!? なんでなんで? 何で俺が消しゴムなくて困ってること分かったの⁉︎ エスパーですか、佐藤さん⁉︎ っていうかありがたい!! ありがたすぎるよ〜〜。゚(゚´ω`゚)゚。ああああ、この御恩は一生忘れませーーーん!! 神様、仏様、佐藤さま〜〜!! 佐藤さんに向かって五体投地っっ!!!_( _´ω`)_ペショ】
沢田くんにとって私は一生の恩人になりました。
沢田くんがすごく感謝してくれているのは嬉しいけど、それが心の声だということが残念だ。
リアルな世界では、私が何も言わない沢田くんに対して半分に切った消しゴムを無理やり押し付けているようにしか見えない。
この状況、地味に恥ずかしいの。なんとかして〜っ!
【いや、心の中で思うだけじゃ佐藤さんには伝わらない! ちゃんと言葉で伝えなくちゃ!】
沢田くんも分かっているようだ。
早く、言葉にして受け取って〜っ!
あーっ、指がプルプルしてきたっ!
【ありがとうって言え! ありがとうだぞ、ありが十匹でありがとうとか余計なことを言わなくて良いんだぞ!】
マジで余計なこと考えてないで、早く受け取って〜っ!!
顔面が熱くなってきた頃、ようやく沢田くんがうなずいて、上に向けた手のひらをおずおずと差し出してきた。
「あ……あ……あり」
【ガトーショコラ。なんちゃって】
コラアアァ、沢田く────ん!!!!
ダジャレはもういいから早く受け取れっちゅうねん。
「……ありがとぅ」
ボソッと呟き、やっと沢田くんは私の手から消しゴムを受け取った。
顔には出ていないけれど、彼の心の中では浅草サンバカーニバル並みのお祭りが開催されている。
【佐藤さんにお礼が言えた──っ!! グッジョブ俺〜〜!!!!】
「どういたしまして」
私はクスッと笑いながら正面を向いた。
短すぎだけど、初めて沢田くんと会話しちゃった。なんだか胸の中がくすぐったいな。それに、やけに体がポカポカしてくる。
初めてだなあ、こんな気持ち。頬が自然と持ち上がる。
すると、再び彼の声が聞こえてきた。
【佐藤さん、良い人だなあ。俺、
それにしても、沢田くんって本当におしゃべりだな。
……心の中だけは。