「次は、その娘の処遇だね」
虹姫の言葉を聞いて、
なんでだ?
僕たちは、あの結界にかかったから連れて来られただけのはずだ。夜長姫を殺した罪とは、なんの関係も――――
(いや……違う)
この人たちは僕と話をしただけで、嘘をついていないと断言した。
もし、その力で、桜さんの罪を既に知っているのだとしたら……?
想像して、身震いした。
落ち着かないと。意識して、呼吸を整える。
「夜ちゃんの死後、黒湖で気の乱れが生じたの」
僕の心情などそっちのけで、黄林姫がやけに神妙な面持ちで語り始めた。
「本来なら、私たちが直々に気を見て調べるところだけれど、黒湖は近付くだけで命を落としかねないから難しくて」
「……知ってます」
「だから私たちの代わりに、彼女に黒湖を調査してもらうことにしたの」
「え――」
「もっとも、彼女に気を見ることなんかできないから、私たちが彼女の目になるという形で連携していたのだけれど」
どうやら、巫女たちには千里眼やテレパシーのような力もあるらしいけど、別に今さら驚くことではない。そんなことより――――
「なんで、そんな危険な場所を調査するように命じたのかって?」
虹姫に先回りされて、ドキリとした。
「仮に死のうが消えようが、どのみち本来なら死刑なんだから一緒だろ」
「だけど……っ」
「虹さん、そんな意地悪な言い方しないの」
「はいはい」
黄林姫に
「調査を命じたのは、何も捨て駒にしたわけではないわ。黒湖に呑まれない体質である彼女にしか、頼れなかったのよ」
「呑まれない、体質?」
さっき、虹姫がちらりと言っていた『変わった体質』のことだろうか。
門の結界に反応せず、黒湖に呑まれない体質。
この二つに、どんな繋がりがあるのだろう。結局、結界には反応したわけだし。
(そもそも、湖に呑まれない体質って一体……)
ますます訳が分からないけど、桜さんの命を蔑ろにしたわけではないことは確かみたいだ。黒湖に送ったこと自体は……許容できないけど。
「結論から言うと、気の乱れというのは、あなたのことだったわ」
「え、僕っ?」
「突如現れた気の乱れが、巫女に選ばれた……それが、門の結界が反応するほどの異常事態なの。あなた自身、心当たりはあるんじゃない?」
「…………」
確かに、あんなのは普通じゃない。いきなり川の上にいたなんて。
「黒湖で生じた気の乱れは、川に流されるように黒湖の外に出て、静国の社町付近で人の気へと変じたわ。私たちが知っているのはここまで」
「え?」
「突然、連絡が途絶えたのよ。こちらから使者を何度も寄越したけど、何もないの一点張り。引き続き調査をしているようだったし、こちらも何も感じ取れなくなったから、しばらく様子を見ることにしたけれど」
(……そんな)
気の乱れの正体が、僕。
それが人になった途端に、連絡が途絶えた。
つまり桜さんが、僕の存在を巫女たちから隠したということだ。
外に出る時に僕を連れていかなかったのも、そう考えれば
頻繁に外に出ていたのだって、使者をあしらったり、調査をしている素振りを見せたりして、僕を隠し続けるためだったんだ。千里眼を持っているような巫女たちの目を、どうやって誤魔化したのかは謎だけど。
「じゃあ、桜さんが今、こうして縛られているのは……僕を
「その通りよ」
黄林姫の声が、無情に響いた。
「あなたはね、始めからここに来なければならなかったの。なぜだか分かる?」
「町の騒動、ですか?」
「えぇ。幸い数人の軽傷者だけで済んだけど、怒りで頭に血が上った人間は、何をするか分からない。死者を出す可能性も充分あったわ。そもそも、彼女が夜ちゃんを殺さなければ、今回の事件は起きなかった」
「……それこそ、夜長姫と関係あるんですか?」
「黒湖様のご加護によって守られているはずの巫女が命を落とし、その直後に黒湖から気の乱れが生じた……なんの関係もないという方が、おかしいと思わない?」
「――――っ」
突然襲いかかってきた男。町の人たちの豹変。
