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第五話「花の宴 ーはなのえんー」 (後編) ①

「まずは、葉月君と桜ちゃんを連れてきた理由を説明しないとね」


 僕たちの緊張を解すためか、黄林姫が柔らかく微笑する。会議と言いつつ、この状況の説明からしてくれるようだ。


 そんな中で「おい!」と荒い声が上がった。

 彩雲君だ。場の空気を乱すなと言わんばかりに、白い目の数々が彼をなじる。


「だからオレは聞くつもりねぇって――!?」


 彩雲君が、横で押さえつけている三郎さんを睨みつけた。あの痛がり方は、さっきの僕と同じように背中をつねられたのだろう。


「会議が終わるまで口を開くな。少しもだ」


 言われた通りに口をつぐんだものの、表情だけで「なんでオレが」と憤慨している。いきなり自分と関係のない話を聞かされる羽目になった上に、口答えも許されないのだ。無理もない。なんというか……ごめんね。


 とばっちりを受けた彩雲君に内心で謝りつつ、改めて黄林姫へと意識を向けた。


「社町の門には、常時結界を張っているの。そこが反応すると、異常事態が発生したことを巫女は感知するのよ」

「門に張ってあった、膜のようなものですか?」

「あれが見えたの?」

「はい。桜さんは、全く見えなかったみたいなんですけど……」


 巫女たちが、何やら目配せをし合っている。

 黄林姫が「その件は、ひとまず置いておくわね」と話を再開した。


「結界が反応した場合、全ての巫女が中つ国の社に集まり、結界に触れた者を連れてきて事態を把握しなければならないの。それが、二人がここにいる理由よ」

「そんな防犯シス……対策があったんですね」

「防犯というよりは、異常事態への対応ね。故に、滅多なことでは反応しないわ」

「……夜長姫が蘇ったと、町の人や衛兵さんは言っていました」


 ブッ、と息を吹き出す声がした。

 虹姫が、盛大に笑い出したのだ。一体どこに笑いどころがあるのだろう。


「ないない!! それはないって!!」

「えっ、でも」

「死んだ者は土に還る。どんなに強い力を持つ巫女だって例外じゃないよ」


 あまりにもあっさりと言い放たれたものだから、返す言葉を失ってしまった。


 死者は例外なく土に還る。

 その通りだと思う。もちろん、僕自身も。


 この世界で健康な体を手に入れたけど、元の僕は多分――死んでいる。元の僕として、元の世界で家族と再会することはないだろう。



 だからこそ、どうしても不可解なことがある。



「僕、胸を刺されたのに生きてるんですが……」

「別に変な話じゃないよ。私らだってそうだし」

「え?」

「私ら巫女はね、寿命が尽きるまでは基本的に死なないんだよ。全身を切り刻んでも、頭を潰しても、心臓をいても」


 虹姫が、意味ありげに「基本的には、ね」ともう一度繰り返す。

 なんだか引っかかる言い方だけど、それ以上に聞き流せない言葉があった。


「……まるで、僕が巫女であるみたいですね」

「お、呑み込み早いじゃん」

「え?」

「あなた、くろさまに選ばれたのよ」



(選ばれた? 『クロコ様』……?)



「それはつまり……僕が、巫女に選ばれたということですか?」

「正確には、巫女の候補にすぎないわ。普通はあり得ないのだけれど」

「え?」

「結界が察知した異常事態というのは、あなた自身のこと。あなたが黒湖様に選ばれたということが、今回の異常事態なの」

「僕が選ばれることが、ですか?」

「そう。あなた、とても異質なのよ。私たち巫女から見てもね」

「それは、どういう……」


 言いかけて、思い出した。

 あの時、僕は桜さんに引っ張られていたはずだ。僕が先に触れるはずがない。


「……あの、先に触れたのは桜さんでしたよ。第一、町に入った時は何も――」

「やっぱりね」



 不意に、虹姫が呟いた。



「あんたの認識は正しいよ。確かにその娘は、あんたと違って普通の人間だ。変わった体質の持ち主というだけでね」

「体質……?」

「入る時に何も起きなかったのは、その体質のたまものだよ。もっとも、町から逃げようとした時は上手くいかなかったみたいだけど」


 何を言っているのか、僕には全く分からない。


「いや、失念していたのかな? 門には常時、結界が張ってあることを」

「…………」


 虹姫に何やら意味ありげな視線を向けられるも、桜さんは眉一つ動かさない。


「まぁ、あんたにとっては存在しないも同然だ。見えないものを『あるもの』としてとらえるなど、無理難題もいいところだろう」


(桜さん……)


