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第七話「花筵 ーはなむしろー」 (後編) ③

「また貴様か。廊下を走るなと、先日も注意したはずだが……?」

「ぢゅ、ぢゅびばぜん」


 どうやら、僕とぶつかる前に三郎さんが片手で受け止めたらしい。

 そして三郎さんはといえば、今にも少年の顔を、トマトみたいに握りつぶしそうな形相をしていた。ひぇ……。


 もちろん、本当に握りつぶすわけもなく、三郎さんは少年の顔から手を離した。


(あ……っ!)


 涙目で顔を押さえている少年は、朝食の時に彩雲君を止めようとしていた鹿男さんだった。とりあえず……うん。すごく痛そう。


「おい、巫子様のぜんだぞ」

「え? あ!!」


 鹿男さんは僕を見るや否や、スライディングしそうな勢いで土下座をした。


「申し訳ありません!! 三郎さんが止めてくれてなかったらぶつかってました!! ご無礼お許しください!!」

「あ、いえ……」


 生の土下座なんて、生まれて初めて見た。

 まさか、異世界で土下座をされるとは思わなかった。なんか……逆に気まずい。


「あの……僕は全然大丈夫なので、とりあえず頭を上げてください」

「はい!!」


 一挙手一投足が大きくて、声も大きい。あと、すごく張りがある。元の世界の人だったら『あざす!!』とか言いそうだ。


(典型的な体育会系だ……)


 でも、裏表がなくて良い人そうだ。ぼんやりした感じの落葉さんと話をする光景が、あんまり想像できないけど。


「あ、申し遅れました! 自分は馬鹿の鹿に男で鹿男です!! 先月十六歳になりました!! 以後お見知りおきを!!」

「え? あ、はい……」


(馬鹿の鹿って……)


 非常に返答に困る紹介だ。自分をしているわけでも、謙遜しているわけでもなさそうなのが、余計に突っ込みにくい。


 あと、一歳年下だった。『さん』じゃなくて『君』でいいかもしれない。


「それで、その鹿は何をやっているんだ」

「ちょ、三郎さん。馬鹿男は止めてくれよ! 俺は鹿男だって!」

「貴様の名前など知るか。さっさと答えろ」

「ひでぇ!!」


(しかも自覚してないのか……)


「実は、お館様のかもじがないんだ」

「『お館様』?」

「落葉様のことです。基本的に巫女はご自身の臣下から『姫様』と呼ばれますが、男の巫女は『お館様』と呼ばれます」


 僕の質問に答えたのは三郎さんだった。タメ口で話すのは二人きりの時だけという言葉通り、口調が従者のものになっている。


 ちなみに髢というのは、ざっくり言ってしまえば付け毛のことである。


「それで、どこに落としたのか心当たりでもあるのか? 闇雲に走り回っても、体力を無駄に消耗するだけだぞ」


 三郎さんが再び、鹿男君に話を振った。鹿男君はといえば、うつむいて「うーん」とうなり声を出し始めた。その様子だと、勢いだけで探しにきたのかもしれない。


「さっき、朝食から戻る時は確かにちゃんとあったんだけど……」

「予備はないのか」

「あるのはあるけど……髪の毛とか落ちてたら怖いじゃん。それでびっくりして誰か転んじゃったりしたら大変だろうなって思って、急いで回収しにきたんだ」


(それは確かに怖い)


 廊下を走り回る理由としては拍子抜けだけど、怖いものは怖い。僕もきいちゃんの外出用の付け毛で驚いて、足の指をぶつけたことあるし。


「これのことか」


 三郎さんが懐から取り出したものを見て、僕は思わず「ひぇ」と声を漏らしてしまった。手の中に大量の髪の毛があるとか、事情を知らなかったらホラーだ。


「そう! それだよ!! ありがとう!!」


 鹿男君が分かりやすく顔を明るくして、三郎さんから髢を受け取った。髪の毛のやり取りをする絵面は、なんかじわじわと来る。


「よかったぁ、拾ってくれたのが三郎さんで」

「侍女の一人が、悲鳴を上げてすっ転んだがな」

「ごめん……」


 どうやら、被害者はすでに出ていたらしい。

 あと、髪の毛に驚いて転ぶのは僕だけじゃないんだと少し安堵した。仲間だ。


「じゃあ俺はこれで! お騒がせしてしまってすみませんでした!!」



 言うや否や、鹿男君は今にも走りそうな勢いで来た方向へと戻っていった。



「全く……」


 三郎さんが、小さく溜め息をつく。


 最初に会った時から感じたことだけど、溜め息がよく似合う人だ。言われても良い気はしないだろうから、口には出さないけど。


(……落葉さんの髪、付け毛だったんだ)


