その晩、僕はセンカと夜代先輩の家の近くまでやってきていた。
空は既に闇に包まれており、夏の夜の湿気が肌にべったりとまとわりつく。気が乗らないまま、僕は「ぬるっと消えるストーカー」を探すという、どこか不気味で面倒な役割を担わされている。
「なあ、本当にこんなことする必要あったのか?」
僕は愚痴りながら、わざとため息をつく。目に見えないストーカーなんて、霊的な問題である可能性が濃厚だし、そんな厄介なことにはできれば関わりたくなかった。
「カイ、そんなこと言わないでよ! タイコ先輩、本当に困ってるんだから、ちゃんと手伝ってあげて!」
センカは明るい調子でそう言いながら、僕の肩を叩いた。
そんな勢いに僕はまたしてもため息をつくが、彼女の頼みはいつものことだから、無視できるわけがない。仕方なく、僕は頷くしかなかった。
「ふぅ……それで、夜代先輩、今日はストーカーの気配を感じてるんですか?」
そう尋ねると、夜代先輩はぼんやりとした目で僕を見た後、ゆっくりと首を横に振った。
「今は……そんなに感じないかな……でも、いつも突然感じるんだよね……スーッと近づいてきて、振り返るといなくなるの……」
またその話か。ぬるっとした感じで近づいてくるストーカーなんて、どう考えても普通じゃない。
霊的な何かか、それとも先輩の疲労が生んだ幻覚か……。どちらにせよ、解決するのは簡単じゃなさそうだ。
「じゃあ、少し様子を見てみますか。どこでよく感じるんですか?」
「んー……帰り道とか……学校の裏門あたりかな……」
夜代先輩はふらふらとした動作で周囲を見回した。
相変わらず無気力な様子で、全然緊迫感がない。
そののんびりした様子に、僕は溜息が出てしまう。
ここで冷静さを欠くのも良くない。どうせ、何も起こらないだろうと心の中で自分を納得させる。
「んじゃ、学校の裏門あたりを見に行こうか。何か分かるかもしれない」
センカがそう言い、先導するように歩き始める。僕と夜代先輩も後を追う形で歩き出すが、内心では早くこの状況から抜け出したいという思いが強まっていた。
先輩はいないと言っていたのに、僕の背中にはぬめっとした視線が付き纏っていた。
学校の裏門に到着すると、辺りは静寂に包まれていた。
人気もなく、ただ時折吹く夜風が木々を揺らすだけだった。じっとりとした空気が、妙に肌にまとわりつき、気味が悪い。
「……で、ここでストーカーが出るって?」
僕がそう尋ねると、夜代先輩はぼんやりと頷いた。
「そうなんだよねぇ……いつも、このあたりで……感じるんだよ……」
感じる? 僕は辺りを見回したが、目視できる範囲は見当たらない。
昼間とは違って、夜の校舎は確かに不気味だが、だからといって何かがいるような雰囲気ではなかった。
「カイ、どうかした?」
センカが僕の表情を見て、そう尋ねてきた。
僕は軽く首を振り、気のせいだろうと心の中で自分に言い聞かせる。だけど、どうも背中がゾクゾクするのはなぜだろう。
「いや、特に何も……ただ、少し妙な感じがするんだよな」
その時、背後に何かを感じた。明確に視線の圧が背中に刺さる。それがただの錯覚でないことを、僕は肌で感じ取っていた。
「……いる」
僕は声にならない声でそう呟き、振り返る。そこには……。
「……何もない、か」
やっぱり誰もいない。僕は大きく息を吐き、気を取り直そうとした。だが、心臓はバクバクと鳴り続け、全身に嫌な汗がにじんでいた。
「カイ、どうかしたの?」
再びセンカが不安そうに尋ねてくる。だが、言葉にできないまま、僕は周囲を見回すだけだった。
「何も……ないけど、何かがいるような……」
そう言った瞬間、夜代先輩が急に立ち止まった。彼女のぼんやりした瞳が、突然真剣な表情を帯びる。
「いる……」
夜代先輩の声にはいつもの力のない調子ではなく、確かな恐怖が含まれていた。その一言で、僕もセンカも身を固める。
「え、え……どこに?」
センカが慌てて周囲を見回すが、やはり何も見えない。ただ、背中には重い視線の圧力が張り付き続けていた。
「後ろに……ぬるっと、来るよ……」
