「連れていくよ」
「でしょうね」
虹姫の簡潔な返答に、炭姫は驚いた様子もなく
そんな中で「ちょっと」と声を張り上げたのは、花鶯姫だった。
「虹、嘘でしょう……? あいつを視察に連れていくって、本気で言ってるの?」
声をわなわなと震わせている。動揺が
対して、虹姫の様子に変わりはない。声を震わす花鶯姫との差からか、平常心を通り越して冷淡にすら見えてくる。
「子供を置いてくわけにはいかないだろ? そもそも、ここは黄林の国だし」
「寺に預けるなり里子に出すなりすればいいじゃない。巫女の視察に、部外者を関わらせるのはご
「部外者じゃないよ、あいつは。
「馬鹿なこと言わないで!! 犬や猫じゃないのよ!? しかも従者なんて!!」
花鶯姫が怒鳴り声を上げた。さっきのじゃれ合いとは違う、本気の声だ。
(それはそうだ……)
花鶯姫の主張は、少しも間違っていない。
視察は、誰これ構わず関わらせていいものではない。巫女になったばかりの僕でも、それくらいは分かるのだから。
「部外者じゃないんだよ」
だけど、虹姫は全く
「あいつのあの恰好、時々出てくる耳慣れない言葉、しかも巫女や社を知らない。誰かさんと同じだと思わないか?」
視線が、一瞬にして僕へと集中する。
不意に注目の的に
「葉月。会議の時、彩雲を見て何か気付いたみたいだったけど、知り合い?」
どうやら、僕の些細な動きにもしっかりと目を光らせていたらしい。おちゃらけているようで、抜け目がない人だ。
「いえ。ただ……僕の世界にある服を着ていたので、驚きました」
「やっぱりね」
しかも、あれはおそらく、母校である中学校の制服だ。一見するとよくある学ランだけど、
「つまり」
炭姫が、ぽつりと声を上げた。
「あの子供も葉月さんと同じ、異世界から来た人間ということですか」
「そういうこと」
落葉殿が「
そういう分かりやすい表情もするんだと、少し驚いた。初対面の時の、
「自称異世界人が現れるのは時々あるみたいだけど……同時期に二人なんて初めて聞いた。あいつも
「ないな。初日に暴れて作った擦り傷、残ってるし。何より、あいつの感覚は凡人そのものだ。人ならざる力を持っている気配もない」
「つまり、葉月君がこちらに来たことと、何か繋がりがあるかもしれない。だから、それの調査も兼ねて連れていく……そういうこと?」
黄林姫の非常に分かりやすいまとめに、虹姫が「その通り」と同意する。
「別に、あいつに何かさせるつもりはない。せいぜい、何があったかを話してもらうくらいだ。ついでに社会勉強もさせてやれば一石二鳥だろ?」
「だけど、あの子は巫女じゃない」
話の腰を折る、頑なな口調だった。
みんなの視線が花鶯姫に突き刺さる。僕も、花鶯姫へと目を向けた。
(え……?)
