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第七話「花筵 ーはなむしろー」 (後編) ②

「……あの、どうし」

「彩雲君ったら、困ったものね」

「え?」


 見ると、彩雲君が机に突っ伏していた。


(え! 早くない!?)


 そういえば、途中から彩雲君の罵声が全然しなかった。うかつだった。


「さ、彩雲君。起きないと――」

「だああああうっせえええええ!!」


 肩を揺すろうとした瞬間、彩雲君が弾かれたように体を起こした。


「え、え!? ごめん!!」

「大丈夫よ、葉月君。力を使っただけだから」

「え?」

「こんな風にね」

「――――!?」



 突然、けたたましい電子音のような音が、どこからともなく鳴り出した。



 反射的に「うわっ!!」と手で耳を押さえたはずなのに、音量は一向に変わらない。むしろ、どんどん音量が上がっている。


(ていうかこれ、スマホのアラーム!?)


 耳が割れると思った次の瞬間、音は嘘のようにピタリと止んだ。


「……今のは?」

「あなたたちが、日常的に『うるさい』と感じているものを伝えたの」

「伝える?」

「私が生まれ持った力よ。思ったことや考えたことが、周りに伝わってしまうの。さながら、私が全部さらけ出しているみたいにね」

「全部……」




 それはつまり、心の声がれになってしまうということだ。




 ちょっと想像しただけで、全身に寒気が走った。胸の内に仕舞っておきたいことまで、無遠慮に見られてしまうに等しい。


 僕の顔色をうかがったのか、黄林姫が「大丈夫よ」と苦笑した。


「今は制御できるから」

「そうですか……」

「それにね、悪いことばかりじゃないのよ。使いようによっては、本当に便利な力だから。あなたたちに今、伝えたようにね」


(それでスマホのアラーム音か……)


 確かに、すごい力だ。自分の知識がなくても、相手の知識に沿って、相手に分かるように伝えられるのだから。


「……よく分かんねーけど、テメーのしわざかよ。ふざけたマネしやがって!!」

「ごめんなさいね。眠ったら駄目ということを、分かりやすく教えたかったの」


(実力行使ってやつですね)


「ちっ」


 感情のままに舌打ちをする彩雲君の隣で、僕は生きた心地がしなかった。

 黄林姫は、にこにこと微笑みを携えているけど……多分、ちょっと怒ってる。


 本気ではなさそうなので、教育的指導のために、あえてそういう空気を作り出しているのだろう。当の彩雲君は、全く気付いていないけど。


(意識してこれなら、ガチで怒ったら、どうなるんだろう……)


 考え出したらかんが走ったので、これ以上は止めておいた。








「――今日はここまで。夕食まで時間あるから、ゆっくり休むといいわ」

「ありがとうございます」


 軽く頭を下げ、隣へと目をやる。

 彩雲君は、再び机に突っ伏して眠っていた。気休め程度ではあるけど、僕の羽織を布団代わりにかけてある。


 怖い顔ばかりしているけど、こうして眠っている顔を見ると、やっぱり子供なんだなと微笑ましくなってくる。


「結局、寝たまま終わっちゃいましたね」

「ふふ、いいのよ。今日は初日だし、ひとまず課題は終えたもの」

「彩雲君、終わったよ」


 肩を揺するが、一向に起きる気配がしない。寝息に合わせて背中が動いていなかったら、死人と間違えてしまうくらいに。


(無理もないか)