 そういえば、今朝の落葉さんは髪が短かった気がする。初めての巫女たちに囲まれての食事で緊張していたのと、炭さんを挟んで横に座っていて目に入りにくかったのもあって、あまり気に留めていなかった。


「あの、三郎さん」

「なんだ」

「落葉さんはなんで、わざわざ髢を?」

「巫女は女が大半を占めることもあって、短髪は古い世代に受けが良くない。落葉様は伸ばすのが嫌だからと、おおやけの場では髢を付けることで体裁を保っておられるのだ。頭の固い年寄り連中は、それでも渋い顔をしているらしいが」

「なるほど」


 この世界の男性は短髪が多い。餅屋の主人とか大将みたいに、髪が邪魔になるという町人などが短髪にしているからだ。社でも従者や下男などは、僕が見た限りでは全員短髪だ。総髪は主に、役者や由緒正しい人がするのだという。


 一方で女性は基本的に髪を結っているが、巫女のように身分の高い人は、さながら平安貴族の女性の如く長い髪を垂らしている。ワンポイントで結んだり編み込んだりしている人も多く、お洒落に関しては身分問わず自由な印象だ。


 そして身分に関わらず、女性は共通して長い。この世界において、女性の短髪は未だに見たことがないので、短髪は男性のものなのだろう。


 いずれにせよ、ある程度身分がある人は、男性であっても髪を伸ばすものだと思っていたし、当然そこには巫子である落葉さんも含んでいた。


「で、それがどうした」

「あ、いえ。ちょっとした疑問です」

「そうか」


 その後はこれといった会話もなく、これ以上余計な気を遣わせるなと言わんばかりにさっさと部屋まで送り込まれた。


「夕食までは自由だが、くれぐれも社の外には出ないように」


 そう言って、三郎さんは背中を向けたが、思いきって「あの!」と呼び止めた。


「ありがとうございます」

「仕事をしたまでだ。礼などいらん」

「いや、それだけじゃなくて……お願いを、聞いてくれたから」

「それも仕事だ。じゃあな」


 ふすまが閉まると、足音はあっという間に遠ざかっていった。



「…………」



 窓の外を見る。日は傾き始めているけど、まだ夕食までには時間がある。


 僕は、意を決して立ち上がった。






    ***






 夕食の呼び出しに来た桜さんが、僕を見るなり大きな目を瞬かせた。



「どうしたの、その髪」



 桜さんが驚いたのも無理はない。背中の半分くらいまであった長い髪が、すっかりなくなっていたのだから。


 足元は、亜麻色のざんがいで埋め尽くされている。

 布を敷いてあるけど、髪の量が多いからか、かなり布からはみ出してしまった。できれば後始末をしてから見せたかったけど、見られてしまっては仕方がない。


「ちょっとイメチェンしようと思いまして」

「いめちぇん?」

「あ! えっと、気分変えたいなと思って」


 髪の量が多い上に天然パーマだからだろうか。短くしたけど、ショートカットというよりはボブヘアに近い。

 それでも、びっくりするほど楽になった。短くした途端に、憑き物が落ちたかのように頭が軽くなったのだ。長い髪を短くするだけで、頭の重さがここまで変わるなんて全然知らなかった。もはや感動すら覚えた。


「……自分で切ったの? 侍女を呼ぶなり私を呼ぶなりすれば良かったのに」

「まだ夕食まで時間ありましたし、なんとなくそういう気分だったので」


 別に気を遣ったわけではない。単に桜さんを驚かせたかっただけだ。今朝は足のしびれで失敗したので、言うなればリベンジだ。


「変、ですかね?」


 桜さんは首を横に振った。


「似合ってる」

「マジですか!?」

「まじよ。その方が葉月らしくて可愛いし」


 やっぱり桜さんから褒められるのは格別だ。可愛いはちょっとグサッときたけど、それ以上に嬉しくてほおが緩む。


(イメチェン、か)


