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第一話「桜吹雪 ーさくらふぶきー」②

 あまりにも自然な声色だった。

 だから一瞬、問いの内容を理解できなかった。


「物語で得た知識から『異世界に来た』と思うのは、分からなくもないわ。だけど転生って、死後に生まれ変わるということでしょう?」

「えぇ、まぁ」

「自分が死んだという根拠はあるの?」

「……いえ」


 少し考えてみたけど、駄目だった。


「ここに来る前のこと、全然覚えてないんです。心当たりはあるんですけど」

「心当たり?」

「えぇ。僕……もう、いつ死んでもおかしくない体だったんで」




 不意に、強い風が僕たちにぶつかってきた。


 桜の木がまた、花を散らす。

 まるで、場の空気を読むようなタイミングで。




「病気だったんです。生まれた時から、ずっと」

「…………そう」


 彼女があいづちを打った。態度を変えないのは、気遣ってくれているからだろう。


「なんか、すみません。暗い話で」

「暗くなんかないわよ」

「え?」

「笑顔を絶やさず、病気と闘って生き抜いたんでしょう? その人生を、自分で暗いと切り捨てるべきではないわ」

「……そう、思ってくれるんですか?」

「だってあんた、ずっと笑顔だもの」


 桜の花びらが、彼女の前に落ちてくる。彼女が手を開き、花びらを受け止めた。

 再び吹いた風が、手のひらの花びらをさらっていく。花びらを名残惜しむことなく、彼女はそっと手を閉じた。


「あんた、知らない世界に来たんでしょう? 分かっていたとはいえ、いつの間にか死んでいて、しかも別の人間になっていたなんて……」

「まぁ、正直、めっちゃ混乱してますけどね」

「だけど、それでもずっと笑顔だもの。そんなことは、笑顔を常に絶やさないからこそできるのよ。私には、とても真似できないわ」

「…………」


 僕は、少し後ろめたいような気持ちになった。だって、笑顔を忘れないようにはしてきたけど、闘ってきたわけじゃない。


 むしろ、ずっと逃げてきた。


 家族や周囲の人たちが、自分が死んだ後も生き続けるという事実から。誰よりも先に死んでしまうという、残酷な事実から。


 みんなに心配されたくない。心配されて、可哀想なんて思われたくない。




 だから、僕は笑顔を絶やさなかった。


 笑顔で誤魔化して、ずっと目を背けてきた。




「まぁ、あくまで私の主観でしかないけど」

「……作り笑顔でも、そう思いますか?」

「えぇ。作っていようがいまいが、生きるための手段でしかないもの。自分を見失わずに生き続けるためのね」

「手段……」

「あんたが生きていく上で、必要なものだったんでしょう?」

「…………」


 僕は、自分の笑顔が嫌いだった。心からの笑顔じゃなかったから。笑顔で誤魔化さないと、自分を保てなかったから。


 そんな弱くてズルい自分が、ずっと嫌いだった……はずだった。


(あぁ、なんだ……)