正直、夜長姫の死と僕の存在の関連性は、憶測の域を出ないと思う。
だけど、あの夜の事件は、夜長姫と瓜二つの僕がそこにいたから起こった。それだけは動かしようのない事実だ。
どうすればよかったのだろうと考えていた。
馬車の中でも、中つ国の社の部屋でも、ここに座らされてからも、ずっと。
簡単なことだった。
全部、僕が始めからここに来れば防げた事態だったんだ。あの人が襲いかかることもなかったし、遺族たちが心を乱すこともなかった。
何より、桜さんが僕を
何が桜さんの自由を奪うつもりはない、だ。
最初から、僕が全部奪っていたんじゃないか。
「桜さん」
黄林姫が、桜さんの方を再び見た。
呼び方が変わっただけではない。声色まで冷たくて、まるで別人のようだ。
「あなたは巫女殺しという大罪を犯し、黒湖の気を乱しました。さらにはその乱れの元である葉月さんを匿い、静国の社町に騒乱を呼びました。これらは七国全てを揺るがす重罪に値する……よって、斬首に処します」
斬首。その一言で、心臓の鼓動が痛いくらいに跳ね上がった。
「ちょっと待ってください! 殺人はともかく、町の被害は黒湖様の加護によるものじゃないんですかっ? 僕は罪人じゃないって――」
「いいえ、あなたよ」
きっぱりと、黄林姫は言った。
「確かに、あなたは罪人じゃない。黒湖様のご加護によって守られただけ。でもそれは、選ばれた本人が心から望んで、初めて起こる現象なの」
「僕が……?」
「他でもないあなた自身が、町の人を退けることを心から望んだのよ。それは一体、誰のためだったのかしら?」
「…………」
そうだ、最初は確実に死へと向かっていた。
どうしようもないと思ったし、実際にだんだん意識が遠のいていった。
それなのに、桜さんの声がした途端に意識がはっきりした。桜さんが殺されると思った瞬間、僕は叫んでいた。
その後は、桜さんと逃げることだけを考えた。
桜さんと一緒に、この町を出たいと――――。
「……やっぱり、僕のせいじゃないですか」
「あなたは何も知らなかったのでしょう? そんな幼子同然の者を罪に問うなんて、さすがの私たちにもできないわ」
思わず、桜さんの顔を見た。この展開を前にしても全く動じていない。まるで、最初からこうなることを分かっていたかのように。
桜さんと、目が合った。
彼女はただ、小さく笑った。
(…………嫌だ)
あの時の寂しい笑顔が、頭を
こんなのは、嫌だ。こんな風に終わるのは。
桜さんの心からの笑顔、まだ見てないのに。
「――待ってください!! 確かに僕は何も知らなかったけど、だけど!」
「殺さないでほしいって?」
「当たり前じゃないですか!!」
どこか茶化すような虹姫の言い方に、思わず言葉が荒くなってしまった。
自分の口から出た言葉に、語気に、自分で驚いていた。今まで生きてきて、人にこんな口を聞いたのは初めてだったから。
巫女たちの視線が、一気に僕へと向けられる。背筋がぞわりと震えた。全身から嫌な汗が
せっかく縄を解かれたのに、無礼だと首を落とされるかもしれない。
(いや……むしろチャンスだ)
言葉でどうにもできないなら、動けばいい。
そうだよ。ここで桜さんを死なせるくらいなら、生きてる意味なんかない。
「…………へぇ。あんた、普通に怒るんだ」
虹姫が、座敷から降りてきた。さっきとは違って今度は大仰なまでにゆっくりと近づいてくる。獲物を追い詰めるかのように、じわじわと。
唇をきつく噛みしめた。
目を
ニヤリと、虹姫が口の端を釣り上げた。
「できるよ。あんたなら、その娘を助けられる。しかも、その罪も帳消しにして」
「え?」
「その娘は元々、夜長の侍女だ。しかも、非常に優秀で気に入られていたと聞く。優秀な人材には限りがある。それをみすみす捨てるのは惜しい。そこでだ」
虹姫が、僕をゆっくりと指差す。
「葉月。正式に月国の巫子になって、桜を従者にしないか?」
「…………え?」
「お待ちください!!」
鋭い声が隣から上がった。