 彼の言動から察するに、訳の分からないまま社に連れて来られて、勉強させられて、馬車の旅につれて行かれることになったのだろう。




 意地でも表には出さないだろうけど、多分、僕以上に戸惑っている。




「僕、連れていきます」

「ありがとう。でも大丈夫よ。今、三郎に迎えに来るよう伝えたから」

「そうですか」

「ところで葉月君」


 黄林姫が、何やらじっと見つめてくる。柔和な顔に変わりないはずなのに、少し、怒っているように見えるのは気のせいだろうか。


「私たちのこと、普通に呼んでいいのよ? 『桜さん』って呼ぶみたいにね」

「え? あ……」


 黄林姫が苦笑し、肩をすくめた。


 どうやら、黄林姫にはお見通しだったらしい。

 僕が巫女たちの呼び方に困っていたことも、それでなかなか名前を口にできなくて内心もどかしかったことも。


「虹さんと炭ちゃんはね、二人とも平民の出なのよ。蛍ちゃんだって、ちょっと前までかおちゃんの侍女だったしね」

「えっ!?」


 二人の巫女が主従関係だったという事実に、思わず大声を上げてしまった。もちろん、前者も驚きはしたけど。


「巫女になるために必要な資格は、力を有していて、黒湖様に対称として選ばれることだけ。元の身分や立場は、一切関係ないのよ」

「…………」


 確かに、他の巫女たちは互いに対等な相手として接している。だから、巫女になった僕もそれでいいのだろうとは思う。

 だけど、僕からしたら、ついこの間まで雲の上だった人たちだ。いきなり馴れ馴れしく呼ぶのは、どうもはばかられてしまう。


 言葉に詰まっていると、黄林姫が「大丈夫」と柔らかく微笑みかけてきた。


「あなたは月国の巫子で、私は中つ国の巫女。対等な立場なのだから、砕けて話したって全然変じゃないのよ」

「……そうですよね。正直、まだあんま実感湧かないんですけど」

「この視察で、嫌でも実感することになるわ。巫女として人前に立つのだから」

「う……」

「まずは私を、対等だと認識しないとね?」

「……『黄林さん』?」

「よろしい」


 黄林さんが満足そうに笑った。どうやら怒っていたのではなく、単に名前をけられていたことが不満だったらしい。


「姫様、三郎にございます」


 三郎さんの声が部屋の外からした。黄林さんの「どうぞ」の一声でふすまが開き、三郎さんが「失礼します」と入ってきた。



 三郎さんと目が合う。



 前みたいににらまれるかと思いきや、ただしゃくされただけだった。

 僕も会釈を返すものの、すでに彩雲君へと目を向けていた。ちょっと寂しい。


「全く、世話の焼ける」


 三郎さんがつぶやきながら、彩雲君の所まで歩み寄る。そのまま手を伸ばそうとして、なぜかピタリと動きを止めた。


「この羽織物は、葉月様の御召し物ですか?」

「え? あ、はい」

「失礼いたします」


 三郎さんが彩雲君の背中から羽織を取り、僕の背中にかけてくれた。そっと、まるで壊れものでも扱うかのように優しく。


(三郎さん……だよね?)


 初対面の時とは完全に別人だ。ていうか、優しすぎて逆に怖い。


「あ、ありがとうございます」

「いえ。仕事でございますから」


 三郎さんは素っ気ない返事をしつつ、眠る彩雲君を秒で持ち上げた。お姫様だっこだ。起きてたら絶対に暴れたことだろう。


(それにしても、すごい力だ……)


 いくら子供とはいえ、男子中学生だ。

 それを赤ん坊のように軽々と持ち上げ、抱き抱えている。身長も体格も彩雲君と大差ないのに、一体どこにそんな力があるのだろう。


「三郎。今日は頑張って疲れちゃったみたいだから、お手柔らかにね」

「承知いたしました」

「あ、あの、僕も一緒に行きます」


 三郎さんと言葉を交わすのは、会議の場へと案内されて以来だ。口調の変化も、少し話せば慣れるだろう。そんな軽い気持ちで同行を申し出た。


「いいえ、結構です。従者一人のために、巫子様のお手をわずらわせるわけには参りません。そもそも足手まといです」


(あ、やっぱ三郎さんだ)


