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第四話「花の宴 ーはなのえんー」 (前編) ②

 目を開くと、そこは見慣れた白い天井だった。


(あれ? 確か、僕は馬車に……)


 ふと、視線を横に向ける。

 お母さんだ。担当の先生もいる。何か、話し込んでいる様子だ。


(……もしかして、今までのは夢?)


 一瞬そう思ったけど、違うとすぐに分かった。


 こっちを見たお母さんと先生の顔が、真っ黒に塗り潰されていたから――――








「――――起きろ!!」


 突然の大声に、思わず「うわっ」と叫びながら飛び上がってしまった。


「やっと起きたか」


 しかめっ面をした、水干のような着物の少年がかたわらにいた。


 髪は僕と違って、耳が隠れるくらいの長さしかない。端正な顔立ちだけど全体的に細身だ。僕の容姿ほどではないにしろ、女装をしても差し支えないだろう。

 少年だと思ったけど、それにしてはどこかかんろくがある。童顔というだけで、年上の可能性も充分にありそうだ。


 あまり見つめていても不審に思われるので、周囲に目をやった。


 簡素な机と椅子。硬いけど、馬車よりは各段に眠りやすい寝床と枕。窓がないことを除けば、ごく普通の部屋だ。


(そうだった。昨日、ここで寝たんだった)


 昨日の夜、中つ国の社に着いた僕たちは、巫女が全員揃うまで待機することになった。男女別ということで、桜さんは別館にいる。



 そういえば、僕らには監視がつくという話だ。



「……もしかして、巫女の従者の方ですか?」

如何いかにも。僕は三郎さぶろう。会議が始まるまで、貴様の監視を務めることになった」


 昨夜からずっと一人だったので、監視役とはいえ、話し相手ができたことに少し心が弾んだ。話し相手の方は、すごく嫌そうな顔で見下ろしてきているけど。


(やっぱり、罪人だと思われてるのかな。何も悪いことしてないんだけど……)


ずいぶんと間が抜けている」

「え?」


 しかも間抜けだと言われてしまった。事実だと思うから、何も言えないけど。


 反応に困っていると、なぜか三郎さんの方が目を泳がせ出した。妙な空気になりそうだったけど、その前に彼の視線が戻ってきた。


「……ただの独り言だ。鬼女もどきと聞いていたから、拍子抜けただけで」

「あの、『鬼女もどき』ってなんですか?」


 口を突いた言葉に、内心で焦った。

 話をしなきゃと思うあまり、独り言に突っ込みを入れる野暮をしてしまった。これでは間抜けと言われても仕方ないだろう。


 そんな野暮な質問に気分を害する様子もなく、三郎さんは律儀に答えてくれた。


「男なのだろう、貴様。ゆえに『もどき』だ」

「あぁ、なるほど」

「……貴様、鬼と言われて否定しないのか?」


 意外な質問に、僕は面食らった。


「えっと……否定する根拠がないというか、自分でもよく分からなくて」

「抵抗の意思もないようだが」

「いや、全くないってことはないですけど……逃げ切れる自信ないですし、そもそも桜さんを置いてはいけませんから」


 三郎さんが、急に真顔になった。

 にらまれる趣味は欠片もないけど、ずっとしかめっ面だったので逆に不安になる。


「あの、もしかして、何か変なことを言ってしまいましたか?」

「誰もそんなことは言ってない!!」


 静かになったと思いきや、今度は声を荒げた。


「何が鬼女だ!! 夜長姫が蘇ったとかいうから何事かと思えば、中身はただのへらへらした軟弱男ではないか!!」

「え? えっと……すみません?」

「そうやって軽々しく謝罪の言葉を口にするのも気に喰わん!!」

「あ、はい……」


 彼の沸点はよく分からないけど、もしかしたら僕が失礼な態度を取ってしまったのかもしれない。ここは素直に受け入れるのが吉だろう。


「少しは堂々とするか怯え震えるかしろ!! これではどう接すればいいか分からんではないか!! 姫様にお仕えする貴重な時間をいているというのに!!」

「…………」

「なんだ? 文句があるなら言ってみろ」

「……ふふ」


 思わず、笑いがこぼれてしまった。

 不機嫌なのには違いないけど、どうやら僕の不始末のせいではないようだ。


「おい、何を笑っている……?」

「すみません、つい」

「笑うな!!」


 三郎さんの顔が分かりやすく真っ赤で、どうしてもにやけが抑えられない。さっきまでちょっと怖かったのに、今は可愛く見えてしまう。


(この人も、僕と同じなんだ)



 そばにいるだけで満たされる人がいる。


 それなら今の僕の気持ちも、分かってはもらえないだろうか。



「あの、失礼を承知でお願いし――」

「聞かん」

「言う前から!?」

「聞いたところで、それをどうにかできる立場ではない。聞くだけ無駄だ」

「ですよね……」


(できれば、この願いだけでも聞いてほしかったんだけど……)


「どうしてもというなら、会議の際に意見として述べればよかろう」

「え、いいんですか!?」

「他の巫女は知らんが、我が国の姫様はかんだいな御方だ。話くらいは聞いてくださるだろう。もっとも……貴様にその度胸があればの話だが」

「ありがとうございます!」




『人殺しなのよ、私は』




 あれから数日、ずっと馬車に揺られてきたが、桜さんとはなかなか二人きりになれず、話の続きはできていない。


(桜さんが、夜長姫を殺した……)