「確かに異常よ。黒湖で『あんな気』が生じて、それが人になって異世界から来たなんて言い出して。しかも同じ時期にもう一人、それも同じ世界から来るなんて」
蛍姫に背筋を伸ばせと
「その異常がなんなのかを解明するという意味では、あの子の存在は手掛かりになるのかもしれないし、面倒を見ること自体は賛成よ。巫女としても人としても、放っておけないもの。だけど、視察に連れていくのだけは駄目……!」
そこにいるのは、自尊心の高い巫女でも、気の強い少女でもなかった。
強がりながらも何かを恐れる、ただの少女だ。
「黒湖様に選ばれたのなら、どんなに辛くたって苦しくたって、視察に
「かおちゃん」
澄んだ声が、花鶯姫の言葉を閉ざした。
黄林姫は何を言ったわけでもない。
それなのに、花鶯姫は言葉を続けなかった。口を開く素振りすらしない。そこで黙ることが、暗黙の了解だと言わんばかりに。
部屋中が、重たい空気で満たされる。
座っているだけで、全身が
「大丈夫だよ、花鶯」
重苦しい沈黙を破ったのは、彩雲君を連れてきた当の本人だった。
「あいつは子供だ。自分のことで手一杯で、他に興味を示す余裕なんかないよ。私たち巫女にも、社にも、この世界にもね」
「今は、でしょう」
「これからもだ。あいつにはずっと、自分のことだけを考えてもらう」
「……その言葉、絶対に忘れないでよ」
「もちろんだ」
多分、花鶯姫は何一つ納得していない。だけど、それ以上は何も言わなかった。
異変の解明の鍵になるかもしれないから同行させる。その主張も間違ってはいないと、分かっているからだろう。
「他のみんなは、何か意見あるかな」
誰も、声を上げなかった。虹姫も、それが分かっていたかのような顔だ。意見を求めるというより、話を
事実、虹姫は「じゃあこの話はここまで!」と手を打った。
「さて、さっきはどこまで話進んだんだっけ?」
「各国の社町で、舞を披露する形で余分な気を切ることが、視察の目的ということ。そのために道中の駅で、舞の練習と気を見る訓練をするというところまでね」
「そっか。じゃあ黄林、続きよろしくー」
「えー、また?」
「長ったらしい説明は好きじゃないんだ。面倒で仕方ない。そういうのは、話し上手な黄林様にお任せするよ」
「また、すぐそういうこと言って」
黄林姫が、文句を言いながらも笑っている。
少し前まで、険悪な空気の中にいたのが嘘のようなじゃれ合いだ。むしろ、
(……そういうのは、どこの世界でも同じか)
「さてと」
虹姫が背伸びをしつつ立ち上がった。食事はもう済んでいるらしい。
「ちょっと外の空気でも吸ってくるかな」
「いってらっしゃい。くれぐれも、社の外に出たりしないでね」
「はいはい」
適当な返事をしながら、虹姫は振り向きもせずに部屋を後にした。
ちらりと、花鶯姫の顔を
虹姫は食べ終わるといつもそうなのか。
(後者だと良いな……)
「ところで葉月君、
黄林姫が、何やら満面の笑みを向けてきた。
「あ、はい。僕が話しているのは西語みたいですね。東語の方は、東字がほとんどを占めるという以外は分からないです」
「じゃあ、今の内にしっかりと勉強して
「それはつまり……駅で、東語の勉強もするということですか?」
「察しが良くて助かるわ」
(マジか……!)
失念していた。巫女の使命とか視察のことで頭がいっぱいだった。国の統治者が相手国の言葉を理解できなかったら、話にならないというのに。
「ちなみに、公用語とかはありますか?」
「東語よ。西の三国は、東から独立してできた国々だから。もっとも、元々は一つの国だったから、東も西もなかったのだけれど」
本に書いてあった知識だ。
現在、
かつては王朝が
だけど、後年になると暴君や暗愚の王が続くようになり、衰退の道を辿ると共に国も再び分裂していったとのこと。
四十年前の平和条約によって、正式に王政が廃されると同時に国としての湖も滅亡し、巫女が中心となって七国を治める今の世となったらしい。視察で通る
もちろん、重要なのはそんなことではない。
今現在、東語が公用語であり、僕はその言葉が分からないということだ。
「あの……その東語も、視察中に覚えないといけないってことですか?」
言葉を学ぶのみならず、舞の練習をしながら『気を見る』という、僕からしたら奇想天外な技術まで会得しなければならないのだ。四、五か月の間に……全て。
「そんなに青ざめなくても、心配することないわよ。元々は同じ言語だから、発音と使う文字の頻度の違いしかないわ」
「あ、そうなんですか」
それなら、なんとかなるかもしれない。別の言語を一からというよりは、
「視察の前に、一度勉強してみましょうか」
「いいんですか!?」
「もちろん。言葉の方は、私が教えることになっているもの」
「ありがとうございます!!」
視察中にあれこれ詰め込むことに不安があるから、本当にありがたい。社では本を読む以外にやることもなさそうだし。
「お昼の鐘が鳴ったら、三郎を寄越すわね」
「はい、よろしくお願いします!」