 一つだけ、確かなことがある。

 僕が、あの膜に異常事態の対象にされたということだ。逆に言えば、それ以外の人間は普通、あの膜にかからない。


 だけど、桜さんはあの膜にかかった。


 それはつまり、異常事態である僕を逃がそうとしたから、桜さんも異常事態の対象にされてしまったということだ。




 桜さんは、僕のせいで捕まったんだ。


 僕が、桜さんの命を、危険にさらして――――




「大丈夫? 顔が真っ青よ?」


 黄林姫の声で、僕は自分がうつむいていたことに気付いた。慌てて顔を上げる。


「……大丈夫です。すみません」


(落ち着け、僕)


 それによく考えたら、あの結界が反応したから連れてこられたという話だ。桜さんの罪は、まだ明るみに出ていない。


(大丈夫、大丈夫だ)


 ゆっくりと、深呼吸をする。

 取り乱している場合じゃない。今は、現況を把握することが最優先だ。



 桜さんを、確実に守るために。



「……『クロコ様』というのは、五国の中心にある『くろ』のことですか?」

「厳密に言うと、黒湖の『意思』ね。詳しいことは分からないけれど、あの湖に意思のようなものがあるのは確かよ」


(泉に宿る精霊、みたいな感じかな)


「私たち巫女は皆、生まれながらに人ならざる力を宿しているの。場合によっては『鬼』と恐れられてしまうような力をね」

「鬼……」

「黒湖様は私たちのような人を保護し、世のため人のためとなるよう生かしてくださる存在……いわば守り神様ね。私たちは、そんな神様にお仕えしているのよ」


 精霊どころか神様だった。八百万やおよろずの神とかに近いのだろうか。


(……ん?)


 巫女に選ばれる者は皆、生まれながらに人ならざる力を宿している。それなら、なんで僕が選ばれたんだろう。



 人ならざる力なんてない、普通の人間なのに。 



「私たちは敬愛を込めて『黒湖様』とお呼びしているわ。黒湖様は、命が尽きるその時まで守り続けてくださるから」

「僕も……守られたんですね」


 虹姫が「そういうこと」と言いながら背伸びをし、大口の欠伸あくびまで披露した。場の空気にそぐわない緊張感のなさだ。


「要は傷の治癒も、町の連中を吹き飛ばしたのも、何もかもが『黒湖様のご加護』ってやつだよ。黒湖様様だね」

「虹」


 花鶯姫の鋭い視線が、虹姫へ向けられた。


 さっきから怒ってばかりの彼女だけど、ことさら本気で怒っているのだと分かる目付きだ。それなのに、虹姫は全く顔色を変えない。


「黒湖様に対して、失礼にも程があるわよ」

「はいはい。今日も黒湖様信仰の熱いこって」

「巫女として当然のことでしょ」


(そういえば、さっき社を『神聖な場』だと言っていたな……)


 花鶯姫の前では『黒湖様』をおとしめるような言葉はもちろん、その存在を疑うような言葉も口にしない方が良さそうだ。


 それに、黒湖様が守ってくれたのは確かだ。

 あれがなかったら、僕はとっくに殺されていた。桜さんだって――――



(――――あれ?)



 黒湖様の加護のおかげで、僕たちは助かった。

 それじゃあ、あの人たちが吹き飛んだのは……僕のせいじゃない?


