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第六話「花筵 ーはなむしろー」 (前編) ①

 ひどく懐かしい声がした。

 横を向いて、僕は思わず布団から飛び起きた。


(お父さん――っ?)


 台本と睨めっこしながら、同じ台詞を繰り返し声に出す後ろ姿。


 見間違えるはずがない。

 僕の――――父だ。


「お、づき。わり、起こしちまったか」


 心が激しく揺らいだけど、すぐに冷めた。夢だと分かったからだ。


 父だけど、違う。

 そこにいるのは……昔の父だ。




 それに、また顔が真っ黒に塗り潰されている。




「ううん、大丈夫だよ。練習してるの?」

「おうよ! 今度の舞台は、絶対に成功させなきゃならねーからな。つうか絶対するぜ。葉月が脚本を書いたんだからな」

「脚本って、僕はアイデアを出しただけだよ」


 興奮気味の父に、僕が笑いかける。

 かつて交えた会話が、映像でも見ているかのように勝手に進んでいく。


(確か……小学三、四年生だったかな)


 父が、初めて念願の主役になった舞台。

 あの時の父の喜びようは、今でもはっきりと覚えている。父が主役として舞台に立つのは、僕の夢でもあったから。


「何言ってやがる。そのアイデアがなかったら、この舞台は出来なかったんだぜ? お前が脚本を書いたも同然じゃねーか」

「そっか……お父さん、主役になったんだよね。おめでとう」

「サンキュー! ま、俺が主役なのは当然だけどな。俺以外には演じられねーし」


(当て書きだしね)


 今の僕なら内心でそう突っ込むだろうけど、夢の中の僕は小学生だ。

 あの頃はまだ幼くて、当て書きという言葉も、その意味も知らなかった。ただただ、父の言葉を素直に受け取って喜んだものだ。


「見てろよ、葉月。今はまだ小さい劇場だけどよ、俺はこれからどんどん大きくなるぜ。主役張りまくって、テレビにも出まくって、ゆくゆくはハリウッドだ!!」

「ハリウッドスターになるんだよね!」

「あぁそうだ!! しがない舞台俳優で終わるかってんだ!! 必ずアカデミー賞取って、レッドカーペットの上を歩いてやるからな!!」


 父はいつも、子供のような笑顔でそう話をめた。夢物語でしかないのは分かっていたけど、夢を語る時のまぶしい笑顔が、僕は好きだった。


 だけど今は、真っ黒に塗り潰されているせいで、その笑顔も見えない――――








「――――」


 意識が、元に戻った。映画が終わって、現実に帰ってきたような感覚だ。


(…………久しぶりに、見た)


 父の夢を見るのは、いつ以来だろう。

 胸の中が、気持ち悪いくらいにざわついている。今の僕は多分、あまり人に見せたくない顔をしているだろう。


 ふと、誰かに見られていないかと不安になって周りを見回す。そこがなかこくやしろの部屋だと思い出し、胸を撫で下ろした。




 なんで、今になってあの夢を見たんだろう。


 なんで、顔が真っ黒なんだろう。今回といい、その前といい――――




(……思った以上に、疲れてるのかな)


 気分を変えるのも兼ねて、時間帯を把握しようと窓の外に目をやる。

 少し赤みがかった白い空だ。一瞬夕方なのかと思ったが、ひんやりと肌を撫でるこの空気は、まぎれもなく早朝のものだ。


 時計を見ると、まだこくになったばかりだった。大体、午前五時くらいだ。


 この世界では、時間は十二しんで数えられるらしい。昔の日本と同じだ。

 ちなみにやしろまちでは一日三回、朝晩の六時と正午に社から鐘の音が聞こえてきた。早朝に起きて鳴らす人は大変だろうなと呑気に思ったものだ。


 二度寝しようかと思ったけど、すっかり目が冴えてしまったのか、眠気は一向に来ない。とりあえず、起きて髪を整えることにした。


「…………さむ」


 春とはいえ、朝晩は少し冷える。寒がりなので、羽織を着てから鏡台の前に座った。質素だけど立派な造りだと一目で分かる。鏡も、餅屋で使っていたのよりずっと鮮明だ。元の世界で使っていた鏡に限りなく近い。


(相変わらず可愛い顔だ)


 最初はこの顔に度々見惚れていたけど、今となっては何も感じないどころか、客観的に観察できるようになってしまった。慣れというのは本当に恐ろしいものだ。


「……うわ」


 よく見ると、目が少し赤い。それでも、人前に出られないほどではない。

 昨日、さくらさんに部屋まで送ってもらった際に、寝る前に目を冷やして温めるのを繰り返すように念押しされたのが功を奏したようだ。


(そういえば、誰かの前であんなに泣いたの、すごく久しぶりだ)


 今になって急に恥ずかしくなった。可愛い女の子ならともかく、大泣きする男子とか全然笑えない。まぁ、見た目だけは可愛い女の子だけど。


 このままでは恥ずかしさで死にそうなので、強引に髪へと意識を戻した。


 まずはぐしで軽く整える。

 長い上に癖があるので、いきなりくしを通してもまともに解せない。少しでも雑に扱えば頭皮を痛めてしまうのだ。


(きいちゃんの髪はきやすかったなぁ。細くて、絹糸みたいで)


