カミサマへ
この国にはたくさんの神がいるとか、
仏もいるとか、さらに異国の神もいるとか、
なんだかたくさんの存在がいるってことになってて、
それが寄せ鍋のように共存している。
私はそんなこの国の神的なものの扱い方がすごく好きです。
それぞれの神的なものを否定しないありかたが好きです。
とにかく、どの存在に感謝を述べていいかわかりませんので、
カミサマとさせていただきます。
この手紙は、カミサマへの感謝の手紙になります。
たくさん存在する神的なものを全部まとめて、
この手紙ではカミサマとさせていただきます。
カミサマへ。とにかく感謝を述べたいのです。
私の人生は、薄くカミサマと関わるものでした。
正月には何となく初詣とか、
お盆やお彼岸にはお墓参りとか、
カミサマとは少し違うかもしれませんが、
ハロウィンも何となく楽しみますし、
クリスマスも何となく楽しみます。
なんとなく夏祭りも楽しみますし、
お葬式はしっかりと出ますし、
神社やお寺は粗末にしてはいけないものだという程度。
そして、何か人生の岐路に立つときには、
どこかの神社やお寺に言って神頼み的なものをしたり、
年相応になれば縁結びを祈願してお守りを持ったり、
挙げればたくさん関わっているように見えますが、
それぞれが薄ぼんやりとカミサマに関わっているようなもので、
信仰している特定の宗教的なものがあるわけでなく、
薄くカミサマと関わるような人生でした。
カミサマの方もそれがいい悪いというわけでなく、
多分カミサマは、あまり近くなることもなく、遠くになりすぎることもなく、
ほどよい距離で私を見守っていてくれたのだと思います。
少し前まで、私にはこれと言った信仰はありませんでした。
今も特定の宗教を信仰するわけではありませんが、
カミサマというものはいるのだと感じています。
たくさんの神的なものがあって、
人とは違う、カミサマという存在は、いるのだと思います。
私は、それなりに年相応の頃、
結婚して、夫とともに暮らすようになりました。
縁結びのカミサマに祈ったからかは、この時点ではわかりませんでした。
夫は私よりもうちょっとカミサマを信じている人で、
住んでいる家の、仏壇と神棚にちゃんと手を合わせる人です。
何かいいことがあったら、
カミサマにお礼を言いなさい。
夫はそんなことを言って、
何かとカミサマに手を合わせていました。
私も倣ってカミサマに手を合わせ、
お願い事や、日々あったこと、ちゃんと過ごせることへの感謝、
いろいろなことを手を合わせながら念じました。
この気持ちがどこに行くかはわかりませんが、
カミサマに届けばそれもいいと思いました。
そんな折、私は病に倒れました。
病院に運ばれ、苦しい思いをしました。
意識は朦朧としていました。
夫がそばにいてくれたような気がしますが、
夫が握った手の先に、大きな存在を感じました。
それはあたたかい光のような存在でした。
朦朧とした意識の中で、
夫が、カミサマと言ったのが聞こえました。
私の手を握りしめて、カミサマに祈っていました。
私の意識ははっきりしませんでしたが、
夫の手を握り返し、
カミサマはここにいると、伝えたかったのですが、
私の意識はそこで、光に包まれて途切れました。
目が覚めて、意識がはっきりしてから、
私は奇跡的に回復したと聞きました。
お医者様は、病に勝つだけの体力があったのでしょうと言われましたが、
私は、多分、カミサマが助けてくれたのだと感じています。
毎日、なんとなく日々のことを念じていた言葉は、
大きな神的な存在の、カミサマに届いて、
夫と私の手を通して、奇跡を起こしてくれたのだと思います。
この国には、たくさんの神的な存在が祀られています。
祀られている神的なもののほかに、
人の中にも、神的なものがあるのだと思います。
たくさんの人々の中にも、そんな存在があって、
強く祈れば奇跡も起こせるのだと思います。
祀られている神、人々の中の神的なもの、
そんな無数の神的なものが、
とても大きな、カミサマなのだと思います。
たくさんの祈りは、カミサマに届くのだと思います。
特定の宗教というわけでなく、
カミサマは誰の中にもいるのだと思います。
カミサマは緩やかにこの世界を包んでいて、
そのカミサマという存在自体が、
もしかしたら、愛というものなのかもしれません。
私の病はすっかり治りました。
夫はいつものように仏壇と神棚に手を合わせて、
私の病が治ってからは、
お礼参りにといろいろなお寺や神社に行きました。
いろいろなところに祈っていたのだなとその時に知りました。
たくさんの祈りは、夫の手を通して、
あの時カミサマにつながりました。
夫もまた、カミサマなのかもしれません。
最後になりましたが、
これからも日々の感謝や願いなどを、
いろいろなところで手を合わせて祈っていこうと思います。
カミサマがそれを聞いてくれたとしたら、
私はそれで十分です。
いつも見守っていてくださり、ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
病から生還した一介の主婦より