 桜さんがあっさりと納得してくれたことに、ホッとした。ほんの少しだけ、胸にチクリとしたものを感じたのは、多分、少し嘘をついたからだ。


 だけど、その嘘を明かす必要はないだろう。




 本当は、髪を短くすることで、夜長姫の面影を少しでもなくそうとしたなんて。




(気休め程度にしかならないと思うけど……)


 何もしないよりは、ずっと良いはずだ。

 ほんの少しでもいい。桜さんの痛みを和らげられるのなら、僕は何だってする。


「でも、及第点ね」

「え!?」

「長さが微妙にそろってない」

「え、あ……」


 改めて鏡を見る。切っている間は分からなかったけど、こうして客観的に見ると、恥ずかしいくらいに長さがバラバラだった。


(きいちゃんの髪を切ってきたから、結構自信あったんだけどな……)


 ふと、桜さんが近づいてくるのが鏡越しに見えた。振り返ろうとしたけど、桜さんに「そのままでいて」と制された。


「長さ、揃えるから」

「え、でもそんな、悪いですよ。まだ腕の火傷とかありますし」

「大丈夫よ、髪を切るくらい」

「でも」

「私が切りたいの」


 驚いて、返す言葉を一瞬失った。

 桜さんが、自分から何かをしたいと言うなんて、初めてのことだったから。


「……じゃあ、お願いします」


 桜さんの手が、僕の髪に触れる。

 胸が高鳴るのを、全身ではっきりと感じた。


 はさみの音と共に、亜麻色の髪が落ちていく。


 彼女の指が、耳や首に触れて少しくすぐったい。すぐ後ろに立っていると思うだけで、胸の中から熱くなる。


(あぁ……)



 くすぐったいのに、もっと触れてほしい。

 熱いのに、心地いい。


 この時間が、ずっと続けばいいのに――――



「はい、出来上がり」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 あっという間に終わってしまった。首周りがさらにスッキリとして気持ち良い。


「なんだか、餅屋のことを思い出しますね」

「ん? あぁ、あの時も私が切ったんだっけ」

「はい。なんか、懐かしいですね」

「懐かしいって……まだ一ヶ月も経ってないじゃない。せいぜい二週間くらいよ」

「ですよね」

「でも、分かるかも。次から次へと、いろんなことがあったもの」

「えぇ、本当に……」


 この二週間、僕の中で世界が大きく揺らいだ。

 突然知らない世界に来て、知らない町で暮らして、知らない場所に連れていかれて、挙句の果てには国を背負う巫女になって。



 本当に、訳の分からないことばかりだ。



「ねぇ、葉月。次からは、私に切らせて」

「全部ですか?」

「えぇ。長さが不揃いでは困るでしょう?」

「ですよね……あの」

「ん?」

「髪、いてもいいですか。今度はその……僕が、桜さんの髪を」


 桜さんが、目を少し丸めた。


「あ、やっぱり駄目ですよね。すみません」

、お願いします」

「え、いいんですかっ?」

「葉月にならね」


 桜さんの笑顔が、鏡に映る。僕もつられるように笑った。やりたいことが一つ叶って嬉しいのと、心から笑えて嬉しいのとで。


(あ……僕、普通に笑えるんだ)


 鏡に映る笑顔に、自分で驚いた。

 桜さんといると、自分の笑顔を見ても、これっぽちも嫌な気持ちにならない。心の底から、自然に笑えるんだ。



 正直、先が見えない。やることも覚えることも、そして不安も山ほどある。



 この世界のことはばくぜんと理解し始めているけど、今の時点では、本や人から聞いた話で知識を得たにすぎない。

 だから、きっとこれからも、僕の世界は揺らぎ続ける。それなのに、不思議と悲観はなかった。怖いとは思わなかった。


 生まれて初めて、僕の笑顔を受け入れてくれた女の子。そんな彼女がそばにいてくれると思うと、自分でも驚くほどに満たされる。




 だから、この先どんなに揺らいでも大丈夫だ。


 桜さんが、僕のそばにずっといてくれるのなら。




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