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桜吹雪の後に
片隅シズカ
異世界ファンタジーダークファンタジー
2024年10月01日
公開日
95,427文字
連載中
最初に目にしたのは桜吹雪だった。

気が付いたら知らない場所にいて、そのまま川に落ちた少年「葉月」は、綺麗な黒髪と、激しい焔(ほのお)のような黒い瞳の少女「桜」に助けられる。

一目でその瞳に惹かれた葉月だが、彼は知らなかった。

桜が、月国(つきのくに)の巫女である「夜長姫」を殺害して復讐を遂げたことを。
夜長姫が、国を守る巫女でありながら、生まれながらに鬼の心を持つ少女だったことを。


自分が、夜長姫と瓜二つの姿に変わっていたことを。


「その心を、激しい焔を、いつまでも持ち続けてちょうだい。今、お前が、私を殺したように――――」

葉月はなぜ、夜長姫と瓜二つの姿に変わったのか。
桜が見据える先に、道は続いているのか。
そして、美しく無垢な「鬼」の死は、二人に何を遺したのかーーーー。

生きる目的も希望もなかった少年、葉月。
復讐のためだけに生きてきた少女、桜。

異なる世界で、正反対の道を歩んだ末に終わった二人が新たに紡ぐ「再生」の和風ダークファンタジー。



※ノベルアッププラス、小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、エブリスタにも掲載中です。

第一話「桜吹雪 ーさくらふぶきー」①

 桜吹雪が舞う夜だった。


「……綺麗な満月ね」


 亜麻色の髪の少女が、屋敷の外に浮かぶ月をぼんやり眺めながら呟く。金色の刺繍で彩られた白い十二単じゅうにひとえは真っ赤に染まり、見るも無惨な死に装束と化していた。



 きゃしゃな体から、赤い水溜まりが広がっていく。



「まぁ、お前には、遠く及ばないけれど」


 のしかかっている影に小さく微笑んで、咳込んだ。白いほおに赤い線が伝う。


「お前のその瞳、初めて目にした時から、好きだったわ。どんな宝石よりも美しくて、お日様よりも、まぶしくて」


 少女は息も絶え絶えになりながらも、影へと指を伸ばした。影の手にある懐剣は、絶えず赤い雫を垂らしている。



 赤く濡れた刃に、少女の白く細い指が触れた。



「その心を、激しいほのおを、いつまでも持ち続けてちょうだい。今………………を……たように――――」






   ***






 最初に目にしたのは桜吹雪だった。

 さんさんと輝く日の光と相まって、まるで絵のような光景だ。


(うわぁ、綺麗――――だ!?)


