キーボードに走らせる指が軽い。
いつになくスラスラと文字が進む感覚、上から下へ詰み下げられていく文字列は、最高傑作の予感。
今回新設されたという短編コンテストのお題は「笑い」。
そうだ、笑いは人の原動力の一つ。一日に一回笑うだけで心は晴れ、周りの人々も笑顔になり、さらに笑いには免疫力を高める効果もある、百利あって一害なしの最高の力。
私はそれを求め、日々、筆を走らせてきた。
時には「お前らさっさと付き合え!」と唸らせるようなラブコメを、時には「お前かーい!」となるような不条理ギャグを、日々書き連ね、読む人々を喜ばせてきた。
そして今回の「笑い」を題材にしたコンテスト。
これは書かねばならぬ、と、当然のように私は筆を取った。厳密には私の執筆環境はPCなのでPCを開いた、とでも言うべきか。
いつも使うワープロソフトを起動し、思いついたネタを、言葉の数々を散りばめていく。
言葉が溢れるように浮かび、キーボードを通じて文字列となり、文字列は物語を作り上げていく。
これを読んだ人は何を思うだろう、笑いたくなるだろうか、いや、笑いを狙って書いてはいけない。ウケ狙いの作品ほどその狙いが明るみに出たときの失望は大きい。
自然に、思わず笑ってしまうような、そんな物語を。
今回の作品はまさにそんな力を秘めた作品に仕上がるのではないか、という確信が何故かあった。
これはきっと誰もが笑う、笑わざるを得ない、そんな確信が文字列の端々で踊っている。
作品自体はもうほとんど書き終わっていた。時計を見ると三時間は経過している。
もう少し、あと数行書けば書き終わる。
書き終わったらおいしいコーヒーでも淹れようか。小腹も空いたし、ご近所さまからいただいたわらび餅を食べるのもいいかもしれない。いや、それよりも先日コンビニで気になって購入した限定のカップ麺もいいかもしれない。
とりあえず、そろそろ何か食べないといけないな、と大きく伸びをする。
と、膝の上の猫がぴょん、と机に飛び乗り、キーボードの上で構え、とばかりに寝転がる。
画面を踊り出す意味不明の文字列。
おっとこれはいけない、と慌てて猫を抱き上げ、床に下ろす。
猫が打ち込んだ意味不明な文字列をバックスペースで削除していると。
――ぶつん。
そんな音が聞こえたような気がした。
次の瞬間、黒一色に染まるディスプレイ。
え、と思わず声が漏れる。
何が起こったのか、理解できない。
脚に猫が頭をこすりつけにくる。
猫。ねこ……。
まさかと思い、視線を巡らせる。
壁に備え付けられたコンセントと、床に落ちたプラグ。
――あっ、はい。
そういうことですかそうですか。
そういえば執筆が楽しくてまだ一度も保存していなかった気がする。
つまり、
はは、と渇いた笑いが口からこぼれる。
――ま、猫なら仕方ないな!
どうせ今回のコンテストのレギュレーションは短編、というよりもショートショートだし!
それに、なんというか……。
むしろさっき書いた短編より、今この瞬間に起こったことの方が面白いわ!
「事実は小説より奇なり」、まさにこの言葉の通り、人生何が起こるか分からないから面白い。
それなら笑って今の展開を書き起こした方がずっと面白い。
そうと決まれば早速執筆!
プラグをコンセントに差し、PCを起動する。
ワープロソフトは真っ白、だが、だからこそ新しい物語が待っている。
待ってろよ、と、私は再びキーボードに指を走らせた。
――ちなみに、その後腹が減ったのでカップ麺に湯を注いだのだが、PCに戻る際に蹴躓いて全部キーボードにぶちまけたのは言うまでもない。