お菓子屋さんへ
お菓子屋さんとお呼びしていいものか悩みましたが、
ケーキもあり、和菓子もあり、手土産のお菓子もあり、
子どもでも買える手ごろなお菓子もあり、
意欲作の新しいお菓子もあるということで、
何屋さんと言われましたら、ケーキ屋でも和菓子屋でも洋菓子屋でもない、
とにかくお菓子屋さんと呼ばせていただきます。
お菓子屋さんは、この街では老舗に入りますね。
最初はもしかしたら和菓子でスタートしたのかもしれませんし、
もっと違うスタートだったのかもしれませんね。
その頃を知るご老人もさすがに減ったように思いますが、
この街のご老人にお菓子屋さんのお菓子をお土産に持って行きますと、
新しいお菓子も伝統のお菓子も、
顔をくしゃくしゃにして笑顔になられるのです。
あそこならば間違いないとは、皆様の一致した意見です。
ご老人に限らず、家族で食べるお菓子も、
子どもたちが買い食いするお菓子も、
若い方が目新しさに買うお菓子も、
記念日に買うケーキも、贈答用のお菓子も、
どんなお菓子であろうとも、間違いのないものであるとは、
再度申し上げますが、皆様の一致した意見です。
お菓子屋さんのお菓子は、皆の笑顔の真ん中にあると私は思っております。
お菓子屋さんに置いてある、どのお菓子であっても、笑顔にさせる力があります。
また、いろいろな人間関係が険悪であったり、
ストレスフルであったり、ピリピリした緊張が走っていたとしても、
お菓子屋さんのお菓子があるというその事実だけで、
その場の空気は穏やかになり、
ひとくち口に運ぶことで、その場にいるみんなが笑顔になります。
お菓子屋さんの様々のお菓子は、
あらゆる人を幸せにするお菓子です。
お菓子を中心にして、皆が笑顔になって、
お菓子の美味しさで、また、幸せになります。
お菓子屋さんのお菓子は、それだけの力があります。
それは魔法のような力です。
あらゆる人を救うほどの魔法の力です。
かくいう私もまた、ストレスに悩まされていた過去がありました。
ストレス内容は、ありがちですが、
家庭のこと、仕事のこと、人間関係、仕事量の多さ。
言葉にするとこんな感じですが、
当時の私はそれらすべてが襲い掛かってくるように感じられて、
ストレスの化け物と毎日戦っているようなものでした。
ストレスの化け物は、いろいろな姿をしながら絶えず私に襲い掛かってきました。
ありとあらゆる物事が、ストレスの化け物に見えたものでした。
疲れ果てると、誰にも優しくできなくなります。
すべてが敵であるかのように見えたものでした。
何もかもが敵、何のために生きている。
漠然とそんなことを考えていた日々がありました。
ある時、仕事の帰りに、お菓子屋さんに立ち寄ったのはたまたまでした。
お菓子屋さんは遅くまで明かりがついていて、
その明かりがあまりにもあたたかそうで、
本当に優しい明かりに見えたことを覚えています。
明かりに誘われるように、お菓子屋さんに入りますと、そこは優しい空間でした。
美味しそうなお菓子がところせましと並べられ、
また、種類もとても豊富です。
私を襲うストレスの化け物の入る余地などみじんもないほどの、
隅々まで優しくあたたかく幸せな空間でした。
私はお菓子をながめます。
見ただけで、美味しそうが伝わってくるお菓子です。
どんな味がするのだろうかと、
口に運んだ際の食感はどんなものなのだろうと、
香りはどんなものなのだろうかと、
いろいろな空想にふけり、それがまた幸せでした。
お菓子屋さんの店主様が、
何かお探しですかと尋ねられたので、
どれも美味しそうなので迷っていましたと苦笑いしながら答えたのを今でも覚えています。
そこから雑談に花が咲きました。
お菓子屋さんはこの街で古い店であること、
古いお菓子を残しつつ、いろいろな挑戦を続けていること、
可能であればすべての皆様にお菓子で幸せになって欲しいこと、
そのために努力していること、
なによりすべてのお菓子に愛を持っていること、
お菓子には愛が込められていること、
どのお菓子にも、惜しみない愛をこめていること。
そんなお話を聞くことができました。
私はなんとなくその時納得しました。
お菓子屋さんに並んだお菓子を見ているだけで、
美味しそうなお菓子だと思ったこと。
どれを食べようかと選んでいる時間がワクワクして楽しいこと。
迷っているはずなのに、どれを食べても間違いないという不思議な根拠があったこと。
それらはすべて、お菓子屋さんがお菓子にこめた愛から来たものだったのですね。
お菓子で幸せになって欲しいという、
お菓子屋さんの願いがそうさせていたのですね。
私はお菓子をいくつか選び、帰り道を楽しく帰りました。
ストレスの化け物は、いつの間にか小さな弱いものに変わっていました。
これも、お菓子屋さんのお菓子の魔法かと思います。
愛に満ちた笑顔の魔法です。
それから、私はお菓子屋さんに会社帰りによることが日課になりました。
楽しくお菓子を選び、帰ってから美味しくいただく。
そのおかげでストレスはいつの間にか小さく小さくなっていました。
どんなに誰かが何を言おうとも、
ストレスのもとがたくさんあろうとも、
また、ものすごく忙しくなろうとも、
私にはお菓子屋さんのお菓子があります。
お菓子屋さんの愛が込められたお菓子があれば、
私は何にだって負けることはありません。
お菓子屋さんは古いお店だと聞きましたが、
そうやって長く続けてこられたのは、
お菓子に対する愛と、
お菓子を楽しむ皆様への愛が受け継がれてきたものだと思います。
この街のお菓子屋さんと言えばここ。
お菓子屋さんのお菓子ならば間違いない。
どんな方も幸せにするお菓子です。
少なくとも私はお菓子屋さんのお菓子で救われました。
お菓子で救われた方はたくさんおられると思います。
何もかもがダメだと思っている時でも、
お菓子屋さんのお菓子で希望を見出す方がいても不思議ではありません。
お菓子屋さんのお菓子は、それほどのお菓子です。
また、会社帰りにお菓子屋さんによらせていただきます。
どうか、末永くお菓子屋さんを続けられることを願っております。
幼い子供たちが成長したときに、
やっぱりここのお菓子がいいと思えるように。
また、私が老いた時にもここのお菓子を食べたいと思えるように。
お菓子への愛が伝えられる後継者を育てられて、
何代も何代も、この街のお菓子屋さんとして続けていってほしいと思います。
この街の皆様の笑顔の中心には、
お菓子屋さんの愛を込めたお菓子がなくてはいけません。
お菓子屋さんはこの街の幸せの源です。
私は、お菓子屋さんも、お菓子屋さんのお菓子も、愛しています。
どうかお身体を大事になされて、
元気にお菓子を作り続けられてください。
いつでも応援しております。
お菓子屋さんのファンの会社員より