 弱くもズルくもない。僕の作り笑いは、生きるための手段でしかなかったのか。

 そうだ。誤魔化しても、逃げ続けても、絶望することなく生き続けた。




 僕の笑顔は、虚しいものじゃなかったんだ。




「……ありがとうございます」

「礼ならさっき聞いたわ」

「いえ。その……今も」

「そう? まぁ、どういたしまして」


 彼女が何を思って言ったのかは分からない。僕の心情なんて知る由もないだろうから、それほど深く考えた言葉ではないかもしれない。


 でも、その何気ない言葉で全てが報われた。


「さてと」


 彼女が立ち上がり、桜の木へと歩み寄る。風呂敷に包まれた荷物を片手で持ちつつ、慣れた動作でかごを背負った。


「とりあえず、近くの町を案内するわ。といっても、薬草の処理があるから、実際に案内するのは明日になるけど」

「え、いいんですか!?」

「この世界は初めてなんでしょう? 知識がなかったら、生きる上で何かと不便よ。それに、寝食の場もないわけだし」

「ありがとうございます!!」

「その代わり、あんたにも手伝ってもらうけど」

「もちろん、なんでもしますよ!」

「ただ薬草を洗って干すだけよ。別に難しくないからりきむ必要はないわ」

「そうですか」


 少し拍子抜けしたけど、安心した。役に立ちたいのはやまやまだけど、いきなりハードルが高いと緊張してしまう。


「じゃあ、行きましょう」

「あ、はい!」


 凛然と歩き出した桜さんの背を慌てて追い、横に並んだ。ただ歩いているだけなのに、頼もしくて、力強くて――綺麗だ。


(誰かの横を歩くなんて、何年ぶりだろう)


 他愛のないことなのかもしれない。

 だけど、僕はそれが嬉しくて仕方なかった。


「あの……桜さんって、呼んでもいいですか?」

「もちろん。そのために名乗ったんだから」

「はは、ですよね……あ、その籠持ちますよ」

「別にいいわよ。重いし」

「だったらなおさらですよ! こんな見た目してるけど、女の子に重いものを持たせるわけにはいきませんから!」

「……そこまで言うなら」


 桜さんが立ち止まり、するりと背中から籠を下ろす。僕も足を止め、差し出された籠を軽い気持ちで受け取った。


 めちゃめちゃ重かった。秒で撃沈した。


 桜さんは初めから予想していたのか、僕が撃沈した瞬間に顔色一つ変えずに籠を受け取り、何事もなかったかのように背中にひょいとかついだ。


「……すみません」

「気にしなくていいわよ。病気だったんでしょう? 非力なのも無理ないわ。その姿も、男にしては頼りないし」

「あはは……」


 女の子より非力という事実に、情けない笑い声を上げるしかなかった。もしかしたら、病気とか関係なしに僕は軟弱なのかもしれない。


 彼女が再び歩き出したので、僕も後に続いた。


「体も多少は鍛えた方が良さそうね」

「そうですね……」

「気を落とすことはないわ。よかったじゃない。やることが増えたんだから」

「それって、良いことなんでしょうか……?」

「良いことよ。生きるための目標がはっきりしてるんだから。人というのは、分からないことに不安を抱く生き物でしょう?」

「あぁ……」


 思えば、今まで生きる目標なんてなかった。ただ漠然と生きているだけだった。


「あ、あの、せめてその風呂敷を」


 桜さんが黙って風呂敷を差し出す。幸い、こっちは持ち歩ける重さだった。


「桜さんは、強いですね」

「別に。やれることをやっているだけよ」

「あ、いや、それだけじゃなくて。なんて言うのかな……」


 僕は一呼吸置いて、言った。




「宝石みたいに綺麗で、太陽みたいにまぶしい、強い目だなって」




「――――」


 言葉を続けようとしたが、思わず止めてしまった。桜さんが、瞬きもせずにじっと見つめてきたのだ。目力があるので少し尻込みしてしまう。


「桜さん?」


 何か変なことを言ってしまったのだろうか。

 というか、もしかしたら僕はさっきから変なことばかり言っているのかもしれない。思えば、妹以外の女の子と二人きりで話すなんて初めてだ。


 頭の中で軽くパニックを起こしていると、桜さんが「あぁ」と声を上げた。強烈な視線は、そこにはもうなかった。


「ごめん、なんでもないわ。ちょっと……昔のことを思い出しただけ」




 そう言って、彼女は笑った。




「…………」

「ほら。突っ立ってないで、さっさと行くわよ」

「あ、はい!」


 桜さんが投げかけた一言で、自分が足を止めていたことに気付いた。


 慌てて駆け寄る僕とは対照的に、桜さんの歩調には一寸の乱れもない。歩いている姿もごく自然に綺麗なのは、芯の強さの表れだろう。



 ほのかに、風が吹いた。



 ふと振り返って、気が付いた。

 先ほどから吹いている風のせいだろうか。桜の花がかなり散ってしまっていた。よく見ると、小さな若葉が所々にできている。


(葉桜だ……)