驚いて、思わず桜さんを再び見た。ずっと落ち着いていたことが嘘のように、血相を変えて、虹姫を睨みつけている。
「なぜそのような話になるのです!? 黒湖様に選ばれたからといって、なんの修練も受けていない者をいきなり――」
「身の程を
立ち上がりかけた桜さんを、虹姫が見下ろす。
「決めるのは私たち。あんたは今回の異常を見つけ次第、ただ連れてくるだけ。最初からそういう話だったはずだろ?」
「意見をするなという話ではないはずです」
「意見? 任務を放棄したあんたが?」
「連れてくるべきではないと判断したから、連れていかなかったまでです」
「その判断の結果がこれだ」
桜さんが口を
それを虹姫は、少しも意に介さないどころか、口角を上げて見つめ続けている。さながら、
笑っているけど、凄まじい。
あれは、桜さんへの
黄林姫が「葉月君」と話を続けた。
「今、月国には巫女がいないの。社は大変混乱しているのよ。しかも巫女の従者が行方をくらました上に、先日、静国で騒ぎを起こしたわ」
(僕を襲った、あの男の人か)
「幸いというべきか、夜ちゃんが七年前の鬼狩り再来事件の黒幕という情報が流れたことで、今のところ国民は喜んでいるわ。だけど、それも長くは続かないでしょうね。鬼であろうが、気の流れを保てるのは巫女だけなのだから」
言わんとしていることは分かる。
一つの国が混乱すれば、その影響が他国にも及ぶ。その影響が長ければ長いほど、国は
つまり、早急に後継が必要ということだ。
「あなたが何者なのかは分からないけれど、少なくとも、夜ちゃんの後釜になれるくらいの力を有しているわ。門の結界が見えたのでしょう?」
「えぇ、微かにですけど……」
「あれを見るのは至難の業なのよ。巫女に選ばれるほどの者でもない限り、不可能と言っても過言ではないわ」
(だから、桜さんには見えなかったのか)
「ま、私たちとしては、あんたに是非とも月国の巫子になってほしいわけ」
虹姫が再び口を開いた。
重苦しい空気が、一気に圧しかかってくる。
「どうする? 考える時間が欲しいって言うなら、一日くらい待つよ」
「いえ、結構です」
先延ばしにしたって、意味はない。
桜さんの命が
「僕が月国の巫子になれば、桜さんの罪を帳消しにしてくれるんですよね」
「葉月!!」
桜さんの声が、鋭く響いた。
「巫子になれば、死ぬまでずっと社に縛られ続ける!! ましてや二島の巫子になるなんて、島に幽閉されるも同然なの!! そうなれば、人としての生を歩めなくなるのよ!? 私のことはもういいから――」
「構わない!!」
僕は、力の限り叫んだ。桜さんの強さに押されないように、全力で。
「僕は桜さんがいなくなる方が嫌だ!!」
「…………っ!」
本当は怖い。桜さんの口から改めて聞いて、余計に怖くなった。叫ばないと、何も言えなくなってしまうくらいに。
その恐怖に押し潰されるわけにはいかない。
今だけは、絶対に……!!
「……僕は、月国の巫子になります」
「決まりだね。ようこそ、巫女の世界へ」
ようこそ。虹姫のたった一言で、僕の歩む道は確立された。
もう後戻りはできない。だけど、不思議と後悔はなかった。
それよりも、最悪の事態を
「では、これにて解散。と言いたいところだけど……けじめはつけないとね」
「けじめ……?」
何やら、バケツらしきものが運ばれてきた。地面を叩きつけるような音と共に置かれたそれの中には、大量の
薪に火が点けられた。瞬く間に、薪を覆いつくして火の海と化していく。
(……何、あれ?)
別の人が、何やら棒を手にしている。
それを見て、息が詰まった。
棒の先端が、印鑑のような形をしていたのだ。
(…………嘘だろ?)
「本来、殺人は死罪か良くて幽閉。ましてや、巫女殺しはこの世において最も重い罪。何の制裁もなしで終わるわけにはいかないのよ」
「そんな――」
すがるような思いで、巫女たちの方へと向き返る。そして、全身が凍り付いた。
誰一人、顔色を変えていない。
まるで、いつもの風景でも見ているように。