「まずは、葉月君と桜ちゃんを連れてきた理由を説明しないとね」
僕たちの緊張を解すためか、黄林姫が柔らかく微笑する。会議と言いつつ、この状況の説明からしてくれるようだ。
そんな中で「おい!」と荒い声が上がった。
彩雲君だ。場の空気を乱すなと言わんばかりに、白い目の数々が彼をなじる。
「だからオレは聞くつもりねぇって――!?」
彩雲君が、横で押さえつけている三郎さんを睨みつけた。あの痛がり方は、さっきの僕と同じように背中をつねられたのだろう。
「会議が終わるまで口を開くな。少しもだ」
言われた通りに口を
とばっちりを受けた彩雲君に内心で謝りつつ、改めて黄林姫へと意識を向けた。
「社町の門には、常時結界を張っているの。そこが反応すると、異常事態が発生したことを巫女は感知するのよ」
「門に張ってあった、膜のようなものですか?」
「あれが見えたの?」
「はい。桜さんは、全く見えなかったみたいなんですけど……」
巫女たちが、何やら目配せをし合っている。
黄林姫が「その件は、ひとまず置いておくわね」と話を再開した。
「結界が反応した場合、全ての巫女が中つ国の社に集まり、結界に触れた者を連れてきて事態を把握しなければならないの。それが、二人がここにいる理由よ」
「そんな防犯シス……対策があったんですね」
「防犯というよりは、異常事態への対応ね。故に、滅多なことでは反応しないわ」
「……夜長姫が蘇ったと、町の人や衛兵さんは言っていました」
ブッ、と息を吹き出す声がした。
虹姫が、盛大に笑い出したのだ。一体どこに笑いどころがあるのだろう。
「ないない!! それはないって!!」
「えっ、でも」
「死んだ者は土に還る。どんなに強い力を持つ巫女だって例外じゃないよ」
あまりにもあっさりと言い放たれたものだから、返す言葉を失ってしまった。
死者は例外なく土に還る。
その通りだと思う。もちろん、僕自身も。
この世界で健康な体を手に入れたけど、元の僕は多分――死んでいる。元の僕として、元の世界で家族と再会することはないだろう。
だからこそ、どうしても不可解なことがある。
「僕、胸を刺されたのに生きてるんですが……」
「別に変な話じゃないよ。私らだってそうだし」
「え?」
「私ら巫女はね、寿命が尽きるまでは基本的に死なないんだよ。全身を切り刻んでも、頭を潰しても、心臓を
虹姫が、意味ありげに「基本的には、ね」ともう一度繰り返す。
なんだか引っかかる言い方だけど、それ以上に聞き流せない言葉があった。
「……まるで、僕が巫女であるみたいですね」
「お、呑み込み早いじゃん」
「え?」
「あなた、
(選ばれた? 『クロコ様』……?)
「それはつまり……僕が、巫女に選ばれたということですか?」
「正確には、巫女の候補にすぎないわ。普通はあり得ないのだけれど」
「え?」
「結界が察知した異常事態というのは、あなた自身のこと。あなたが黒湖様に選ばれたということが、今回の異常事態なの」
「僕が選ばれることが、ですか?」
「そう。あなた、とても異質なのよ。私たち巫女から見てもね」
「それは、どういう……」
言いかけて、思い出した。
あの時、僕は桜さんに引っ張られていたはずだ。僕が先に触れるはずがない。
「……あの、先に触れたのは桜さんでしたよ。第一、町に入った時は何も――」
「やっぱりね」
不意に、虹姫が呟いた。
「あんたの認識は正しいよ。確かにその娘は、あんたと違って普通の人間だ。変わった体質の持ち主というだけでね」
「体質……?」
「入る時に何も起きなかったのは、その体質の
何を言っているのか、僕には全く分からない。
「いや、失念していたのかな? 門には常時、結界が張ってあることを」
「…………」
虹姫に何やら意味ありげな視線を向けられるも、桜さんは眉一つ動かさない。
「まぁ、あんたにとっては存在しないも同然だ。見えないものを『あるもの』として