 妹の髪を思い返して、笑みが零れた。


 この髪も柔らかくて触り心地は良いけど、如何いかんせん量が多くて癖がある。

 妹の綺麗な髪には及ばないけど、元の僕も、ここまでの癖毛ではなかった。そもそも、絡むほど伸ばしたこともなかったけど。


 ぐしで隅々まで整えた髪に、ようやくくしを通す。丁寧に解したにも関わらず、まだ櫛に絡まって毛根を痛めつけてくる。


 髪を梳くというだけなのに、時間も手間もかかるし、根気も要る。

 だけど、僕はこの繊細で地道な作業が、子供の頃から割と好きだ。


 乱れた髪が綺麗になっていくのは気持ち良いし、何より妹が喜んでくれる。その笑顔を見たくて、子どもの頃から妹の髪を梳いてきた。


 とはいえ、この長い癖毛は手強すぎる。


 もう少し何とかならないものかと、悪戦苦闘しながら手を動かし続けていく内に、いつしか思考が別の方向へと流れていった。


(……桜さんの髪って、触ったことないな)


 真っ直ぐな黒髪が、脳裏を鮮烈に彩る。

 綺麗な顔と大きくて鋭い目が印象的だけど、あの黒髪も綺麗だ。吸い込まれるような黒で、滑らかで、もはや奇跡だと思う。


 髪を下ろすのを何度も見たけど、その度に思わず見惚れてしまって、桜さんにげんな顔をされるのがお決まりだ。普段から下ろしていればいいのにと、内心で何度も思ったものだ。というか、今でも思っている。


 多分、彼女は自分の髪にほとんど関心を持っていない。綺麗な髪なのに、一つにまとめるだけだし、実にもったいない話だ。


(髪をときたいってお願いしたら、ドン引きされるかな……って、今さらか)


 自分の顔に見惚れたり図書館で興奮したりして、すでに何度もドン引きされた身だ。機会を見て、玉砕覚悟でお願いしてみよう。うん。


「…………」



 桜さんの髪に思いをせたからだろうか。昨夜の彼女が、脳裏によぎった。



(彼女にとって、ながひめはなんだったんだろう)


 もちろん、姉を死なせた憎い仇であるはずだ。実際、少し見ただけで全身が凍り付いてしまいそうなほどに、激しい憎悪に満ちた顔をしていた。


 だけど、大切なものを壊してしまった子供のような……そんな顔もしていた。




 本当は、殺したくなかった?

 一緒に過ごす内に、情が湧いた?


 それとも、もっと別の理由があるのか……考えたところで分かるはずがない。




 夜長姫に抱く想いは、桜さんだけのものだ。僕が共感できるものでも、ましてや共有できるものでもないだろう。


 僕にできることは、そばにいることだけだ。


 桜さんの罪を帳消しにするという条件で巫女になったけど、本当の意味で、帳消しにすることなんてできない。



 ゴーンと、時の鐘が鳴った。明け六つの正刻。



 元の世界風に言うなら、朝の六時だ。考え事をしている内に、いつの間にか一時間も経っていたらしい。絡まり放題だった長い髪も、すっかり綺麗に整った。


 そろそろ桜さんが起こしに来る頃合いだろう。早起きした僕を見て驚く桜さんを想像して、ちょっと楽しみになってきた。


 ふと、いつもと違うことをしようと思い立った僕は、座布団を引き、正座をし、背筋をピンと伸ばした。お城の愛らしい姫君のイメージで。

 せっかく髪を整えたのだから、この見た目に釣り合うことをしてみようと思ったのだけど、それがいけなかった。


「…………大丈夫?」


 桜さんが来るのが思いのほか遅くて、僕の足はすっかりしびれてしまった。

 その結果、ふすまの開く音に反応した瞬間に、痺れにやられてみっともなく倒れてしまったのは、ここだけの話。






    ***






「舞、ですか?」


 りんひめが「えぇ」と相槌を打った。


「巫女が国の中心部である社町で舞って、一年の穢れを払う儀式よ」


 桜さんはこの場にいない。従者や侍女たちは、別の部屋で食事をすることになっているからだ。ちょっと寂しい。


 できれば桜さんと一緒に食べたかったし、正直、巫女たちに囲まれた食事は緊張してならないのだけど、それはわがままというものだろう。



 朝食の話題は、視察についての説明だった。



 明日から始まるということで、僕向けの初心者講座のような感じになっている。いきなり巫女になった身としては、ありがたい話だ。


 約四、五か月の馬車旅らしいけど、馬車の揺れには良い思い出がない。体を打ち付けたり、途中で具合が悪くなって吐いた衛兵さんを目の当たりにしたりと、ファンタジーな馬車のイメージが音を立てて崩れていったものだ。


 黄林姫が言うには、視察ではそんなことにはならないから大丈夫という話だけど、不安はどうしてもぬぐえない。



 そして視察でおもむく各国の社町で、巫女は舞を披露するのだという。



「視察のことは知ってましたけど、巫女が舞うっていうのは初耳ですね」

「民衆の間では、舞はあくまで視察の余興という認識が強いのでしょうね。でも、視察の本来の目的はその舞の方なのよ」

「へぇ、なんだか楽しそうですね」

「言っておくけど、儀式の形式としてじゃなくて、実際に一年のけがれを払うのよ」


 おうの溜め息交じりの言葉に、思わず「えっ!?」と声を上げてしまった。


「舞は巫女の重大な使命の一つよ。巫女になったからには、お祭り気分で舞うなんて絶対に許されないから。しかときもめいじておきなさい」

「あ、はい……」


 もちろん、お祭り気分で挑むつもりはないけど、近所の夏祭りの巫女舞を思い出してほっこりしたのは図星なので、ちょっと恥ずかしい。


 縮こまった僕を見てか、こうが「大丈夫だよ」と笑って続けた。


「別に難しい話じゃない。表向きは舞いつつ、余分な気を切るだけだからね」


 普通に難しそうだ。ナニソレ。

 だけど、前にそんな話を桜さんから聞いたことがある。国が乱れないよう、巫女が気の流れを管理して整えているのだと。


「……確か、陰と陽の気のきんこうを保つのが、巫女の役目なんですよね?」


 黄林姫が「えぇ、そうよ」と微笑んだ。

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