 小さい頃、桜は儚い花ではないと母に教わったことがある。


 花が散った後には若葉が芽生えて、季節の移り変わりと共に葉を落としてもなお、次の春には、再び花を咲かせるのだからと。


 花が散って、終わりじゃない。

 葉桜となって生き続け、また咲くのだと。


(生きるための目標か……)


 僕は、桜さんの何気ない言葉で救われた。

 だから、僕は桜さんのそばにいたい。一緒に笑ったり、泣いたりしたい。


 桜さんが、独りぼっちにならないように。


(……余計なお世話かな)


 だけど、どうしても頭から離れないのだ。

 昔のことを思い出しただけ。そう口にしながら笑った彼女の顔が。




 ほんの一瞬だけ垣間見た、切ない笑顔が。




 考え過ぎなのかもしれない。


 だけど実際、僕はずっと、病気による恐怖や不安を隠して笑い続けた。

 もし彼女も、凛とした強さで、何かを押し殺しているのだとしたら……それはきっと、死にたくなるくらいに辛い。


(まぁ、僕には何もできないんだけど……)


 周りの人間にできることなんて、精々傍にいてあげることだけだ。


 それでも、誰もいないよりはずっと良いはずだ。僕だって、家族が傍にいてくれたからこそ、笑い続けていられたんだから。


 独りぼっちだったら、僕はきっと、作り笑いすらできなかっただろう。

 僕の笑顔を肯定してくれた人に、そんな風になってほしくない。




 独りぼっちにだけは、なってほしくない。




 だから僕は、桜さんの傍にいよう。

 傍にいて、ずっと笑っていよう。彼女が肯定してくれたこの笑顔で。さながら、彼女が面白いと言ってくれた道化師のように。


 もう、あんな寂しい笑顔をせずに済むように。






   ***






 道中、葉月は隣で絶えず笑っていた。朗らかで、花のような笑顔だ。


(……あいつなら、そう例えるのかな)


『お前のその瞳、初めて目にした時から、好きだったわ。どんな宝石よりも美しくて、お日様よりも、まぶしくて』


『その心を、激しいほのおを、いつまでも持ち続けてちょうだい。今、お前が、私を殺したように――――』


 思えば、彼女は花のような笑顔で、よく人を何かに見立てていた。

 彼女は狂っていたが、見立て自体は別に珍しくない。そしてこの少年はたまたま、私に対して似た印象を抱いただけにすぎない。


(それよりも、今後のことを考えないと)


 葉月がこの世界で生きていく以上、遅かれ早かれ教えなければならない。つきのくにの巫女として崇められた、ながひめの存在を。


 無邪気な笑顔を振りまきながら、残虐の限りを尽くした少女のさがを。

 生粋の人でありながら、その心は生まれながらの鬼であることを。

 今では一転して、希代の鬼女として人々に恐れられ、忌み嫌われていることを。




 葉月が、夜長姫と瓜二つであることを。




(生きる術も含めて、教えることは山のようにあるわね……)


 そして、いつか伝えなければならない。私は、人殺しなのだと。

 正義感でもなければ、愛国心でもない。長年かけてつのらせた恨みと怒りをもって、姫をこの手で刺し殺したのだと。


 でなければ、この少年にまで多くを背負わせてしまう。夜長姫が言う『焔』で、この少年まで焼き尽くしてしまう。


 それは絶対に許せない。なぜなら、これは私の罪だから。




 復讐のために多くの命を奪った罪は、

 恨みで命を殺めた罪は、

 私を好きだった少女を殺めた罪は、


 全て、私が一人で背負うべき業だ。




 だから私は、葉月の力になろう。

 自分の幸せを自分で見つけて、いつでも、ここから自由に飛び立てるように。

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