(桜さん……)
一つだけ、確かなことがある。
僕が、あの膜に異常事態の対象にされたということだ。逆に言えば、それ以外の人間は普通、あの膜にかからない。
だけど、桜さんはあの膜にかかった。
それはつまり、異常事態である僕を逃がそうとしたから、桜さんも異常事態の対象にされてしまったということだ。
桜さんは、僕のせいで捕まったんだ。
僕が、桜さんの命を、危険に
「大丈夫? 顔が真っ青よ?」
黄林姫の声で、僕は自分が
「……大丈夫です。すみません」
(落ち着け、僕)
それによく考えたら、あの結界が反応したから連れてこられたという話だ。桜さんの罪は、まだ明るみに出ていない。
(大丈夫、大丈夫だ)
ゆっくりと、深呼吸をする。
取り乱している場合じゃない。今は、現況を把握することが最優先だ。
桜さんを、確実に守るために。
「……『クロコ様』というのは、五国の中心にある『
「厳密に言うと、黒湖の『意思』ね。詳しいことは分からないけれど、あの湖に意思のようなものがあるのは確かよ」
(泉に宿る精霊、みたいな感じかな)
「私たち巫女は皆、生まれながらに人ならざる力を宿しているの。場合によっては『鬼』と恐れられてしまうような力をね」
「鬼……」
「黒湖様は私たちのような人を保護し、世のため人のためとなるよう生かしてくださる存在……いわば守り神様ね。私たちは、そんな神様にお仕えしているのよ」
精霊どころか神様だった。
(……ん?)
巫女に選ばれる者は皆、生まれながらに人ならざる力を宿している。それなら、なんで僕が選ばれたんだろう。
人ならざる力なんてない、普通の人間なのに。
「私たちは敬愛を込めて『黒湖様』とお呼びしているわ。黒湖様は、命が尽きるその時まで守り続けてくださるから」
「僕も……守られたんですね」
虹姫が「そういうこと」と言いながら背伸びをし、大口の
「要は傷の治癒も、町の連中を吹き飛ばしたのも、何もかもが『黒湖様のご加護』ってやつだよ。黒湖様様だね」
「虹」
花鶯姫の鋭い視線が、虹姫へ向けられた。
さっきから怒ってばかりの彼女だけど、ことさら本気で怒っているのだと分かる目付きだ。それなのに、虹姫は全く顔色を変えない。
「黒湖様に対して、失礼にも程があるわよ」
「はいはい。今日も黒湖様信仰の熱いこって」
「巫女として当然のことでしょ」
(そういえば、さっき社を『神聖な場』だと言っていたな……)
花鶯姫の前では『黒湖様』を
それに、黒湖様が守ってくれたのは確かだ。
あれがなかったら、僕はとっくに殺されていた。桜さんだって――――
(――――あれ?)
黒湖様の加護のおかげで、僕たちは助かった。
それじゃあ、あの人たちが吹き飛んだのは……僕のせいじゃない?
「あのっ、黄林様」
「何かしら?」
「……僕は、罪人じゃないんですか?」
黄林姫が、少し目を丸めた。
だけど、すぐに慈愛の笑みを浮かべた。
「えぇ。もちろんよ」
「――――っ」
黄林姫のその一言で、思わず「よかった……」と声が漏れた。
ずっと僕のせいだと思っていたから、気味が悪くて仕方なかった。
何より、これで桜さんの助命を聞き入れてもらえる望みも出てきた。罪人とそうでないのとでは雲泥の差だ。
「ところで、あなたはどこから来たの? 記憶喪失者として登録されていたけど」
「えっと、記憶喪失というか……」
言って信じてもらえるだろうか。
いや、言わなきゃもっと怪しまれる。
「……僕、この世界の人間じゃないんです」
やはり、巫女たちは
「それは、異なる世界から来たということ?」
「はい。でも、どうやって来たのか全然分からないし、覚えてないんです。名前とか自分のことはちゃんと覚えているんですけど……」
「
花鶯姫が疑いの目を向けてきた。うん……普通そうなりますよね。
「見たところ、嘘はついてないようだけど」
「信じてくれるんですかっ?」
「一目で分かるもの。嘘の色は目立つから」
