「……あの、どうし」
「彩雲君ったら、困ったものね」
「え?」
見ると、彩雲君が机に突っ伏していた。
(え! 早くない!?)
そういえば、途中から彩雲君の罵声が全然しなかった。うかつだった。
「さ、彩雲君。起きないと――」
「だああああうっせえええええ!!」
肩を揺すろうとした瞬間、彩雲君が弾かれたように体を起こした。
「え、え!? ごめん!!」
「大丈夫よ、葉月君。力を使っただけだから」
「え?」
「こんな風にね」
「――――!?」
突然、けたたましい電子音のような音が、どこからともなく鳴り出した。
反射的に「うわっ!!」と手で耳を押さえたはずなのに、音量は一向に変わらない。むしろ、どんどん音量が上がっている。
(ていうかこれ、スマホのアラーム!?)
耳が割れると思った次の瞬間、音は嘘のようにピタリと止んだ。
「……今のは?」
「あなたたちが、日常的に『うるさい』と感じているものを伝えたの」
「伝える?」
「私が生まれ持った力よ。思ったことや考えたことが、周りに伝わってしまうの。さながら、私が全部
「全部……」
それはつまり、心の声が
ちょっと想像しただけで、全身に寒気が走った。胸の内に仕舞っておきたいことまで、無遠慮に見られてしまうに等しい。
僕の顔色を
「今は制御できるから」
「そうですか……」
「それにね、悪いことばかりじゃないのよ。使いようによっては、本当に便利な力だから。あなたたちに今、伝えたようにね」
(それでスマホのアラーム音か……)
確かに、すごい力だ。自分の知識がなくても、相手の知識に
「……よく分かんねーけど、テメーのしわざかよ。ふざけたマネしやがって!!」
「ごめんなさいね。眠ったら駄目ということを、分かりやすく教えたかったの」
(実力行使ってやつですね)
「ちっ」
感情のままに舌打ちをする彩雲君の隣で、僕は生きた心地がしなかった。
黄林姫は、にこにこと微笑みを携えているけど……多分、ちょっと怒ってる。
本気ではなさそうなので、教育的指導のために、あえてそういう空気を作り出しているのだろう。当の彩雲君は、全く気付いていないけど。
(意識してこれなら、ガチで怒ったら、どうなるんだろう……)
考え出したら
「――今日はここまで。夕食まで時間あるから、ゆっくり休むといいわ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、隣へと目をやる。
彩雲君は、再び机に突っ伏して眠っていた。気休め程度ではあるけど、僕の羽織を布団代わりにかけてある。
怖い顔ばかりしているけど、こうして眠っている顔を見ると、やっぱり子供なんだなと微笑ましくなってくる。
「結局、寝たまま終わっちゃいましたね」
「ふふ、いいのよ。今日は初日だし、ひとまず課題は終えたもの」
「彩雲君、終わったよ」
肩を揺するが、一向に起きる気配がしない。寝息に合わせて背中が動いていなかったら、死人と間違えてしまうくらいに。
(無理もないか)
彼の言動から察するに、訳の分からないまま社に連れて来られて、勉強させられて、馬車の旅につれて行かれることになったのだろう。
意地でも表には出さないだろうけど、多分、僕以上に戸惑っている。
「僕、連れていきます」
「ありがとう。でも大丈夫よ。今、三郎に迎えに来るよう伝えたから」
「そうですか」
「ところで葉月君」
黄林姫が、何やらじっと見つめてくる。柔和な顔に変わりないはずなのに、少し、怒っているように見えるのは気のせいだろうか。
「私たちのこと、普通に呼んでいいのよ? 『桜さん』って呼ぶみたいにね」
「え? あ……」
黄林姫が苦笑し、肩を
どうやら、黄林姫にはお見通しだったらしい。
僕が巫女たちの呼び方に困っていたことも、それでなかなか名前を口にできなくて内心もどかしかったことも。
「虹さんと炭ちゃんはね、二人とも平民の出なのよ。蛍ちゃんだって、ちょっと前までかおちゃんの侍女だったしね」
「えっ!?」
二人の巫女が主従関係だったという事実に、思わず大声を上げてしまった。もちろん、前者も驚きはしたけど。
「巫女になるために必要な資格は、力を有していて、黒湖様に
「…………」
確かに、他の巫女たちは互いに対等な相手として接している。だから、巫女になった僕もそれでいいのだろうとは思う。
だけど、僕からしたら、ついこの間まで雲の上だった人たちだ。いきなり馴れ馴れしく呼ぶのは、どうも
言葉に詰まっていると、黄林姫が「大丈夫」と柔らかく微笑みかけてきた。
「あなたは月国の巫子で、私は中つ国の巫女。対等な立場なのだから、砕けて話したって全然変じゃないのよ」
「……そうですよね。正直、まだあんま実感湧かないんですけど」
「この視察で、嫌でも実感することになるわ。巫女として人前に立つのだから」
「う……」
「まずは私を、対等だと認識しないとね?」
「……『黄林さん』?」
「よろしい」
黄林さんが満足そうに笑った。どうやら怒っていたのではなく、単に名前を
「姫様、三郎にございます」
三郎さんの声が部屋の外からした。黄林さんの「どうぞ」の一声で
三郎さんと目が合う。
前みたいに
僕も会釈を返すものの、
「全く、世話の焼ける」
三郎さんが
「この羽織物は、葉月様の御召し物ですか?」
「え? あ、はい」
「失礼いたします」
三郎さんが彩雲君の背中から羽織を取り、僕の背中にかけてくれた。そっと、まるで壊れものでも扱うかのように優しく。
(三郎さん……だよね?)