 丁寧な口調でかんなきまでに拒否された。ちょっとへこみそうなくらいに。

 だけどその言葉で、根っこは変わっていないのだと分かって少し安心した。


「あら、連れていってあげなさいな」


 黄林姫の一言で、三郎さんが「えっ?」と素っ頓狂な声と共に目を丸めた。


 思わず素が出てしまった様子の三郎さんを、黄林姫はどこか楽しげに見つめている。なんとなく分かっていたが、人をさり気なくいじる趣味をお持ちのようだ。


 そんな主人の悪戯には慣れているのか、三郎さんは特に気を悪くする気配もない。主人の申し出に戸惑いながらも、すぐに従者の顔に戻った。


「ですが、姫様――」

「明日からしばらく旅路を共にするのだし、この機会に少し話をしてみたら?」

「……姫様がそう仰るのでしたら」


 嫌がるのかと思いきや、三郎さんはあっさりと頷いた。黄林さんの言葉だからだろうと思うと少し複雑だけど、嬉しいことに変わりはない。



 黄林さんに感謝の意を込めて会釈してから、三郎さんに続いて部屋を後にした。



 廊下を歩きながら、ふと空を見る。こうして外の空気を直に味わえるのは、日本家屋ならではのだいだと思う。日本じゃないけど。


 外はまだ明るいけど、日が傾き始めている。

 茜色に染まり始めた空には雲一つなく、晴れ晴れとしている。これなら、明日の天気の心配はいらないだろう。


 ぼんやりと空模様を眺めている内に、彩雲君の部屋に着いた。


 部屋の前には、見張り番らしき人が二人も立っている。彩雲君の気性の激しさはともかく、これはストレスが溜まるのも頷ける。


 事前に連絡があったのだろう。三郎さんを見るなり、見張り番の二人は一礼して部屋に通した。三郎さんにお姫様だっこされている彩雲君を前にしても、二人とも眉一つ動かさない。訓練されているなぁ。


 三郎さんは彩雲君を寝台に横たわらせ、早々に部屋を後にした。彩雲君を下ろして掛け布団をかける仕草には、静かな気遣いがあった。


 ちなみに僕は、三郎さんの後ろで終始突っ立っていただけだった。

 どっちが付き人か分からないけど、見張り番の人には申し訳ないレベルでかしこまられた。これは、ついてこない方がよかったかもしれない。


 このまま別れるのかと思いきや、意外なことに、三郎さんの方から口を開いた。


「お送りします」

「え、いいんですか?」

「巫女の護衛も、従者の役目です。他国の巫女であっても、それは変わりません」

「ありがとうございます」


 送ってくれるとはいうけど、ものの数分もしない内に部屋に着くだろう。それまでに、一言でもいいから会話をしたい。


「あの、三郎さん」

「なんでしょう」

「僕……別に敬語じゃなくても構いませんよ? 今は二人きりですし」


 三郎さんが、目を瞬かせた。何言ってんだこいつという顔をしている。従者の顔とは違う、人間らしい素の顔だ。



 僕は、三郎さんを好ましく思っている。



 実直で話しやすいし、さりげない優しさが染みるし、主人である黄林さんを一途に慕う姿には共感さえ覚える。


 だけど、それは僕が勝手に好いているだけだ。

 むしろ、この人にとって僕は、何かが気に食わない人間だろう。そうでなければ、初対面であんなに怒りを露わにするはずがない。


 そんな相手を形だけとはいえ、文句も言わずに敬わなければならないのだ。


 仕事だから仕方ないのかもしれないけど、だからこそ、二人きりの時くらいは仕事を忘れてほしい。ただの自己満足なのは承知の上だ。



 三郎さんが、静かに目を細めた。


 人間の表情から、従者の面持ちに切り替えて。



「それは、命令ですか?」

「え?」

「命令であらせられないのでしたら、聞き入れるわけには参りません。巫女とその他大勢を、同列にするわけにはいきませんから」

「そうですか……」


 命令だと言うべきか迷ったが、止めておいた。

 彼から見たら僕は上の立場だろうけど、主人ではない。だったら、他人の意思をじ曲げるようなことはするべきではない。


「――――姫様っ?」

「えっ?」

「…………はぁ」


 突然、三郎さんがとんきょうな声を上げたかと思いきや、大きな溜め息をついた。はたから見ると、意味不明な光景でしかないけど……。


(黄林さんが、何かを伝えたってことかな?)


「先ほどの申し出、心得た」

「え?」

「お前の緊張を解すため、望むのならば友人のように接しろと姫様から仰せつかった。不本意だが、姫様のお達しならば致し方ない」


 三郎さんの口調が、最初のぶっきらぼうなものに戻った。あと、表情も。


「ただし、二人きりの時のみだ。巫女に馴れ馴れしくしている姿を、部外者に見せるわけにはいかないからな」

「ありがとうございま――」




 突然、目の前に三郎さんが飛び出してきた。




「え? あの、三郎さ――」


 困惑する間もなく、どこからともなく慌ただしい足音が近付いてきた。それとほぼ同時に、廊下の曲がり角から影が現れる。


 気が付くと、少年の顔を三郎さんが片手で掴んでいた。何があった!?

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