かつて、この世界では『鬼狩り』が長きに渡って
元々は
それがいつしか民衆の不満の矛先として、社の外でも大々的に行われるようになった。現在は『鬼狩り』といえば、こちらを指す。
鬼に仕立て上げられた者は、『鬼』だと自白するまで拷問にかけられた。
自白すれば『鬼』として処刑され、自白しなければ死ぬまで拷問される。どのみち『鬼』に待ち受けるのは死だ。
死にたくないのなら、別の『鬼』を差し出すしかなかった。
当然、拷問から逃れようと『鬼』をでっち上げる者が続出する。一人また一人と、『鬼』は
そんな悪循環が百年ほど続き、犠牲者は判明しているだけでも七万は下らない。
(要するに、鬼が実在しているのではなく、そういう概念があるだけか……)
多大な犠牲を出した鬼狩りも、今から四十年ほど前に終止符が打たれた。
国家間で侵略行為を行わないといった内容の『平和条約』を結んだ際に、その一環として規制されたことで廃れていき――――
「勉強熱心ね」
不意に後ろから声がして、思わず「わっ!」と声を上げた。別にやましいこともないのに、その勢いで本を閉じてしまった。
「驚きすぎにも程があるでしょ」
桜さんが、くすくすと小さく笑いながら
(普段の桜さんは凛としててカッコいいけど、笑うと可愛い……)
桜さんは、僕が見ている限り裏表のない人だ。
一見すると愛想がないようだけど、必要以上に作り笑いをしないだけだ。
そんな桜さんが笑いかけるということは、それだけ気を許してくれているということだ。僕としては嬉しいことこの上ない。
「いつもは私が帰ってくると、子犬みたいに下りてくるのに」
「僕、そんな風に思われてたんですか……」
まさかのペット扱いである。男どころか、人間としてすら見られていなかった。
「鬼狩りについて調べてたの?」
「はい。ちょっと、気になることがあって」
「町の人の視線と、関係あること?」
「えぇ、まぁ……」
ここに来てから、やけに町の人たちの視線を感じることが多くなった。
相談というほどではないが、やっぱり気になるものは気になる。
だから先日、桜さんにもそのことを伝えた。珍しい外見をしているからだろうと、桜さんが言ったので納得していた。
もちろん、それが最もな理由だとは思う。
だけどこの町に来て一週間も過ぎると、それだけじゃないような気がしてきた。
何か怖いものを遠巻きに見ているような、そんな気がしてならないのだ。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに。
(慣れてくると、そうでもなくなるんだけど。餅屋の主人や大将みたいに)
だけど、昼間の広場での会話で思い出した。
ここに来た翌日に耳にした、女性たちの会話だ。内容はよく分からなかったけど、何度か『鬼』という単語が聞こえてきた。
あの女性たちは、目が合った途端にそそくさと立ち去って行った。
「もしかして……僕も『鬼』なのかなって」
「どうしてそう思うの?」
「僕の世界でも、ずっと昔に、鬼狩りと似たようなことがあったんですよ。対象が『魔女』って以外は、鬼狩りと本当そっくりで」
魔女狩りも、元々はカトリックが異教徒を弾圧したのが始まりだった。それがいつしか、民衆のストレス発散を目的としたエンターテイメントと化したのだ。
そして生贄にされた者の多くは、立場の弱い人や異邦人だったという。
「だから、確証はないんですけど、僕の見た目もそう取られるのかなって」
「それはないわ」
「え、マジですかっ?」
「まじよ」
相変わらずノリの良い桜さんだ。
「見た目で差別されても、鬼狩りにまで発展することはないわ。今の時代において『鬼』と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみよ」
つまり、夜長姫がそうだということだ。
夜長姫は『鬼』と呼ばれるようなことをした。だから、人々はその死を喜んだ。
昼間、大将が耳打ちした言葉を思い返す。
『お前、夜長姫と似てるんだよ』
(桜さんにも、聞かない方がいいのかな)
さっき大将は、夜長姫のことを
そして大将は、桜さんの知り合いでもある。桜さんがこの町で
彼の言う『人前』や『誰にも』には、当然、桜さんも含まれているだろう。
(桜さんだから、聞きやすいんだけど……)
桜さんの顔をそれとなく、注意深く見る。
どことなく、顔色が優れないような気がした。仕事で疲れているのかもしれない。
「今日のところは寝ましょう。明日も早いわ」
「そうですね」
どのみち、明日の閉店後に話を聞くのだ。桜さんに相談していいかどうかは、それから考えても遅くないだろう。
(それに、僕も疲れた……)
布団に入ると、一気に眠気が押し寄せてきた。
そのまま、いつの間にか眠りに
***
「悪かったな。昨日、途中で話切っちまってよ」
「いえ、お構いなく」
出されたお茶と
「僕が、夜長姫に似ているって言ってましたね」
「あぁ。夜長姫は亜麻色の髪に大きな目、幽霊みたいに白い肌と、とにかく浮世離れした外見だったんだ。瞳も不思議な色だったらしいぜ」
(不思議な色か……)
今朝、鏡で自分の顔を改めて観察した。
髪にばかり目がいって気付かなかったが、透き通るような薄い茶色の瞳をしている。光の当たり具合では、
我ながら綺麗な色をしていると思う。それはもう、桜さんにドン引きされるレベルで見惚れてしまうくらいに。
「
「
「はい。確か、巫女たちが近況を報告し合う集まりですよね」
「あぁ。巫女たちが視察に来るのは、大体巫総会の後なんだよ」
「なるほど」
年に一度、桜の季節が終わる頃に『巫総会』が
「あの、聞きたいことがあるんですけど……」
「夜長姫が『鬼』だって言われてることか?」
大将の顔色を窺いながら頷く。その話をしてくれるだろうとは思っていたけど、いざ目の前にすると少し怖い。
「桜さんに、いろいろ話を聞いてみたんです。『鬼』と呼ばれるのは、それ相応のことをした者だけだと教わりました」
「その通りだ。まぁ、差別が根絶されたわけじゃねぇけどな」
「……教えてもらえますか? 夜長姫が、一体何をしたのかを」
夜長姫が『鬼』と呼ばれる理由。
人々に忌み嫌われ、死を喜ばれる理由。
夜長姫に似てるという僕は、知っておかないといけないことだ。
「元よりそのつもりだ。だからわざわざ、こんな時間に呼び出したんだからな」
「ありがとうございます」
「今から七年前、月国で起きた『衣瀬村鬼狩り再来事件』だが――」
「いせむら……鬼狩り再来?」
「お前、そんなことも知らねぇのかっ?」
大将が身を乗り出し、カウンターに勢いよく手をついた。びっくりしたのと、お茶が倒れるかもと焦ったのとで心臓が早鐘を打っている。元の体だったら、母や妹が血相を変えて駆けつけてきたことだろう。
「あはは、世間知らずなものでして……『いせ』は、どう書くんですか?」
「衣服の『衣』に、浅瀬の『瀬』だ」
一応、村の名前の表記は聞いたものの、やっぱり『鬼狩り再来』のインパクトがすごい。字面だけでもう物騒だ。
「四十年も前に規制された鬼狩りを、再び引き起こした張本人……それが夜長姫だ。しかも、まだほんの十歳の頃にな」
「え……」
大将の口から語られた事件の概要は、それはもう重たかった。
概要だけで、胸やけしそうなくらいに。