「嘘の色?」
「ま、異世界から来たなんて、嘘にしちゃ間抜けすぎるしな。みんなは?」
虹姫の問いかけに、落葉殿が「嘘はついてないよ」と即答した。
「ちょっと臭いけど」
「え!?」
「……あぁ、ごめん。そういう意味じゃないよ。気にも、においがあるんだ。青臭さがちょっと鼻にくるだけだから、気にしないで」
(青汁みたいなのかな……嫌だな、それ)
「あ、あの」
蛍姫が、おどおどしながらも声を上げた。
「私も、嘘をついていないと思います。ほくほくの
(……共感覚、だったかな)
文字に色を感じるとか、音に味を感じるといったように、一つの感覚と他の感覚を同時に認識する人がいるらしい。
要するに、脳が引き起こす知覚の現象だ。
この世界においては、共感覚も『人ならざる力』という認識なのだろうか。
「おい、まだ終わんねーのかよ。さっきからなに言ってっか分かんねーしよ」
彩雲君の声に、蛍姫がビクリと肩を震わせた。
世話焼きな花鶯姫が、すかさず「ちょっと」と彩雲君を見据える。
「今は私たちが話しているのよ。自分の頭の悪さを棚に上げて
「んだとコラァ!!」
立ち上がりかけた彩雲君だが、即刻三郎さんに頭から地に叩き伏せられた。
「はなせクソカス死ね!!」
「いい加減にしろ!!」
三郎さんが彩雲君の首に手刀をぶち込んだ。
彩雲君はピクリとも動かなくなった。
「皆様、大変失礼いたしました」
物騒な一幕などなかったかのように、三郎さんが恭しくお辞儀をした。
そして、手刀をぶち込まれた彩雲君はやっぱり動かない……大丈夫、だよね?
「葉月さんでしたね」
炭姫が久方ぶりに口を開いた。
「あなたからは嘘の音はしませんが、一つ気になることがあります」
「えっと、なんでしょう?」
「あなた、人間ですか?」
「え!?」
「ちょっと炭、それどういうことっ?」
花鶯姫が困惑の声を上げた。変な質問だと思ったのは、僕だけではないらしい。
「あまり人間相手には感じない音でしたので。深い意味はありません」
「いや、どういう音よ?」
「植物に感じることが多い音、としか言い様がありません。私が感じる音は、皆さんのように具体的に表現できるものではないので」
「へぇ、こいつが歩く植物だって? 試しに埋めてみるか。育つかもしれないぞ」
「僕は人間です!!」
身の安全の確保のため、僕は速攻で否定した。
冗談にしても、虹姫の発言はさっきからやたらと物騒すぎる。横で黄林姫がくすくすと笑っている辺り、いつものことなのかもしれないが。
「まぁ、あなたが人間か否かはさておき……」
そして黄林姫も、人の良さそうな笑みでこの一言だ。地味に傷つくなぁ……。
「ひとまず、夜ちゃん本人ではないということは確信したわ」
「え、それはあり得ないって話じゃ……」
たとえ巫女であっても、死んだ者は土に還る。虹姫はそう言っていたはずだ。
「念のためよ。ちゃんと検証しないと、夜ちゃんではないとは断言できないわ。現に、その言動を除けば、偶然なんて言葉では片づけられないほどそっくりだもの」
「……そんなに、似ているんですか?」
「えぇ、とても」
黄林姫が、一層柔らかく微笑んだ。
(あ……また、その笑顔だ)
なんでだろう。優しげなのに、この人の笑顔には、何か含みがあるように思えてならない。考え過ぎだろうか。
「虹さん、お願い」
「あいよ」
虹姫が僕を指さしてきた。
刹那、手首が縄の圧迫感から解放された。
「えっ……?」
「その縄は念のためだよ。あんたには偽りも攻撃性もないって分かったからね」
「あ、ありがとうございます……」
後ろに、切断された縄が転がっていた。
解放された喜び以上に、肝が冷えた。
(指をさしただけで切断って……あれ?)
ふと、僕は気が付いた。桜さんのことについて、何も言っていない。彼女も、僕と同じように拘束されているはずなのに。
もしやと思って、横を見る。
桜さんの拘束は、まだ解かれていなかった。