 事情も、動機も、僕にはまるで分からない。

 だけど、不思議なことに、僕は桜さんを怖いとは微塵も思わなかった。それよりも、桜さんを失ってしまう不安が一気に膨れ上がった。


 衛兵が言っていたのは『夜長姫が蘇ったかもしれない』という話だ。


 でも、桜さんまで一緒に連行された。

 考えてみれば、おかしな話だ。てっきり、町の人に危害を加えたからだとばかり思っていたけど、本当は違うのではないか。


(あの場では騒ぎが悪化するのを危惧して言わなかっただけで、本当は――)


 僕の意思では、この状況をどうこうすることはできない。唯一できることと言えば、桜さんの助命を嘆願するくらいだ。



 だから、助命できる余地が僅かでもあるのなら願ったり叶ったりだ。



「三郎様、そろそろ」


 ふすまの向こうから女の人の声がした。この部屋に案内してくれた侍女だ。

 三郎さんが「今行く」と一言返すと、足音が早々に遠ざかっていった。


「巫女がもうじき揃う。行くぞ」

「あ、はい」


 三郎さんを待たせるわけにはいかない。ひとまず、両手を差し出した。


「なんだその手は」

「え? 僕は囚われの身なんですよね? 手、縛らないといけないんじゃ……」

「……寝起きの姿を、おおやけさらすつもりか?」

「あ、すみません!!」


 囚われの身以前の問題だった。これはちょっと恥ずかしい。


「それにまずは朝食からだ。基本だろう」

「…………」

「なんだ?」

「あ、いえ。優しいんだなって」

「はっ?」

「気にかけてもらえるとは思っていなかったので、驚いちゃって」

「……仕事だ。貴様の健康管理を怠れば、僕の不始末となる。そんなことがあれば、姫様に恥をかかせてしまうだろ」

「ふふっ」

「だからなぜ笑う!?」

「なんだか、あなたとは仲良くなれそうだなと思って、つい……」


 三郎さんが、小さく舌打ちをした。思わずやってしまったのだろう。少し慌てた様子で口を閉ざし、半ば投げやりのように吐き捨てた。


「勘違いするなよ。僕は、貴様と仲良しごっこをしに来たのではない」

「ですよね。あの、『三郎さん』って呼んでもいいでしょうか?」

「……勝手にしろ」

「あ、ちなみに僕は葉月っていいます。葉っぱと月で『葉月』です」

「知るか!!」


 結局、三郎さんは怒りっ放しだったけど、久々に普通の会話を楽しめた。桜さんといい、三郎さんといい、昔からこういう実直な人にはどこか惹かれるのだ。


(こんな状況じゃなかったら、普通に仲良くなれたかもしれないのにな……)


 そう思うと、少し残念だった。






   ***






 案内された先は、日本庭園を思わせる中庭だった。広大な屋敷も日本風だ。


 中つ国に着いた時も思ったけど、静国とそんなに変わらない。

 西が和風なら、東が中華風で、中つ国は両方が入り混じった独特の雰囲気といった感じを想像していたけど、別にそうではないようだ。


 屋敷の前には、十数人が向かい合わせに整列して座っている。全員、平安時代のちょうふくのような着物姿の男性だ。社の大臣とか官僚なのだろう。


 彼らの視線の先には、二枚のむしろが敷かれていた。いわゆる罪人ポジションだ。


 その一つに、桜さんが座っていた。

 僕と同じく、後ろ手を縛られている状態で。


「桜さ――――っ!!」

「喋るな」


 三郎さんの唸るような小声と同時に、背中に猛烈な痛みが走った。振り返ったらまたつねられそうなので止めておいた。


 桜さんの横に、同じように座る。

 気になって視線を横に向けようとしたが、すかさず三郎さんの声が制止した。


「巫女の御声がかかるまで、絶対に顔を上げるな。視線を動かすことも許されん」


 耳打ちをしてから、三郎さんは自分の席に着いた。やっぱり三郎さんは優しい。

 とはいえ、土と莚しか見えないこの状況は、もどかしくて仕方なかった。


(せめて、桜さんの顔色を見た――)




すだれを上げて」




 透き通った声が、僕の思考をさえぎった。

 三郎さんの忠告がなかったら、顔を上げてしまっていたかもしれない。


 程なくして、簾を上げる音がした。




「皆さん、顔を上げてください」




 澄んだ声に従って、恐る恐る顔を上げた。


(……あれ?)


 平安貴族のような身なりの五人が、座敷の奥で鎮座している。

 その内の一人が男性の恰好をしていた。しかも、他の四人と違って、僕と同じように髪を一つに束ねている。


(男装でもしてるのかな。でも、なんか……)


「この度は、遠方からはるばるお越し頂きありがとうございます」


 中央にいる女性が、穏やかな口調で挨拶を述べた。驚くほど透き通った声の人だ。簾を上げさせたのも彼女だろう。


 夜長姫に似ていると言われる僕のように分かりやすく愛らしい顔でも、桜さんのように鋭く目力があるわけでもない。

 少し目が垂れている以外に表立って目立つ特徴はないが、遠目から見ても均等に整った顔立ちだ。大和撫子という言葉がしっくりとくる。


 透んだ声に見合う控えめな美しさと、大人の穏やかさを持つ女性だ。向日葵ひまわりのように柔和な黄色の着物も、彼女の慎ましやかな魅力を最大限に引き出している。


 不意に女性と目が合った。女性が小さく笑う。

 ただ微笑んでいるだけなのに、なぜだろう。目が……離せない。

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