 見惚れすぎて、唐突に視界と呼吸を防いだものに対応できなかった。それが水だと、自分が溺れているのだと気付くのに結構な間があった。


 いや、気付いたところで対応できな――――



「――――まれ!!」



 僅かに聞こえたが、人の声だとしか分からない。とにかく手を伸ばした。手首を掴まれる。痛いけど、温かい。


 体が上昇する。地に体が付いたと感じると同時に咳き込んだ。


 肩と背中を支えられ、落ち着いた頃合いでそっと寝かされた。背中がチクチクする。草が生えているのだろうか。



「……える……ねぇ、聞こえる?」



 誰かの顔が見える。

 視界が、だんだんとめいりょうになっていく。


 桜色の簡素な着物姿の少女だ。おそらく僕と同い年か、少し年上くらいだろう。


 眉目秀麗という言葉がよく似合う整った顔立ちだけど、さらに目を惹かれたのは、彼女の凛とした存在感だった。

 着物自体は女の子にしては地味で、お洒落に関心がないように見えるものの、凛とした美しさの前では些細なことに思える。


 真っ直ぐな長い黒髪は、ぬれがらすという言葉がピッタリと当てはまる。

 無造作に一つにまとめているだけだが、それがかえって黒髪の美しさを引き立てていた。下ろしているところを見てみたい。


 目が合って、思わず釘付けになってしまった。


 切れ長の大きな目はどこかどうもうで、夜の闇に潜むネコ科の獣を思わせる。

 その髪と同じく黒い瞳は、冷静なのに激しいほのおみたいで……正直、少し怖い。




 だけど、それ以上に綺麗な瞳だと思った。




「その様子なら大丈夫そうね」

「…………あの」

「無理して喋らなくていいわ」

「……いえ、大丈夫です」


 体に不調も痛みもないどころか、いつもより体が軽いくらいだ。強いて言えば、全身が水で濡れて気持ち悪い。


 むしろ背中のチクチクの方が気になるので、ひとまず起き上がることにした。


「あの、僕は一体……」

「あなた、川で溺れかけたの。いきなり宙に現れて、この川に落ちたのよ」


 凛とした彼女がかたわらの川をいちべつし、それから真っ直ぐに僕を見つめ出した。


 その目力の強さに一瞬たじろいでしまったけど、それ以上に気になったのは、彼女の口から出てきた不可解な言葉だった。


「宙に、ですか?」

「えぇ。私はたまたま通りかかっただけだから、事情は全く分からないけど」

「そうですか……」

「まぁ、まだ川で良かったわね。空だったら確実に死んでいたわよ」

「……それは、ちょっと怖いですね」


 飛び降りるのは気持ち良いとか聞いたことがあるけど、僕には理解できない。

 実際にやったらそう感じるのかもしれないけど、奇跡的に助かりでもしない限り、生きている人間には不可能だ。


 だって、それは死をともなう行為なのだから。


「あ、でも、川もちょっと不味かったです。僕、泳げないので」

「そう。だったら運が良かったわね」

「本当に助かりました。ありがとうございます」

「大したことはしてないわ。気にしないで」


 その言葉通り、実にあっさりとした口調だった。謙遜している素振りすらない。彼女にとっては、本当に大したことないのだろう。


(すっごいクールだ……!)


「それであなた、どこから来たの? この辺りでは見ない顔だけど」

「えっと……東京です」


 嘘は言ってない。『来た』のではなく、気が付いたら『いた』のだが。


「とうきょう?」

「はい、東京です」


 もう一度、はっきりと言った。

 聞き返されたのは、多分、僕の滑舌が悪かったせいだろう。


「…………」

「あ、あの……?」


 唐突に黙り込んでしまった彼女を前に、僕はおろおろと狼狽うろたえるほかない。何か変なことでも言ってしまったのだろうか。


(まさか、言葉を失うほど滑舌悪かった!?)


「ねぇ。あなた、ここがどこか分かる?」

「へ?」

「答えて」

「え、えっと……」


 近くにある木へと目をやる。

 木の根元に、ふた付きの大きなかごと風呂敷に包まれた荷物が置いてあった。


 風に揺られる度に小さな花びらが落ちてきて、周囲に桜色のざんがいが一つ二つと増えていく。残骸で埋め尽くされる頃には、花はほとんど散ってしまうだろう。


「……日本、ですよね? 桜が咲いてるし」

「にほん? 聞いたことがない地名ね」

「いや、地名というか、国の名前なんですけど」

「そんな国はどこにもないわ」

「え……?」

「もっとも、その『にほん』という国が未開の地で、先住民が人知れず暮らしているというのなら話は別だけど」

「なんか、大昔のアメリカみたいですね。でも、全然そんなんじゃないですよ」

「その『あめりか』というのも、国の名前?」

「え、えぇ……」


 日本もアメリカも知らない。そんな人は聞いたことがない。どんな田舎に住んでいたって、その二つを知らずに育つことはまずあり得ない。


「あ、あれ? でも、日本語喋ってますよね?」

「いいえ、西にしよ」

「にしご?」

「方角の『西』に、言語の『語』で西語。あなたが今、話している言葉は西語よ。私にはそう聞こえるし、少なくとも意思疎通ができているわ」

「確かにできてますけど……」

「そして、ここは静国しずかなるくによ」

「…………」


 言葉が通じないとか、そういう問題じゃない。


(……まさか)




 聞いたこともない言葉と国。


 それなのに、何の問題もなく意思疎通ができているという事実。




 こうとうけいな考えが、頭をよぎる。

 でも、おかしなことに、その考えが驚くほどしっくりときた。


「……あの、もしかしたらなんですけど」


 とりあえず、言うだけ言ってみよう。別に隠さないといけないということはないはずだ。ていうか、言わないと話が噛み合わない。


「僕、異世界から転生したのかもしれません」


 予想通り、彼女は固まった。大きなつり目を瞬かせている。


(ヤバい……恥ずかしすぎる……)


 最善手を取ったはずが、いざ口に出したら、頭のおかしい奴でしかないような気がしてきた。今すぐ川に飛び込んで沈んでしまいたい。


「異世界? 転生?」


 目を丸めたままではあるが、彼女が思いのほか早く口を開いてくれた。おかげで川に飛び込む醜態をさらさずに済んだ。


「あ、いや、確かな根拠があるってわけじゃないんですけど、今流行りの異世界転生ものが、大体こんな感じで始まるので」

「異世界転生もの?」

「えっと、そういう部類の物語です。死んだ後に異世界に転生するという」

「そう」



 たったの二文字だった。それも真顔で。



「信じてくれるんですか?」

「えぇ。利を欲するなら、もっとましな嘘をつくものでしょ」

「あはは。まぁ……確かに、嘘臭いですよね。存在しない国から来て、しかもなぜか意思疎通はできてるなんて」

「不思議なこともあるものね」


 彼女の声色と表情からは、さげすみはおろか、疑いすら感じない。口では不思議だと言いながら、現実の出来事という前提で話を進めている。


「……驚かないんですか?」

「驚いているわ。でも、私が知らなかっただけかもしれないし」

「いや、さすがにそれはないんじゃ……」

「ないとは言い切れないでしょう。目の前で起こった未知を頭ごなしに否定したところで、毒にも薬にもならないわ」

「…………」


 一つだけ確かなことがある。

 この人は、普通じゃない。なんというか……肝がわっている。


「めっちゃカッコいい……っ」

「え?」

「あ、いえ! なんでもないです!!」


 どうやら声に出してしまったらしい。変なものを見る目を向けられているものの、幸い彼女の耳には届かなかったようだ。


「にやけたかと思ったら、またおろおろして、反応するだけで忙しい奴ね」

「すみません……」

「別に謝る必要ないわよ。あんた、面白いし」

「面白い、ですか?」

「えぇ。道化師を見てるような気分」

「道化師……」


(多分、思ったことを素直に口にしてるんだろうな。この人……)