初対面の時とは完全に別人だ。ていうか、優しすぎて逆に怖い。
「あ、ありがとうございます」
「いえ。仕事でございますから」
三郎さんは素っ気ない返事をしつつ、眠る彩雲君を秒で持ち上げた。お姫様だっこだ。起きてたら絶対に暴れたことだろう。
(それにしても、すごい力だ……)
いくら子供とはいえ、男子中学生だ。
それを赤ん坊のように軽々と持ち上げ、抱き抱えている。身長も体格も彩雲君と大差ないのに、一体どこにそんな力があるのだろう。
「三郎。今日は頑張って疲れちゃったみたいだから、お手柔らかにね」
「承知いたしました」
「あ、あの、僕も一緒に行きます」
三郎さんと言葉を交わすのは、会議の場へと案内されて以来だ。口調の変化も、少し話せば慣れるだろう。そんな軽い気持ちで同行を申し出た。
「いいえ、結構です。従者一人のために、巫子様のお手を
(あ、やっぱ三郎さんだ)
丁寧な口調で
だけどその言葉で、根っこは変わっていないのだと分かって少し安心した。
「あら、連れていってあげなさいな」
黄林姫の一言で、三郎さんが「えっ?」と素っ頓狂な声と共に目を丸めた。
思わず素が出てしまった様子の三郎さんを、黄林姫はどこか楽しげに見つめている。なんとなく分かっていたが、人をさり気なくいじる趣味をお持ちのようだ。
そんな主人の悪戯には慣れているのか、三郎さんは特に気を悪くする気配もない。主人の申し出に戸惑いながらも、すぐに従者の顔に戻った。
「ですが、姫様――」
「明日からしばらく旅路を共にするのだし、この機会に少し話をしてみたら?」
「……姫様がそう仰るのでしたら」
嫌がるのかと思いきや、三郎さんはあっさりと頷いた。黄林さんの言葉だからだろうと思うと少し複雑だけど、嬉しいことに変わりはない。
黄林さんに感謝の意を込めて会釈してから、三郎さんに続いて部屋を後にした。
廊下を歩きながら、ふと空を見る。こうして外の空気を直に味わえるのは、日本家屋ならではの
外はまだ明るいけど、日が傾き始めている。
茜色に染まり始めた空には雲一つなく、晴れ晴れとしている。これなら、明日の天気の心配はいらないだろう。
ぼんやりと空模様を眺めている内に、彩雲君の部屋に着いた。
部屋の前には、見張り番らしき人が二人も立っている。彩雲君の気性の激しさはともかく、これはストレスが溜まるのも頷ける。
事前に連絡があったのだろう。三郎さんを見るなり、見張り番の二人は一礼して部屋に通した。三郎さんにお姫様だっこされている彩雲君を前にしても、二人とも眉一つ動かさない。訓練されているなぁ。
三郎さんは彩雲君を寝台に横たわらせ、早々に部屋を後にした。彩雲君を下ろして掛け布団をかける仕草には、静かな気遣いがあった。
ちなみに僕は、三郎さんの後ろで終始突っ立っていただけだった。
どっちが付き人か分からないけど、見張り番の人には申し訳ないレベルで
このまま別れるのかと思いきや、意外なことに、三郎さんの方から口を開いた。
「お送りします」
「え、いいんですか?」
「巫女の護衛も、従者の役目です。他国の巫女であっても、それは変わりません」
「ありがとうございます」
送ってくれるとはいうけど、ものの数分もしない内に部屋に着くだろう。それまでに、一言でもいいから会話をしたい。
「あの、三郎さん」
「なんでしょう」
「僕……別に敬語じゃなくても構いませんよ? 今は二人きりですし」
三郎さんが、目を瞬かせた。何言ってんだこいつという顔をしている。従者の顔とは違う、人間らしい素の顔だ。
僕は、三郎さんを好ましく思っている。
実直で話しやすいし、さりげない優しさが染みるし、主人である黄林さんを一途に慕う姿には共感さえ覚える。
だけど、それは僕が勝手に好いているだけだ。
むしろ、この人にとって僕は、何かが気に食わない人間だろう。そうでなければ、初対面であんなに怒りを露わにするはずがない。
そんな相手を形だけとはいえ、文句も言わずに敬わなければならないのだ。
仕事だから仕方ないのかもしれないけど、だからこそ、二人きりの時くらいは仕事を忘れてほしい。ただの自己満足なのは承知の上だ。
三郎さんが、静かに目を細めた。
人間の表情から、従者の面持ちに切り替えて。
「それは、命令ですか?」
「え?」
「命令であらせられないのでしたら、聞き入れるわけには参りません。巫女とその他大勢を、同列にするわけにはいきませんから」
「そうですか……」
命令だと言うべきか迷ったが、止めておいた。
彼から見たら僕は上の立場だろうけど、主人ではない。だったら、他人の意思を
「――――姫様っ?」
「えっ?」
「…………はぁ」
突然、三郎さんが
(黄林さんが、何かを伝えたってことかな?)
「先ほどの申し出、心得た」
「え?」
「お前の緊張を解すため、望むのならば友人のように接しろと姫様から仰せつかった。不本意だが、姫様のお達しならば致し方ない」
三郎さんの口調が、最初のぶっきらぼうなものに戻った。あと、表情も。
「ただし、二人きりの時のみだ。巫女に馴れ馴れしくしている姿を、部外者に見せるわけにはいかないからな」
「ありがとうございま――」
突然、目の前に三郎さんが飛び出してきた。
「え? あの、三郎さ――」
困惑する間もなく、どこからともなく慌ただしい足音が近付いてきた。それとほぼ同時に、廊下の曲がり角から影が現れる。
気が付くと、少年の顔を三郎さんが片手で掴んでいた。何があった!?