「あのっ、黄林様」

「何かしら?」

「……僕は、罪人じゃないんですか?」


 黄林姫が、少し目を丸めた。

 だけど、すぐに慈愛の笑みを浮かべた。


「えぇ。もちろんよ」

「――――っ」


 黄林姫のその一言で、思わず「よかった……」と声が漏れた。


 ずっと僕のせいだと思っていたから、気味が悪くて仕方なかった。

 何より、これで桜さんの助命を聞き入れてもらえる望みも出てきた。罪人とそうでないのとでは雲泥の差だ。


「ところで、あなたはどこから来たの? 記憶喪失者として登録されていたけど」

「えっと、記憶喪失というか……」


 言って信じてもらえるだろうか。

 いや、言わなきゃもっと怪しまれる。


「……僕、この世界の人間じゃないんです」


 やはり、巫女たちはそろって目を丸めた。頭のおかしい奴だと思われたかもしれないが、事実なのだから仕方がない。


「それは、異なる世界から来たということ?」

「はい。でも、どうやって来たのか全然分からないし、覚えてないんです。名前とか自分のことはちゃんと覚えているんですけど……」

ずいぶんこうとうけいな話ね」


 花鶯姫が疑いの目を向けてきた。うん……普通そうなりますよね。


「見たところ、嘘はついてないようだけど」

「信じてくれるんですかっ?」

「一目で分かるもの。嘘の色は目立つから」

「嘘の色?」

「ま、異世界から来たなんて、嘘にしちゃ間抜けすぎるしな。みんなは?」


 虹姫の問いかけに、落葉殿が「嘘はついてないよ」と即答した。


「ちょっと臭いけど」

「え!?」

「……あぁ、ごめん。そういう意味じゃないよ。気にも、においがあるんだ。青臭さがちょっと鼻にくるだけだから、気にしないで」


(青汁みたいなのかな……嫌だな、それ)


「あ、あの」


 蛍姫が、おどおどしながらも声を上げた。


「私も、嘘をついていないと思います。ほくほくのれいしょの味がしますから」


(……共感覚、だったかな)


 文字に色を感じるとか、音に味を感じるといったように、一つの感覚と他の感覚を同時に認識する人がいるらしい。


 要するに、脳が引き起こす知覚の現象だ。

 この世界においては、共感覚も『人ならざる力』という認識なのだろうか。



「おい、まだ終わんねーのかよ。さっきからなに言ってっか分かんねーしよ」



 彩雲君の声に、蛍姫がビクリと肩を震わせた。

 世話焼きな花鶯姫が、すかさず「ちょっと」と彩雲君を見据える。


「今は私たちが話しているのよ。自分の頭の悪さを棚に上げてわめかないで」

「んだとコラァ!!」


 立ち上がりかけた彩雲君だが、即刻三郎さんに頭から地に叩き伏せられた。


「はなせクソカス死ね!!」

「いい加減にしろ!!」


 三郎さんが彩雲君の首に手刀をぶち込んだ。

 彩雲君はピクリとも動かなくなった。


「皆様、大変失礼いたしました」


 物騒な一幕などなかったかのように、三郎さんが恭しくお辞儀をした。

 そして、手刀をぶち込まれた彩雲君はやっぱり動かない……大丈夫、だよね?



「葉月さんでしたね」



 炭姫が久方ぶりに口を開いた。


「あなたからは嘘の音はしませんが、一つ気になることがあります」

「えっと、なんでしょう?」

「あなた、人間ですか?」

「え!?」

「ちょっと炭、それどういうことっ?」


 花鶯姫が困惑の声を上げた。変な質問だと思ったのは、僕だけではないらしい。


「あまり人間相手には感じない音でしたので。深い意味はありません」

「いや、どういう音よ?」

「植物に感じることが多い音、としか言い様がありません。私が感じる音は、皆さんのように具体的に表現できるものではないので」

「へぇ、こいつが歩く植物だって? 試しに埋めてみるか。育つかもしれないぞ」

「僕は人間です!!」


 身の安全の確保のため、僕は速攻で否定した。


 冗談にしても、虹姫の発言はさっきからやたらと物騒すぎる。横で黄林姫がくすくすと笑っている辺り、いつものことなのかもしれないが。


「まぁ、あなたが人間か否かはさておき……」


 そして黄林姫も、人の良さそうな笑みでこの一言だ。地味に傷つくなぁ……。


「ひとまず、夜ちゃん本人ではないということは確信したわ」

「え、それはあり得ないって話じゃ……」


 たとえ巫女であっても、死んだ者は土に還る。虹姫はそう言っていたはずだ。


「念のためよ。ちゃんと検証しないと、夜ちゃんではないとは断言できないわ。現に、その言動を除けば、偶然なんて言葉では片づけられないほどそっくりだもの」

「……そんなに、似ているんですか?」

「えぇ、とても」



 黄林姫が、一層柔らかく微笑んだ。



(あ……また、その笑顔だ)


 なんでだろう。優しげなのに、この人の笑顔には、何か含みがあるように思えてならない。考え過ぎだろうか。


「虹さん、お願い」

「あいよ」


 虹姫が僕を指さしてきた。

 刹那、手首が縄の圧迫感から解放された。


「えっ……?」

「その縄は念のためだよ。あんたには偽りも攻撃性もないって分かったからね」

「あ、ありがとうございます……」


 後ろに、切断された縄が転がっていた。

 解放された喜び以上に、肝が冷えた。


(指をさしただけで切断って……あれ?)


 ふと、僕は気が付いた。桜さんのことについて、何も言っていない。彼女も、僕と同じように拘束されているはずなのに。


 もしやと思って、横を見る。




 桜さんの拘束は、まだ解かれていなかった。




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