 しんらつなことを言われてるのに、負の感情が沸いてこないのはそのためだろう。


「そういえば、まだ名乗ってなかったわね」

「あぁ、確かに」

「私はさくら。あんたは?」

やまづきです」

「やまねはづき? どう書くの?」

「えっと、山と根っこで『山根』、葉っぱと月で『葉月』です」

「変わってるわね。名前が二つもあるなんて」

「え?」


 確かに、彼女は『桜』としか名乗っていない。


 もしかして、この国には名字の概念がないのだろうか。漢字に似たような概念は、なんとなくありそうなんだけど……。


「……とりあえず、僕のことは『葉月』って呼んでください」

「葉月、ね」


 彼女は立ち上がると、僕に背中を向け、あろうことか着物を脱ぎ出した。


「え、えっ……え!!」


 慌てて目を背けた。

 このまま死んでしまうのではないかと思うくらい、心臓が早鐘を打っている。


(どうしよう。ちょっと、見ちゃった。背中だけだけど……)


「あんたも絞っておいた方がいいわよ」

「いやいやいや!! さすがに女の子の前で脱ぐのはちょっと」

「……あんた、女の子じゃないの?」

「え? どう見ても男だと思いますけど」

「私には女の子にしか見えないわ」

「え……?」


 頭が真っ白になった。


 だって、そんなことはあり得ない。確かに、男子にしては細身で、顔色も悪いけど……女の子に間違えられたのは小さい頃だけだ。


(でも、言われてみると、声がいつもと違うような気が……)


「……あの、鏡とかありますか?」

「川を見た方が早いわよ」

「あ、そっか」



 僕は振り返り、さっきまであっぷあっぷしてた川をのぞき込んだ。



「…………可愛い」

「え?」

「あ、いや! なんでもないです!! 自分の顔なのに可愛いなって」

「……頭でも打った?」

「打ったかもしれないですけど、多分精神に異常はきたしてないです!」

「多分って……なんでそんな自信なさげなのよ」

「すみません。自分の認識にいまいち自信が持てなくて、その……」


 もちろん、いくら僕でも普段はそんなとんちんかんなことを言い出したりしない。見えているものは、一般的な形で認識できているはずだ。


 でも、だからこそ信じられなかった。




「ここに映っているのは、僕じゃないんです」




 少しタレ目で、しとやかそうで、お城の姫君みたいな顔だった。


 柔らかな顔立ちに、ふんわりと波打つ長い髪がよく似合う。髪の色は金と茶の間という感じだ。亜麻色の髪って確かこんな風だった気がする。


 そして、僕もまた黄緑の着物を着ていることに今さら気が付いた。

 金色の花模様があしらわれた白い羽織をまとっていることもあって、下手すると女性である彼女よりも華やかかもしれない。


 僕は視線を下げ、恐る恐る確認した。


「……えっと、ちゃんと男みたいです」

「つまり、姿が変わっているというわけね。それも、女の子のような外見の男に」

「僕より呑み込み早いですね!?」

「自分の姿って、案外他人の方が正確に認識しているものよ」

「そういうものですかね……」

「まぁ、やることは変わらないわ。風邪をひくよりましでしょう?」

「え、僕を女の子だと思ったから脱いだんじゃないんですか?」

「別に。性別が分からないままというのが気持ち悪かったから、確認したまでよ」


 脱ぎ出した当の本人は相変わらずの平常運転だ。もしかして、背中を見てしまっただけでパニックを起こす僕がおかしいのだろうか。


「いや、でも……」

「心配いらないわ。職業上、男の裸体なんて腐るほど見てきたから」

「しょ、職業?」

「私、くすをやっているのよ。ここに来たのも、薬の材料を集めるためだったの」

「あぁ、なるほど」


 どうやら、あの籠の中身は薬草らしい。


 喋っている間にも、彼女はてきぱきと衣服を絞っているのだろう。水の滴り落ちる音が、絶えず聞こえてくる。


「…………」


 ひとまず、作業に集中することだけを考えることにした。着物をはだける際の熱も、耳をさわりとでる水の音も、全部無視した。



 そして、二人とも後始末を終えた頃合いで、彼女が再び口を開いた。



「一つ、聞いてもいいかしら?」

「あ、はい」

「なぜ、転生したと思うの?」

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