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バーリント候

 いつまでも泣いてはいられません。アリスさんが一人でヴァンパイアの親玉と戦っているはずです。


「行けるかい?」


 私が落ち着いたのを見たユーリが出発を促しました。待たせてしまって申し訳ないです。


 アリスさんならヴァンパイアなんかにおくれを取ることはないと思いますが、こうしてもたもたしていたせいで新たな犠牲者を出してしまったら最悪です。落ち込むのは終わってからにすべきなのに、私ったら!


「はい、もう大丈夫です!」


 私は涙を拭い、ユーリと共にその場を後にしました。



 目的の場所は、立派な書斎。バーリント候はよく書斎に籠っていると聞いたことがあります。落ち着くのでしょうか?


 そこに入ると、バーリント候とアリスさんがテーブルを囲んでお茶をしていました。


「何をして……」


「待って、ティア。あれは戦闘メイドのスキルだ。不用意に近づくと斬り刻まれるよ」


 どういうスキルですか!?


 優雅にお茶を飲んでいるように見えますが、どうやら激しい戦いが繰り広げられているみたいです。


「お仲間が到着したようだね。時間稼ぎが成功したというわけだ」


 ティーカップを置き、渋い声で喋りだすバーリント候。これが邪悪なモンスターでなかったなら、魅力的な男性貴族なのですが。


「時間稼ぎ? 何を言っているんですか。あなたはこのまま席を立つこともできずに死んでいくのですよ」


 本当にどういうスキルですか!?


 アリスさんの声には明確に怒気が含まれています。イオナさんとアルスさんのことが頭にきているのでしょう。当然です。


「ククク……舐められたものだな。下賎な戦闘メイド風情に」


 バーリント候が余裕の笑みを見せると、その体から黒いオーラが立ちのぼります。わかっていましたが、やはりこいつがヴァンパイアの親玉でしたね。


 テーブルに置かれたティーカップにヒビが入ります。アリスさんが展開したスキルの結界を破ろうとしているのですね。


「……あなたはつまらない野望のために私の大切な友人を二人も犠牲にしました。舐めているのはどちらでしょうね?」


 アリスさんが落ち着いた声で敵を非難し睨み付けると、バーリント候の目の前に置かれたティーカップからお茶が蛇のように伸びて襲いかかります。あれは聖水で淹れたお茶!


「つまらない……だと?」


 バーリント候が自分の体に巻き付いてくるお茶を手で掴むと、そこからジュウと音がして白い煙が吹き出しました。手のひらが焼けた?


「貴様のような下等生物に何がわかる! 我輩わがはいがどれだけ苦汁を嘗めてきたか!!」


 突然怒りをあらわにして怒鳴り始めるバーリント候。どうやら彼も潜伏している間に辛い思いでもしていたようです。それで許されるわけはないですけどね。


「どんな目にあったんだにゃ?」


 ミィナさんの声が問いかけました。別れたもう二人も追い付いてきたようです。振り返ると、彼女の目は赤く。


 もしかして私もあんな目になっているのでしょうか?


「我輩は何だと思う?」


 椅子から立ち上がり、両手を広げて言います。先程の激昂でアリスさんのスキルを破ったようですね。アリスさんは大剣を構えて少し距離を取りました。


「ヴァンパイアでござろう」


 カトウさんが短刀を構えて言います。私もメイスを構えて向き直りました。


「そうだ、闇の貴公子、大いなる血族。高貴な生まれである我輩が、人間のような下等生物を装って長年こんな狭苦しい屋敷に閉じ込められてきたのだ。領地の人間どもに愛想を振り撒いて、奴等の生活を豊かにするために頭を使って。まったく反吐が出る思いだったよ!」


「……それで?」


 ユーリが続きを促します。そうやって良き侯爵を装っていた彼に一体何があったのでしょう? 少し興味が湧いてきました。こんなに堂々と人間を見下す憎い敵だというのに。


 やはりモンスターの言い分に耳を貸すのは良くないことなのでしょうね。どんな悪にも何らかの事情はあるものです。余計な情を抱いてしまえば、イオナさんやアルスさんのような犠牲者が更に増える危険性があります。


 それでも耳を傾けてしまうのは、好奇心からでしょうか? いいえ、きっと犠牲になった人達の死に何らかの意味を見出だしたいからですね。


「それで、だと? この苦しみがなぜわからない! 我輩は高貴な存在なのだぞ! 下等な豚どもに囲まれて心にもない笑顔を浮かべるなど、耐え難い屈辱だった。それもこれも、全ては私が寝ている間に領地の周囲をギルド領地で埋めつくしたバカ国王のせいだ!」


……は?


「えっ、それだけですか? 誰かに裏切られたとか、大切な部下を冒険者に殺されたとか、何もないんですか?」


 あまりにも中身のない恨み言だったので、思わず聞いてしまいました。


「我輩が豚に裏切られるような失敗をするはずがなかろう。部下が大切なものか、ただの道具ではないか。壊されたら新たに作ればいいだけだ」


「……っ!」


 バーリント候の言葉が終わるか終わらないかのうちに、私は床を蹴って走り出していました。


 私だけではありません。そこにいた全員が、怒りを込めて攻撃を開始したのです。


 私は、勘違いしていました。


――目の前にいるこいつは、今すぐ滅ぼすべき醜悪な怪物だ。決して人間とは相容れない存在だった。

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