夜代先輩の言葉が、冷たい空気の中に響いた。僕は瞬時に背後を振り返ったが、やはりそこには何もいない。だが、その瞬間、全身が凍りつくような感覚が襲ってきた。
――何かが、近づいている。
見えない存在が、僕たちの周りに潜んでいるという確信が一気に広がった。息苦しさを感じ、冷たい汗が背中を伝っていく。
「とにかく……ここはまずい。場所を変えよう」
僕は焦りながら、二人を促してその場から離れることにした。だけど、その視線は消えることなく、僕たちをじっと見つめ続けているようだった。
「ぬるっと……来るよ」
夜代先輩の呟きが、僕の中でリフレインする。それが現実のものになる前に、この場を離れたい。僕たちは急いでその場から逃げ出し、夜代先輩の家へと向かう。
しかし、その冷たい視線は、背後からずっと張り付いていた。
夜代先輩の家に到着する頃には、僕の背中にまとわりついていた視線も、どこかに消えたように感じた。だけど、まだ油断できない。
あの「ぬるっとした」気配が再び現れるかもしれない。
「ここなら、少しは落ち着ける……かな」
先輩のぼんやりとした声が響く。そんなに恐怖を感じているのか、それとも単に脱力系だからいつも通りなのか、判断が難しい。
センカもどこか落ち着かない様子で、僕のそばにぴったりとくっついてきた。
「カイ、もうあのストーカー、消えたんじゃない?」
「そう思いたいけど……」
先輩の家の中は薄暗く、ちょっとした冷気が漂っていた。
嫌な汗が背中にじっとりと染みる。それに加えて、センカがやたらと近い。いつもなら文句を言うところだけど、今回は何か本当に良くないことが起こりそうな予感がして、それどころじゃない。
「カイ……ちょっと手、握っていい?」
センカが急にそう言って、僕の手に触れてきた。冷たい汗を感じる。やっぱり彼女も、あのぬるっとしたストーカーの気配に怯えているのか。
「わかった、少しだけな」
僕はセンカの手を握り返すが、その時、彼女が軽く体を預けてくる。
何だか異様に距離が近い。背中にまだ冷たい感触が残っているせいか、体温がやけにリアルに感じられる。
いつも通り幼馴染として振る舞いたいところだが、今はそんな余裕もない。
「センカ、落ち着けって……」
そう言おうとした瞬間、部屋の電気がチラついた。そして、ぬるっとした空気が再び僕たちを包み込む。
「また……来てる……」
夜代先輩が怯えたように呟いた。彼女の肌もいつの間にか湿った感触を帯びているように見える。その瞳は虚ろで、どこかを見つめている。
「やっぱり、あいつはここにも来るんだ……!」
僕は立ち上がり、周囲を見渡す。だけど、やはり姿は見えない。ただ、ぬるっとした冷気が確実に僕たちの周囲に迫ってきている。
その時、センカが突然僕の腕に抱きついてきた。
「カイ……なんか……」
センカの体が異様に熱い。顔を覗き込むと、その表情は普段とは違い、どこかぼんやりとしている。そして、彼女の手が僕の胸元に滑り込んできた。
「センカ……?」
「カイ……私、なんかおかしい……」
彼女の手がさらに下へと伸び、僕の服のボタンに触れる。まるで何かに操られているかのように、センカはゆっくりと僕のシャツを開き始めた。
「センカ、ちょっと待て!」
僕は慌てて彼女を止めようとしたが、彼女の手は僕の服を脱がせることを止めない。まるで、あのぬるっとしたストーカーに操られているかのようだった。
「これは……やっぱり幽霊の仕業か……?」
夜代先輩も、どこかぼんやりとしたまま、僕たちの様子を眺めながら服のボタンを外し始めた。
彼女もいつの間にか、その大きな胸元が露わになっていた。
脱力系の先輩が、普段とは違う異様な雰囲気を漂わせている。
「これって……そういうタイプの霊だよ!!」
僕は急いで二人を止めようとするが、二人とも体を預けてくる。
冷たい汗がまたじわりと滲み出す。ぬるっとした感覚が、今度は僕の心の中にまで侵食してきたような気がした。
「俺が何とかしなきゃいけないのか……!」
もう逃げるわけにはいかない。
このぬるっとした存在をどうにかして祓わなければ、僕たちはどんどんこの異様な状況に引き込まれてしまう。覚悟を決めて、僕は再び祝詞を唱え始めた。