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34通目 時計屋さんに宛てて

時計屋さんへ


この度は、我が家の古時計を修理してくださり、

ありがとうございました。

かなり大きなもので、部品も無いかもしれないとのことでしたが、

時計屋さんは、機能しなくなった部品に代わる部品を、

手作業で作ってくれたと聞きました。

それほど真心と技術をこめて修理された時計です。

これからも我が家に伝えていきたいと思います。


時計屋さんは、三代目の方であると聞きました。

時計屋さんはお若いのに、

他の道を選ぶことはなかったのだろうかと私などは思います。

私などでは、親に反発して、

別の道を選びそうなものです。

浅はかな考えですが、親の敷いたレールを歩かないなど、

そんなことを考えそうです。

先代の二代目さんは、私の親に、

時計がある限り時計屋は必要だ、

修理できるものがいなくてはいけないと言われていたそうです。

三代目の時計屋さんもそれをお聞きになられたのでしょうか。

それで時計屋を継がれているのでしょうか。

もし、そうだとしたら、素晴らしいことだと思います。

技術を継いでいって、誰かの役になるお仕事。

それはとても素晴らしいと思います。


三代目の時計屋さんが、

どのような思いで時計屋を継がれたかはわかりませんが、

時計屋を継がれたことで、我が家の古時計が修理されて蘇りました。

時計の命を繋いでくれる、無くてはならないお仕事です。

時計の命を継ぐことは、

私たちの家の時間を繋ぐことでもあります。

時計を中心にして、私たちの生活があり、

生活があるということは、生きているということでもあります。

あの時計があるということは、

時計にまつわる時間がつながって、生きていくことでもあります。

家で暮らしたご先祖様たちも、

あの時計に見守られていました。

その時間が私のところまでつながっている証の時計でもあります。

たくさんの時を刻んできた、時計という名の生き証人です。


ずいぶん前のことになりますが、私は、家が嫌いでした。

親の決めた道を歩かねばならない、あの家が嫌いでした。

大きな古時計は、その家の象徴として、

私は時計のように同じところを回りながら、

決められたように進まねばならないと思って、

あの古時計も嫌いでした。

家に反発して、いろいろなことをしました。

若さゆえ、怖いものなしで、とにかくあらゆる失敗をしました。

私が悪いのではない、あれが悪いこれが悪いと、

とにかくよそに原因をこじつけて、

最終的には古時計のあるあの家が悪いとして、

私は反発し続けました。


転機は、親が倒れたことでした。

家を飛び出していた私のもとに連絡が入り、

私はしぶしぶ家に帰りました。

親は、小さく弱くなっていました。

時計は、いつの間にか壊れて動かなくなっていました。

私を縛っていた家の威圧感は、すっかり薄れていました。

私は何に反発していたのだろうと思いました。

大きな圧力に反発していたつもりでしたが、

この家は私に圧などかけていなくて、

親は私にやりたいようにさせてくれていて、

いつでも家に帰ってきていいと、受け入れてくれていたのでした。

親が決めた道などは最初からなくて、

親は、少しでも私が苦労しないような道を、

なんとか考えてくれていただけでした。

だいぶ遠回りしましたが、ようやくそのことに気がつけました。

私は、最初から愛されていたのでした。

それに気が付かなかったのは、

もしかしたら、若さゆえの奇妙な愚かさだったのかもしれません。

要らぬ遠回りをしたとも思いましたが、

遠回りをしなければ、私はこの家を包む愛に気が付かなかったかもしれません。


私は、家を継ぎました。

そして、代々時計屋を継いでいる、時計屋さんに古時計の修理をお願いしました。

我が家の時計は大きく古いので、

若い時計屋さんが修理できるか、正直不安でしたが、

時計屋さんは、出来ますと言ってくれました。

ああ、この時計屋さんも、大切なものを受け継いでいっている。

そのことに共感を覚え、

また、その技術を信頼してみようと思いました。

時計屋さんは、丁寧に時計を修理してくれました。

大きな古時計は蘇り、この家の象徴として戻ってきました。

また、この家の時間が戻ってきたような気がします。

親に反発してきた時間がありましたが、

親は不器用ながらも、私を幸せにしたいと、

愛していたのだと今ならばわかります。

この家には愛が満ちていました。

大きな古時計は、愛を刻んで見守ってきていました。

そして、時計屋さんの修理技術にも、

時計への確かな愛がありました。

きれいに修理されて戻ってきた時計には、

時計屋さんの確かな愛が見て取れました。

おそらく時計屋さんも、

代々技術と時計への愛を受け継いできたのだろうと思います。

受け継がれる愛は、尊いものです。

時計屋さんもまた、愛されていたのだろうなと思います。

そうでなければあれほど時計をきれいに修理はできません。

時計にこめられた、その家の物語、誰かの生き様、歴史、

それらすべてをまとめて修理すること。

それが時計屋さんの仕事であり、

その家の時をもう一度動かす、大きな仕事です。

時計に対する深い愛情がなければ、

このお仕事はできません。


修理された大きな古時計は、

これからもこの家の象徴として継いでいきます。

私からの勝手なお願いですが、

どうか、時計屋さんも四代目五代目と、

時計への愛を持った誰かに継いでいってもらいたいと思います。

我が家の大きな古時計は、時計屋さんに代々修理されていきたいと思いますので、

末永く、よろしくお願いいたします。


古時計の家の当主より

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